『ピーター・イベットスン』覚え書き

鷺澤伸介
(初稿 2020.8.14)
(最終改訂 2020.8.24)

★ジョージ・デュ・モリエイ(1834-1896)の小説『ピーター・イベットスン』についての覚え書きです。内容は、この小説に基づいたオペラおよび映画についてと、小説で誤解されやすいと思われる事柄の補注です。ネタバレを大量に含んでいますので、これから原作小説・オペラ・映画を鑑賞する予定の方はご注意ください。
(表記揺れ:ジョージ・デュ・モーリア、ジョージ・デュ・モーリエ、ジョージ・デュ・モリエ;『ピーター・イベットソン』)

オペラ《ピーター・イベットスン》(1931年2月初演)のこと

アメリカのディームズ・テイラー作曲による三幕のオペラです。
日本では作曲家テイラーの名前を耳にすることはなかなかありません。
しかし、ディズニーの『ファンタジア』で、冒頭や曲間に登場してはなかなかいい声で解説をしているあのメガネのおじさんがテイラーだと言えば、「ああ、あの人!」と思い浮かべられる方もいらっしゃるでしょう(ただし、以前の『ファンタジア』国内版では、この人の登場シーンはことごとくカットされていました)。
そのテイラーが、メトロポリタン・オペラのために書いた二番目のオペラが《ピーター・イベットスン》(最初のオペラは1927年初演の《王の従者》)で、リブレットは、1917年に演劇の《ピーター・イベットスン》でメアリー役を演じたことのある、女優コンスタンス・コリアーと作曲者が共作しました。

音楽について

オペラ《ピーター・イベットスン》の音楽は、ヴァーグナー風とも映画音楽風ともミュージカル風とも言えそうなほど分かりやすい調性音楽で、美しく快い、それこそ「夢のような」甘美な響きには事欠きません。
ただ、例えば同じアメリカ・オペラの《ポーギーとベス》のような強烈な個性があるかというと、「う~ん……」という感じです。
初演時のレヴューにも、音楽の物足りなさを指摘しているものがありました。
《ピーター・イベットスン》のスコアの中で、我々は何度も《トリスタン》《パルジファル》《ヴァルキューレ》《ペレアス》の反響に遭遇する。それほど頻繁ではないが、シュトラウスやプッチーニの影響も聴き取れる。とはいえ、作風は、大部分がヴァーグナーのそれか、ドビュッシーと奇妙にブレンドされたヴァーグナーのそれである。あるいは、二つが並置されているのも聞こえてくる。そのことがもたらす最も深刻な結果は、音楽的ムードと和声的色彩の、有害な単調さである。抑制のない半音階、耳慣れた未解決、九の和音――これら諸々が、我々が作品の終わりに達するはるか以前に、注意力を麻痺させてしまう。
『ヘラルド・トリビューン』紙、ローレンス・ギルマンによるレヴューより
ドビュッシーのテイストを加味した後期ロマン派風の響きに満ちているけれども、単調、というのは、私もまったく同感です。
このレヴュワーは、その原因として、先人の技法の継承がテイラー自身に血肉化されていないからだろう、というようなことを言っていますが、あるいはそうなのかもしれません。
まあでも、何となく聴いている限りでは紛れもなく熟練したプロの手になる音楽ですので、その確かな職人技には安心して身を任せることができます。
音楽史的な価値よりも、きれいな音楽を聴きたい、ロマンティックで感傷的な恋愛オペラを味わいたい、という人なら、きっと満足できると思われます。
実際、初演は大成功で、36回もカーテンコールがあり、テイラーも喜色満面で舞台挨拶をしたそうです。
その後、1935年4月までに、メト以外の劇場や放送用上演も含め22回上演されました(すべてメトのプロダクション)。
これはかなり大当たりと言ってよい回数らしく、このときの収益のおかげで、メトは折からの世界恐慌を乗り切れたとのことです。

リブレットの言語について

リブレットを読んでみて驚いたのが、フランスのシーンではフランス語が使われていることでした。
原作でも下記の映画でもフランスの場面ではけっこうフランス語が出てくるし、舞台がフランスなら言語もフランス語が使われて当然ではないか、と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
例えば、スペインが舞台のオペラであっても、《カルメン》はみんなフランス語で歌って語るし、《フィガロの結婚》や《セビーリャの理髪師》はイタリア語、《フィデリオ》はドイツ語です。
日本が舞台の《蝶々夫人》は日本人もアメリカ人もイタリア語で歌いますし、《ミカド》は英語、《金閣寺》はドイツ語です。
エジプトが舞台の《アイーダ》はイタリア語、ノルウェーが舞台の《さまよえるオランダ人》はドイツ語、フランスが舞台の《オルレアンの少女》はロシア語です。
つまり、オペラでは、物語の舞台がどこで登場人物がどの国の人間であろうと、「上演が見込まれる国の言語」で台本が書かれるのが普通なのです。
これは、別にオペラでなくても、演劇でも映画でも、また小説などの文学作品でも同じことです。
日本のマンガ・アニメだって、フランスが舞台の『ベルサイユのばら』だろうとアメリカが舞台の『キャンディ・キャンディ』だろうと、セリフはみんな日本語で書かれていますものね。
《ピーター・イベットスン》はメトのために書かれたオペラですから、アメリカ人向けに全曲英語で書かれていても何の不思議もありません。
ところが、フランスが舞台になる第二幕では、フランス人を交えた会話はフランス語、イギリス人どうしの会話と合唱は英語となっていて、結果、フランス語の占める割合はこの幕の半分近くにまで及んでおり、第一場などはほぼすべてフランス語です。
これは原作よりもはるかに多い割合です。
原作では、舞台がフランスになってセリフがフランス語になっても、地の文は英語のままですから。
テト・ノワールの窓の外にタワーズ公爵夫人の姿を見つけたピーターが、ウェイトレスのヴィクトリーヌに「あれは誰か」と尋ねるとき、興奮のあまり初めは英語で言ってしまったために通じず、もう一度フランス語で言い直す、というシーンもあります。
すべて英語で書かれていたら、描写が困難な部分です。
その他、第一幕でイベットスン大佐が朗読するミュッセの詩や、第三幕の合唱によるフランス民謡なども原語のままです。
言語については「リアリズム」に徹しているわけですね。
正直、最初は「何と愚直な!」と感じましたし、「字幕表示装置を付けないと、アメリカの観客でも第二幕は理解できないんじゃなかろうか。1931年の初演時はどうしたのだろう?」などと余計な心配までしてしまいました。
しかし、その後次第に、「考えてみればフランス人がフランス語を話すのは当たり前なのだから、アメリカ・オペラだからフランス人も英語で歌うという慣例の方がよほど不自然なのか……」と思えるようになりました。
こういう、いわゆる「多言語オペラ」はほかにもあるらしいのですが、私などは二か国語でもけっこう面倒な思いをしたので、もし三か国語も四か国語も出てきたりしたら、観客だけでなく歌手も指揮者も演出家もそうとう大変だろうなあ、と思います。

ストーリーについて

このオペラのストーリーについては、「まずまず原作に忠実である」と言ってよいかと思います。
もちろん、あれだけの長さの原作を二時間半の舞台用にまとめているわけですから、細かい点では違いがたくさんあります。
以下、めぼしい違いを挙げてみます。
×第一幕のディーン夫人邸での舞踏会、第二幕のテト・ノワール(「本当の夢」の中での若い頃のイベットスンとピーターの母の会話も含む)のシーンは、原作にはない。原作では、ピーターはテト・ノワールには立ち寄っただけで泊まっていないし、老いたデュケノワ少佐との再会はテト・ノワール内ではなく屋外だった。さらに、原作では(生身の)ピーターとタワーズ公爵夫人が会話を交わすのは、オペラのようにフランス滞在中ではなく、イギリス帰国後である。
×オペラのみに登場する、セリフ(歌唱)のあるオリジナル・キャラクターとしては、以下の四名がいる。
・ガイ・マインウェアリング(ディーン夫人の舞踏会の客)
・ダイアナ・ヴィヴァシュ(ディーン夫人の舞踏会の客)
・アシル・グレゴゥ(小ホテル、テト・ノワールの支配人、原作では八百屋の「アシル・グリゴゥ」という似たような名前のチョイ役がいる)
・ヴィクトリーヌ(テト・ノワールのウェイトレス)
×登場人物の関係性が一部異なる。例えば、チャーリーやマッジは、原作ではピーターのいとこだが、オペラではピーターとの関係性がはっきりせず、ただの友人のように見える。また、ディーン夫人とメアリーは、原作では面識はないが、オペラではかなり親しい友人どうしとなっている。
×ディーン夫人は、原作よりも出番が多く、役割も重要で、最初から最後までピーターの良き友人として立ち回る。
×ピーターの母のファーストネームは、原作ではキャサリンだが、オペラではマリーとなっている。
×原作では、メアリーには肢体不自由で知恵遅れの男の子がいて(後に死亡)、それがメアリーと夫との不和および離婚の原因となった。オペラでは、メアリーが夫とうまくいっていないことは第一幕でほのめかされているが、子供がいるかどうかは分からない。
×ピーターが「本当の夢」の見方をメアリーに教わるのは、原作では大人になって幼少時を過ごしたフランスを訪ねる旅行の間(の夢の中)だが、オペラでは子供の頃にすでに教わっている。
×ピーターとメアリーの「本当の夢」での25年間にわたる共同生活の内容は、原作では非常に詳しく書かれていて、それが小説後半の眼目となっているが、オペラではほぼすべて省略されている。
私個人としては、この最後の点が、オペラ用のストーリーでいちばん物足りないところです。
メアリーの「夜中じゅうずっと、私たちの体が半分死んで横たわっているとき、人はそれを睡眠と呼んでいるけれど、私たち、あなたと私は、これから何年も一緒にいるのよ。私たちは一緒に世界を巡るの!」(第三幕第三場)というセリフから、今後二人が夢の世界でどんなふうに過ごすことになるのかは一応説明されてはいるのですが、それでも、この下の映画のように、せめて一つくらいは幼少時の思い出の場面以外の夢を描いてもよかったのではないかと思います。
原作では、自分たちの記憶だけでなく祖先の記憶もたどれることが判明し、それを応用してマンモスを見に行くことまでしているくらいですから(遡れば遡るほど祖先の数が増えるので、見られる光景も等比数列的に増えていく……メアリーの死のために、人類の祖先にまでは遡らずに終わった)。
でもまあ、さらに別の夢のシーンが入ったら(現行のオペラでは夢のシーンは二回)、たぶん上演時間が三時間に達してしまったでしょうから、やはりこれは無理な注文ということになりそうです。

映画『永遠に愛せよ』(1935年11月封切、日本公開1936年2月)のこと

ヘンリー・ハサウェイ監督、ゲーリー・クーパー主演の有名なアメリカ映画です。
本国でのタイトルは原作のまま『ピーター・イベットスン』で、『永遠に愛せよ』というのは日本用の改題です(「とわにあいせよ」と読むのでしょうか?)。
ほかには、アルゼンチン、ブラジル、フィンランド、ポルトガル、スペインなどが、日本と同じように「永遠」という語を含んだタイトルに変えていて、それ以外の国では原題のままが多いようです。
アメリカでは、同じ原作が1921年にも "Forever" というタイトルでサイレント映画化され、日本では『永遠の世界』の題で紹介されたことがありました。
キネマ旬報サイトのあらすじを読むと、このサイレント版の方が、本稿対象のトーキー版よりも明らかに原作に近いストーリーになっていることが分かります。
ただし、こちらはフィルムが行方不明になっているとかで、残念ながら2020年夏現在では見ることができません。
1935年トーキー版は、原作をかなり自由に脚色していて、原作との違いがオペラよりもはるかにたくさんあります。
以下、めぼしい違いを書き出してみます。
×原作のミムジー(メアリーの幼少時の愛称)は病弱で頭痛持ちのため、ゴーゴー(ピーターの幼少時の愛称)は彼女に常に優しく接している。対して映画では、二人は初っぱなから材木の使用をめぐって大喧嘩をしている。ミムジーは病弱という原作の設定はなくなっているようだ。
×ミムジーの姓は、原作ではセラスキア、映画ではドリアンとなっている。原作では、ミムジーの母親は「絶世の美女」であるが、映画では特にそういう設定にはなっていないように見える。
×映画にはゴーゴーの父親は出てこない(すでに亡くなっている?)。母親も、映画が始まってすぐに病死する。
×デュケノワ少佐は、原作では英語を話さないが、映画ではゴーゴーとミムジーに頑張って英語で昔話をしてやっている。その際の「クリック?」「クラック!」の使い方も、原作とは違っている。
×ピーターをロンドンに引き取る親戚は、原作では「いとこおじ」のイベットスン大佐だが、映画では「おじ」のフォーサイス大佐となっている。原作のイベットスン大佐は、いろいろと問題の多い人物で、ディーン夫人の悪い噂を流したりピーターの母を侮辱したりする悪質なトラブルメーカーである。それに対し、映画のフォーサイス大佐は、デリカシーには不足するようだが悪人ではなさそう。欠点は、酔うと馬の話ばかりになってピーターを辟易させることで、そのためピーターは馬には興味が持てなくなった。
×ピーターが弟子入りする建築家は、原作ではリントット氏、映画ではスレイド氏である(スレイドというのは、原作ではパリ時代のピーターたちのイギリス人教師の名前)。また、映画では、建築家のスレイド氏は盲目となっている。
×ピーターが休暇を取ってフランスに里帰りしている間、原作では一人で行動するが、映画では美術館従業員アグネス(映画のみのオリジナル・キャラクター)に逆ナンパされ、その後は二人で行動している。アグネスもイギリス人なので、二人は英語で会話する。もちろん恋愛には発展しない。
×ピーターが初めて「本当の夢」を見るのは、原作ではフランスに里帰りしている間、映画ではタワーズ公爵家の厩舎改築に携わっている期間中である。メアリーの方は、原作ではあまりに不幸になった娘を見かねた父親に夢見の方法を教わったとき、映画ではピーターと同時である。
×成長したピーターとメアリーが再会するきっかけになる建築工事の対象は、原作ではメアリーの母のいとこであるクレイ卿の邸のコテージ、映画ではタワーズ公爵家の厩舎である。
×タワーズ公爵は、原作では、メアリーとの間に肢体不自由で知恵遅れの息子が生まれ(後に死亡)、それがきっかけで不和、離婚となる。映画では、メアリーとの間に子供はいないが、彼女のことを愛してはいるようで、原作ほど性格に問題があるようには見えない(メアリーも「彼はとても優しかった」と言っている)。なお、この公爵は、原作では会話にしか登場しない。
×ピーターが手にかける相手は、原作では母親を侮辱したイベットスン大佐、映画では妻メアリーがピーターに奪われることを阻止しようとしたタワーズ公爵である。前者はクリス(マレー製の波形ナイフ)で迫ってくる相手を杖で撲殺し、後者はピストルを構えた相手に椅子を投げつけ、それが頭に当たったのが致命傷となる。なお、映画のメアリーは法廷で「夫が先に撃った」と言っているけれど、先に動いたのはどう見てもピーターである。公爵はピーターが椅子を振り上げるのを見て引き金を引いている。
×映画のピーターは、刑務所で抵抗したため看守に棍棒で背中を殴られて脊椎を損傷し、全身不随となる。原作でもピーターが刑務所で暴れる記述はあるけれど、取り押さえられて拘束具を付けられただけで、深刻なケガはしていない。拘束具を付けられたのも一定期間だけで、小説のピーターは、刑務所あるいは犯罪者用精神病院内ではまずまず自由に振る舞うことができた。……映画のピーターは、身動きできない状態で20年以上も生き続けるわけで、いくら夜の間に「本当の夢」で癒されるとはいえ、原作に比べるとはるかに苛酷な運命を負わされたように見える。ただ、映画のピーターが死なせるのはメアリーの夫のタワーズ公爵で、映画の公爵には原作でのイベットスン大佐と違って殺されても仕方がないような理由がない。公爵がピストルを持ち出したのも、愛する妻を奪われまいとしただけのことで、決して悪意のある行動ではなかった。もしかすると、映画では、小説と違って悪人ではない人間を殺してしまったということで、小説よりもずっと重い枷がピーターに与えられたのかもしれない。
×「本当の夢」が本物であることを信用させるためにメアリーが獄中のピーターに送ったのは、原作では菫と手紙、映画では指輪である。
×夢の中でピーターの行く手を阻む恐ろしげな存在は、原作では不気味な小人の夫婦、映画では看守たちである。いずれもメアリーによって追い払われる。
×映画の「本当の夢」の描写は原作に比べて非常に少なく、夢の中身も原作にはないオリジナルである。ただ、ピーターよりも先に死んだメアリーが彼の夢に現れ、あの世のことを語った後で手袋を忘れていく、というくだりは、原作にもある。
以上のように、映画はオペラ以上に原作から離れています。
長い原作を、オペラよりさらに短い二時間足らずの映画脚本に圧縮しなければならないわけですから、オペラよりも多くの変更や脚色がなされるのは仕方のないことです。
映画単独で見れば、「名画」とまでは言えないにしても、いかにも古き良き時代のアメリカ映画的ロマンティシズムに溢れていて、その甘美なノスタルジーが楽しめれば「良い映画」という評価になるでしょう。
この映画が好きだという人がけっこういらっしゃるようなのもうなずけます(淀川長治さんもお好きだったとか)。
ただ、原作を知っていると、主役二人の「性格」が変えられていることに、どうしても違和感を覚えてしまいます。
原作のピーターはもっと引っ込み思案で、貴族の雇い主に逆らうような生意気な態度を取ることなどまずあり得ないでしょうし、原作のメアリーは不幸な結婚とその癒しとなる「本当の夢」のために、もっと人生を達観したような穏やかな性格になっています。
オペラは、このあたりはかなり原作に寄り添っていました。
そもそも、ゲーリー・クーパーがピーター役というのがミス・キャストな感じです(当のクーパー自身もそう思っていたらしい)。
何だか、クーパーの雰囲気に合うように主人公の性格を変えてしまったと思えてなりません。
そういうわけで、残念ながら、小説から入った私にはあまり興味を引かれる映画ではありませんでした。
原作を知らず映画だけを見たのなら、この映画に心惹かれたというアンドレ・ブルトンのように満足できたのでしょうか?
そうそう、「もしセルズニックが関わっていたならどうなっていただろう? 彼ならあまりにも原作から離れた脚本にはしないだろうから、『レベッカ』や『ジェニーの肖像』くらいには感動できる映画に仕上がったのではなかろうか」などとも思いました。

小説『ピーター・イベットスン』(1891年刊)補注

最後に、小説で誤解されそうな事柄について、簡単な補注を付けておきたいと思います。

ゴーゴーとミムジーの間に「幼い恋愛感情」はあったのか?

ゴーゴーは、ミムジーに「幼い恋愛感情」のようなものは抱いていなかったようである。ゴーゴーにとってのミムジーは、おそらく「気の合う、病弱でかわいそうな女の子」といった程度の存在だったのであろう。ゴーゴーは、彼女よりもむしろその母親の「神々しいセラスキア夫人」に憧れていた。子供心に、「あの人のためなら何だってする――危険にだって直面する――死んだっていい!」と思うくらいに。ミムジーのことは、「私は、母親のみならず彼女自身も喜ばせるためにすぐに彼女を運んだし、彼女のために何でもしたものだった」とあるので、もちろん好きではあったのだろうが、母親への憧れに比べればずっとおとなしい想いであった。
それに対し、ミムジーは、こちらはもう完全に「幼い恋愛感情」でゴーゴーを熱愛していた。「ゴーゴーの奴隷になりたかった、彼のためなら死んでもいいと思っていた」と、第五部でメアリーが告白している。
このような「温度差」は、子供の頃はゴーゴーの方がミムジーよりもはるかにきれいな子だったこと、相手のためにしてやる行為がゴーゴーの方がミムジーよりもずっと多かったこと、女の子の方がませていること、などが原因として考えられるだろう。

ピーターの父親はイベットスン大佐なのか?

ピーターの実の父親は、世間に知られているとおりジャン・パスキエ・ド・ラ・マリエールであって、ロジャー・イベットスン大佐ではない。つまり、イベットスン大佐はディーン夫人に嘘をついたのである。このことは、以下の内容から判断できる。
・ピーターとパスキエ氏は非常によく似ていて、特に独特な眉がそっくりである。
・イベットスン大佐は虚言癖の持ち主で、ディーン夫人も彼の嘘(おそらく大佐との肉体関係をほのめかす内容を含む)のせいでひどい目に遭ったという。
・刑務所に面会に来たリントット夫妻について、who had also believed that I was Ibbetson's son (I undeceived them);「彼らもまた私がイベットスンの息子であると信じていた(私は彼らに誤りを悟らせた)」という記述がある。

この下は『ピーター・イベットスン』からは離れた余談です。
誤解されやすい事柄といえば、『ピクニック・アット・ハンギングロック』で、「アップルヤード校長がセーラを直接手にかけて殺した」と思っている人が少なからずいらっしゃるようですが、校長はセーラを殺していません。
マドモワゼルのバンファー宛の手紙に書かれている「恐ろしい疑惑」や、バンファー夫人が話す「あの老婦人は、かっとなるとちょっと乱暴になる」という噂話など、確かに校長が犯人だと思わせかねない紛らわしい材料も出てくるけれど、普通に読めば下記のような次第であったことが分かるように書いてあります。
●3月21日(土)校長がミニーに、「ちょっと話があるので、それまで灯りを消さないようにセーラ嬢に言っていただけるかしら」と伝言を頼む。その夜校長は、「後見人と連絡が取れず、学費が納入されていない以上、孤児院送りは決定とする」とセーラに宣告したらしい(宣告部分の記述はないが、セーラが抵抗したセリフ「嫌、嫌それは嫌孤児院は嫌!」は書かれている)。マドモワゼルやほかの者に知られると反対されるなど面倒なことになりそうなので、出発はたぶん翌朝の早い時間帯を設定し、校長自らセーラを孤児院に連れていくつもりだったのだろう(「マダム・Aが日曜の朝、正門を自分で開けると言い張っていた」とある)。
●3月22日(日)朝、校長がセーラの部屋に行ってみると、姿が見えない。生徒や職員は教会行きでバタバタしていたこと、また同室のミランダは行方不明中で、その部屋で寝起きしているのはセーラ一人であったこと、さらに朝食を持っていくようミニーに頼まれていたアリスがそれを忘れたことなどから、セーラの失踪は校長以外誰も気づいていない。孤児院送りを嫌って逃げたのだと思った校長は、これ以上のスキャンダルは学校の存続を危うくすると考え、後見人コスグローヴ氏が突然やって来て連れていったかのごとく装うことにする。その朝、校長が「小さなバスケットのように見えるものを持って」階段を下りてくるのを、ミニーが目撃している。校長はバスケットを隠すつもりなのだ。セーラがそのバスケットだけを持って慌てて出発した、という体にするためである。午後、マドモワゼルにセーラのことを相談された校長は、上記のような嘘をつく。その後、セーラのバスケットが校長の部屋の戸棚から転がり落ちる描写がある。――校長は、失踪したセーラが事故に遭うとか自殺するとかいう可能性も、おそらく考えたであろう。また、この日アルバートは、昨夜夢でセーラを見たことをマイケルに話している。勘のいい読者なら、アルバートの夢の話の段階で、セーラが死んでいることに気づいたと思われる。
●3月25日(水)教諭二人をもてなした後、校長は夜中にセーラの部屋に忍び込み、消息の手がかりがないかどうかを探す。が、「何も見つからず、何も推論できず、何も決まらなかった」。――校長が教諭二人を歓待したのは、夜中に廊下などで出くわさないよう、疲労させてぐっすり眠らせるためだったのかもしれない。
●3月26日(木)連絡が取れなかったコスグローヴ氏から手紙と授業料の小切手が届き、28日土曜日にセーラを迎えに来るという。それを読んだ校長はひどく苦悩する(「彼女は部屋を行ったり来たりしていたに違いないと思う」「彼女はひどい様子に見えた」とある)。午後、セーラの遺体が紫陽花の花壇で見つかる。セーラは逃げたのではなく、塔から飛び降りて自殺していたのであった。――失踪したにしても、もし生きているのなら捜し出し、学費が払われた以上は孤児院行きはご破算にして、そのまま在学させることもできたかもしれない。だが、死んでしまったのではどうにもならない。最悪の結果であった。校長は、学費の支払いのないセーラを孤児院に追い出そうとしただけであるから、セーラがそれを嫌がって自殺したからといって、罪に問われることはないだろう。しかし、生徒の自殺が新たなスキャンダルとなるのは間違いないし、コスグローヴ氏からも責められる可能性がある(この事態を招いたのは彼にも責任があるので責めないかもしれないが)。そうなれば、アップルヤード女学校は、おそらくもうおしまいである。――校長は警察に向かう途中、ホワイトヘッド氏と別れてハシー氏の馬車に乗り、ハンギングロックのかなり手前で降車する。その後は一人でハンギングロックに向かい、石柱(モノリス)のあたりまで登ったが、セーラの幻覚あるいは幽霊が見えたことに驚いて、崖から落下して死亡する。
そもそも、もし校長がセーラを殺したのなら、紫陽花の花壇に埋めもせずに放置しておくはずはありません。
そんなことをしたら、いずれ腐臭で見つかるに決まっているからです。
ご意見・ご教示等ございましたら こちら からお送りください。

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