《ウィーンの森の物語》の模範演奏

鷺澤伸介
(初稿 2020.10.16)
(最終改訂 2020.10.31)

ウィンナ・ワルツのアルバム選び

★本稿では、Wienのカナ表記を「ヴィーン」ではなく「ウィーン」とします。「ウィンナ・ワルツ」も同様です。
学研『ミュージックエコー』全項目を作る過程で、1971年4月号の付録レコード「ウィンナ・ワルツ名曲集」を試聴確認していたとき、自分がまとまったワルツ集のアルバムを一枚も持っていなかったことに気づいて、我ながら驚いてしまいました。我が家にクラシックのCDはたぶん2000枚以上あるはずだし、グレゴリオ聖歌から現代音楽まで幅広く買ってきたつもりなのに、いわば「どこの家庭にでもありそうな定番アルバム」がすっぽり抜けていたとは……。すぐに「ここらで一組買って音楽史的な穴を埋め、じっくり聴いてみなければ」という気持ちになりました。
ヨハン・シュトラウス二世の作品は、その大ファンであったことがよく知られているブラームスだけでなく、ヴァーグナー、ブルックナー、マーラー、R・シュトラウス、あるいはロシアのチャイコフスキーなどからも高く評価されていたそうです。これだけ錚々たる大作曲家たちから愛されるということは、ちゃんと聴けば何か面白い発見があるかもしれない。というわけで、早速ディスク選びに取りかかりました。
――自分にとってワルツ集の最初の一組で、もしかすると同種のものは二度と買わないかもしれない。となると、できるだけ「楽譜準拠」の教科書的な演奏がいい。『ミュージックエコー』付録レコード「ウィンナ・ワルツ名曲集」は、省略演奏と言うよりは抜粋と言った方がよく、どの曲も本当にさわりだけという感じだったので、その反動もあって、冗長だろうが何だろうがとにかく楽譜に指示されている繰り返しを全部実行した演奏が欲しい。もちろん演奏が良いに越したことはないけれども、今回はそれよりも「楽譜の指示どおりに」演奏してくれている録音、いわゆる「古楽」(H.I.P.)的演奏を優先とし、演奏の質はほどほどでもよい。
……という思考過程を経た結果、次のような選択基準を考えました。
  1. セッション録音であること。演奏に傷のありそうなライヴ録音は対象外。
  2. 楽譜どおりに演奏していること。
  3. 三大ワルツ(《美しく青きドナウ》《ウィーンの森の物語》《皇帝円舞曲》)が全部入っていること。
  4. 《ウィーンの森の物語》では、チターを使っていること。
1.について。ウィンナ・ワルツのアルバムは、「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート実況録音盤」が、映像ディスクも含め、たくさん販売されています。しかし、ライヴ録音はどうしても雑音が入るし(拍手や手拍子も「雑音」です)、演奏ミスが修正されないままになりやすいので、対象から外しました。また、モノラルも外すことにしました。初めてちゃんと聴こうと思っている音楽を音の悪い録音で聴くのは、百害あって一利なしだからです。よって、クレメンス・クラウスの録音はすべて除外となります。
2.について。「楽譜どおりに演奏していること」には、「リピートの完全実行」はもちろん、「楽譜に指定された楽器がすべて使われ、余計な楽器を入れないこと」という条件も含まれます。《常動曲》にはグロッケンシュピールのソロがあるけれど、《美しく青きドナウ》にはこの楽器は使われていません。それなのに、上記の「ウィンナ・ワルツ名曲集」の同曲の演奏では、グロッケンシュピールの音があちこちで聞こえました。このアレンジ自体は嫌いではなく、むしろ好ましいとさえ感じます。しかし、「楽譜どおり」という基準に従うと、グロッケンシュピール入りの《美しく青きドナウ》は「邪道」として退けることになります。
3.ついて。まずは三大ワルツからじっくり聴いてみようということで付けた条件です。しかし、この三曲が全部入っているアルバムは、実はそれほど多くありません。この条件は「『できれば』全部入っていてほしい」という程度です。三曲の模範演奏がそれぞれ異なる演奏者・アルバムになるのなら、三枚買うことになってもかまいません。
4.について。これは最初のスコアを入手してから付け加えた条件です。《ウィーンの森の物語》のチターの場合、民族楽器であることを考慮してか、絶対にそれで演奏しなければダメということはなく、ない場合は弦楽器での代用も認められています。ですから、弦楽器で演奏していたとしても必ずしも2.に抵触するとは言えないわけです。しかし、弦楽器での演奏はあくまでも「チターがない場合」のやむを得ない処置なのであって、「どちらで演奏してもよい」ということではないのです。当曲でチターを使っていない録音は、「優先すべき選択肢が採れなかった演奏」ということで対象外とすべきでしょう。
★《ウィーンの森の物語》にチターを使わないのは、《幻想交響曲》の鐘や《くるみ割り人形》のチェレスタの代わりにピアノを使うようなものです。前者は「低い音の鐘が調達できなければピアノで」という指示(つまり、チューブ・ベルのような音の高い鐘で演奏するのは「誤り」だが、ピアノなら次善の策でOK、ということ)、後者はチェレスタが一般化していない頃だったためか「チェレスタがなければピアノで」という指示です。作曲家が代替を許している以上、そういう演奏もたまには聴いてみたい気もするけれど、これらも「やむを得ない場合」に限られる案なので、その演奏を「規範」とするわけにはいきません。
だいたいの基準は決まったので、最初に《ウィーンの森の物語》を取り上げました。この曲にはチターが使われていて、オケ内にチターが弾ける楽員がいなければ(たいていいないでしょうねw)奏者を探して雇わなければならないため、ほかの二曲ほど気楽にプログラムに入れることはできないだろう、その分録音も少なく選択肢も狭いだろう、と考えたからです。

《ウィーンの森の物語》各社フル・スコアの違い

古楽(H.I.P.)的・教科書的演奏なのかどうかを判断するためには、当然のことながら正確な楽譜が必要です。
《ウィーンの森の物語》の現在利用可能なフル・スコアには、ヨハン・シュトラウス協会出版社の新全集版、ドブリンガー社の旧全集版、オイレンブルク版、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル版などがあり、国内では日本楽譜出版社版、音楽之友社版があります。
このうち、ドブリンガー版は指揮者用スコアしかなく、それだと高価だし大きくて邪魔になるしで、入手は諦めることにしました。また、ブライトコプフ版は、出版社がネット上で提供しているサンプル楽譜で大半は確認できるので、それで済ませることにしました。よって、入手したのは、新全集版に基づいたスタディ・スコア(校訂報告付きの方)、IMSLPペトルッチ楽譜ライブラリーにアップされていたオイレンブルク版(今売られているオイレンブルク版と中身が同じかどうかは不明)、日譜版、音友版、それに入手したとは言えないものの、大半はブラウザ上で見ることのできるブライトコプフ版サンプルの五種となりました。
★実を言うと、スコアはIMSLPペトルッチ楽譜ライブラリーでDLできるもので済ませるつもりでした。ところが、それにはどうにも解せない箇所があったため、結局、音友版→日譜版→新全集版→ブライトコプフ版サンプルと、なし崩しに入手することになってしまいました。
以上のスコアの違いを、特に目立ちそうな「繰り返し」と「チターの扱い」で比較してみました。

まず「繰り返し」です。新全集版を基準とし、それと異なる点は色字にしました。青字は「表記が異なるだけで同じ演奏になる場合」、赤字は「表記も演奏も異なる場合」です。

繰り返し

●新全集版
第1ワルツ ダル・セーニョして頭へ。
第2ワルツ 前半リピート。後半リピート。ダル・セーニョして頭へ。
第3ワルツ 前半リピート。後半リピート。ダル・セーニョして頭へ戻り前半で終わり。
第4ワルツ 前半リピート。ダル・セーニョして頭へ。
第5ワルツ 前半リピート。後半リピート。ダル・セーニョして頭へ戻り前半で終わり。
●ブライトコプフ版・日譜版
第1ワルツ ダル・セーニョして頭へ。
第2ワルツ 前半リピート。後半リピート。ダル・セーニョして頭へ。
第3ワルツ 前半リピート。後半リピート。ダル・セーニョして頭へ戻り前半で終わり。
第4ワルツ 前半リピート。ダル・セーニョして頭へ。
第5ワルツ 前半は、左向きリピートはあるが右向きリピートがない。後半リピート。ダル・セーニョして頭へ戻り前半で終わり。
●オイレンブルク版
第1ワルツ リピートして頭へ。
第2ワルツ 前半リピート。後半リピート。最後に「Es empfiehlt sich von einem Zurückspringen auf Walzer 2 abzusehen.(第2ワルツに戻るのはやめた方がよい)」という注意書きあり。
第3ワルツ 前半リピート。後半リピート。後半の後にもう一度前半と同じ部分が続く。
第4ワルツ 前半リピート。後半は、右向きリピートはあるのに左向きリピートがない。頭に戻らない。
第5ワルツ 前半は、左向きリピートはあるが右向きリピートがない(このままだと第4ワルツ後半まで戻ることになる)。後半リピート。後半の後にもう一度前半と同じ部分が続く。
●音友版
第1ワルツ リピートして頭へ。
第2ワルツ 前半リピート。後半リピート。最後に「第2ワルツに戻るのは薦められない」という注意書きあり。
第3ワルツ 前半リピート。後半リピート。後半の後にもう一度前半と同じ部分が続く。
第4ワルツ 前半リピート。頭に戻らない。
第5ワルツ 前半は、左向きリピートはあるが右向きリピートがない。後半リピート。後半の後にもう一度前半と同じ部分が続く。
新全集版は、特に疑義は生じません。まことに明快です。さすが全集といったところでしょうか。
ブライトコプフ版と日譜版も、ほとんど新全集版と同じですが、第5ワルツの頭に右向きリピートがない点だけが異なります。ただし、これは誤りとまでは言えないでしょう(下記参照)。
オイレンブルク版と音友版は「ダル・セーニョを使わない」という方針でもあるのか、ABA形式の第3・第5ワルツでも、後の方のAをBの後にわざわざもう一度書いています。このため、音友版は小節番号が後ろに行くほどほかの三種と大きく異なっていきます(オイレンブルク版は通しの小節番号を振らず、ワルツごとに数え直し)。
オイレンブルク版で不審なのは、第4ワルツと第5ワルツのリピート記号です。第4ワルツの後半の頭に右向きリピートが付いているのですが、第4ワルツの最後まで行っても左向きリピートが出てこないのです。その後、最初に左向きリピートが出てくるのは第5ワルツの前半最後。このままだと、第5ワルツの前半最後から第4ワルツの後半最初に戻ることになってしまいます。第5ワルツの頭に付けるはずだった右向きリピートを、誤って第4ワルツ後半の頭に付けてしまった、といったところでしょうか?
そもそも、第4ワルツの後半にリピートは必要なさそうなのです。というのは、ここもほかの部分同様テーマは二回出現するのですが、ここだけはほかと違って二回目が「一回目の変奏」となっているため、単純にリピートで済ませるというわけにはいかず、二回目が新たな譜面として書かれているからです。つまり、ほかの部分は「テーマ×2」になっているのに対し、ここは「テーマ+テーマ’」となっているわけです。小節数も32と、すでにほかの部分の倍ありますしね(第1ワルツは除く)。
また、オイレンブルク版および音友版には、第2ワルツ末尾に「冒頭に戻らない方がよい」という内容の注意書きがあります。これは少々奇妙な指示です。楽譜にはダル・セーニョも何も書かれていないのだから、演奏者はこのままでもワルツの頭に戻ったりはしないでしょう。それなのにこんな指示があるということは、「頭に戻る慣例でもあるのか?」と勘ぐってしまうことになります。戻ってほしくないのなら何も書かなければいいものを、こんなことを書いたらかえってやぶ蛇になってしまうのではないでしょうか?
なお、第5ワルツ冒頭にきちんと右向きリピートが付いているのは、新全集版だけとなっています。ほかのスコアは、第5ワルツ前半最終小節に左向きリピートがあるのに、それを受ける右向きリピートがありません。まあ常識的に考えれば第5ワルツの頭に戻ればいいのだろうと判断できますし、第5ワルツ冒頭はほかの部分のようにアウフタクト小節で始まったり序奏が付いたりせず、一小節目の一拍目からテーマが始まっていて戻るべきポイントが明瞭ですから、新全集版以外はわざと付けなかっただけなのでしょう。よって、これは誤りとは言えないと思います。

次は「チターの扱い」です。

チターの扱い

●新全集版
序奏・コーダとも、チターは第1ヴァイオリン以外の弦楽器(コーダでは木管楽器も)と合奏。第1ヴァイオリンは、「in Ermangelung der Zither(チターがない場合)」のみ演奏。すべて通常の大きさの音符で、小音符は一切ない。なお、コーダのチター演奏部分は、「beim Tanz Sprung(ダンスの場合は飛ばす)」と注意書きがあるので、実際にダンスに使う場合は演奏しない。最初と最後にヴィーデ・マーク(コーダ・マーク)も付いている。
●ブライトコプフ版・日譜版
序奏は、すべてチター独奏。「In Ermangelung einer Zither(チターがない場合)」のみ弦楽器が演奏。コーダは、チターと木管・弦楽器の合奏。すべて通常の大きさの音符で、小音符は一切ない。なお、コーダのチター演奏部分は、「Beim Tanz Sprung(ダンスの場合は飛ばす)」と注意書きがあるので、実際にダンスに使う場合は演奏しない。最初と最後にヴィーデ・マーク(コーダ・マーク)も付いている。
●オイレンブルク版
序奏は、「Wenn keine Zither vorhanden, tritt hierfür das Streichorchester in kleiner Besetzung bis *) ein.(チターがない場合、*)までは代わりに小編成の弦楽オーケストラが入る)」という注意書きあり。101小節目Vivaceの一小節前の二拍目まではチター独奏、チターがない場合のみ弦楽器が演奏。そこまでの弦楽器は小音符で書かれている。Vivaceの一拍前からはチターと弦楽器の合奏。コーダは、チターと木管・弦楽器の合奏。なお、コーダのチター演奏部分は、「Sprung nur bei Tanz(ダンスの場合のみ飛ばす)」と注意書きがあるので、実際にダンスに使う場合は演奏しない。「vi-de」も付いている。
●音友版
序奏は、「ツィターがない場合、弦楽器群は75~100小節1拍目までの小音符を弾く」という注意書きあり。101小節目Vivaceの一小節前の二拍目まではチター独奏。チターがない場合のみ弦楽器が演奏。そこまでの弦楽器は小音符で書かれている。Vivaceの一拍前からはチターと弦楽器の合奏。コーダは、「ツィターがない場合、弦楽器群と管楽器群は501~518小節の小音符を弾く。同様にこの箇所は省略してもよい」という注意書きあり。すべてチター独奏で、木管・弦楽器はチターがない場合のみ演奏。なお、コーダのチター演奏部分は、上記「省略してもよい」の注意書きのほか、「vi-de」も付いている。
ご覧のように、チターの扱いは楽譜によってかなり違っていました。「チターがない場合」に「弦楽器あるいは木管+弦楽器が演奏する」というのは共通しているけれど、「チターがある場合」はかなり演奏の仕方が異なります。ソロなのか合奏なのか、合奏だとしたらどこからなのか、どの楽器と合奏なのか……。「チターがある場合」の演奏方法の違いを表にしてみましょう。
序奏 コーダ
新全集版 すべて合奏(第1ヴァイオリン以外) すべて合奏(第1ヴァイオリン以外)
ブライトコプフ版・日譜版 すべてソロ すべて合奏
オイレンブルク版 途中までソロ、その後合奏 すべて合奏
音友版 途中までソロ、その後合奏 すべてソロ
この曲を取り上げたムーティとバレンボイムのニューイヤーコンサートでは、どちらもチターはすべてソロで弾かせていました(YouTubeで確認済)。しかし、少なくとも今回参照したスコアにはそのような指示のものはありません。いちばんソロ部分が多い音友版でも、8小節間は合奏部分があります。
正直、これはかなり意外でした。ワルツ・アルバムを持っていなかったとはいえ、ニューイヤーコンサートは毎年必ず見ていて(たいていは「ながら見」ですがw)、ムーティとバレンボイムのときの演奏も視聴していたはずですから、「この曲のチターの出番部分はソロで演奏する」ということが頭のどこかに残っていたのでしょう。それなのに、全部ソロで弾くよう指示したスコアは、手元にあるものの中には見当たらない……。もしかすると、今回参照できていないドブリンガー旧全集版では、全部ソロで弾くよう指示されていたりするのでしょうか?
指揮者がチターを全部ソロで弾かせたい気持ちになるのはよく分かります。チターはメロディだけでなく伴奏も一緒に弾いているのだからほかの楽器の伴奏などいらないような気がするし、すべてソロの方がチター奏者も自由に振る舞えるだろうし、合奏だとせっかくのチターの音が埋もれがちになるし……。しかし、本稿では「チターをどう扱うのが効果的か」ということは問題にしていません。「シュトラウスはどうしたかったのか」が問題なのです。
この中で最も独特なのは新全集版でしょう。「チターがある場合でも第1ヴァイオリン以外は全員演奏する」という指示は、ほかのスコアにはありません。「in Ermangelung der Zither(チターがない場合)」は、弦楽器全体ではなく、第1ヴァイオリンのみを対象とした指示である、ということです。校訂報告を読むと、全集版の底本では、実はコーダの方には「in Ermangelung der Zither(チターがない場合)」は書かれていないそうです。しかし、チターと第1ヴァイオリンはリズムが異なっていて一緒に演奏できないため、チターがある場合は序奏同様第1ヴァイオリンは休むべきである、との判断から、校訂者(ミヒャエル・ロット)によって、コーダにも「1. Vl.: „in Ermangelung der Zither.“」という指示が補われています。
★リズムの違いとは、チターは「八分音符二つ」であるのに対し、第1ヴァイオリンは「付点八分音符と十六分音符」になっている箇所を指しています。最初の方にたくさん出てきます。そのほか、第1ヴァイオリンのみにプラルトリラーが付く音符もあります。
★新全集版では、チターはすべて他楽器と合奏であるとはいっても、序奏の最初の四小節はほかの楽器は休みなので、ここだけはソロになります。
★新全集版の底本は、作曲された1868年に何者かによって写されたスコアと、もう少し後に写された同じようなスコア、1869年印刷の最初のパート譜(同じ内容のものが3セット現存している)、1868年印刷の最初のピアノ・アレンジ譜などだそうです。どれか一本を底本としたというより、これら最初期の諸資料を校合したようです。

どの楽譜に依るべきか?

普通に考えれば、新しい全集が出ていてそれが入手できている以上は、それに依拠するのがベストでしょう。
「繰り返し」については、五つのスコアの中では新全集版がいちばんすっきりとした明快な処理になっています(新全集版と一箇所だけ表記が異なるとはいえ、ブライトコプフ版と日譜版も明瞭です)。
しかし、新全集版の独特な「チターの扱い」については、果たしてこの通りに演奏している録音があるかどうか。《ウィーンの森の物語》を含む新全集ワルツ集第8巻の出版年は、調べてもはっきりしなかったのですが、おそらく今世紀に入ってからだと思われます。となると、よほど新しい録音でないとこのスコアは用いられないはずですから、新全集版どおりに演奏している録音が一つもなくても、ある程度は妥協する必要がありそうです。
というわけで、「繰り返し」と「チターの扱い」の評価ポイントは、次のようになるでしょう。
指揮者は楽譜どおり、つまり教科書的にやっているつもりなのに、使用した楽譜の関係で新全集版と離れた演奏になっている、ということも当然あるでしょう。しかし、ワルツ集のディスクではブルックナーのそれのようにどの版を使ったかは記載されないでしょうから、そういう事情は一切考慮しないものとします。
★その後、「音友の旧版」(初版1953年、第14刷1989年)も安く手に入りました。チターの独奏部と合奏部の範囲が一致すること、第2ワルツ末尾に「No.2へもどらない方がよい」という注意書きがあること、第4ワルツ後半に右向きリピートが付いてしまっていること、第3・第5ワルツの繰り返し分のAをBの後にもう一度書いていることなど、オイレンブルク版とほぼ同じ内容の楽譜でした。

《ウィーンの森の物語》教科書的ベスト演奏

現在はYouTubeにアップされている録音も多いので、多くのディスクの全曲試聴が簡単にできます。昔は買ってみるまで分からなかったものが、今ではほぼ無料で事前に確認できることが多くなっているのは、本当にありがたいことです。
シュトラウス・ファミリーのワルツ(ポルカ、マーチ)集は、日本では同じ演奏者のものばかりが繰り返し発売されています。特に多いのが次の三人。
ちゃんと調べたわけではありませんが、この三人の録音だけで、国内で出回っているウィンナ・ワルツ集ディスクの半分以上を占めるのではないでしょうか。いずれもオーストリア人で、ウィンナ・ワルツは先天的に体に染み込んでいるような人たちですから、この人たちの演奏を選んでおけば間違いないような気はします(厳密に言えば、ウィーン生まれはボスコフスキーだけですが)。
上記三人のディスクに「ニューイヤーコンサートのライヴ」を加えると、日本で発売されたワルツ集アルバムのほとんどを占めるのではないかと思われます。
今回は1.「セッション録音」の条件があるので、ニューイヤーコンサートのライヴ盤は候補から外れます。となると、対象となるのは上記の三人のディスクが大半で、それ以外ではベーム、ケンペ、スイトナー、サヴァリッシュ、アーノンクールなどの録音がわずかに候補に入ってくる、という感じになります。ところが、上記の三人以外のディスクは、意外にも3.の「三大ワルツが全部入っていること」に引っかかることが多いのです。今挙げた五人の中では、三曲とも録音しているのはサヴァリッシュとアーノンクールだけでした。
ヨハン・シュトラウス二世の作品は、楽譜の新全集同様、管弦楽曲の録音全集も完結しています。マルコ・ポーロによる52枚組で、セットが出た当時は75000円もしたものが、今では1万円ちょっとで買えるようです。
★ただし、現在は日本語の分厚い解説書が付きません。昔75000円で買った人は、CDセットとは別売りもされていたというのに今ではけっこう稀覯本になってしまったらしい日本語解説書を入手できたということで、高いお金を払った甲斐はあったと言うべきでしょう(解説書が単独でも売られていたため、全集進行中に各CDをバラで集めていた人も入手できたということで、良い処置だったと思います)。まあ、当時解説書だけを2000円で入手して、後に52枚組を1万円かそこらで入手した、という人がいちばんの勝ち組なのかもしれませんがw。
何曲かで演奏時間を比較したところ、マルコ・ポーロ盤はほかのCDに比べて長い演奏時間を持つことが分かりました。《ウィーンの森の物語》は16:39。有名な録音の中では長い方のカラヤン/ベルリン・フィルの旧盤でも、14分ちょうどくらいです。この曲はたいていは12分前後の演奏で、短いものだとシュトルツのデンオン盤やケンペ新盤の10分台というのもあります。演奏時間の飛び抜けた長さから考えて、もしかするとマルコ・ポーロの全集は、全集らしくH.I.P.的演奏で収録した可能性が高い。そして、出回っている多くの録音は、おそらく繰り返しをどこかしら省略していると思われる。となれば、とりあえず全集あるいはその抜粋盤を買っておけば、当初の目的は果たせるのではないか。……そんなふうに考えて、YouTubeでマルコ・ポーロ盤の演奏を探して聴いてみました。
★その後、マルコ・ポーロの全集も《南国のばら》《入り江のワルツ》のように普通にカットして演奏しているものが含まれることが分かりました。ドラティによるハイドン交響曲全集とか、レヴァインによるモーツァルト交響曲全集とかは、すべての繰り返しを実行していたような気がするので、マルコ・ポーロの全集もそうなのではないかと期待したのでしたが、まことに残念でした。
★プラハ交響曲の第1楽章やジュピター交響曲の第4楽章は、モーツァルト新全集では後半にもリピートが付いています。前者はリピートを全部やると15分以上になりますので、新全集版の指示を忠実に実行してくれる指揮者はガーディナーやアーノンクールなど古楽系の人以外にはさすがにいないかな、と思ったら、レヴァインだけでなくムーティも全リピートを演奏した録音を出してくれました。それを初めて聴いたときにはいたく感激したものです。自分としては、この二つの楽章は大好きなので、いくら長くなっても「どんと来い」なのです。もちろん、ある程度は上手で、テンポなどがこちらの趣味に合った演奏でないと、リピートは逆につらくなりますw。
結果は……大いなる失望を味わいました。この曲はヨハネス・ヴィルトナー指揮チェコスロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団が担当しています。指揮者はオーストリア人で、オケの方は本場の楽団ではないけれども、演奏は悪くないと思いました。しかし、何とこの演奏、チターを使っていないではありませんか繰り返しについては、予想どおりすべて実行されています。ただし、それにも不審な点があって、第5ワルツの後半をなぜか三回演奏しているのです。それでなくても長い演奏が、これでさらに長くなったことになります。編集ミスなのか使用楽譜にそのような指示があったのかは知りませんが、あそこのリピートを二回繰り返す必要があるのでしょうか?
とにかく、全集のこの曲の演奏は、チターがないという点でまさに「画竜点睛を欠く」ものであることが判明してしまいました。仕方がないので、YouTubeで聴ける演奏はYouTubeで、演奏時間が長いのでぜひ聴いてみたいのにYouTubeにはなかったものはできるだけ中古盤を入手して、片っ端から聴いてみることにしました。
★結果的に、下の表のうちYouTubeで聴けなかったのは、バウアー=トイスルの新盤だけでした。それは15分を超えることが分かっていたので、買ってでも聴きたかったのです。

繰り返しの実行状況は?

次の表は、チターを使っている録音で繰り返しの有無を調べたものです。1~5の数字はワルツ番号、A・Bは前半・後半のリピートの実行状況、Sはダル・セーニョの実行状況です。実行が多い順に並べてあります。
指揮者 チター 1 2 3 4 5 時間
A B S A B S A S A B S
バーンスタイン 1975 15:47
バウアー=トイスル 2004 - 15:15
バレンボイム 1992 - - 13:25
E・シュトラウスII 不明 - - - 12:06
アーノンクール 1986 - - - 12:27
カラヤン 1969 - - - 14:04
カラヤン 1980 - - - - 13:16
フリッチャイ 1961 - - - - - - 13:14
ケンペ 1959 - - - - - - 12:04
ボスコフスキー 1963 - - - - - - - 11:19
ケンペ 1972 - - - - - - - - - 10:46
バウアー=トイスル 1983 - - - - - - - - - - 11:37
シュトルツ 196? - - - - - - - - - - 10:54
というわけで、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックのみが、「チター入り」かつ「すべての繰り返しを実行した」演奏という結果となりました。文句なしの教科書的ベスト録音です。いや~、よかったよかった。一つもなかったらどうしようかと……w。
★ただし、バーンスタイン盤は注意が必要で、25AC68(初出、1976、LP)およびSRCR8655(1991)は上記の演奏時間がかかるのに対し、それ以降に再発売されたものはなぜか演奏時間が1分以上短くなっているのです。後発のSRCR9542(1994)もSICC2183(2018)も、演奏時間は13:30しかありません。録音年月日から見て同じ録音でしょうから、後発盤は「編集でカットされた」か、あるいは「省略ありの別テイク」が収録された可能性が高い。94年以降のディスクの方が曲数が多くなっていることから、どうやらより多くの曲を収めるためにこのような処置をしたと考えられます。ですから、バーンスタイン盤の場合は、完全版を聴きたければ1991年発売のSRCR8655(CD盤)、または1976年発売の25AC68(LP盤)の中古を探すほかはないということになります。幸い、SRCR8655「BERNSTEIN FAVORITES 4 バーンスタイン〈ウィンナ・ワルツ名曲集〉」は、Amazonの中古でもヤフオクでもよく出品されているようですので、入手は容易だと思われます。
★YouTubeに上がっていたのはLP盤からリッピングしたものでした。それを聴いて教科書的ベスト録音であることが判明した直後、AmazonでCDを探したところ、現役盤のSICC2183がすぐにヒットしました。YouTubeに上がっていたのと同じイラストなので、「ああこれこれ。新品が825円とはありがたいな~」と思ってポチろうとしたところ、《ウィーンの森の物語》の演奏時間がYouTubeのものよりも短いことに気づき、危ないところで踏みとどまりましたw。まあ1000円もしないのだから買ってしまってもいいのですけれど、管理が面倒になっているためあまりCDを増やしたくないのです。
★初出LPは『レコード芸術』誌の推薦盤になっていました(月評担当者は宇野功芳さん、下の方の『レコ芸』月評参照↓)。バーンスタイン指揮のヨハン・シュトラウスは、《ウィーンの森の物語》と《ジプシー男爵》序曲が最も録音年月日が新しく(1975)、これら以外はけっこう古い録音です(1965~71)。後者の諸曲は正直、音の古さがネックになっていると思います。
参考までに、バーンスタインと同じようにせっかく繰り返しを全部演奏しているのに、チターを使っていない「残念至極な」録音には、次のものがありました。
ヴィルトナー盤は、上でも触れたようにマルコ・ポーロの全集に含まれる録音です。繰り返しの回数が多すぎる箇所があることもあって、16分を大きく超える演奏時間となっています。カヒッゼ盤は、息子のヴァフタンの方の録音で(父親はヤンスク)、国内盤はたぶん出ていないと思われます。チェリビダッケ盤はライヴなので対象外ですが、それでも繰り返しを全部実行していたので挙げておきました。
ところで、上の表を眺めていると、ある傾向に気づきます。「省略されやすい繰り返し」と「省略されにくい繰り返し」があるということです。
■省略されやすい繰り返し
  1. 第1ワルツのリピート(ダル・セーニョ)
  2. 第2ワルツのダル・セーニョ
  3. 第4ワルツのダル・セーニョ
■省略されにくい繰り返し
  1. 第3ワルツのダル・セーニョ
  2. 第5ワルツのダル・セーニョ
省略されやすい方は、第1ワルツについては原因不明ですが、第2ワルツと第4ワルツについては、「オイレンブルク版や音友版と同じ内容の楽譜を使っていた」と仮定すれば納得できます。これらの楽譜は、第2ワルツにはダル・セーニョがなく「戻らない方がよい」という助言があるだけですから当然戻らない確率が高くなり、第4ワルツはそもそも頭に戻る指示がないのだから戻らなくても不思議はありません。
省略されにくい方の理由は単純で、ダル・セーニョする小節(後半の2番カッコ最終小節)が頭に戻ることを前提に書かれているため、その小節を演奏すると頭に戻るしかなくなるからです。オイレンブルク版や音友版が、第3ワルツと第5ワルツにおいてダル・セーニョを使わずBの後にAをわざわざもう一度書いているのも、「このワルツはBの後、Aに戻らざるを得ない書き方なので、二度目のAは絶対に省略不可」ということを示したかったからかもしれません。カラヤン新盤が第5ワルツのダル・セーニョを省くことができたのは、ダル・セーニョ小節の、冒頭への繋ぎの音符を全部省略したためです。要するに「力業」で省いたわけですねw。
そういうわけで、昔のオケ譜にはオイレンブルク版や音友版に近い内容のものが広く使われていた可能性があります。
それでも、チェリビダッケ盤やバーンスタイン盤は1970年代の録音で決して新しいものではありませんから、その当時から繰り返しを新全集版と同じように指示した楽譜はあったということになるでしょう。オイレンブルク版に従うと第4ワルツは頭に戻りませんし。……いや、それとも指揮者の独自判断?

チターの扱いは?

さて、チター入りかつ繰り返し全実行の録音がバーンスタイン盤しかないので、本稿基準でのベスト録音はこれで決まってしまいました。
ただ、チターの扱いがあまりにも新全集版から離れているのもH.I.P.的には問題だと思われるので、それについても調べてみました。チターについては「ソロではなく合奏になっている方がよく、第1ヴァイオリンが弾いていなければなおよい」という基準となります。
また、チター演奏部分のメロディは、第1ヴァイオリンでは必ず上声部にありますが、チターでは時々下声部に移っていることがあります。すなわち、チターではメロディとハモりが逆転していることがあるのです。第1ヴァイオリンの楽譜の方がおそらくシュトラウスの構想どおりなのでしょう。チターの方は何らかの理由で(弾きやすいように?)多少変形したのだと思われます。さらには、上記のように、チターと第1ヴァイオリンとではリズムが異なる箇所がけっこうあります。メロディの冒頭もそれで、第2ワルツと同じく「タン・タン・タン・『タタターン』」となるのか(チター)、それとも「タン・タン・タン・『タッタターン』」と跳ねる感じになるのか(第1ヴァイオリン)。録音によっては、チターと第1ヴァイオリンの間のこれらの違いを、第1ヴァイオリンの方に合わせてチターの音を変えることで解消しているものがあります(けっこう多い)。
そういうわけで、チターの扱いについては、「ソロか合奏か」のほか、「チターが(だいたい)記譜どおり弾いているかどうか」もチェックしたいと思います。ただ、「八分音符二つ」で演奏しているか「付点八分音符+十六分音符」で演奏しているかは、特にソロで弾いている場合はルバートがかかって微妙な場合もありますので、これについてはこだわらないことにします。あと、伴奏パートを崩したり音を加えたりしている演奏も多いのですが、それもあまり聴かないようにします。
採点は10点満点からの減点法とし、配点は以下のようです。
▼序奏
▼コーダ
この採点基準だと、全部ソロで弾かせて音高を変更していたとしても、2点は残ります。ただし、ボスコフスキーのように途中で弦楽合奏に切り換えた場合は大きく減点しました。
指揮者と録音年 序奏 コーダ 採点
バーンスタイン1975 前半はソロ、後半は合奏(1stVnも演奏)、音高楽譜どおり 合奏(1stVnも演奏)、音高楽譜どおり 6
バウアー=トイスル2004 前半はソロ、後半は合奏(1stVnも演奏)、音高変更 すべてソロ、音高変更 3
バレンボイム1992 すべてソロ、音高楽譜どおり 合奏(1stVnも演奏)、音高楽譜どおり 5
E・シュトラウスII不明 すべてソロ、音高かなり変更 すべてソロ、音高かなり変更 2
アーノンクール1986 すべてソロ、音高変更 合奏(1stVnも演奏)、音高変更 3
カラヤン1969 すべてソロ、音高楽譜どおり 合奏(1stVnも演奏)、音高楽譜どおり 5
カラヤン1980 すべて合奏(1stVnも演奏)、音高変更 管楽器抜きの合奏(1stVnも演奏)、音高変更 5
フリッチャイ1961 すべてソロ、音高変更 すべてソロ、音高変更 2
ケンペ1959 すべてソロ、音高変更、プラルトリラーを加えている すべてソロ、音高変更 2
ボスコフスキー1963 前半はソロ、後半はチターが消えて弦楽合奏となる、音高楽譜どおり 管楽器抜きの合奏(1stVnも演奏)、音高楽譜どおり 2
ケンペ1972 すべてソロ、音高変更 すべてソロ、音高変更 2
バウアー=トイスル1983 前半はソロ、後半は合奏(1stVn休み)、音高変更 合奏(1stVnも演奏)、音高変更 5
シュトルツ196? すべてソロ、音高変更 すべてソロ、音高変更 2
★エドゥアルト・シュトラウス二世の録音(管弦楽はウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団)の「音高かなり変更」とは、所々メロディをオクターヴ上げている箇所があることを指します。
というわけで、ここでもバーンスタイン盤がベストとなりました。こちらは「繰り返し」と違って完璧というわけにはいきませんでしたが、もし新全集版ではなくオイレンブルク版を基準にしていたら、文句なしの満点でした。第1ヴァイオリンが弾いていることもあって、合奏部分ではチターの音が聞こえにくくなっていますが、生の演奏を聴いたらたぶんそういうバランスになると思われます。
次点のうちの一つ、カラヤン新盤は、チターの扱いがかなりユニークで、そのおかげで新全集版の指示に非常に近い演奏となっています。表でも青太字にしましたが、とにかく序奏のチターを新全集どおりにすべて合奏で演奏しているのはこの録音だけです。ただ、チターに比べて弦楽器の音量をかなり抑え込んでいるため、弦楽器がまるでシンセサイザーの背景パッドみたいに聞こえます。そのせいで、せっかく合奏でやっているのに合奏らしく聞こえず、結局はチターのソロのように聞こえてしまうのが難点です。カラヤンは、バーンスタイン盤のようにチターが聞こえにくくなるのを嫌ったのかもしれません。
第1ヴァイオリン抜きでの合奏は、これも青太字で強調しましたが、バウアー=トイスル旧盤の序奏後半で聴くことができます。これは新全集刊行前の録音ですから、どの楽譜に基づいてこうなったのか、あるいはバウアー=トイスルの判断なのか、たいへん興味を引かれるところです。この部分を聴くと、合奏でやるならやはりこれが正解という気がします。第1ヴァイオリンが参加した場合、チターは撥弦楽器ゆえ音が減衰するおかげで、リズムが所々異なっていたとしてもあまり違和感は感じられません。だとしても、日本音楽のヘテロフォニーではないのだから、特殊な効果を狙ったのでない限り、「だいたい同じだけれども所々リズムにずれがある二つのメロディ」を同時に弾くのはやめた方がよさそうです。その点は新全集版の校訂者の考えのとおりだと思います。なお、バウアー=トイスルがコーダの方では第1ヴァイオリンを弾かせているのは、序奏との統一が取れていないように見えますが、新全集版の「底本」にはコーダに「第1ヴァイオリン休み」の指示はなく、それは校訂者が補った指示ですから、むしろ新全集版の「底本」どおりにやっているということになります。

《美しく青きドナウ》と《皇帝円舞曲》のベスト録音は?

この二曲にはチターのような特殊楽器は使われませんので、普通に繰り返しを全部実行している演奏なら、たぶんそれでOKでしょう(グロッケンシュピールを入れるなど余計なことをしていたら対象外)。両曲ともIMSLPペトルッチ楽譜ライブラリーの楽譜をDLして、それを見ながらYouTubeの演奏を聴いていきました。ところが……。
★《ドナウ》は上記音友スコアの前半に収められているので、これも参照しました。また、新全集版とブライトコプフ版も、出版社(前者はショット社)がネット上で公開してくれているサンプル楽譜を両曲とも参照しました。
驚いたことに、《美しく青きドナウ》ですべての繰り返しを実行している演奏は、マルコ・ポーロの全集に含まれる録音しかありませんでした。本当に、ほかに一つもないのです。ヨハン・シュトラウス二世の全ワルツ中最長の演奏時間を持つ《ウィーンの森の物語》でさえ、繰り返しを全部行った演奏は四つも見つかったというのに……。この曲を担当しているのは《ウィーンの森の物語》と同じくヨハネス・ヴィルトナー指揮チェコスロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団です(演奏時間13:40)。バーンスタインは、この曲では第2ワルツ以外はすべて繰り返しを省略していました(演奏時間10:20)。
《皇帝円舞曲》は、もともと繰り返しの指示が少ない曲です。そのおかげか、全部忠実にそれを行っている演奏に、全集のヴィルトナー指揮ポーランド国立カトヴィツェ・フィルハーモニー管弦楽団(演奏時間12:58)、ヴァフタン・カヒッゼ指揮トビリシ交響楽団(演奏時間13:18)、ウベルト・ピエローニ指揮アルモニー交響楽団(演奏時間13:11)、チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(演奏時間12:45、ただしLIVEなので対象外)の四種が見つかりました。バーンスタインは、ほかの多くの指揮者同様、第4ワルツのダル・セーニョを省略していました(演奏時間11:54)。
そういうわけで、この二曲はまことにあっけなくベスト盤が決まってしまいました。この二曲でもバーンスタインが選ばれれば、彼の(古い方の)ディスクを一枚買えば済んだのに、どうやら最低三枚は買わなければならないという結果になりました。全集の分売盤のどれかにこの二曲が両方入っていれば二枚で済むのですけれど、そういうアルバムはないようです。ですから、
という組み合わせで買うほかはありません。まあ、各曲一つまたは三つしか選択肢がないというのは、候補盤がいくつも挙がるよりは迷わずに済むので、ありがたいと言えばありがたいのですけれどもね。
……このような次第で、《ウィーンの森の物語》確認のために中古盤を購入したバウアー=トイスル新盤のほか、次の三点を購入しました。

《ウィーンの森の物語》ベスト盤──バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

バーンスタイン盤表 バーンスタイン盤裏
SONY CLASSICAL SRCR8655
1 美しく青きドナウ 作品314 10:20
2 皇帝円舞曲 作品437 11:54
3 ウィーン気質 作品354 8:14
4 芸術家の生涯 作品316 7:58
5 春の声 作品410 6:40
6 南国のばら 作品388 11:50
7 ウィーンの森の物語 作品354 15:47
ディスク紹介
1991年10月25日発売。このCDには記載がないが、録音は《ウィーンの森の物語》が1975.4.14で最も新しく、次が《南国のばら》の71年で、これら以外は60年代。トータル・タイムは、この7曲で72:52。現行のSICC2183は《常動曲》・《トリッチ・トラッチ・ポルカ》・ポルカ《狩り》・《ラデツキー行進曲》が加わり、11曲入って76:59。4曲も増えているのに4分しか演奏時間が変わらないのは、新盤では《美しく青きドナウ》以外の6曲がすべて短くなっているためである。編集でカットしたのか、もともとカット版も録音していてそれを採用したのかは不明。チター奏者の記載はない。
《南国のばら》の繰り返しをほかのどの盤よりも忠実に実行しているのも、実はこの録音である(第4ワルツのダル・セーニョ以外すべて実行)。マルコ・ポーロの全集では、残念ながらこの曲はカットだらけの短い演奏であった。
初出LP盤25AC68は、A面が《こうもり序曲》《南国のばら》、B面が《ジプシー男爵》《ウィーンの森の物語》と、全部で4曲しか入っていなかった。カラヤンのシュトラウス・アルバムのLPが10曲近く収録していたのとはえらい違いである。カットをしなければ演奏時間が長くなるので、収録曲数が少なくなるのは当たり前。バーンスタインは、60年代のワルツの録音ではカットした演奏をしていたが、70年代の録音では繰り返しを極力実行するようになっている。
★IMSLPペトルッチ楽譜ライブラリーでDLできる《南国のばら》のスコアはオイレンブルク版で、第4ワルツの末尾に「Es empfiehlt sich, von einem Zurückspringen auf S abzusehen.(セーニョに戻るのはやめた方がよい)」という注が付いています。これは《ウィーンの森の物語》第2ワルツと同様です。しかし、こちらはちゃんとダル・セーニョが書かれているので、上記のような勘ぐりを引き起こさなくて済みます。ネットで見られるサンプルを見る限り、新全集版にもブライトコプフ版にもこのような指示はありません。
★カラヤンは、少なくともベルリン・フィル時代は、独墺系の指揮者の中では繰り返しを実行している方です。
……「華やか」というより「派手」という感じの演奏ですが、これはこれでありです。録音は年代なりのもの。最も新しい《ウィーンの森の物語》はそれ以外のものよりやや聞きやすいように感じます。本場の味わいがあるかどうかはともかく、指揮者もオケも普通に上手ですし、H.I.P.的・教科書的演奏としてもかなり良いところまでいっています。
▼下↓にLP初出時の『レコード芸術』誌の月評とデータを掲載しました。

《美しく青きドナウ》ベスト盤──ヴィルトナー指揮チェコスロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団

ヴィルトナー盤表 ヴィルトナー盤裏
NAXOS 8.554520
1 「くるまば草」序曲 9:08
2 ワルツ「メフィストの地獄の叫び」 作品101 8:14
3 ポルカ「陽気に」(ポルカ・フランセーズ) 作品301 3:50
4 仲良しのワルツ 作品367 7:44
5 「千夜一夜物語」間奏曲 7:51
6 キスのワルツ 作品400 5:59
7 冗談ポルカ 作品72 2:05
8 ワルツ「美しく青きドナウ」 作品314 13:40
9 ロシアの行進曲風幻想曲 作品353 3:54
ディスク紹介
1999年5月発売。マルコ・ポーロの全集から編まれたベスト盤の第4集。録音年月日の記載がないが、全集第33集によると《美しく青きドナウ》は1990年11月である。指揮者はアルフレート・ヴァルター(1~5)、オリヴェル・ドホナーニ(6、9)、ヨハネス・ヴィルトナー(7、8)の三人。オーケストラはスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団(1~3、5)、チェコスロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団(4、6、8、9)、チェコスロヴァキア放送交響楽団(7)の三団体。
★上記はCD裏面の表記によりましたが、NAXOSジャパン・サイトのこの盤の演奏者表記と違いがあります。
……必要十分な演奏。この極めて貴重な「完全版《美しく青きドナウ》」を聴くと、普段ニューイヤーコンサートなどで聴いている慣例的カット版のバランスがいかに良くないかが分かります。繰り返しがこんなに省略されているとは知らなかった頃の自分でも、一度ならず「えもう次のワルツ?」と感じたものでした。完全版では第2ワルツ後半を除きどのメロディも少なくとも二回は演奏されるわけですが、別に冗長だとは感じませんし、それは室内オケ編曲版でのリピート完全版であるロンドン・コンチェルタンテの録音を聴いても同じです(……自分はシュトラウスの音楽と意外と相性がいいのかもw)。こちらはデジタル録音なので、バーンスタイン盤よりもだいぶ聞きやすい音になっています。なお、NAXOSには《美しく青きドナウ》の別録音もあり、そちらは普通に繰り返しをカットしているので注意が必要です。

《皇帝円舞曲》ベスト盤──カヒッゼ指揮トビリシ交響楽団

カヒッゼ盤表 カヒッゼ盤裏
MADACY ENTERTAINMENT MSO-2-4767
1 「こうもり」序曲 8:47
2 トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214 2:43
3 美しく青きドナウ 作品314 10:57
4 ウィーン気質 作品354 8:26
5 常動曲 作品257 3:06
6 ピチカート・ポルカ 2:48
7 皇帝円舞曲 作品437 13:14
8 ウィーンの森の物語 作品325 16:02
ディスク紹介
1998年発売。録音年月日不明。デジタル録音。演奏者はヴァフタン・カヒッゼとトビリシ交響楽団(いずれもジョージア=旧グルジアの音楽家たち)しか記載がないが、YouTubeやほかの似たようなCDを調べてみると別の団体も混じっているように思われる。《ピチカート・ポルカ》《皇帝円舞曲》《ウィーンの森の物語》は確実にこのコンビの演奏と見てよさそう。
国内盤が出たことがあるのかどうかは不明だが、おそらくなかったと思われる。ところが、YouTubeで上記のナンバーを検索するとたくさんヒットするので、海外では多く出回った録音なのだろう。これはカナダ産のCD。
……これも必要十分な演奏です。《皇帝円舞曲》はマルコ・ポーロの全集の録音も完全版なので、そちらでもOKです。《ウィーンの森の物語》も繰り返しに関しては完全版なのに、上記のようにチターなしの演奏なので、「参考演奏」にとどまります。ジョージアの演奏家ということでロシア系と言ってよいかと思いますが、周知のようにロシアはワルツを得意とする国ですから、ウィーン風かどうかはともかく、普通に良い演奏が繰り広げられています。
なお、YouTubeやAmazonその他音楽DLサイトでなら容易に聴けるピエローニの録音は、CDの発売があったかどうか分からなかったので、入手は諦めました。YouTubeに上がっているものを聴く限りでは、金管が少々うるさい箇所があるかな、という印象です。

このような経過を経て、現在我が家にはヨハン・シュトラウスのアルバムが数枚あります。H.I.P.的・教科書的演奏を求めて楽譜や録音を探したり比較したりするのは、とても楽しい作業でした。「ウィーン風味が出ているか」とか「二拍目三拍目をウィーン訛りで演奏しているか」とかいった曖昧で難しい基準で選ぶのではなく、楽譜どおりにやっているかどうかでベストを決めるのですから、比較的楽だったということもあります。
総じて、独墺系の演奏家は繰り返しをあまり真面目にやらず、ウィーンの伝統など望むべくもない国の演奏家の方が楽譜の指示に忠実な演奏が多い傾向があるように思います。前者には、良くも悪くも「省略の伝統」のようなものがあるのかもしれませんし、何度も演奏しているので繰り返しまで全部やる気にはなかなかなれないということもあるのかもしれません。あるいは、「全部繰り返していたら、お客さん寝ちゃうからねえ」とかw。時代的要請や実用的判断に基づいて演奏するのはいっこうにかまいませんし、むしろそうあるべきだろうとさえ思います。ただ、後世の「慣例」だの「聴衆の嗜好」だのは、作曲者の意図(≒楽譜の指示)とは何の関係もないということは肝に銘じておく必要があるでしょう。
今は検討済みの上記三曲を繰り返し聴いているところです。いや~、面白い。今さらながら三大ワルツは名曲だと思いました。ノーカット録音が存在して本当によかった。バーンスタインたちには感謝しかありません。次は十大ワルツまで検討対象を広げてみたいところなのですが、新全集版楽譜の入手やらYouTubeにない演奏の収集やらで予想以上にお金がかかることが分かったので、保留中です。ドイツ語を読むのが大変だということもありますしね。

『レコード芸術』音楽之友社1977年1月号管弦楽曲月評より

バーンスタイン流のJ・シュトラウス

喜歌劇「こうもり」序曲/ワルツ「南国のバラ」/喜歌劇「ジプシー男爵」序曲/ワルツ「ウィーンの森の物語」(以上J・シュトラウス)
バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
推薦Ⓢ(CBS・ソニー 25AC六八)¥二五〇〇
バーンスタインが久しぶりに個性的な表現を行なった。デビュー当時、あれほどまでに強烈な自己主張を示してやまなかった彼が、一九六〇年代に入るや、次第に“常識”を身につけていったのは彼のファンにとって何とも歯がゆいことであった。ところが今回のJ・シュトラウス、バーンスタインは誰に気がねすることもなく、自分自身を徹底的にぶちまけてしまった。ウィーンの伝統などはこれっぽっちも考えていない。それゆえ、このレコードを推薦盤にするについては当然反対意見も出て来ようが、これだけ自信を持ってやられると、強い説得力を生じるのもまた事実なのである。従って四曲中では二つの序曲が最も上出来で、ある程度型の決まったワルツは準推薦どまり、ということになるかも知れない。
まず最初の「こうもり」。冒頭のアレグロ・ヴィヴァーチェは豪華なメトロポリタンの舞台を想像させずにはおかないスケール雄大な演奏で、バーンスタインの常として響きは必ずしも透明ではないが、その華やかさは無類であり、続くアレグレットの部分はものすごい遅さだ。この序曲の冒頭はアレグロ・ヴィヴァーチェのテンポをはさんでアレグレットが二回登場するが、実はぼくはこのアレグレットを遅く演奏するのが大嫌いなのである。大ていの指揮者はテンポの変化を強調しようとして必要以上に遅いテンポをとる。一人ワルターだけが純正なアレグレットで演奏し、美しい音楽の流れを保ち得たのであった。ところがバーンスタインの遅さはもはや論外だ。思わせぶりも極まったといってよい。七四小節からのメノ・モッソも人を馬鹿にしたテンポである。ワルツの始まる十小節ほど前から何ごとも無かったかのように速くなり、何の思い入れもなくイン・テンポのワルツが始まる。そして繰返しで初めて間を入れ、即興的な味を出す。まるでアメリカとユダヤを一緒にしたようなJ・シュトラウスで、聴いていて抵抗を感じつつも、これだけ正直に個性を出されると何だか好きになってしまうという、バーンスタインならではの「こうもり」が展開されるのである。
「ジプシー男爵」も面白い。今様メンゲルベルクとでもいうのか、大げさなテンポの動き、表情の誇張が随所に見られ、オーボエのソロ一つをとっても、かつて聴いたこともないような細かいフレージングがつけられている。アクセントの強烈さは目くるめくばかりだが、二五九小節からのアレグレット・マエストーソのスピードはあまりにも乱暴、あまりにも目茶苦茶で、いくらバーンスタインでもウィーン・フィルだったら絶対にやらない筈だ。
二つのワルツは豪華なダイナミックと響きを主体にしたスケールの大きい表現だが、外面的な感じが残るので今一つ心にふれて来ない。「南国のバラ」のエンディングなど、どう見ても異常だ。二曲中では「ウィーンの森の物語」の方が魅力的である。時々、なんともいえぬ崩れた感じの佇いがあり、人間の心の憧れや哀しみが入り混じって来るからで、しかもそれが偶発的であり、まとまらない面白さがある。(宇野功芳)
【録音評】CBS録音らしい音場を左右いっぱいに使ったオーケストラ展開で華やいだオーケストラ演奏が再現される。左右端の強調はなく、中央部も打楽器と管で埋められており、音場の充実性も高い。オーケストラ・パートのそれぞれのレヴェル・バランスもよくとれているが、時に高弦群、木管に硬さを感じることがある。A面第一トラックの冒頭で、リズムに合せたような低域ノイズがあった。〈90点〉(諄)
●J・シュトラウス
Ⓐ「こうもり」序曲
Ⓑワルツ「南国のばら」Op.388
Ⓒ「ジプシー男爵」序曲
Ⓓワルツ「ウィーンの森の物語」Op.325
■レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨークpo.
●新発売。ⒶⒷは少し以前の録音だが未発売であったもの。バーンスタインのJ・シュトラウスは、「美しき青きドナウ」、「皇帝円舞曲」、「ウィーンかたぎ」、「芸術家の生涯」、「春の声」の5曲のワルツがあった(SONC10325:廃盤)。
Ⓐ9'45Ⓑ11'47§Ⓒ8'25Ⓓ15'44
録音:Ⓐ'70・10・22Ⓑ'71・1・12 以上ニューヨーク・フィルハーモニック・ホール ⒸⒹ'75・4・14 ニューヨーク、CBSスタジオ
P:ジョン・マックルーア、リチャード・キロウ
原盤:米CBS
ⓈCS─CBSソニー●25AC68 2500円 (11.21)
解説:西村弘治
★バーンスタインのワルツ集《芸術家の生涯》('71・1)のレコード番号は、「SONC10324」が正しい。

ご意見・ご教示等ございましたら こちら からお送りください。

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