グレの歌ガイド 日本語訳
アルバン・ベルク
Alban Berg
鷺澤伸介:訳
(初稿 2023.4.29)
(最終改訂 2024.6.12)
アルバン・ベルク(1885-1935)による、師アーノルト・シェーンベルクの《グレの歌》を分析した『グレの歌ガイド』(原題:Gurrelieder Führer、原文:ドイツ語)を、大・小両方とも翻訳しました。
引用・リンクに制限はありません(転載の場合は こちら よりご一報ください)。
原注(*)と訳注(†・‡印)は、該当箇所を含むパラグラフの直後など、できるだけ本文該当箇所の近くに置きました。‡は特定の箇所ではなく、その周辺全体を指しています。
底本の譜例は、複雑なものが多い上に出版がひどく急がれたためか、ちゃんと校正作業をしたのかと疑ってしまうほど誤りが多く、そのままでは使えないため、ここでは楽譜ソフトで新たにすべて打ち直したものをsvg画像にして掲載することにしました。誤りと思われる部分はできるだけ修正しましたが、楽器名の書き込みについてはほとんど直していません。楽器略称の不統一(Kl.とCl.、Fg.とFag.、Tub.とTba.、G.とGg.とGge.、Kb.とK.-B.等)もそのままにしてあります。また、本文にも、譜例ほどではないにせよ明らかに間違いと思われる箇所が散見しますので、それらも直してあります。
できるだけ底本に近いレイアウトになるよう心がけました。そのため、楽器編成表など横に広い表が含まれていますので、ブラウザの横幅をいくらか広めにしてご覧ください(一応、どの表もフォントサイズ100%の場合で横幅960pxに入りきるようにしたつもりです)。原文に頻出する上括弧や分数などもできるだけ再現しましたが、そのような特殊なレイアウトは、OSやブラウザや表示フォントなどの環境が変わると崩れてしまうことがあるので、労多くして実り少ない結果になっているかもしれません。
スマホや小さいタブレットなどでご覧になる場合は、画面を横長にすれば楽譜が見やすくなるかもしれません。
底本
ALBAN BERG "A. Schönberg Gurrelieder Führer" / 1913 / Universal-Edition No.3695 ("Journal of the Arnold Schoenberg Institute" Volume XVI, Numbers 1&2 June & November 1993)
ALBAN BERG "A. Schönberg Gurrelieder Führer (Kleine Ausgabe)" / 1914 / Universal-Edition No.5275
グレの歌ガイド
アルバン・ベルク
グレの歌
J. P. ヤコブセンによる歌詞
ドイツ語訳 ロベルト・F・アーノルト
第1部
オーケストラ前奏曲
Ⅰ
ヴァルデマー
今や黄昏が
海と陸の音を和らげ、
空飛ぶ雲は
地平線に快く休息した。
音のない平穏が
森の風通しのよい門に鍵をかけ、
海の透き通った波は
揺れ動いて自らを休息へと誘 ( いざな ) う。
西では太陽が
己自身に深紅の衣を投げ
満ち潮のベッドで
翌日の光彩の夢を見ている。
今は森のきらめく家の
小さな葉も動くことなく、
今はかすかな音さえも響かない、
休息せよ、我が感覚よ、休息せよ!
自らの夢のうちに
あらゆる力が沈められ、
静かに平穏に、不安もなく、
私を自分自身へと押し戻す。
────
余白のローマ数字は、ガイドの同じ数字と結びついている。
────
Ⅱ
トーヴェ
おお、月の光が静かに滑り、
安らぎと静けさがあらゆるものに広がるとき、
そのとき私には湖の場所にあるものが水とは思えず、
あの森は茂みや木には見えない。
空を飾るのは雲ではなく、
谷や丘は大地の背中ではなく、
形も色の戯れも、ただ空虚なうたかた、
すべてはただ神の夢の名残。
Ⅲ
ヴァルデマー
馬よ! 我が馬よ! なぜそんなに緩慢に足を引きずるのか!
いや、私には見えている、蹄の足取りの下で
道が素早く飛び去っていくのが。
だがもっと速く駆けねばならぬ、
おまえはまだ森の真ん中にいる、
そして私は、留まることなく
すぐにでもグレに乗る込めるとばかり思っていた。
今や森は離れ、私にはもうそこに
トーヴェが私を抱き締める城が見えている、
その間にも我々の背後では
森が暗黒の壁と溶け合っている。
だがもっと、さらに速く駆けるのだ!
見よ! 森の影が
野や湿地の上に広がるのを!
あれがグレの地に届く前に、
私はトーヴェの門の前に立たねばならぬ。
今鳴っている音が、
止まり、二度と鳴らなくなる前に、
駿馬よ、おまえの素早い蹄の音が、
グレの橋の上に轟かねばならぬ。
あの──あそこに漂う──しおれた葉が、
小川へと落ちるかもしれないその前に、
グレの中庭におまえのいななきが
朗々とこだませばならぬ。──
影は広がり、音は消えゆき、
もう葉は落ちて、沈むがいい。
フォルマーにはトーヴェが見えた!
Ⅳ
トーヴェ
星々は歓喜に叫び、湖よ、それは輝き、
脈打つ波を岸に押しつけ、
葉よ、それらはつぶやき、露の装飾が震え、
湖風は大胆な戯れで私を抱擁する
風見鶏は歌い、尖塔はうなずき、
若者たちは燃えるようなまなざしで気取り歩き、
生命に満ち溢れて波打つ胸は
花盛りの娘たちをいたずらに縛り付け、
薔薇よ、それらは苦心して、遠くを見ようとし、
松明よ、それらは燃え上がりとてもうれしそうに輝いて、
森はその場に魔法のような魅力を解放して、
ほら、今町で犬たちの吠え声が。
そして上に登る階段の波が
安息の港へと王たるにふさわしい英雄を運ぶ、
彼が最上段から
私に、その開いた腕に落ちてくるまで。
Ⅴ
ヴァルデマー
天使たちは神の玉座を前にして踊らない、
今、世界が私の前で踊っているようには。
彼らのハープの音は快く響かない、
ヴァルデマーの魂がおまえに響くようには。
厳しい救済の闘いを終え
神の隣に座ったキリストさえ、
トーヴェリレの傍らで
ヴァルデマーが今誇らしく王者のようであるほど誇らしくはない。
死者たちの同盟への道を
魂が獲得したいと憧れるのも、
グレの尖塔がウーアソン海峡から輝いて見えたとき
私がおまえの口づけに憧れたのには及ばない。
そして私は交換することはない、
その防壁とそれらが忠実に守っている財宝を、
天国の輝きやうっとりするような音や
すべての聖なる者たち群れとさえ!
Ⅵ
トーヴェ
今、私はあなたに初めて言います。
「フォルマー王、愛しています!」と。
今、私は初めてあなたに口づけして、
あなたを腕に抱き締めます。
するとあなたは言うのです、それは私が前にも言ったことだし、
私は口づけをかつてもあなたに贈っていた、と、
だから私は言います、「王様は愚かな方です、
はかなくつまらないことをお考えになるなんて」と。
するとあなたは言うのです、「私はそのような愚か者かもしれぬ」と、†
だから私は言います、「王様は正しいですわ」と。
けれどもあなたは言うのです、「いや、私はそんな者ではない」と、
それなら私は言います、「王様はひどい方です」と。
だって、私は自分の薔薇を全部キスで枯らしてしまったのですから、
あなたのことを思っていた間に。
────
†訳注──アーノルトは、†を付けた行とその2行下に原作にない引用符を加えて直接話法にしているため、それぞれ「私」が原作とは逆の人間を指すことになっている(例:「彼は『私は愚かだ』と言った→私=彼、「彼は、私は愚かだと言った」→私=語り手)。アーノルトのように訳しても、会話の流れが不自然になることはないように感じられる。しかし、原文の直接話法部分は「Saa siger jeg: "Kongen har Ret,"」のようにコロン+引用括弧で書かれており、間接話法部分は「Men siger du, at jeg det ikke er,」のようにカンマ+at(英語のthatに当たる)で書かれていることが多いため、作者が本来あるべき引用括弧を落としてしまったという事態は考えにくい。訳者の手元にある本文、デンマーク語原文の『詩と草稿』(1886)、旧『ヤコプスン全集第3巻』(1927)、『サボテンの花ひらく、およびその他の若書き習作』(カーリト・アナスン出版社、1944)、新『ヤコプスン全集第4巻』(1973)、『詩と散文』(1993)、ドイツ語訳のインゼル版全集、ヘッセ・ベッカー版全集などは、すべて間接話法であり、アーノルトのように直接話法に変えている本文は見当たらない。
────
Ⅶ
ヴァルデマー
今は真夜中、
不吉な一族が
忘れられ、崩れ落ちた墓から立ち上がり、
憧れに満ちて目を向ける
城の蝋燭と小屋の灯りに。
風は嘲笑しながら震わせる
彼らに向かって低く
ハープの音とグラスの音と
愛の歌を。
彼らは消えながら嘆息する、
「我らの時は過ぎ去った」と。
私の頭は生命の波の上を揺れ動き、
私の手は一つの心臓の鼓動を聞きつけ、
生命力を膨らませつつ私に流れ落ちる
燃えるような口づけの深紅の雨、
そして私の唇は歓呼する、
「今こそ我が時!」と。
だが時は過ぎゆけば、
私はさまようことになるだろう、
真夜中時に
いつか死んだように、
死のシーツを我が身を包むようにきつく巻き
冷たい風に向かって
さらに深夜の月光の中を忍び歩き
苦痛に縛られ
重い墓の十字架で
おまえの愛しい名前を
地面に刻んで
沈みゆきつつ嘆くだろう、
「我らの時は過ぎ去った」と。
Ⅷ
トーヴェ
あなたは私に愛のまなざしを送り
目を伏せます、
それでもそのまなざしは私の手の中にあなたの手を押し当て、
その圧力は消え去ります。
それでも愛を呼び起こす口づけとして
あなたは私の繋いだ手を私の唇の上にあてがいます。
あなたはなおも死のためにため息をつくことができるのですか、
燃える口づけのように
もしまなざしが燃え上がることができるとしても?
空の高みで輝く星たちは
夜が明けるときには、輝きが薄れるでしょう、
でもそれらは真夜中ごとに新しく燃え上がるのです
永遠の光彩に。──
死など短いものですわ、
夕暮れから夜明けまでの
穏やかなまどろみと同じくらいに、
そしてあなたが目覚めたときは
ベッドの上のあなたのそばで
若い花嫁が
新しい美しさに
光り輝くのをあなたはご覧になるのです。
だから金の杯を
飲み干しましょう
力強く飾り立てている死のために。
私たちは至福の口づけで
息絶える微笑みのように
墓に赴くのですから!
Ⅸ
ヴァルデマー
不思議なトーヴェよ!
おまえのおかげで今私は豊かなので、
もはや私自身に願いは一つとしてない。
私の胸はかくも軽く、
私の思いはかくも澄み、
私の魂の上には目覚めた平和。
私の中はとても静か、
不思議なほど静かなのだ。
言葉は橋を架けようと唇の上にとどまるが、
再び安らぎへと沈んでしまう。
それはあたかも私には、おまえの心臓の鼓動が
私の胸の中で打っているかのようで、
そして私の呼吸が、トーヴェ、
おまえの胸を膨らますようであるからだ。
そして私たちの思いが生まれ
共に滑りゆくのが私には見える、
互いに出逢う、雲のように、
そしてそれらは形を変えつつ一つになって揺れ動く。
そして私の魂は静かで、
私はおまえの目を見て押し黙る、
不思議なトーヴェよ。
オーケストラ間奏曲
Ⅹ
森鳩の声†
グレの鳩たちよ! 不安が私を苦しめる、
島の上空の道をここまで来る間の!
来て! 聞いて!
トーヴェは死にました! 彼女の目には夜の闇、
それは王の昼の光でした!
彼女の心臓は黙しているのに、
王の心臓は荒々しく打っています、
死んだようであるのに荒々しく!
船板が大波を受けることに熱中してひん曲げられているとき、
船の舵取りは死んで横たわり、深海の海藻に巻き込まれている、
そんな大波の上の小舟に似て奇妙に。
誰も彼らに伝言を届けず、
その道は通れません。
彼らの思いは二筋の流れのようでした、
並んで滑りゆく流れです。
トーヴェの思いは今どこを流れているのでしょう?
王の思いは奇妙に曲がりくねって流れ行き、
トーヴェの思いを探すけれど、
それらを見つけることはありません。
私は広く飛び急ぎ、嘆きを探し、とてもたくさん見つけました!
私は王の肩の上の棺を見ました、
ヘニングが彼を支えます。
夜は暗く、たった一本の松明が
道を照らしておりました。
王妃がそれを持っていました、バルコニーで高々と、
復讐に燃える気持ちで。
彼女が流したくはなかった涙が、
目に光っておりました。
私は広く飛び急ぎ、嘆きを探し、とてもたくさん見つけました!
私は王が、棺とともに行くのを見ました、
農夫の胴着を身に着けて。
彼をしばしば勝利に運んだ彼の軍馬が
棺を引いておりました。
王の目は荒々しく見つめていました、
一つのまなざしを捜して、
王の心は奇妙にも耳を澄ましていました、
一つの言葉に対して。
ヘニングは王に話しかけましたが、
彼は相変わらず言葉とまなざしを捜していたのです。
王はトーヴェの棺を開き、
唇を震わせながら見つめて耳を澄まします、
トーヴェは黙っています!
私は広く飛び急ぎ、嘆きを探し、とてもたくさん見つけました!
一人の修道士が綱を引き、
夕べの祈りの鐘を鳴らそうとしました。
でも彼は車を引く者を見て
そして訃報を聞きました。
日は沈みました、
弔いの鐘が鳴り響くその間に。
私は広く飛び急ぎ、嘆きを探しました、そして死を!
ヘルヴィヒの鷹だったのです、
残酷に
グレの鳩を引き裂いたのは!
────
†訳注「森鳩の声」──原文「STIMME DER WALDTAUBE」。「Stimme」なので「声」としたが、出典の『J・P・ヤコブセン詩集』(1897)では「森鳩の『歌』」(Lied der Waldtaube)である。
────
第2部
ヴァルデマー
主よ、あなたは小さなトーヴェを私と死別させたときに、
ご自分が何をなさったのかをご存じですか?
私が幸福を手に入れた、
最後の避難所から私を追い立てた!
主よ、あなたは痛切に恥じるべきです。
乞食の唯一の子羊を殺したことを!
主よ、私もまた支配者です、
そして、これは私の支配者としての信念です。
自分の臣下たちから
最後の光を奪ってはならぬということ。
あなたは間違った道をお選びだ。
それはおそらく暴君を意味します、支配者ではなく!
主よ、あなたの天使の群れは
いつだってあなたへの称賛しか歌いません、
だがあなたには、叱責することができる者が
もっと必要なのでしょう。
そして誰がそんなことをあえてしようと思うでしょうか?
私に、主よ、あなたの宮廷道化の帽子をかぶらせてください!
第3部
荒々しい狩り
Ⅰ
ヴァルデマー
目覚めよ、王者ヴァルデマーの親愛なる従者たちよ!
錆びついた剣を腰に佩け、
荒涼としたもので不気味に彩られた、
埃だらけの盾を教会から持ち来たれ。
汝らの馬どもの朽ちた屍を呼び覚ませ、
彼らを黄金で飾り、その横腹に拍車を当てるのだ。
汝らはグレの町に呼び寄せられた、
今日は死者たちの出発の日!
Ⅱ
農夫
棺の蓋がガタガタ音を立てパタパタ開閉し、
それは夜中に馬を飛ばしてここに重々しくやって来る。
芝生は墓の盛り土から転げ落ち、
墓の上では黄金のような澄んだ音がする。
武器庫じゅうでガチャガチャガラガラ音が鳴り、
古い道具を投げたり動かしたり、
教会の庭の端では石の音、
ハイタカが塔からひゅっと飛んでは鋭く叫び、
教会の門の上まで飛んでいく。
そこを駆け抜けたぞ! 急いで毛布を耳の上まで引き上げろ!
私は急いで聖なる十字を三度切る
家族と家のため、馬と牛のため。
私はキリストの名を三度呼ぶ、
そうすりゃ畑の種はずっと守られる、
私はさらに手足にも十字を切る、
主が聖傷を負いたもうた箇所だ、
そうすりゃ夜の夢魔から守られる、
妖精の襲撃からもトロールの危険からも。
最後に戸口の前に鋼や石だ、
そうすりゃ悪魔は戸口を通って中に入れない。
Ⅲ
ヴァルデマーの従者たち
ようこそ、おお王よ、グレの岸へ!
今我々は島中で狩りをする、
ホラ! 弦のない弓から矢を放ち、
空洞の目と骨の手で、
鹿の影姿に当てるため、
ホラ! そうすれば傷から草の露が流れ出る。
ホラ! 戦場のカラスたちが
我らの供をする、
馬はブナの樹冠の上を駆ける、
ホラ! こうして我らは誰もが知る伝説に従って狩りをする
最後の審判の日まで夜ごと夜ごとに。
ホラ、それ行け犬よ! それ行け馬よ!
狩りはわずかな時間しか続かない!
ここには城がある、昔々と同じように!
ホラ! カラスムギ†を痩せ馬どもに与え、
我らは過去の栄光を糧にするとしよう。
────
†訳注「カラスムギ」──原文「Lokes Hafer」。デンマーク語原典の「Lokes Havre」を直訳したもの。意味は「(北欧神話の)ロキのカラスムギ」となるが、アーノルトは『J・P・ヤコブセン詩集』(ゲオルク・ハインリヒ・マイヤー出版、1897)18ページに「Jütischer Ausdruck für avena fatua , Anm. d. Übersetzers.」(avena fatua=〈カラスムギ〉を意味するユランの言葉、訳者の注釈)という脚注を書いており、ここではそれに従う。オイゲン・ディーデリッヒ版ドイツ語訳ヤコブセン全集第1巻の巻末にも同じ内容の注がある。
────
Ⅳ
ヴァルデマー
トーヴェの声で森は囁き、
トーヴェの目で湖は見つめ、
トーヴェの微笑みで星は輝き、
胸の雪のように雲は膨らむ。
感覚は追い求める、彼女を捕らえようと、
思いは彼女の姿を求めて戦う。
だがトーヴェはここにいてトーヴェはあそこにいる、
トーヴェは遠くトーヴェは近い。
トーヴェよ、おまえは、魔法の力で
湖と森の光彩に縛られているのか?
死んだような心臓よ、それは膨らみ伸び広がる、
トーヴェ、トーヴェ、ヴァルデマーはおまえに焦がれる!
Ⅴ
道化師クラウス
「ウナギという奴ぁ奇妙な鳥だ、
たいてい水中で暮らしているのに、
時々月光の下でやって来る
旅した経験豊かな岸辺の地へと」
こいつを俺は主人の客たちに歌ったが、
今は俺自身にいちばんぴったり当てはまる。
俺は今じゃ家もなく至って質素に暮らしているし
誰一人招かず贅沢もせず騒いだりもしなかった、
それなのにかなり厚かましい奴らが俺を蝕む、
だから何も提供できない、俺が好むと好まざるとにかかわらず、
それでも──なぜ俺が毎晩真夜中
池の周りを回らにゃならんのか、
その理由を俺に教えられる奴には、
俺の夜の休息を贈ってやろう、
パレ・グロープとエリック・パーも
そうしているが、それはこう理解できる。
奴らは信心深い人間には属さなかったし
今じゃサイコロを振ってやがるのだ、馬に乗っているというのに、
地獄へ行ったとき、
竈から遠く離れた、いちばん涼しい場所を賭けて。
それに王様、フクロウが鳴くと同時に、いつだって取り乱し、
死んでからずいぶん経った、娘の名前を絶えず呼ぶ、
あの人もまたそれを受けなきゃならず、狩りだって当然するべきなのだ。
あの人はいつだってとことん残酷だったし、
そのたびに用心が肝心だったから、
それに危険に備えて開いた目も、
そう、あの人自身が宮廷道化だった
月の向こうのあの大いなる主のもとで。
しかしこの俺、ファールムの道化クラウスは、
信じていたのだ、墓に入れば
人は完全な安息が得られることを、
霊は塵とともにあり続け、
そこで平和に活動し、
大きな宮中御宴に静かに集まって、
そこでは、ブラザー・クヌートが言うように、
審判のラッパが鳴り響き、
我々善人が気持ちよく
罪人どもを去勢雄鶏よろしく食らうことを。──
ああそれなのに、自分は馬に乗って突っ走り、
しっぽの方へと向けられた鼻で、
激しい疾駆に死ぬほど疲労困憊するなんて、
まだ間に合うなら、俺は首を吊りたいのに。
だが、おお、最後にはどんなに甘さが味わえることか、
俺が天国に配置換えされるときには!
俺の罪の記録簿は確かに大きい、
だが俺はそのほとんどから口先で俺自身を解放してやる!
裸の真実に服を着せたのは誰なんだ?
そのせいで哀れにも殴られたのは誰なんだ?
そうさ、もしまだ正義があるのなら、
俺は天国の恩寵に迎えられるに違いない……
そうだな、そうなりゃ神はご自身に恵みを垂れるがいい。
Ⅵ
ヴァルデマー
汝、天の厳しき裁き手よ、
汝は我の苦痛を笑っている、
だがいずれ、骸が復活する時には
これをしっかり肝に銘じておけ。
我とトーヴェ、二人は一つなのだ。
だから我々の魂も、
我を地獄へ、彼女を天国へと引き裂いてはならぬのだ、
さもなくば我は力を得て、
天使の警備を打ち砕き
我が荒々しき狩りとともに
天国へと突入するであろうから。
Ⅶ
ヴァルデマーの従者たち
雄鶏が時をつくろうと頭を上げる、
くちばしにはすでに昼が宿る、
そして我らの剣からは
赤錆色に染められて朝露がしたたり落ちる。
時は過ぎ去った!
開いた口で墓が呼び、
そして大地は光を嫌う神秘を吸い込む。
沈め! 沈め!
生命が力と輝きとともにやって来る、
行為と脈打つ心臓とともに、
そして我らは死のもの、
不安と死のもの、
苦痛と死のものなのだ。
墓の中へ! 墓の中へ! 夢を孕んだ安息へ。
おお、我ら平穏に眠ることができるなら!
夏風の荒々しい狩り
オーケストラ前奏曲
Ⅷ
語り手
アカザ氏よ、ハタザオ夫人よ、さあもう急いで身を屈めて、
夏の風の荒々しい狩りが始まるから。
蚊は葦混じりの林から不安げに飛び、
湖には風が銀色の轍を刻みつけた。
ずっとひどくなるからね、君らが考えていたのなんかより。
ヒュウ、ブナの茂みの中で何て恐ろしく笑うんだ!
あれは赤い炎の舌を持つ蛍、
それに濃い草原の霧、青白く死んだような影!
何という波と揺れ!
何という争いと歌!
不快な感じの風が穂の群れの中へと打ちつける。
すると穀物畑が音を立てて揺れる。
蜘蛛たちは長い脚でせわしなく動くが、
彼らが苦労して織り上げたものを、風が引き裂く。
露は下方へと音を立てて滴り、
星々は一斉に飛んでは消え、
蝶たちは慌てて逃げるときに茂みを通ってかさかさと音を立て、
蛙たちは湿った隠れ家へと跳ねていく。
静かに! 風はいったい何が欲しいのだろう?
枯れた葉を翻すたび、
捜しているのだ、あまりに早く終わってしまったものを。
春の青白い花の縁や、
地上のはかない夏の夢を。
それらはとっくに塵になっている!
それなのにあの上の方、木々の上の
より明るい空間で彼は揺れ動く。
彼は思う、その上の方なら、夢のようにとても素敵な、
花があるに違いないと!
そして不思議な音とともに
その葉の冠の中で
また挨拶をする、素早く、心からの。
ごらん! 今もそれが通り過ぎた、
風通しのよい小道を、
湖の光る水面へと自由にくるくる回って流れていく、
そしてそこで、波の無限の踊りの中、
青白い星々が反射する輝きに包まれ
静かに揺れて眠りにつく。
この場所は何て静かになったんだ!
ああ、明るく澄み切った!
おお花の顎から舞い上がれ、小さなテントウムシよ、
そしておまえの美しい聖母に活力と陽光を乞うがいい!
もう波が岩礁の周りで踊っている、
もうまだら模様のカタツムリが草を這っている。
今や森の鳥の群れが活動し、
花は巻き毛から滴を振り落とし、
そして太陽を探し求める。
目覚めよ、目覚めよ、花たちよ、歓喜に!
Ⅸ
見よ、
地平線に接した色鮮やかな太陽を、
東で君たちに朝の夢の挨拶をよこす!
それは夜の水から
微笑みながら昇ってきて、
明るい額から
輝く巻き毛の光彩をまき散らす!
混声合唱
配役
独唱:
ヴァルデマー(テノール)
トーヴェ(ソプラノ)
森鳩(メゾソプラノまたはアルト)
農夫(バス)
道化のクラウス(テノール)
語り手
合唱:
ヴァルデマーの従者たち(3つの男声4部合唱)
混声8部合唱
木管楽器:
3 クラリネットA管またはB管
2 Es管クラリネット
2 バスクラリネットB管
3 ファゴット
2 コントラファゴット
金管楽器:
10 ホルンF管(4 ヴァーグナー-チューバ)
6 トランペットF管B管C管
1 バストランペットEs管
1 アルトトロンボーン
4 テナーバストロンボーン
1 バストロンボーンEs管
1 コントラバストロンボーン
1 コントラバスチューバ
打楽器:
6 ティンパニ
大きなテナードラム
シンバル
トライアングル
グロッケンシュピール
スネアドラム
バスドラム
シロフォン
ラチェット
大きな鉄鎖数個
タムタム
4 ハープ、チェレスタ
弦楽器:
ヴァイオリン Ⅰ
ヴァイオリン Ⅱ
ヴィオラ
チェロ
コントラバス
数倍の奏者で
このガイドブックは、完全無欠さを自負するものではない。完全であることなどは望むべくもない。仮に私が、このような書物の紙幅の都合上、言われるべきだった多くのことを抑制し、簡潔に 叙述することを強いられなかったとしても。かくて私には、一様に表面的な取り扱いをするか、わずかでも所々で詳述するかしか選択肢はなかった。後者を選ぶことによって、私は、ほかのこうしたガイドブックに目立つ表面的な滑らかさや彫琢を初めから放棄し、自分の論評が、論評されたものの長さや範囲と釣り合いが取れなくなるという危険も顧みず、それをあえて冒したが、そのことは、私のガイドブックの課題が従来の主題分析とは異なるものであるだけに、いっそう弁明可能となるのである。すなわち、この作品の音楽に言葉の伴奏を付けたり 、それぞれの雰囲気に少なくとも一つの装飾的な形容詞を見つけたり、盛り上がりやクライマックスを確認したりすることは、私にとって重要ではなかった。一方、──私が分析した際 ──、まるで一つの和声進行、一つの和音、また一つの音さえもが、実際の音楽ほどは重要ではないかのように、また主題の帰結 や展開 が、少なくとも主題自体ほどは重要ではないかのように、そのように主題を引用するだけでは、私にとっては不十分であった。むしろ私は、詩的情緒や心理学をすべて避け、冷静な客観性をもって、まさにそこに現れるさまざまな音楽事象について語ることを試みた。あるときは──前奏曲での議論のように──和声の構造について、あるときは動機、主題、旋律、経過句の構成について、またより大きな音楽構造の形や構築について、対位法の組み合わせ、合唱書法、運声法について、最後に管弦楽法の特質について。このすべてを少なくとも一度は詳細に扱い、作品からの例を挙げて実証することで、たとえ不完全であっても、アーノルト・シェーンベルクの芸術は最高位のものと見なすほかはないということを理解してもらおうとしたのである。もし私がそれに成功したのなら、この小著はその目的を達成したのであり、この音楽の計り知れない美しさが敬虔なる沈黙を要求するような場所で、自ら言葉──たとえ理論的なものでしかなかったとしても──を探し、見いだしたことも、後悔するには及ばないのである。
《グレの歌》の作曲は、弦楽六重奏曲《浄夜》作品4と交響詩《ペレアスとメリザンド》作品5との間になる。私は、その成立の正確な日付の情報を、アーノルト・シェーンベルクの手紙†から得ている。このことについての箇所を、事を簡単に運ぶために、また簡明的確に言うことが不可能であるために、ここに引用しておく。「1900年3月に[ヴィーンで]、第1部と第2部、それに第3部の大部分を作曲しました。その後、オペレッタのオーケストレーションで潰された長い休止期間。1901年の3月(つまりその年の早い時期)に残りの部分を完成 ! それから1901年8月にオーケストレーションを開始(またしてもほかの仕事による妨害、私はいつも作曲を妨げられてきたので)。1902年の半ば頃、ベルリンで続行。その後、オペレッタのオーケストレーションのための長い中断。続いて、1903年に最後の作業が行われ、ほぼ118ページ[ピアノ用スコアでは105ページに相当]†まで仕上げられました。その後は放置、完全に断念されました! 1910年7月に[ヴィーンで]再び着手。最終合唱以外はすべてオーケストレーションされ、1911年に[ベルリン郊外の]ツェーレンドルフで完成されました。
ですから、全体の作曲は、1901年の4月か5月には完成したと思います。最終合唱だけがスケッチの状態でしかありませんでしたが、いちばん重要な声部と全体の形はすでに完全な状態で存在していました。オーケストレーション用の注釈は、大元の作曲においてはほとんど書き留められませんでした。音色は忘れずにいられるものですから、当時はそのようなことをメモしなかったのです。しかし、そのことは別にしても、1910年と1911年にオーケストレーションされた部分は、第1部第2部とはオーケストレーション様式がまったく異なっていることに気づくはずです。私はそれを隠すつもりはありませんでした。それどころか、私が10年後に異なるオーケストレーションをするのは当然なのです。
スコアの仕上げに当たって、私は若干の、ごくわずかな箇所しか修正しませんでした。それは例えば、特に「道化のクラウス」の曲や最終合唱の、8~20小節のグループに関するものだけでした。それ以外はすべて、(違う方がよかったと思える少なからぬ箇所さえ)当時のままです。私にはもうその様式を的確に捉えることはできなかったでしょうし、ある程度経験を積んだ専門家なら修正された4~5箇所を難なく見つけることができるはずです。これらの修正は、当時の作曲全体よりもはるかに私を悩ませました 」
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†訳注「アーノルト・シェーンベルクの手紙」──アーノルト・シェーンベルクからアルバン・ベルクへの手紙、1913年1月24日。シェーンベルクの手紙は、アーノルト・シェーンベルク・センター・サイトのアーカイヴでその多くを読むことができる。そこで読める本書簡の本文と比較対照してみると、ここでベルクが引用の体で書いている部分は、実際の手紙を抜粋・編集したものであることが分かる。最後の文は、原典では「これらの修正は、当時のオーケストレーション 全体よりもはるかに私を悩ませました」となっており、この方が文脈としては自然であろう。なお、この手紙の、ここには引かれていない部分の中には、「自筆フルスコアで落ちている小節と余計な小節」を確認した記述がある。自筆フルスコアの小節間違いは全部で3箇所あり、この下の注の中でベルクがそのすべてを書いてくれている。これらのミスは、ベルクのピアノ伴奏版(1913年刊……印刷も発売も1913年に入ってからだったので、楽譜に「1912」と書いてあっても鵜呑みにしないこと)および彫版フルスコア(1920年刊)では、もちろんすべて直されている。よって、《グレの歌》の演奏やアナリーゼをする場合は、すべての小節が過不足なく揃っている彫版フルスコアを使う必要があり、もし自筆フルスコア(1912年刊)が入手できたとしても、そちらは参考資料としておくべきである。……ただし、1920年版の彫版フルスコアは、第3部の390小節台が9小節しかない。よって、その後は小節番号が全部1小節ずれており、最終小節は第1045小節となっているが、正しくは第1044小節である。また、ベルクのピアノ版の最終小節は第1045小節であるが、これはこれで正しい。なぜなら、彫版フルスコアの第3部第389小節(3/4拍子)が、ピアノ版では2小節に分かれているからである(2/4拍子+1/4拍子)。自筆フルスコアもそうなっているので、これが初案であり、シェーンベルクは、おそらく彫版フルスコアの校正のときにでも第389小節と第390小節を一つにしたのだろう。ところが、番号を振り直さなかったため、彫版フルスコアの小節番号のずれが生じてしまった、といったところか。
†訳注「118ページ……」──彫版スコア第3部119ページ106小節。
第1部
第1部は、歌詞から分かるように、内容的に関連する一連の歌曲の連続で構成されている。それぞれの曲は、形式的に完全にまとまった全体、つまり単一の歌曲と見なし得るにもかかわらず、多くの主題的関連性が作品全体を貫いており、あるときは直に、またあるときは長かったり短かったりする経過句や間奏によって結合されている。第1部の前奏曲(まったく新しい交響的形式を形成している)からして、主題的関連性における作品全体への序奏であると同時に、──単独で、あるいは最初のヴァルデマーの歌と合わせて──それ自体が一つの形式にもなっている。この序奏は、ほぼすべての主題、和声進行、調性が最初の歌曲と共通しているというだけでなく、私にはむしろ巨大な、広範囲にわたるカデンツのようにも思われる。その終点である根音上の純主和音は、歌曲の終結部と一致し、
14 5 *に至って初めて登場するのだ。この後に続くのはオルゲルプンクトで、このカデンツの長さに対応する長い結尾部であるが、これについては後述する(譜例13)。主和音として機能する変ホ長調の和音は、前奏曲や第1歌曲のみならず、最後の合唱(譜例124と129の
)でも──ただしハ長調に移調されるが──、常に6度音(ハ)を伴って現れる。よって、この6度音を、正確に言えばそれから発生した和音(変ホ長調の
ハ 変ロ ト 変ホ
を、最初の動機と呼ばなければならない。和音内の6度音を掛留音†と解釈してのみ、変ホ長調の主和音と見なすことができることは明らかである。それに対する譜例1の旋律的分解、
7ter Takt. :第7小節。/
Mäßig bewegt. :適度に活発に。/
ob. :オーボエ。
およびその転回から作られた第3部の主題(譜例115Ⅲ、124 、 129 、 ) に、それが現れている。この和音を五六の和音(根音ハ、譜例1a)、すなわち属調(変ロ長調)のⅡ度和音と見なせることもまた明らかだ。一つの解釈だが、掛留和音としての最初の解釈と同じように使用される。
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*原注──ガイドの中と譜例の上に記載されている枠囲みの数字は、ピアノスコアの指示番号と一致しており、それは──それぞれの部ごとに──1から始まり、常に10小節を表している。従って、例えば3 は30小節目を意味している。その隣に記載されている数字は、1の位を示す。例えば3 5 は35小節目となる。具体的には、
7ページ 2小節目
89ページ 8小節目
98ページ 3小節目
ピアノスコアの
が3 5 である。フルスコア†の小節番号は、ピアノスコアのそれと必ずしも一致しているわけではない。フルスコアの92ページ3小節目と115ページ5小節目は消す必要がある。さらに、71ページでは誤って1小節が落とされてしまっている。そこでは5小節目が繰り返されるべきで、声楽パートも1小節遅れて歌い出さねばならない(不足している小節は、ピアノスコア第1部の81 に該当する)。
†原注の訳注「フルスコア」──上の訳注で触れたが、ここが自筆フルスコアにおける小節の過不足を指摘した記述である。ベルクがこのガイドを書いたときには、まだ自筆スコアのファクシミリ版(UE3697)しか出版されていなかったため、ここでの「フルスコア」は自筆スコアを指している。ベルクがこれらのミスを見つけることができたのは、ピアノ用に編曲する際、フルスコアだけでなくシェーンベルク自身が作ったピアノスコア等を参照していたからで、彼は1912年11月27日~12月4日と、1913年1月22日~24日の往復書簡により、フルスコアの方が誤りであることを作曲者に確認している。
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†訳注「譜例124と129の 」 ──譜例124には マークは見えないが、おそらく5小節目と9小節目を指しているのだろう。
†訳注「掛留音」──原文「Vofhalt」。「掛留音」と訳される語だが、この6度音=ハ音は、譜例1からも分かるように、多くの和声学の教科書では「倚音」に分類されるものである。ドイツ人の音楽理論書では、掛留音と倚音をどちらも「掛留音」として扱うものが多いとのこと。倚音の方は「自由掛留音」と、「自由」を付ける場合もある。
‡訳注──最初のパラグラフは異様に長く、底本で3ページにも及んでおり、譜例4の手前のパラグラフ(「すでに挙げた譜例1、2、3に加え~」)の直前にまで達している。原注や訳注をなるべく対象語句の近くに置きたかったため、ここでは適宜分割してある。
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前奏曲の初め、3小節目に譜例2A*が現れた後、すぐにその縮小伴奏形である2Bの が現れ、
kl. u. gr.Fl. :小および大フルート、ピッコロとフルート。
それが譜例1で使われた主題2(7小節目)を伴奏し、また譜例2Cの拡大形 の上で奏される。
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*原注──譜例2のこの主題も、オーボエの長く延ばした変ホ長調の和音上に掛留されたハ音を入れているが、それはここでは解決されない。
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同じようにその和声が2AとBから変換された譜例3では、主調の変ホ長調に移調された、上述のⅡ度としての五六の和音の解釈が見いだされる
( 6 5 の和音bは変ホ長調(a)のⅡ度上である)。
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‡訳注──このあたりのベルクの説明は、どうも言葉足らずで分かりにくい。7小節目(譜例1)を「主題2」と書いているのは、変ホ・ト・変ロ・ハの和音(上で「最初の動機 erste Motiv」と呼ばれていた)を「主題1」と見ているためであろうか? また、上の譜例3の説明が言わんとしているのは、譜例2A・Bに主調である変ホ長調の和声付けを施したのが譜例3で、そこにbのようにⅡ6 5 (根音ヘ)が現れていることから、同じ度数構成の譜例1aの和音もⅡ6 5 (根音ハ)と見なすことができ、第Ⅱ音がハ音なら変ロ長調であるから、作曲者は譜例1aの和音を変ロ長調のⅡ6 5 と解釈していることが分かる、ということであろうか?(変ロ長調云々については、次の訳注も参照)
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そして、この譜例1aの、Ⅱ度上の和音と解釈される五六の和音(根音ハ)†を離れてからの最初の和声的変化は──この解釈と譜例3の先行変化が2 3 で適合して──、変ロ長調に向かってなされる。この上属調への変化は、譜例2の和声によってかなり強調されている下属和音への、いわばバランス錘も提供し、ゆえにここでは、最初の部分を属調で締めるという古い規則にたまたま適合するからではなく、限定された形の所与の状況からまったく独自になされているのである。一方、序奏でしばしば現れる変ト長調への逸脱、2 7 でのその調のかなりの強調、4 でのその代用、さらには最初の主題的五六の和音(譜例1 ) の相似形である、6 8 においてⅡ度(嬰ト=変イ)上に形成される和音などは、この大きな、前奏曲と第1歌曲を包含するカデンツ内でのバランス錘の必要性†に対応するだけでなく、ある結果をも伴う。それは、シェーンベルクの言葉を借りれば、「未来の和声への小旅行」のようなものであった。変ト長調は、第1歌曲に続くトーヴェの歌(Ⅱ)の調であり、前の曲に起因するもの、つまり恣意的ではなく、(もちろん無意識的に守られている)規則性と一貫性を備えたシェーンベルクの和声すべてにおけるのと同様、彼特有の 形式感覚に支えられたものであって、それが偶然古人の規則と一致するような箇所であっても 、目新しく、自立的に、初めて であるかのように現れるのである。その点で、シェーンベルクの和声は、知られてはいたものの感じられてはいなかった古人の規則、それが適用できない決定的な瞬間が生じた場合に、ただ借りものの形式感覚しか当てにできない人の和声とは異なっている。とはいえ、それはある種の「現代的な」和声とも異なる。そこで前提とされる「とにかく現代的なこと」は、欠けている形式感覚のせいで調性の境界内で振る舞うことができないためのものなのである。その欠点を隠蔽しようと、最も単純な調性構造のすぐ隣にある種の大胆な変化が持ち込まれ、その必要性から急速な転調という怪しげな美徳が生み出されるわけだ。それは、それのためにシェーンベルクも含めた古人が20もの和音、すなわち最も説得力のある和声の開発を必要としたものを、その数を使うことなく2、3の和音で表現してしまいたいという欲求から来ているのである。
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†訳注「Ⅱ度上の和音と解釈される五六の和音(根音ハ)」──この和音は、確かに変ロ長調のⅡ6 5 と同じ構成音ではあるのだが、3小節目で変イ音が鳴った瞬間に変ロ長調には聞こえなくなる。また、和音構成音だけで考えるのならば、変イ長調のⅢ6 5 やト短調のⅣ6 5 の可能性もある。それなのに、「変ホ長調主和音付加6度」というシンプルな解釈のほかに、特に「変ロ長調のⅡの五六」でもあるとベルクが解釈しているのはなぜなのか。はっきり言ってベルクの言葉が足らず分かりにくいのだが、この上の記述内容から推察してみると──冒頭の和音は、上記のように変イ長調のⅢ6 5 、 ト短調のⅣ6 5 などほかの解釈も可能である。しかし、最初の変化が(古典的セオリーに従うのではなくシェーンベルクの形式感覚により)下属和音に偏りがちな流れの「Gegengewicht=バランス錘、分銅」として属調調域に向かったことで、変ロ長調との関連性が確定し、主調の和音であると同時に属調を予示する和音でもあるという解釈が可能になる──ということであろうか? もしベルクの意図がこういうことであるのなら、その後の変ト長調への逸脱について、「未来(=第2歌曲)の和声への小旅行」という説明が出てくるが、それと似たようなものと考えてもよいのかもしれない。……なお、この下に出てくる《浄夜》の譜例の下の訳注「Ⅱ度から導かれる」も参照。
注意すべきは、この和音は、「変ロ長調調域への移行(属調への転調)のためには使われていない」ということである。変ロ長調に変化する2 3 の直前の和音は、変ホ&変ロのバス上の「変ホ長調のⅡ6 5 」 (譜例3のbと同じ和音)で、それが定石どおりⅤ=変ロ長調のⅠに進んで属調に自然に移行している。よって、冒頭の和音を「変ロ長調のⅡの五六」と見なすのは、「属調調域への移行のための『きっかけ』として、6度音付きの主和音を属調のⅡ6 5 に読み替える」ということではないのである。ちなみに、変ロ長調の調域内でもこの和音は現れず、2 3-5 の和音は、小節前半が珍しく付加6度を含まない変ロ長調Ⅰの純三和音、後半が(変ロのバス上の)変ロ長調Ⅴ9 の根音省略=減七の和音(嬰ハは上方変位)となっている。……前奏曲のふわっとした柔らかい響きは、下属和音寄りの和声付け以外にも、オルゲルプンクト的に主和音のバス上に別の和音が載るケースが多いこと、すなわちポピュラーで言うところの「分数コード」が多用されていることも、要因の一つとなっているようだ。
──以下は蛇足。訳者には、この付加6度は、単に長調の主和音とその平行短調の主和音とを組み合わせたために現れたものであるように思われる。バスが長調の方なので(ハではなく変ホ)、響きとしてはほとんど長三和音に近いものになるけれども、第6音を加えることによってほんのわずかだが長調短調が混在したような味わいが出る。シェーンベルクが意図したのは、ベルクの言うバランス錘云々よりも、「長調短調の混在」という単純なことだったのではないだろうか。最終合唱のシェーンベルクのスケッチにはそのような意図──ハ長調とイ短調を同時に響かせる意図──が分かる箇所があるという話だし、付加6度の秘密は意外と単純なものだったと考えてしまってよいように思う。ちなみに、マーラーの《大地の歌》や、当のベルクの《ヴァイオリン協奏曲》の最後もこの和音で、それらの場合は《グレの歌》と違って終結の和音であるから、主和音の付加6度和音にしか見えず、属調のⅡ6 5 のような他調に関連づけた解釈はしようがない。訳者には、これらも単純に長調短調の混在を狙っただけのように見える。ベルクは、《グレの歌》よりも後に作曲された《大地の歌》の最後の和音が、《グレの歌》に特徴的な和音と偶然一致することを発見し、不思議な感覚を覚えた旨を、シェーンベルク宛書簡に書いていた(1911/11/20付)。彼にとっては思い入れのある和音だったのだろう。なお、《グレの歌》の終結の和音はこの和音ではないので注意。昔の解説などで、最後まで付加6度の和音が鳴っているように書かれているものがあるが、最後の和音には6度音は含まれず、そこで鳴るのはハ長調の純三和音である。
†訳注「この大きな、前奏曲と第1歌曲を包含するカデンツ内でのバランス錘の必要性」──変ホ長調から見て変ト長調がバランス錘となるような、その反対方向(?)を指向している箇所は、訳者の分析能力では指摘することができない。曲は、第1歌曲の10 9 まで、さまざまな調域に寄り道する上に浮遊和音が多用されているのである。シェーンベルクの「調域表」で見ると、短3度上の調のカウンターは単純に短3度下、変ホ長調が主調なら変ト長調の反対側はハ長調ということになるのだが、ハ長調の調域に入っている箇所は見当たらないようである。ただ、ベルクが言う「4 でのその代用」のあたりは変ニ長調の調域に、「6 8 においてⅡ度(嬰ト=変イ)上に形成される和音」のあたりはロ長調(変ハ長調)の調域に入っているので、主調である変ホ長調ではなく変ト長調を基準として見るならば、その上属調と下属調が両方現れるということで、バランスが取れていると言える。
──もう一つ蛇足。もしシェーンベルクに「バランスを取りたがる」形式感覚があったのだとしたら、彼が後年12音に向かったのも納得できる。調性音楽において主調以外のさまざまな「調」(調域)をバランスよく使いたいという嗜好が、さらに進んで音階のすべての「音」を公平に使いたいという欲求に行き着くことは、容易に想像できるからである。……シェーンベルクから見て、ベルクとヴェーベルンは互いにバランス錘を形成していたかもしれない。シェーンベルクを基準として、過去志向と未来志向とでバランスが取られていた感じである。
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すでに挙げた譜例1、2、3に加え、3の変形で作られ、2AとBに伴奏される、譜例4の主題 も重要である。
Ein wenig bewegter. :それまでよりもやや速く。/
Bsp. :譜例。/
Hö. :ホルン(の複数形)。/
Str. :弦楽器。
‡譜例への訳注──譜例4や、この後の譜例にも見られる特徴であるが、ベルクは臨時記号を、本来不要な音にまで付けていることが多い。これはシェーンベルク宛の1911年12月20-21日の手紙の中で、《グレの歌》ピアノ版について「♮だろうと♯だろうと♭だろうと、どの音にも臨時記号を付ける習癖が、それらを訂正する手間を引き起こし、そのため全臨時記号のおよそ2/3を落とさなければなりません」と説明されている。つまり、ベルクの「Angewohnheit(癖)」のせいでこうなっているわけである。現行のピアノ版には、なくてもよい臨時記号がかなりたくさん残っているが、あれでも削除した結果なのだろうか? ただ、《グレの歌》のような複雑な作品では、あまりにも見づらくなるのも困るけれども、臨時記号はなるべく付けてくれた方がミスは減らせるように思う。無調や12音作品では、むしろすべての音符に付けるべきだろう。
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隣に線 で示したように、譜例2との類似性は否定できない。括弧でくくられたアウフタクトは、後になってから初めて主題4 に与えられる(譜例7参照)。譜例4の支脈のように、下方に解決する掛留音 から派生している譜例5、
Gedehnt. :音を十分に伸ばして。/
Fag. :ファゴット。/
Bß-.Kl. :バス・クラリネット。
その反復から、半音低く、主題的に重要で、この譜例5を和声的にもリズム的にも変化させた形である6 が生じる。
譜例6の は、和声的にはⅡ度(ヘ)とⅤ度(変ロ)を強調した変ホ長調の強いカデンツにほかならない。このⅡ度上の和音は、四つの形でもたらされる。 では減5度を伴う七の和音の転回形として──これは《グレの歌》の和声において極めて重要な、短七の和音 †として知られている浮遊和音である*──、 では九の和音の禁じられた(!)転回形†として(第3音省略)、 ではいわゆるナポリの六として、最後に では減五度を伴った副属和音として。シェーンベルクが自著『和声学』で主張した、これら三つの和音( 、 、 ) がⅡ度から導かれる†という見解の典型例だ!
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*原注──我々は、譜例5の両端のポイント と で、すでにこの短七の和音に遭遇している。これらは譜例6の と 同様、根音進行が完全4度上がるという同じ和声関係にある。そのため、以前の私は、この例を先の例(5)の変奏と見なすことができたのであった。
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†訳注「短七の和音」──原文「kleinen Septakkord」。「短七の和音」としか訳せないが、aは譜例に見るとおり、またベルクも断っているとおり、第5音ハが半音低いので、一般の和声学で言うところの「減五短七の和音」である。コード表記なら「Fm7-5」あるいは「Fm7(♭5)」となる。この後も、「短七の和音」と書いてあっても、実際はすべて「減五短七の和音」であるので注意。
†訳注「九の和音の禁じられた(!)転回形」──《浄夜》には、42小節目にたった一度だけ九の和音の第4転回形が出てくるが、そのために初演が拒否されたことが『スタイルとアイディア』の「音楽評価の基準」に書かれている(『シェーンベルク音楽論選──様式と思想』上田昭・訳、ちくま学芸文庫、2019、p.278参照)。訳者などは、ロマンティックであると同時に音が多くて複雑なあの弦楽六重奏曲にあって、批判者はよくこの和音に気づいたものだと逆に感心してしまう。ただ、《浄夜》の変イ音上の九の和音第4転回形は、属和音として普通にD♭に解決するのではなく、Bm7-5という意外な和音に進んでいる。となると、これは直前のA7と直後のBm7-5の間に、半音階の経過的偶成和音として挿入されただけのようにも見える(ヴァイオリンとヴィオラは半音ずつ下降、チェロは半音ずつ上昇)。
もしこの九の和音第4転回形がただの偶成和音であって機能的なものではないとしたら、批判は神経質に過ぎるということになるだろう。もっとも、シェーンベルクは自ら「革命的な用法」と書いているので、狙ってこの形を現出させたのかもしれないが。
†訳注「Ⅱ度から導かれる」──Ⅱ度上の和音には、これら以外にも長調のⅡ7 (第5音が半音下がらない一般的な意味での短七の和音=ポピュラーで言うところのマイナー7thのコード=冒頭の付加六度和音と同じ和音構成音)などもあるわけで、ヴァリエーションが豊富である。ベルクが冒頭の和音をⅢやⅣではなくⅡであると解釈していたのは、このようなⅡ度上の和音の重要性を鑑みてのことでもあったかもしれない。
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このような、主調への極めて強いカデンツは、続く のリズム的な変化によって、さながら主和音の時がまだ到来していないかのように、再び導き出されるのである。むしろその代わり、(期待されているのに隠される主和音の変更によるかのように) のアウフタクトに類似して形成される変ホ音上の短七の和音 の転回形(譜例6 ) が続き、Ⅱ度上の和音となることから、その役柄は4 で現れる変ニ長調的に演じられているように見える。この和声的事象は、(1音低く移調されて)6 8 で繰り返されるが、その外見上の和声的逸脱(この強いカデンツにおける主和音の登場をいっそう先送りにする以外の目的はない)の中に、与えられた主題(譜例1、2A、2B、4A)のカノン風な呈示を伴って、一種の展開部が出現する(譜例7)。
nach und nach ein klein wenig belebter :徐々にごくわずかずつ活発に。/
Geigen. :ヴァイオリン。/
Bß.-Tr. :バス・トランペット。/
Alt-Pos. :アルト・トロンボーン。/
Vlc. :チェロ。/
Kb. :コントラバス。/
K-.Fag. :コントラ・ファゴット。/
Hfe. u. Holz. :ハープと木管楽器。/
Tube. :テューバ。/
E.H. :イングリッシュ・ホルン。
それは、──その中の5 4 で、より豊かな和声が適用され、変化した主題2Cと溶け合って──再び変ホ長調の属和音(変ロ上)に強く誘導される(譜例8、 )。
それは、ここでもまた利用し尽くされることはなく、小節 の頻繁な繰り返しの結果、──Ⅴ度上の和音 とその前のⅡ度上の和音(ヘ音上の減5度を伴う副属和音)の間で揺れ動き、──5 9 でやっと後ろの和音に決定され、イ音を変イ音に変化させることによる「短七の和音」、従って譜例5の最初の和音(22ページの脚注†参照)──(もちろん移調して)──がもたらされる。それに続く、譜例5と6の移調によって得られた6 4 と5の下属和音への強い変化は、しばしば登場する上属和音へのバランス錘を再び提供する。その上属和音は、続く6 8 から8 4 までの第1歌曲への経過部──その主要な主題的事象(1、2AとBで構成される)は最初を思い起こさせる──においても、7 9 で軽く触れられる。主和音は依然として不在のままだ。
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†訳注「22ページの脚注」──この上の直近の、「我々は、譜例5の両端のポイント~」で始まる原注を指す。再掲「我々は、譜例5の両端のポイント と で、すでにこの短七の和音に遭遇している。これらは譜例6の と 同様、根音進行が完全4度上がるという同じ和声関係にある。そのため、以前の私は、この例を先の例(5)の変奏と見なすことができたのであった」
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ヴァルデマーの歌(Ⅰ)
の開始部では、8 7 から9 3 にかけて、反復する譜例6のアウフタクト和音aが8 4 から引き延ばされ(譜例9のa)、譜例5におけるのと同じように提供される変ホ長調の和音の転回形が、もはや経過句でのように一時的にもたらされるのではなく(譜例5の✢)、常套句的に作用する四六の和音(譜例9の✢)の力をもって、この調の属和音( ) へと続いていく。
Etwas langsamer. :やや緩やかに。/
【歌詞】Nun dämpft……. :今や黄昏が海と陸の音を和らげ、空飛ぶ雲は/
Br. :ヴィオラ。
従って、基本位置 の主和音が、それだけにいっそう強く期待される。しかし、それはまだ登場しない。ここでも、譜例4のホルン主題 と結びつき、 での下行する掛留音から新たに生まれてくるかのように、属和音へと導く譜例6 が続く。6Aのリズムに合わせた変移での譜例5(10 2 )、 そして同じ6Aが繰り返され、今度は11 で初めて、待ちに待った主和音†が、冒頭以来初めて入ってくる。ここでは、主和音という調性和声が持つ最も単純な手段で、非常に強力な、それどころか斬新な効果が達成されているのである。それは、チェロに主題2Cが同時に登場することによって、さらに高められる。その主題は、初めて独立した和声で現れるが、以前は六つの音から作られる三和音の二つの和声(2AとC)のみ、2Bでは分解された三和音の形さえ取っていた。
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†訳注「待ちに待った主和音」──譜例10の11 に見るように、この主和音は基本位置ではあるが、ここでも6度のハ音が旋律(主題2C)として加わっているので、純三和音ではない。また、譜例およびベルクのピアノ版では旋律はオクターヴ重複となっているが、実際にチェロが奏するのは上声部だけである。
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【歌詞】Im Westen…… :西では太陽が己自身に深紅の衣を投げ、満ち潮のベッドで夢を見ている/
andere harmonische Wendung :別の和声法。/
ausdrucksvoll :表情豊かに。/
Kl. :クラリネット。
この旋律の繰り返し(譜例10)は、常に異なるやり方で導入される。譜例5から形成された4小節12 3 の後、そのゼクヴェンツがはっきりとト短調に転じる。
【歌詞】Nun tönt…… :今はかすかな音さえも響かない、休息せよ、我が感覚よ……/
m.Dpf. :弱音器付き。/
folgt Bsp. X :譜例Xに続く。
その属和音aはしかし、偽終止的に変ホ長調の和音をもたらし、そのため譜例10の入りをヴァイオリンにもたらす。譜例10の3回目の導入は、譜例13のオルゲルプンクトの中で、次の譜例12のカデンツを用いて行われるが、括弧内の和音(ナポリの六と属和音)
Neapol Sext. :ナポリの六の和音。/
Dom. :属和音(ドミナント)。
‡譜例への訳注──譜例12に記された「2」の説明がどこにもないが、これはおそらく、変ホ長調のナポリ調域である変ヘ長調(ホ長調)の、属七和音第3転回形の和音記号「Ⅴ2 」 の「2」であろうと思われる。変ヘ長調属七和音Ⅴ7 の構成音は「変ハ・変ホ・変ト・重変ロ」であるから、「2」の前の和音(変ヘ長調の属和音Ⅴ)のバス変ハが1音下がればこの和音となり、あとはⅤ2 和音の定石どおり次のⅠ6 (=変ホ長調のN6 =♭Ⅱ6 ) へと自然と移行することになる。
は、実際には頭の中で考えられただけのものである。これはシェーンベルクの『和声学』で強調された「途中過程の省略による定型の短縮」の一例であり、ここでのその理由は、譜例13の で後に続く属和音の回避を目論んだのと同じくらい、持続する変ホ音にあると考えられる。このオルゲルプンクトは、初めに述べたように、その6度音によって損なわれた最終的な事象の終結効果をさらに高めるためであるかのように、初めて6度音(ハ)なしで 鳴り響く主和音†で始まる。その目的のためにはオルゲルプンクトも貢献しているが、ここでは変ホ音がバスを離れることから、15 7 で中断されるように見える[譜例13の ]。 が、実際には、変ホ音は内声に留まり、16 9 でようやくバスに復帰する。このオルゲルプンクトの上に声楽パートの旋律が来るが[譜例13の ]、 それは私にはシェーンベルクの旋律作法の特徴を示しているように思われる。小さな動機 から変奏によってどのように になるのか、そこからまた の最後の2小節が拡大によってどのように になるのか、この動機 が での内声(ヴィオラ、チェロ、ホルン)の模倣、およびその支脈(トランペット)の と とにおいて、どのように新しい形を得るのか、最後に、こうして展開した旋律からもたらされた楽節(譜例13の と ) が、後続の、本来は関係のない主題( ) とどのように楽節形成をしているのか、またこの の形成のためにどのように決定を左右しているのか、そしてこのしばしば繰り返される6小節(譜例10)が、先の旋律的事象と6小節目の和声的遅延の影響下でどのように8小節( ) となるのか、等々に注目してほしい。
etwas steigernd :やや高まって。/
【歌詞】Und jede Macht…… :自らの夢のうちにあらゆる力が沈められ、静かに平穏に、不安もなく、私を自分自身へと押し戻す。/
Orgelpunkt auf Es. :変ホのオルゲルプンクト。
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†訳注「初めて6度音(ハ)なしで鳴り響く主和音」──譜例13には入っていないが、第1部解説の最初に指摘があったように、譜例13の直前の14 5 において、本楽曲で初めての基本位置の変ホ長調純三和音が鳴り響き、同時に変ホ音のオルゲルプンクトが開始される。
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従って、 はここでもまた、最初は(さらに第3部の最後、譜例115Ⅲ、124、129でも)伴奏音型のように現れる2AとBの新しい形なのであり、その音型は主題的・和声的事象の影響力下で極めて多様な形態(譜例2C、8、10、13C)を取るのである。
17 7 でオルゲルプンクトから離脱した後に始まる転調する旋律も、なおも譜例13 (または ) の支脈のように見え、後の似たような変化、移行、終止(譜例47 参照)に特有の形†
で、前述のように強く予示された次の歌曲の調である変ト長調へのカデンツを形成する。
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†訳注「特有の形」──原文「charakteristischen Form」。譜例14と譜例47 はあまり似ているようには見えないが、その後でベルクが同じような手法であると指摘している第1部譜例69や、譜例47 が使われている第1部63 2 、 第3部30 8 、36 1-2 、88 2-3 などを見ると、どうやら、ほぼ旋律のみで移行と終止を担当し、旋律の下降音型が九の和音または減七の和音の分散和音であるところ(譜例69は和声的背景が分かりにくいが)を指して、「特有の形」と言っているようである。
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Ⅱ.トーヴェ
譜例15の、変ト長調和音上の弦楽器の音型 は、
Flag. :フラジオレット。/
order :または。
実は第1部の冒頭に登場した変ホ長調和音上の2Aを書き換えたものにすぎない。それは、その 主題同様──ただし、直ちにストレッタとなる( ) ──延ばされた和音とともに、その上に旋律的事象が生じるところの(譜例16)、いわば基層を形成する。これは歌曲の中間部だけには出てこない音型で、常に弦楽器独奏(ヴァイオリンかヴィオラ)によって演奏される。その響きは、繊細な木管のパッセージ、ディヴィジされた弦楽器のフラジオレット、反復の際に加わるハープの動き、グリッサンド等と相俟って、歌曲全体の特色を示している。これは主題的なものであると言ってよい。シェーンベルクは、ここでもその後に作られた作品でも、ある特定の楽器群のある特定の響きの上に部分あるいは全楽曲を成立させているのだから、なおのことそう言える。
【歌詞】O, wenn des Mondes…… :おお、月の光が静かに滑り、安らぎと静けさがあらゆるものに広がるとき、
ここでは、最初の8小節から、 の2小節を に収縮することによってどのように7小節になっているのかが注意を引く。これはおそらく、「Friede(安らぎ)」という語の箇所で出てくる3度の動機が、必要であるとまでは言えないにしても、一つの継続──その3度動機を維持するという継続を可能ならしめるということによって、動機的に 説明される。そうして で生じる3度音は、しかし、 の3度音にほかならなず、それに が続くのだが、その が──今は旋律の繰り返しが非常に強く感じられているので── の後に来ることが求められ、それによって1小節が抜け落ちたというわけである。三部から成るリート形式に準拠したこの歌曲では、主題16 が非常に重要である。16 の最初の音をアウフタクト的に見ることで、そこから譜例17の が生まれ、
【歌詞】nicht Wasser dünkt…… :そのとき私には湖の場所にあるものが水とは思えず、あの森は茂みや木には見えない。
同様に延ばされた変ト音上で旋律(17)を形成し、21 6 でのその第2の変化形が、(変ト長調の下属和音で始まる)中間部†へと導く。
fließend :滑らかに/
【歌詞】Das sind nicht Wolken,…… :空を飾るのは雲ではなく、/
Hr. :ホルン。
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†訳注「(変ト長調の下属和音で始まる)中間部」──譜例1821 8 ではG♯m7が鳴っており、これは変ト長調から見ると異名同音的にⅡ7 (=下属和音グループの和音)である。21 8 の、ヴァイオリンの下降する8分音符のうちイ音が♮となっているが、それでもこのあたりは嬰ヘ長調と見てよいと思う。変ト長調のままだとダブルフラットだらけになるため、一時的にエンハーモニック表記にしたのだろう。譜例18では調号が省かれているが、原曲のこの歌は最初から最後まで変ト長調の調号のままである。
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その旋律も前のもの(17)と同じように6小節で、結局は16「おお、月の光が静かに滑り」の方の声楽の 旋律と同じようでもある。そのことは譜例18に現れており、再び独奏ヴァイオリンと独奏ヴィオラによってもたらされる主題 は、譜例17 から、音の交替を行う内声部(特に ) の影響下で生まれ、(アウフタクトの省略を伴って)《グレの歌》の最も重要な主題のうちの一つとなる。
それは、通常このような音程の連続で現れ、
場合に応じ、あるときは協和音に、またあるときは自由掛留音、補助音ないし経過音†として不協和音にできるという音の特性によって、何よりも際立っている。その特性は、この動機に、それぞれの和声 の上だけでなく、そのような和声上に生じるあらゆる主題的事象 の上に位置する可能性──常に対位法的に利用する可能性──も与える。それはまた、この動機のすぐれた利用法も説明する。譜例19音型 の三つの音のうち、二つあるいは一つ(たいていはへ音、譜例24B参照)が和声音である必要があり、その他の音は、前述のとおり不協和音として──自由掛留音として、また転過音ないし経過音として利用される──使うことができる。同様に、音型 の変イは掛留音になり得る。実際のところは、この極めて適応能力の高い──つまり最も鋭い不協和音を実際に動機化する ──動機は、ホモフォニーによっても生じるが、それ以上にポリフォニーの使用によって生じる。(とりわけ譜例20 や44、小節100 7 や9 を指摘しておきたい)。もちろん、こうした性質の主題はこれだけではない。この分析で引用された主題のうち、多くの、というか、ことによるとほとんどのシェーンベルクの主題が、その適性を備えている。私としては、少なくとも一つの 譜例でそれを示したかったので、この後に続く例でもこれを引き合いに出すつもりである。このことはあるいは、こんなふうに生まれたシェーンベルクの音楽の構造を、不協和、不調和、あるいはその手のよくある言葉で呼んでいる妄想を、ここに来てようやく論破するのに役立つ。それは、対位法的に生じるバッハの不協和な響きと同じくらい、わずかしかないのである。
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†訳注「自由掛留音、補助音ないし経過音として」──原文「als freier Vorhalt oder als Wechsel- oder Durchgangsnote」。本書における「掛留音」の意味内容については、上でも触れた。非和声音の呼び方は理論書ごとに異なるので厄介だが、この本の文脈から読み取れる非和声音の用語とその他の和声学のそれとを対比させてみると、「(自由)掛留音」→「倚音、転過音、アポジャトゥーラ」、「補助音」→「補助音、刺繍音」、「経過音」→「経過音」となりそうである。
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今度は上属調領域†から開始して(22 4 )、 譜例18からの繰り返しを大きく拡大した(23 ) 後、23 9 で歌曲の最初の部分†が再び戻ってくる。ここでも、変ト長調の主和音は、そのナポリの六の属和音(ニ音上)に直接続いている。この短縮されたカデンツ(類似のケースは例12にあり、同様のものとして、第Ⅱ音上の和音[五六の和音、ナポリの六、短七の和音、九の和音]が直接その調の第Ⅰ音上の和音に続くケースがある)は、《グレの歌》や、シェーンベルクのその後の和声に頻繁に見られる。例えば消えずに残ったままの声部のような、そのための誘因となる外的な理由がないのであれば、それは、繰り返される主和音の入りを変化させたいとか、あるいはほぼ芸術的経済性から、属和音の強い印象を繰り返すことで弱めたくないとかいった欲求から生じるのである。
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†訳注「上属調領域」──原文「Oberdominant-Region」。シェーンベルクの『和声学』(1911)に出てくる用語。22 4 からは、21 8 からの6小節が長2度上で繰り返されている。となると、「上属調領域」というのは、必ずしも上属調(Ⅴの調)だけを指すのではなく、さらにその上の属調(Ⅱの調)をも含んでいることが分かる。また、繰り返されると言っても、2回目の頭の22 4 小節だけは歌の旋律も和音も1回目とは少し異なっている。鳴っている和音はA♯m7-5で、これは2回目の調である変イ長調第Ⅱ音上の「減五短七の和音」(この本の用語では「短七の和音」)に異名同音的に該当する。1回目は第5音を下方変位しない、普通のⅡ7 であった。
†訳注「歌曲の最初の部分」──例えば三部形式の歌曲の各部を表現する場合、本訳では「第1部分」「第2部分」「第3部分」というように「~部分」という訳し方にした。《グレの歌》全体の各部を「第1部」「第2部」「第3部」としているため、両方同じにしてしまうと紛らわしいからである。ベルクも、歌曲内での段落を表現する場合は「歌曲の第1部分」のように「歌曲」を付けている場合が多いが、これも楽曲全体における部分との混乱を避けるためなのだろう。
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上述の、再び導入される第1部分(譜例16)は、今度は直ちに7 小節の形をもたらし、それから、譜例17Aから形成された経過句(24 4 ) との連結の後、ここでやっと、すなわち譜例16とは逆の 順序で、8 小節の形が続く。これは同時にオーケストラによる後奏曲であり、前の声楽パートの旋律が、弦楽器で(より正確に言えば、これもまた独奏ヴァイオリン、独奏ヴィオラ、独奏チェロで)もたらされる。この譜例の部分 がクラリネットとイングリッシュ・ホルンに引き継がれ、もう一度弦楽器独奏で繰り返されるうち(譜例20 )、 分割によって音型 が発生し、さらなる分割によって の小節の反復から成る次の歌曲への経過部が準備される。
Belebt, nach und nach steigernd. :生き生きと、少しずつ高まって。
ここで現れる掛留音 は、いっそう短縮されたホルンのパッセージ 、 、 の最後の残骸で、これもまた弦楽器の音型15 の変形以外の何ものでもなく、シェーンベルクの場合、音質と楽器の技巧への適応を通じて旋律がどのように変わるかの一例である。 (譜例20)に現れ、次の歌曲(譜例21 ) にとって重要な、何度も繰り返される主題のオクターヴ嬰ハ音もまた、先行する変ニ音(=嬰ハ音)上のオルゲルプンクトによって、またフルート、独奏ヴァイオリン、トランペットに取り上げられる変ニ音(譜例20 ) によって、準備される。最後に、主題19が (譜例20)に再び見いだされるが、その融通性がここで早くも明らかになる。というのは、それは一つの同一三和音(嬰ハ音上)の下に3通りの音域で置かれ、その和音の三つの音に適合するからである。( =)ホ音、( =)嬰ト音、( =)嬰ハ音で、ほかの音は、前述のように掛留音として(嬰ニ、重嬰ヘ、嬰ロ)、また転過音として(嬰ヘ、イ、嬰ニ)、その3度音と5度音がともかくも持続されている三和音とともに不協和音をもたらし、それが次に来るべき歌曲の開始前に非常に強い和声的緊張を発生させる。
上記において、私は、ある歌曲が別の歌曲にどのように移行する のか、支脈や動機の要素からどのように経過モデルが発生するのか、加えて、それが新しい歌曲の重要な構成要素を含んでいること、さらにはそのリズムや強弱や「主題的」音質を暗示することもまた、示そうと試みた。
Ⅲ.ヴァルデマー
再び属和音に触れることなく、今回は「短七の和音」に直接続くが、ここでの「道の短縮」は、消えずに残った嬰ハ音が引き起こしたのかもしれない。譜例21で始まるヴァルデマーの歌では、
主題のトランペットのオクターヴ( ) と譜例19から派生したオーボエと弦楽器のシンコペーション( ) 以外に、バスの主題( ) が非常に重要である。
この譜例のリズムは、先行するリズムの変移によって準備もされるし、その基礎をなしている詩の自由韻律に合わせて変化もする。それは個々の小節内のみならず、
【歌詞】Roß! Mein Roß!…… :馬よ! 我が馬よ! なぜそんなに緩慢に足を引きずるのか!/
dreiteilig…… :(小節の拍節が)3部分から成る。/
zweiteilig…… :2部分から成る。
あるときは2拍、別のときは3拍にアクセントが置かれる6 4 (または3 2 ) 拍子の小節の連なりもまた、2 4 および4 4 拍子のエピソードで遮られる。
Nicht zu rasch. :速すぎずに。/
【歌詞】Des Waldes Schatten dehnen…… :森の影が野や湿地の上に広がるのを。
譜例21 との主題的な関連は、その上に置かれた小さく彫られた五線から明らかである。譜例21と22は、歌曲の途中で極めて多様な変化、展開、結合を被る。特に29 3 、 続く譜例24と25 、32 1 と8 における主題21 。 同じように、4 4 拍子のモデル(譜例23)は、そのリズムと豊かな和声進行(何よりもそれによって譜例21とは違っている)が28 8 ですでに示されており、30 9 (31 6 ) と32 4 で変奏され、繰り返される。最終的に、譜例21と22の構成要素から発展し、31 4 で繰り返される譜例24 は、
Sehr zurückhaltend. :かなりリタルダンドして。/
【歌詞】muß ich steh'n vor Toves Tor. :私はトーヴェの門の前に立たねばならぬ。
33 で、次の、譜例19のホモフォニー形態である譜例25 を獲得する。
Breit. :幅広くゆったりと。/
Ganzes Orch. :全オーケストラ。トゥッティ。/
【歌詞】Volmer hat Tove gesehn! :フォルマーにはトーヴェが見えた!
それは、続く小節 [そのオーボエと弦楽器のシンコペーション(譜例21 からのもの)は主題19のパラフレーズ(譜例25の と比較せよ)]とともに、経過部へのモデルを形成する。この小節に含まれる主題21 の変形であるバスの動機 は、29 3 で変化した形と同じで、経過部においても保持される。これは、嬰ハ短調で書かれた歌曲が、その第2の形で表現されるホ長調へと変化するのに適応し、この平行長調は、29 3 と歌曲の終結部の登場を通じてのみならず、譜例23から形成されるエピソード、30 2 と30 9 における下属調と上属調の区切りによっても、かなり強調される。が、その一方で、30 3 と31 の、嬰ハ短調の上属調と下属調†へと向かうその2小節の和声的変化がまさにこの調を物語っており、そのためこの歌曲の調性は、ほとんど嬰ハ短調とホ長調の間を揺れ動いているように見える。これは《グレの歌》の中に何度か見られる[例えば第Ⅷ歌曲(トーヴェ)がそうで、シェーンベルクの後の作品、例えば《オーケストラ歌曲集》作品8の第5曲では、より強く、より意識的である]。
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†訳注「嬰ハ短調の上属調と下属調」──原文「der Ober- und Unterdominante von Cis-Moll」。原文どおりに訳したが、実際は30 4 は嬰ヘ短調、31 1 は嬰ト短調になるので、嬰ハ短調もその前のホ長調と同じく、「der Unter- und Oberdominante(下属調と上属調)」という順で書いた方が混乱がない。当該小節の和音はともに短調のⅡ6 5 、 減五短七の和音第1転回形(本書の用語では「短七の和音」第1転回形)である。
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譜例26の、はっきりと次の歌曲の調性であるロ長調に向かう突然の和声的変化の後、その経過部は中断される。
Blech. :金管楽器。/
Alle Streicher. :全弦楽器。/
überm :増和音†
†譜例への訳注──「überm」は「übermäßig」、すなわち「増音程の」の略。譜例に見るように、ここではロ長調のドッペルドミナント第5音下方変位第2転回形、いわゆる「増六の和音」が鳴っている。
Ⅳ.トーヴェ
譜例26に直接続く、この歌曲の開始部である譜例27では、直前の歌曲の譜例24 がロ長調の属和音上にあるのが認められる。総じて、この両歌曲は、後奏ともども、主題、拍子(前の6 4 拍子の半分が今の3 4 拍子)、テンポ(どちらも「非常に活発に」)、近親調などによって、一定の連帯性を示しているのである。このことは、《グレの歌》の第1部においてとりわけ頻繁に見受けられる。私は前奏曲と最初の歌曲の考察でそのことに触れており、またそのことは次の第5および第6歌曲でも同様に確認することができるだろう。当然、組になってある程度緊密な関係にある歌曲であっても、常に何らかの 違いはあるものだ。だが、それについては後述とする。
に続く強いカデンツを作る4小節の 、 ならびに から形成される構成要素 は、この歌曲の終結部に至るまで再び戻ってこない(40 3 あるいは40 6 )。 この導入部8小節で表現され、例外的に属和音を用いたカデンツのため、例えば36 8 の主調(ロ長調)に向かうこの後の進行のすべてで、この属和音は避けられている。
和声的に興味深く、シェーンベルクが有節歌曲的な旋律の繰り返しであってもどのように表現力を高めているのか*、その特徴的な手法とは、次のようなものである。
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*原注──ここでは《グレの歌》第3部の「農夫の歌」(譜例96)や、1905年頃に書かれた作品6の中の「誘惑」という歌曲における、似たような事例を指摘しておく。
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【歌詞】Sterne jubeln, das Meer…… :星々は歓喜に叫び、湖、それは輝き、脈打つ波を岸に押しつけ、/
【歌詞】Wetterhahn singt, und die Turmzinnen nicken…… :風見鶏は歌い、尖塔はうなずき、若者たちは燃えるようなまなざしで気取り歩き
両節とも同旋律の4小節 の後、1回目は 、 2回目は半音高く移調した が続く。これは一つの、同一の減三和音が、 と の二通りに解釈されることによって、和声的に可能となる。省略された根音変ロ音上の九の和音†としての1回目は、
によって変イ長調の強い段階的進行Ⅱ─Ⅰが生じ、根音ホ音上の九の和音としての2回目は、
のイ長調のⅤ度和音の後に──より強い 段階的進行、正格終止に適合する──Ⅰ度和音が続く。28Ⅰ に続く5小節は正確に移調され†、それに対して再び一つの同じ和音が、もちろん今回は移調されて、第2の和声連続を得る。とはいえ、実際のところは、譜例29が示すように同一の根音進行なのである。
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†訳注「省略された根音変ロ音上の九の和音」──譜例28Ⅲの減七和音が変イ長調のⅡ9 根音省略形だとすると、ニ音が半音高いが、本書ではこのように変化音を伴う場合であっても特殊な和音記号は用いていないので注意。その下の、譜例29の二つのⅢの和音も、それぞれロ長調とハ長調であるからいずれも第3音が上方変位しているのだが、表記は「Ⅲ」のままとなっている。よって、「Ⅱ9 」 と書いてある場合、そこにはさまざまな変化音を伴う何通りもの第Ⅱ音上の九の和音が含まれることになる。この表記法(シェーンベルクの『和声学』1911年に倣ったのだろう)には、和音記号を見ただけでは変化音を含んでいるのかどうかが分からないという欠点がある。
──これは余談だが、本稿のようにソフトウェアで譜例や解説を記述する場合には、このような大雑把な和音記号の方が入力が楽になるのでありがたい。芸大和声(島岡本)的な特殊な記号を多用されると、PCでの楽譜や文書作成が非常に面倒になる。
それはさておき、譜例28Ⅲの減七の和音は、芸大和声なら第Ⅲ音の調の属九の和音根音省略形(Ⅲ=C moll:Ⅴ9 =〔ト・〕ロ・ニ・ヘ・変イ)と見なすだろうが、ここではⅢの和音には進まないので、偶成和音として扱われることになるだろう。ただし、この形の非ドミナント系減七和音が主和音に向かう進行は実際の楽曲にはよく見られるものなので、このケースの減七和音を単なる偶成和音とは見なさず、「Ⅰに進むⅡ7 和音の別形態」として説明しているものもある。その一例がウォルター・ピストンの『和声法』第25章(角倉一朗・訳、音楽之友社、2006、p.395)で、これは『和声法』の増補版改訂者でもあるマーク・デヴォートが、大ガイド英訳版の注で指摘している。ピストンの本に従うならば、譜例28Ⅲは、変イ長調のⅡ7 の和音「変ロ・変ニ・ヘ・変イ」の根音と第3音が上方変位して「ロ・ニ・ヘ・変イ」となったもの(+Ⅱ7 ) が、定石どおりⅠに進んだ、と見ることになる。また、解決先を変イ長調主和音ではなく変ニ長調属和音であると見た場合、同じように根音と第3音を上方変位させた+Ⅵ7 という和音を考え、それが、これも定石どおりⅤに進んだと見ることになる。ピストンの本では、この手の減七和音はⅡとⅥでのみ使用され、それぞれⅠとⅤに進行する。
†訳注「正確に移調され」──和声進行が、である。歌の旋律も伴奏音型もオーケストレーションも、1回目と2回目とでは異なる。
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2回とも属七の和音で、根音3度下方跳躍により、1回目(A)は七の和音、2回目(B)は同度の根音省略九の和音、すなわち減七の和音へと続く。しかし、Aでの和声は維持されて留まり、Bでのそれはその先の度数和音への移行にすぎず、減七の和音のはっきりしない性格にも沿うものである。
譜例28Ⅰの先行するアウフタクト的な弦楽器の音型 は、この歌曲のフィギュレーション──特に詩節の繰り返しを豊かにし、それに新しい形を与える──として典型的なものである。分割された弦楽器と木管楽器により、主として譜例30 に示された形、それ自体が再び豊かに変奏された形 で
もたらされ、それがこの小曲全体を貫いており、音響は、主に木管、弦、ホルンに制限されることにより(1曲目の歌曲と楽器編成が似ている)、前の歌曲とは区別される。トロンボーンは歌曲の導入部と終結部の小節にのみ現れる(譜例27B)。トランペットは1箇所と、さらに主題的なエピソードの箇所(譜例31)を除いて、完全に沈黙している。
get. :分奏。ディヴィジ。/
Baßtrompete. :バス・トランペット。/
Celli. :チェロ。
バス・トランペットの主題のリズム †、繰り返される反復小節 の3拍目の、ホルンとトランペットのシンコペーションは、この歌曲のほかの箇所には現れない。このエピソードは、先行および後続部分の形式的な脈絡で考えるならば(心理学的な ものを明らかにすることは、私としては音楽史家氏に委ねたい)、もちろん暗示されているにすぎない三部の歌曲形式†の、未発達な中間部のような印象を与える。この長く、しかも有節的繰り返しがあり、すべてがその旋律から展開する第1部分は、同一の構成要素から短く作られ、「徐々に速く」で歌曲の終わりへと急速に導く第3部分(39 9 から41 ) と対立している。
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†訳注「バス・トランペットの主題のリズム」──譜例31のバス・トランペットの最初の休符と変ホ音のリズムは、自筆スコアでは付点8分休符+8分音符、ベルクのピアノ伴奏版では8分休符+8分音符、彫版フルスコアでは付点8分休符+16分音符となっている。自筆スコアは明らかに誤り。ベルクは休符ではなく音符の方が正しいと判断して、ピアノ版で休符の付点を削除したのだと考えられる。ところが、彫版フルスコアによれば、付点8分休符の方が正しくて8分音符の方が誤りであった。ここのバス・トランペットの楽句は、付点8分音符+16分音符のリズムが目立つことからも、最初も16分音符の方が統一感が出るだろう。ただし、上の譜例31はベルクが書いたとおりに打ち込んであり、正解であろう彫版スコアと同じリズムにはしていない。
†訳注「暗示されているにすぎない三部の歌曲形式」──ベルクの分析によれば、この歌曲の第1部分は34 3 ~39 1 、 第2部分は39 2 ~39 8 、 第3部分は39 9 ~41 1 となる。そうすると、1:49小節、2:7小節、3:13小節ということになるので、各部分の長さはかなりアンバランスである。
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続く後奏は、ここでようやく再奏される譜例27( ) の続きのようなものである。43 1 のクライマックスは、すでに42 3 でほのめかされた譜例21の主題 をもたらす(トロンボーン、ホルン、ファゴット等)。これは今初めて元の形で再登場するもので、それゆえ強弱のみならず、前述のごとく、しばらく譜例25 のホ長調の形( ) によって押しのけられた後という、直近の2曲内での登場位置によっても、非常に強い効果を上げる。この主題(21 ) の、次の歌曲の属和音であるイ長調主和音上での拡張の後、譜例32が続く。
これは、譜例25 の2小節を拡大敷衍することによって生じた新しい形──移行形──である。
Ⅴ.ヴァルデマー
この──基本的にはまたもや三部構成を取っている──歌曲は、次のような旋律をもたらす。
Mäßig bewegt. :適度に活発に。/
【歌詞】So tanzen die Engel…… :天使たちは神の玉座を前にして踊らない、今、世界が私の前で踊っているようには。(彼らのハープの音は)快く響かない
これは、48 9 の終結部で元の調で戻ってくるよりも前、さらに先んじて第3部分であるかのように出てくるのだが、そのときは調性的に外へと連れ出されるニ長調のナポリの六上(48 1 ) に現れる*。その間にあるものは、やはり明確な中間部と見なすことはできず、むしろ完全に旋律的なものから展開した第1節の続きである。その展開は、ここでは譜例33の の変奏によって行われ、また常に異なる形を取っている、譜例33 でリズムに発生したアウフタクト の影響下で、新しい楽節や楽句を形成する。例えばこのような。
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*原注──これは同時に、(すぐ前の歌曲でも強調された)より高いレベルでの繰り返しによる表現の向上にほかならない。それに続く元の形での繰り返しは、しかし、かなり長いこと欠けていて、ようやく戻ってきた主和音の和声的支配力がその中で印象的に働くため、効果の衰退にはならないのであり、《グレの歌》によく見られる現象なのである。
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先行するリズムの縮小から譜例34 が生じる(譜例34Aの =譜例34Bの )。
から発生した小さな動機 には、それを素材として生まれる譜例34Cの主題 や、
その後の重要な旋律の萌芽がある。譜例34の †、譜例34Cのアウフタクト の新しい形は、しかし、先の譜例34AとBのアウフタクト と類縁関係にあることに加えて、譜例33 の最初の小節にほかならず、同時に1小節前に入っている †の模倣なのである。それはクラリネットと弦楽器によってもたらされ、同じ楽器が割り当てられた譜例33の の箇所を想起させ、ゆえに上で触れた最初の節の繰り返しへと導き戻す。
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†訳注「譜例34の 」 ──この部分は、記述ミスまたは印刷ミスと見なして削除してしまった方がよいように思う。譜例34はA・B・Cと三つあるのにその指定がないこと、また は「譜例33 の最初の小節にほかならず」という記述と一致しないことが、その理由である。
†訳注「1小節前に入っている 」 ──ベルクが「 の新しい形」と書いているのは、どうやら譜例34Cの2小節目の方を指しているようだ。その「1小節前」から始まる の内部に指摘されている の方は、「ここに次の小節の の模倣元がある」ということを示したのだと思われる。
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以上に対し、ほぼ直接次の歌曲
Ⅵ.トーヴェ
が続く。これは、調性だけでなく、長調短調間の調性の揺らぎについても、前曲と共通する(前曲のニ短調の箇所46 7 も参照)。偽終止的な開始部は、それにより少し前にかなり強調された主和音が再び先送りされ、
und folgende Hrmonien folgen :そして次の和声が続く。
‡譜例への訳注──譜例35は底本のママとしたが、最初の和音記号「Ⅴ5 」 は「Ⅴ9 」 の誤りであろうか? また、「Ⅰ4 6 」 は、数字を入れ替えて「Ⅰ6 4 」 とした方が自然。上の譜例26の増六の和音も同じように「Ⅱ4 3 überm」 とする方が抵抗がない。
ニ短調の4度上の6の和音へと導く(譜例35b)。Ⅴの2回目、属和音を反復する減七和音が、(またもや偽終止的に)ニ長調のⅣ度和音dに続き、そしてここで 初めて、四六位置の主和音へのプラガル終止へと続くのである。歌の中 (51 3 短調51 4 長調、51 8 と51 9 では逆順)でもこの短・長の変化が生じ、しかも2回とも正格 終止に従い、それでⅠ度上の和音に向かっている。しかしながら、その主和音は毎回異なった転回形で現れる。上の四六の和音の後に来るのは、51 3 では基本位置の和音、51 9 では六の和音、52 7 では通りすがりのように(ニ長調にはまったく属していない)五六の位置の和音で、最後にもう一度、ここでやっとオルゲルプンクト上の基本位置†が来る。ところが、この和声の転回形における豊かさ、和音や和音進行の繰り返しの際のさまざまな形態は、ほとんど必要とされることもなく、通常は無頓着に聴き過ごされてしまう。旋律の上に張り渡された、ことわざにもなっている大きなスラー†が、それがたまたま楽譜に彫られているのを見なければ、通常は聞こえないのと同じようなものである。つまり、これがこのトーヴェの歌が広く知られるようになったこと†に一役買った特性であるとは言えないし、また例の、「以前はシェーンベルクの芸術に拒絶的な態度を取っていた」人々の承認をもたらした特性であるとも言えないだろう。まあそんなものは却下されるべき承認ではある。それは彼らの謙虚さを表しているわけではないし、ほかの芸術作品の美しさは否定してもよいという自由特許証によるようなものだからである。──私はむしろ、この歌曲の喜べない人気の理由は、その中にあるシンコペーションや減七の和音に求め得ると推測している。かと言って、これらの手法に反対しているというのではなく、これらの好まれる手法が芸術的 手法なのか窮地的 手法なのかを区別することへの大衆の無能力のことを言っているのである。シンコペーションが──時代後れのサロン用ピアノ曲においてのように、しかし時には「最も現代的な」オーケストラ音楽においても──生命力のない 塊の中で動きを装い、ポリフォニックな運声法を避けるためにそこにあるケースなのか、はたまたシンコペーションが──トーヴェの歌においてのように──有機的な構成要素を形成し、それゆえに歌曲全体を通して主題的に貫かれ、その旋律の生命に伴う脈動のように、それなしでは考えられないケースなのかを判断することへの。
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†訳注「オルゲルプンクト上の基本位置」──ニ音のオルゲルプンクトが始まるのは歌唱パートの最終小節からなので、そこ(53 7 ) を指しているのだろう。
†訳注「ことわざにもなっている大きなスラー」──原文「sprichwörtlich gewordenen weiten Bögen」。どんなことわざなのか不明。ご存じの方はご教授を。
†訳注「トーヴェの歌が広く知られるようになったこと」──ベルクが本書を執筆していた1912年の年末から1913年の初頭(《グレの歌》初演直前)の時点で、すでにこの「トーヴェの歌」が世の中に広まっていたことが知られる記述である。《グレの歌》は、初演前から、部分的にピアノ伴奏版が実演や楽譜でちらほらと世に出ていた。よく知られているところでは、1910年1月14日夜、二人の歌手と二人のピアニストによる〈アーノルト・シェーンベルクの新作〉演奏会において、《架空庭園の書》作品15、《三つのピアノ曲》作品11、作品6と作品2からの歌曲計5曲などとともに、《グレの歌》第1部全曲がピアノ伴奏版で披露されていた。この日は今挙げた順、すなわち新しいものから古いものへの順で演奏され、最後の《グレの歌》第1部は、歌曲部分は伴奏者一人と歌手二人、器楽のみの冒頭の前奏曲・歌曲間の間奏・「森鳩の歌」前の間奏曲は最大2台ピアノ8手(それらの部分にはもう一人のピアニストと、さらに二人のエキストラが参加し、エキストラの一人は8手用の編曲も担当したヴェーベルンである)での演奏であった。このときトーヴェと森鳩を歌ったマルタ・ヴィンターニッツ=ドルダと、ヴァルデマーを歌ったハンス・ナーホットは、1913年2月の全曲初演でも同じ役で参加している(森鳩は別の歌手)。楽譜の方は、ベルクのピアノ版から編まれた当歌曲のピース(UE5331)は1914年出版なので、初演よりも後になる。初演前に世に出た当歌曲の楽譜としては、雑誌「ムジーク」(第34巻Ⅸ年7号=1910年1月号第1←1月上旬号ということ)の付録に付いていたピースがあった。そのピースはシェーンベルク自身が書いたピアノ伴奏版だが、ベルクの版とはごくわずかな違いしかない。ただ、「ムジーク」付録の方は曲を終えるための小節がなく、スコアの54小節目でぷつりと切れてしまっている(最後の小節には「etc.」と書いてある)のに対し、ベルクのピースの方は原曲にはない終結部が付いている。ベルクの歌曲ピースは第1部Ⅴ・Ⅵ・Ⅸ・Ⅹの4曲あり、このうち、第1部の終曲ゆえオリジナルの終結部を持つⅩ(森鳩の歌)はそのままで、あとの3曲はシェーンベルクの指示に基づいてベルクがそれを書き加えている(往復書簡によると、これらの終結部はほぼシェーンベルクが作ったようなものだったらしい。下の解説【成立について】も参照)。……ヴェーベルンやベルクがピアノ編曲用にフルスコアとともに利用したシェーンベルク自身によるピアノ版(初期の、各歌曲が独立している楽譜とは別の、現行の《グレの歌》と同じ内容を持つピアノスコア)は、現在は行方不明になっているという。上記「ムジーク」版はその一部の生き残りということで、貴重なものと言える。
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【歌詞】Nun sag ich dir zum ersten Mal…… :今、私はあなたに初めて言います。「フォルマー王、愛しています!」と。今、私は初めてあなたに口づけして、あなたを腕に抱き締めます。
上記の譜例36と次の譜例における減七の和音の使い方も、この和音が人気を得たケースとは非常に大きく異なっている。すなわち、そこでのその和音は、その──かつてシェーンベルクが呼んだような──「取り替え子†」の性格を濫用するため、和声的な進行があまり明白でないような至る所で身代わりに立てられるのである。しかしここでは──そしてあらゆる時代のあらゆる傑作においては──、シェーンベルクの『和声学』の解説に適合する度数 があてがわれ、その和音は和音大家族の構成員であり、その血縁なのである。しかし、それはあまり意味がないだろう。特に、そのような和声的な──また人間的な──関係を否定することが現代的であると考えられている時代には。そのような時代にあっては、──(まず逃れられない)俗物性への不安と、和声的な──また人間的な──血縁が必要とする連帯を把握することができないことから、──それらの否定者がもっと楽に装える能力を得ようと努力され、選択 によって、血縁 が存在しない場合でも親族関係が生じてしまうのである。常に言及されてきた和音の親和力──比喩を続けると、魂のそれ──を、自分たちが嘲笑する血縁関係と同じくらい理解していないことなど、考えることもなく。前者の感覚を持つ者は、後者にも敬意を払うだろう。そして──やっと和声に戻るが──、シェーンベルクのように、その関係性、調性の大家族に属する和音を徹底的に汲み尽くした人であって初めて、それを超えた新しい親和力や、まだ聴いたこともない和声も含め、信用してよいのである。しかし、そのほかの人、調性──彼らが理解せず、そのため順応することができなかった──から、すでに一度言及した「現代性」へと逃げ込んだ人のことは、信じるべきではない。それは新しい手法による欺瞞であり、古い手段でそれをすること──減七の和音によるような──と同じようなものである。
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†訳注「取り替え子」──原文「Wechselbalges」。悪魔、魔女、妖精、トロールなどにより、人間の嬰児と取り替えられた醜い魔性の子。ヨーロッパの伝承。大江健三郎にこのタイトルの小説があり、またマンガやアニメでは、ドイツ語や日本語よりも英語の「チェンジリング」がよく見られる。
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譜例37は、譜例36の和声的解釈を対応するポイントc、d、f、g、h、iで示したものである。ここでの減七の和音は常に根音が省略された九の和音に還元されるが、この解釈は、譜例35においても、同一の減七の和音が、実際の根音の響きが混じるaで1回、根音なしでの同じ変化(c)がさらにもう1回、初めに言及したト調和音への偽終止(bとd)へと続くことによって、証明されていると言える。第2の変化、譜例36と37のcからfまでは、先行する変化の段階的進行の繰り返しである。同じように偽終止的にもたらされる でのⅣ度上の和音だけは、今度はそれが減七の和音として現れる。この変奏 を利用して、別の根音嬰ハを下に置くと、それによって生じる七の和音(h)はロ短調のドッペルドミナントと解釈できるが、それがそのニ長調の並行短調の上属和音へと誘導する。かくて、この転調は、実際は単一の和音(d=f)の変奏にその力を負っているわけである。これらは確かに、繰り返しの間にその通常の変化の性格を完全に失っている。が、それ以上に、(iでの)嬰ヘ音上の2度目の終止が、eでのニ音上の四六の和音への最初の終止の鏡像のように現れているのである。これは韻を音楽に移したものだ。その感覚は、言葉での響きの調和よりもさらに深いものであり、別の方法ではほのめかすしかないものを、ここでは音で述べているのである。
譜例36で という印を付けられた音型は、 では声楽部を書き換えただけで、 と ではもう固有の形で登場しているが、そこから、独奏弦楽器が、第2節で入る伴奏動機
の影響下で展開し、有機的なシンコペーションのリズムも維持する譜例39の音型 や、 の拡大形のように現れるチェロの指導的な内声部( ) へと発展する。
【歌詞】Und sprichst Du…… :するとあなたは言うのです、それは私が前にも言ったことだし、私は口づけをかつてもあなたに贈っていた、と
‡譜例への訳注──譜例38の「Gg.(ヴァイオリン)」は、独奏ではなくトゥッティである(ただし分奏)。よって、上の本文の「der Solostreicher=独奏弦楽器(奏者)」は、譜例38ではなく譜例39の「Solo Str.」に対応していることになる。譜例39 は、独奏ヴァイオリン、独奏ヴィオラ、独奏チェロによって弓奏され、木管は加わらない。であるならば、原文どおり「独奏弦楽器が」「展開し」「維持する」(譜例39の音型 ) という主述関係で訳して問題はない。本書の新版(UE30440)や英訳(二つとも)では、本文に余計な加工が施されており、「独奏弦楽器」の読み取りに混乱が見られる。
しかし、これは譜例34Cの、ヴァルデマーの言葉「死者たちの同盟への道を魂が獲得したいと憧れるのも、私がおまえの口づけに憧れたのには及ばない」の箇所のホルン主題の変奏にほかならず、これはそこで最初の 展開があったのだが、この後(譜例56-58)さらに大きな意味を持つことになる。以上の事柄をもって、私は、1音程だけを含む新しい1旋律の1小節から、書き換え(譜例36の ) や伴奏の動機部分(譜例38)との結合を経て新しい音型(譜例39 ) へ、ついにはその拡大から一つの主題が生まれるが、それはすでにかつて最小の動機から形成されていたものであって、そこから再び作品全体にとって重要な主題が展開していく様子を、少なくとも一度は示したかったのである。続く譜例40と41も、歌の過程で発生する動機的素材からの、一つの、また同一の主題の展開──より適切な言い方をすれば、後退──を示している。これは譜例36の主題 であり、10度跳躍の有無にかかわらず、この次で、極めて多様な結合で繰り返される(譜例43も参照)。それはこの主題の、トーヴェの動機としてのその性格だけでなく、譜例19で示したような、経過音、転過音、掛留音によって変形自在なその形にも起因する。この主題、並びに譜例36の全旋律、それにこの先の直近では譜例60のヴァルデマーの言葉「不思議なトーヴェよ」の箇所には、シェーンベルクの旋律法──特に後の作品のそれ──に特徴的な、大きな音程が見られる。
そういうわけで、ここでの動機 の繰り返しから形成されたこのトーヴェの主題のアウフタクト は、先行する有機的シンコペーションの から生じている。しかし、その続きの が示しているように、このようにして入ってきた主題は元の形にまで至ることはなく、2回目の、同じく属和音上で入ってくる箇所で初めて至るのである。譜例41。(譜例107ⅠAに似た例が見られる)
譜例34Cの から導き得る先の譜例41の は、下向きの音符 が示すように、それに続く形が準備され、小節内の交替する和声に応じた二つの変奏 と でもたらされる。 のさらなる変奏が を生み、その拡大が再び、今度は完全な形で属和音上にもたらされる主題36 のアウフタクト を生み、それに対して偽終止的に元の形でのこの主題が続き、その3小節目は次のような旋律的変奏を被り、
【歌詞】(Die)weil ich deiner gedacht :あなたのことを思っていた間に
同時にこの歌曲に特徴的な長調短調の下属和音間の交替を、今回は半音階的にもたらす。
譜例36の主題Aは、今度はこの歌曲の後奏で、オルゲルプンクトのニ・イの2音に応じて、主調と属調の形で(前者は元の音価 で、後者は拡大した で)ストレッタで現れる。
Figurationen :装飾音型。フィギュレーション。
の箇所では譜例33の主題Aが同時に響くが、このような手法で対になった両歌曲の最も重要な主題†を統合しているのである。
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†訳注「対になった両歌曲の最も重要な主題」──これらは、譜例63・69・74や第3部「夏風の荒々しい狩り」において、「トーヴェの主題」「ヴァルデマーの主題」と呼ばれている。なお、上の譜例は小節番号が紛らわしいが、3小節目から1小節目に戻ると見ればよい。4小節目は54 4 ということになる。
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ここに持ち込まれたオルゲルプンクトは、前述の、およびこの後に続くすべてのものと同様に、純粋に和声的な性質のものである。その上で起こる主題的・和声的事象は、それがなくても妥当性を持ち、対位法は、延ばされた音との調和にあるのではなく、対位法的に導かれた声部の調和にあるのである。それとは対照的に、新しいイタリア音楽から取られたと思われる、あの例のオルゲルプンクトと、延ばされ、たいていはトレモロで奏される声部†──これもまた芸術的手法を窮地的手法にする──は、和声的平穏退屈を覆い隠し、不可能な対位法を可能にするためにあるのである。
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†訳注「新しいイタリア音楽から……たいていはトレモロで奏される声部」──誰のどのような作品を指しているのかは不明。シベリウスのことかもしれないが、そうだとしても「新しいイタリア音楽」の方は分からない。見当が付く方はご教授を。
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オルゲルプンクトを抜けると入ってくる、特に音色的に 目立った性格のエピソード
が、主題19の を再びもたらす。それを締めくくる主和音には、音を延ばしたクラリネットとファゴット上の、フルート、ハープ・アルペジオによる減七の和音が続くが、今回はこの和音の、和声的に不確定な性格を利用している──単に音響的には、むしろこの歌曲の、再び巡ってきている和声動機のようである。
Ⅶ.ヴァルデマー
この(ニ短調で書かれた)歌曲を導入する譜例45は、非常に重要なチェロの主題 のほか、ハープ、2挺のコントラバス独奏のフラジオレットでもたらされるシンコペーション が、その直前の、議論された減七の和音に伴うバスドラムと(トライアングル・ビーターによる)シンバルのppの打撃を継続するように拾い上げ、その不確定な響きを明確なピッチに置き換える。
この第1部における三部構成の大規模な歌曲に登場する、さらなる新しい主題は次のとおり。
【歌詞】Es ist Mitternachtszeit…… :今は真夜中、不吉な一族が、忘れられ、崩れ落ちた墓から立ち上がり、
【歌詞】Und der Wind schüttelt spottend…… :風は嘲笑しながら、ハープの音とグラスの音と愛の歌を、彼らに向かって低く震わせる。
譜例46Ⅰは、《グレの歌》第3部の1 と29 まで再び登場しない。譜例46Ⅱの は、リズムが変化した譜例19であり、これは元の形のまま歌曲の中間部59 7 にも現れる。 は次のカデンツを作る形、譜例47 を取り、それが移行と終止に使われる手法において、譜例14を思い起こさせる。†
【歌詞】Und sie schwinden und seufzen…… :彼らは消えながら嘆息する、「我らの時は過ぎ去った」と。/
verm.7-Akkord enharmonisch verwechselt :減七の和音の異名同音変換。/
authentisch Es :変ホ長調の正格終止。
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†訳注「……譜例14を思い起こさせる」──上記譜例14付近の訳注参照。ここは、譜例14やこの後の譜例69に比べると、ほかの楽器による和声も付いているし(D7sus4→D7)、旋律を集団で奏でている点が異なるので、一見あまり似ているようには見えない。しかし、旋律が移行と終止の役割を担い、後半が九の和音ないし減七の和音の分散和音になっている点は、確かに似ていると言える。譜例47 は、このオリジナルの箇所よりも、むしろ第3部で使われている箇所の方が旋律のみになる部分が多く、譜例14や譜例69により近くなっている。
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この譜例の下の小さな五線に置かれた和声は、四つのモデル 、 、 、 のそれぞれの の箇所で、すでにしばしば言及した「短七の和音」が現れることを示している。詳しく言うと、 では3回連続で、 では(変ロ上の)短調の三和音に新しい根音(ト音)を加えることによって発生するかのように、 では「トリスタン和音」の本来の処理†で(先行する短七の和音と同度の位置にある減七の和音に解決する)、最後に では旋律的に 輪郭を示している。このように、それぞれ異なる構成要素から成る一見脈絡のない モデル群 は、唯一の 動機、ここでは一つの和音であるが、その動機によってまとめられ 、そのためにそれぞれがある同じ思考の一つの変奏 と見なすことができることから、先行するものの極めて自然な継続を形成しているのである。この和音の関係に加えて、 と の間には主題的な関係もある。その両方に譜例45の二つの要素が広がり、重なっていたものが並置に変わっている。 では、今回は弱音器付きトランペットでもたらされる譜例45のオクターヴ が響き、その次の では、同じ譜例の主題 をコントラファゴットとコントラバスが担当する。ただし、 と が合成された短縮形で、である。この三部形式の歌曲の第3部分での繰り返しでは、この部分が元の形のまま現れ、しかもかなり長くなっている(63 8 -64 5 )。 ついでながら、第1節に付曲されたほかの主題(譜例45と46)も、繰り返しでは変更される。
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†訳注「「トリスタン和音」の本来の処理」──実際のトリスタン和音「ヘ・嬰ト・ロ・嬰ニ」は、「ホ・嬰ト・ロ・ニ」のイ短調のⅤ7 に進んでいる。これをベルクの言う「本来の処理」に当てはめてみると、①トリスタン和音を異名同音で読み替えて「ヘ・変イ・変ハ・変ホ」(短七の和音)、②aそれが同じ根音上の九の和音根音省略に進んで「(ヘ)・イ・ハ・変ホ・変ト」(減七の和音)、②bそれを異名同音的にロ音上の九の和音(根音省略)と見なして「(ロ)・嬰ニ・嬰ヘ・イ・ハ」(減七の和音)、③それをドッペルドミナント系減七の和音と見なして属七の和音「ホ・嬰ト・ロ・ニ」に進行した、といった具合になるだろうか。実際のトリスタン和音では、②abが省略されている、ということなのだろう。ただ、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲では根音が①ヘ→③ホ、《グレの歌》のこの箇所では根音が①ト→③変ホと、前後の音程に1全音半の差がある。しかし、②bをロ音上ではなく変イ音上の九の和音(根音省略、減七の和音)と見なせば、上の例と同様に長3度下の主和音(変ニ長調)に進むことも可能になる。
ベルクの言う「本来の処理」が当たっているとすると、楽劇の前奏曲冒頭のトリスタン和音は、根音がへ音の(減五)短七の和音を含む調、すなわち第Ⅱ音がヘ音の調である「変ホ短調」に由来する、ということになるだろう。イ短調からずいぶん遠い調なのでにわかには信じられない気もするが、シェーンベルクの『和声学』(1911)第14章の「増五六、三四、二、6度の和音、その他の浮遊和音」の節には、イ短調と変ホ短調には意外と共通の和音があるため、「トリスタン和音」に対するそのような解釈も擁護可能であることが書かれている。
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【歌詞】Und umgehn werd'…… :私はさまようことになるだろう、真夜中時に、いつか死んだように……
譜例48は譜例45の変形であるが、そのハープとコントラバスのオクターヴ音
は、今度はゲシュトップ・ホルンが吹奏する。コントラバスの主題
は、譜例45
内の
の(また違った形の)短縮形である。加えて、48
の、ティンパニとピチカートのチェロが新しいリズムでもたらす和声は、これまた
短七の和音 ──ただし不完全
ホ ニ 変ロ (ト)
──となっている。
譜例46Ⅱの変更は次のようである。
【歌詞】Werd' eng um mich das Leichenlaken…… :死のシーツを我が身を包むようにきつく巻き、冷たい風に向かって
比較すると、両小節の半分の交換が行われ、今回、前の部分に移動させられた半分( ) は、そのうえ異なる形を取っている。そこから
【歌詞】Und weiter mich schleichen im späten Mondlicht :さらに深夜の月光の中を忍び歩き
が生じ、半分の小節の拡大からまったく新しい形・譜例50( ) が生じ、
【歌詞】Und schmerzgebunden…… :苦痛に縛られ、重い墓の十字架でおまえの愛しい名前を地面に刻んで/
ausdrucksvoll :表情豊かに。
その直後に、先ほど触れた の拡大形を伴う譜例47が続く。
これら外側の部分の間に歌曲の中間部があり、その中で譜例51
【歌詞】Mein Haupt wiegt sich auf lebenden Wogen, :私の頭は生命の波の上を揺れ動き、
から始まる旋律が、有節的な繰り返し60 の後で自由に展開し、「今こそわが時」という言葉の箇所の異なる展開がクライマックスを築いて、そこからこの歌曲の第3部分(譜例48)へと戻る。この中間部を導入するモデル、譜例51 は、この歌曲の終結部64 6 で繰り返され、その誘導的性格を利用して、すぐ次の歌曲への急速な移行に使用されている。
Ⅷ.トーヴェ
この歌曲の形式は、先行曲とは非常に異なっており、何らかのほかの──古典の、また現代の──形式にその起源を求めることは、ほとんど不可能であろう。それは実際のところ必要ではない。ここでは二つの歌曲の結合の問題なのであり、その一方がある意味もう一方の達成であることが初めから認められるのならば。ここでそれは、私が常に避けようと努めていることなのだが、心理学的な意味で語られるべきではなく、──どこであってもそうであるように、たとえ私が比喩を使って話す場合でも──純粋に音楽的に語られるべきである。つまり、両方の歌曲構成部分の間には主題的な 関係はほとんどないが、その和声的な 構造が間違いなく同属であることを証明しているのである。歌曲の第1部分では、浮遊状態を維持するように常に期待されるト長調は、歌曲の第2部分になってやっと明確に登場し、そこで「成就」されるのである。歌曲の第1部分では、このト長調の代わりに、偽終止的に使われるホ短調の属和音が常に 現れるが(譜例52 、67 9 -68 0 、1 、2 、3 、 さらに譜例54 参照)、和声的に浮遊している譜例52のモデル がすでに示しているように、ホ調もはっきりとは確立しない。同譜例のホ長調の箇所 や、属和音(ロ長調主和音)で始まるこの歌曲の第1部分中間部(譜例53)が、確かに後者の調性であることを物語ってはいる。しかし一方では、すでに述べた、しばしば繰り返される属和音、および第2部分の開始を形成する第1部分の終結部(譜例56)での最終的な主和音固定の結果として、ト長調の効果の方が、ホ短調をこの歌曲第1部分の調性と呼び得ることよりも、強すぎるのである。そういうわけで、第Ⅲ歌曲(ヴァルデマー)のような浮遊する調性の、そこよりもいっそう強く表現されている例が、ここに再び見られるのである。かくて、歌曲第1部分の和声的な事象はもう一つの部分のそれ抜きにはほとんど考えられないのに対し、両者の主題的な 構造の方は容易に切り離して 考えることができる。歌曲の各部分は、それ自体でも三部形式の歌曲を形成しているが、第1部分は確かに──第2部分との接続のために──、繰り返しの譜例54とその続きの譜例55のやや自由な処理を伴う。
【歌詞】Du sendest mir einen Liebesblick…… :あなたは私に愛のまなざしを送り、目を伏せます、それでもそのまなざしは私の手の中にあなたの手を押し当て、その圧力は消え去ります。それでも愛を呼び起こす口づけとして、あなたは私の繋いだ手を私の唇の上にあてがいます。あなたはなおも死のためにため息をつくことができるのですか/
3 mal :3回。/
sehr zart :非常に繊細に。
譜例52 の中で の印を付けられた掛留音は、さらなる旋律的展開にとって重要である。ことによると、この短2度進行から、 の大きな旋律全体と、それに続くすべてを導き出すこともできるかもしれない。しかし、そのようにして生まれる分析は、あまりにもくどくなりすぎだろうし、またあまりにも些事にこだわりすぎた、偏ったものになってしまうであろう。私がそのことを指摘して、より大きな 、ことによるとその極小の動機に還元できるかもしれない楽節と楽句の関係を詳しく検討すれば、それで十分、ということになればよいのだが。特に、 にある からの変奏の関係である。より正確に言うと、 の5小節は の7小節に対応している。数学的に表現すればこうなる。
この見かけはひどく単純な旋律が、これほど複雑で、ほとんど謎めいた構造を持っているのはなぜなのか(などと問うのは、上の曖昧さのない方程式が、その旋律の曖昧さを論じ尽くしていないことは、私としても十分承知しているからだ)。その理由は、もしかすると小節 と の、小節 への収縮にあるのかもしれない。それにより、かつては8小節( ) の最初の小節( ) だったものが、その8小節の最後の小節( ) において続く楽節( ) のためにアウフタクト的に加えられるだけでなく、この の収縮によって生じた の倍増した和声の交替が、続く半小節(2 ) の和声を依然として要求する。そのようにして生じる和声のずれは次の小節( ) まで維持され、直後の小節( ) で最初の性急さが遅滞によってようやく改められ、再び均一にされる。 から への収縮[先の = + (または + ) と似ている]は、この和声的性急さの罪を犯しておらず、それゆえ前に含まれていた半小節[2 (=2 )] (ちなみに属和音だ)は、今回は最後の4分の1( でのように)ではなく、次の小節( ) の最初の拍に続き、それに応じて主和音は3拍目に続く。そう、 での偽終止に続く も、和声的 には、 での偽終止に続く、 の後の の変奏にほかならないのだ。さらに、この は、前のものとの主題的な 関係に満ちている。 の上昇する8分音符( ) は の4分音符に等しく、続く( ) のモルデント的な音型は、 の同じ音型の逆行的 反行形で、またしても の収縮した 反行形である。次の歌唱パートの6度跳躍におけるリズム( ) は、 における5度跳躍のそれと同じようなものである。 の繰り返し、半分割、その一方の半分( ) の保持、そして のさらなる分割と、67 4 でのモルデント的音型──この音型自体が、これまた続く中間部(譜例53)の主題のための模範となるのだが──の保持によって、この技巧を凝らして作り上げられた旋律が続いていく。これは、その極めて多種多様な構成要素にもかかわらず、分かちがたく統一された全体を形成しており、私がそれについて分解しなければならなかったのも、ただ外面的な構造の説明を可能ならしめるためにほかならない。というのも、この学識を通じても、このような旋律、その生命、その不断の展開の真の 本質には一歩も近づけないことを、私はかなりしっかりと心得ているからである。それは例えば、自然科学が、自然、その生命現象、生殖、遺伝等の十分な知識があっても、真の本質については少しも分かっていない のと同断である。しかし、この旋律のようなものを内臓に至るまで 調べ上げることを通じても、芸術作品や自然の真意を把握することは不可能であるということのために、少なくとも私は専門家や学者とは異なる。つまり私は初めからその不可能性を認めているのであり、自分の学識によってこれらの作品の魂 を否定する結論を出したりはしないのである。私の言葉など誰も信じないかもしれない。なぜなら、これらの旋律を一度でも聴いた者は、私の言葉をすべて忘れ、ただその魂を感じ取るだけになるだろうからだ。
Etwas langsamer. :やや緩やかに。/
【歌詞】Die leuchtenden Sterne am Himmel droben…… :空の高みで輝く星たちは、夜が明けるときには、輝きが薄れるでしょうetc.
第1ヴァイオリンが奏する歌曲第1部分中間部の旋律( ) は、その直後に入ってくる同じ旋律 に厳密なカノン形式で伴奏される。その冒頭には、すでに触れた先行のものとの主題的な関係のほか、動機的な短2度音階 も示されているが、今回の嬰ニ音は主和音の掛留として出されるのではなく、三和音の第3音としてである。短い経過句の後、再び「最初のテンポ」68 をもたらし、次の、常に短3度上がりながら3回繰り返される形で、ほのめかされた歌曲の第3部分が続く。
Bewegter, steigernd. :より活発に、高まって。
【歌詞】und wenn du erwachst :そしてあなたが目覚めたときは
譜例55の で の拡大形のような連続音型が現れ、それと同時に直ちに譜例36 の主題の開始がもたらされ、ここではそれとともに動機的な半音階が新たに展開したのである。
この主題が新しい動機からこんなふうに再生するのと似たケースを、私はすでに何度か言及した(譜例40、41)。こういうことはほかの多くの主題でも何度も起こっており、ということは典型的なシェーンベルクの芸術的手法と見なすことができるわけで、当然、意識的に用いられるのと同じくらい頻繁に無意識的にも用いられる。
譜例39 ですでに一度再生した 譜例34Cの の主題が、今度は、すぐ前のものに引き続き、独立した、指導的な、自由に展開した、歌曲第2部分声楽パートの旋律として現れる。
Sehr breit. :かなり幅広く。
【歌詞】So laß uns die goldene Schale leeren…… :だから金の杯を飲み干しましょう、力強く飾り立てている死のために
これに続く節は、私としてはこの三部形式の歌曲の中間部と呼びたいのだが、譜例56の声楽パートが変化した旋律と、譜例56と57の動機 を用いたその不断の展開をもたらし、それは第3部分の開始(譜例58)にまで至る。
【歌詞】Denn wir gehn zu Grab…… :私たちは至福の(口づけで)息絶える微笑みのように、墓に赴くのですから
この中間部には、譜例52 の、歌曲の第1部分の動機的な2度進行、この両部分間の唯一の旋律的関係が、 で入ってくる。最初の、より伴奏的な3連符 に由来する中間部 が、主導的な旋律56 あるいは57 の変奏的縮小のように現れる。
オーケストラだけで奏される第1部分の繰り返し(譜例56)は、一種の後奏曲で、新しいカノン形式と旋律の組み合わせが見られる。
譜例56主題 の3回の呈示に、譜例52 の動機的な短2度進行と、前述のモルデント的音型(譜例52 ) から成る1小節のモデルが58 で続き、それが今度はヴァイオリンが変ホ長調で奏する主題、譜例52 の呈示に向けて転調してゆく。ここにも現れるモルデント的音型を再び取り上げつつ、次の歌曲への移行的経過句を形成する。
この譜例の上に付けられた括弧には、モルデント から推移によってどのように3音符の動機 に分岐するかがはっきり示されている。それは、その次の6 8 拍子の小節で拡大され( )、 次の歌曲の主要動機、譜例60 を生み出す。しかし、この推移によって4 4 拍子は完全に輪郭がぼやけ、6 8 拍子を介して3 4 拍子に置き換えられる(譜例60)。
Ⅸ.ヴァルデマー
この歌曲は、またしても三部構成である。次の表が示すように、その構造はほぼシンメトリックである。
第1部分
譜例60A、a1・a2から構成される
…………………
譜例60B(b1 + b2)
………………………………
譜例60C、a1から作られる
…………………………
譜例60B(2回のb1 + b2)
…………………………
第1部分の繰り返し
譜例61 1回
……………………………………………
譜例60B(b1のみ)
…………………………………
譜例60A(a1・a2の延長)
…………………………
この短い歌曲は、多くの繰り返しにもかかわらず、多様性に富んでいる。それにより、特に和声関係では、かなり頻繁にもたらされる主題60 が異なる音度、例えば、その最初の繰り返し75 8 では、変ホ長調の和声的低音上ではなく、長和音的に実施されたト音のオルゲルプンクト上に現れるのである。同様に、譜例61[ちなみに、主和音が基本位置に現れる唯一の ケース]は、その繰り返しの79 9 では、同じ調ではあるものの、譜例61で与えられた形とは異なるし、さらに こちらはオルゲルプンクト上でも あるのである[変ホ長調の属音変ロ音上]。この変ホ長調の入りも、毎回異なる方法で起こる[すでに歌曲の第1部分で確認したことである]。75 では正格終止で、79 7-9 ではト短調の属和音を用いて偽終止的にそのⅥ度和音に入るかのように。
Ruhige Bewegung. :静かな動きで。/
【歌詞】Du wunderliche Tove!…… :不思議なトーヴェよ! おまえのおかげで今私は豊かなので、もはや私自身に願いは一つとしてない。私の胸はかくも軽く、私の思いはかくも澄み/
innig :愛を込めて
主題の多様性は、一つの同じ主題が被るさまざまな拡大や転換にあるだけではなく[例えば、(譜例60の)動機 から構築された同じ譜例の楽節 の74 7 と79 2 †]、 すでに表から明らかなように、この歌曲の構成要素のさまざまな連続性にもある。例えば、譜例60では に が続く。 の( 小節から 小節への)旋律的誘導を利用して、80 7 では逆順で、 に続いて が現れるのだが、その方法に注目してほしい。しかし、この、今までは の と同じように常に3小節だった の は、ここでは4小節になっている†。その点は、前は孤立していた4小節の譜例61
sehr ruhig :とても静かに/
【歌詞】Es ist so still in mir :私の中はとても静かだ
が、繰り返しでは譜例60の に直接先行しており、そのため(80 6 で)3小節から4小節への拡張を必要とする、ということで説明できる†。この歌曲の中間部は、先行する1曲の中間部(Ⅶ、譜例51 ) に対応する†が、──譜例62Ⅰの小節 の前置により──小節数が4から5に増えている点で異なっている。
【歌詞】Denn mir ist's, als schlüg in meiner Brust…… :それはあたかも私には、おまえの心臓の鼓動が、私の胸の中で打っているかのようで、そして私の呼吸が、トーヴェ、おまえの胸を膨らますようであるからだ。
‡譜例への訳注──最下段の小さな五線は、リピート時の歌唱旋律である。原曲では、和声は同じだが旋律線やオーケストレーションが異なるので、リピート記号はない。なお、1回目の歌唱旋律は、最上段のほぼ最下声の下向き音符である。
────
†訳注「74 7 と79 2 」 ──楽節 の1回目と2回目では、前者7小節目の74 7 から後と、それに対応する後者79 2 から後が違っている、要するに、この楽節の(アウフタクト小節を含んで)9小節目から後は、1回目と2回目では違う進行になっている、ということ。表の「譜例60C、a1から作られる」の2回目に付け足されている「延長した続きを伴う」がその違いに該当する。……この歌曲のベルクの説明は、総じて言葉が足りていないように思う。
†訳注「しかし、この、今までは の と同じように常に3小節だった の は、ここでは4小節になっている」──原文は「しかし、この、今までは と同じように常に3小節だった は、ここでは4小節になっている」となっているが、 は9小節、 は8小節あるので、「3小節」はそれらの中の と を指していると見て補った。
†訳注「その点は、前は孤立していた4小節の譜例61……」──この文も文面だけでは非常に分かりにくい。要するに、1回目は4小節の譜例61が2回繰り返されていたが、2回目では譜例61+ と後半が3小節の楽句に置き換えられたため、譜例61の長さに合わせて が1小節延長された、ということか。
†訳注「この歌曲の中間部は、先行する1曲の中間部(Ⅶ、譜例51 ) に対応する」──第Ⅶ曲の58 4 からと、今の第Ⅸ曲の76 9 からは、同じ拍子、同じ調(今は変ホ長調の調号だがこの部分はニ長調)で、音楽の中身もだいたい同じであることを言っている。
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この は、次の を伴って、再び適応能力のある主題19 となる。詳しく言えば、この形19 の2小節目が含んでいる自由な前奏 と、譜例51 を導入する掛留 との同等性が利用されており、従って次の図表が示すように、それが両者を関連づけているのである。
譜例62Ⅰの上にある声楽パートは、その下にある小さな五線によれば第Ⅶ歌曲の中間部(60 4-6 ) と同じような継続を被るのだが、その奇数小節に自分を合わせるのではなく、むしろ譜例62Ⅰの繰り返しの中にまで入り込んで、自身は偶数小節の楽節を形成している。この旋律の延長部は、この詩の詩行の長さにも対応しており、ここでは第Ⅶ歌曲の詩行のそれを強音部二つ分上回っている。
W ogen“
B rust deines H erzens Sc hlag“ †
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†訳注──【歌詞】「私の頭は生命の波の上を揺れ動き」「私にはおまえの心臓の鼓動が私の胸の中で打っているかのようであるからだ」。付曲では、上(第Ⅶ曲)は4小節、下(当曲)は譜例61Ⅰに見られるように、「Denn mir」のアウフタクト小節を数えなければ6小節となっている。続く「Und als höbe mein Atemzug……」の旋律は、やはりアウフタクトを数えなければ5小節となるが、楽曲全体のフレーズとしては「Busen.」の次の小節で切れるので、直後の全休符の小節まで含めれば、こちらも6小節=偶数となる。
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しかし、歌唱パートだけでなく、内声部でも奇数小節をぼやけさせようと努められている。そのために、歌曲の中間部で使われている2小節、すなわち偶数小節数の主題19 が、ここでも役立てられる。それ──チェロとファゴットによってもたらされる†──が、譜例62Ⅰの19 が示すように、繰り返しにまで侵入することによって、である。
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†訳注「チェロとファゴットによってもたらされる」──譜例62Ⅰの5~6小節目、左向きリピートを挟んで「19 」 というラベルが付けられている部分である。ただし、「繰り返しにまで侵入する」とあるので、ここでの19 の後半は、76 8 の2段目下声部「ロ(2分音符)→変ロ(4分音符)」(のオクターヴ上)となるだろう。なお、2回目の、左向きリピート直後の括弧内の音符は、譜例に見るとおり1回目のその箇所よりも1音低くなっており、また2回目は楽器が変わって木管とホルンの担当になっている。
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後奏的な末端部†、60Bの から形成される譜例63の小節 に
オーケストラの間奏曲
が直ちに続く。
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†訳注「後奏的な末端部」──上の表では小節番号が落ちているが、後奏は81 8 (の1拍前)からである。
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これは第1部の、ある種の展開部である。最も重要な主題は、譜例63と64のような多小節モデルにおいて極めて多様な組み合わせでもたらされ、短縮、分割等によって連続して先へと進み、「少し躍動して」の4 4 拍子から、「次第に活気づき、高まって」(83 8 ) が86 3 の「非常に速く」でスケルツォ的な3 4 拍子(譜例65)へと移行し、そこで再び対位法的なモデル、譜例66-68が形成される。このようなことが続いた後、再び「次第に高まって」(88 3 ) となり、91 7 「広々と」4 4 拍子ではこの間奏曲の第3部分に到達し、「再び急ぎ、高まって」(94 4 ) の経過部から、次の森鳩の歌へと生長する(譜例69)。
従って、ここでも三部構成である展開部の第1部分──そこでは同様に、すぐ前の二つのリズム[偶数拍子(4 4 ) と奇数拍子(3 4 ) のそれ]を、いわば展開させる──その第1部分は、次のようなモデルを含んでいる。
譜例63 は譜例60B であり、譜例63 は再び極めて適応性が高い譜例19 である。譜例36 トーヴェの主題の対位法的な使いやすさも、頻繁な反復を可能にしている:譜例63 。 は譜例33の 、 は譜例41の に相当する。†
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†訳注──ベルクは指摘していないが、譜例63の5小節目の最終拍から8小節目の最初の拍にかけての最上声部旋律および和声は、「Ⅵ. トーヴェ」51 4-6 (その前のアウフタクト含む)の「und je meinen Kuß dir geschenkt(私は口づけをかつてもあなたに贈っていた)」の部分から来ていることが、英訳(二つとも)に指摘されている。当該の旋律の初出は、譜例39に最初の1小節だけ引かれていたけれども、そこでもラベル付けはなされていなかった。故意なのか見落としなのかは何とも言えないが、印象的な旋律なので、確かに指摘されていてもよさそうだとは思う。
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ここでもまた、 (2回)は譜例36の主題 である。譜例64 と は、すでに一度発生していたものだが(譜例54)、動機的2度進行(譜例52 ) と譜例52の旋律開始部 の変形との、異なる音程関係の組み合わせ†でもたらされている。
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†訳注「異なる音程関係の組み合わせ」── の1音目と の2音目で比較すると、以前は完全5度、今回は短3度(短10度)である。
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84 5 では、譜例52の小節 の繰り返しが続き、それ自身が連続・分裂し、再び譜例64から形成され、半音高くされた上昇音型85 5 が86 1 まで誘導し、それに譜例65が続く。
Sehr lebhaft, beschleunigend, heftig. :非常に活発に、加速して、激情的に。/
Sehr rasch. :非常に速く。
は譜例27 であり、 は譜例51 であり、 は譜例60 であり、 は譜例60 であり、最後の はここでもまた、至る所で反復される譜例19 の主題である。
nach und nach steigernd. :少しずつ高まって。/
sehr weich :かなり柔らかく。
譜例66では、次の主題群の組み合わせが見られる。譜例52の は、譜例66 の5小節にわたって広がり、その中の はここでも譜例19 であり、 は譜例60 であり、 は譜例54 であり、最後に は譜例51 である。このモデルを半音高くしたゼクヴェンツに、譜例66の同じ主題 の別の組み合わせ、譜例67が続く。
trem. ad lib. :トレモロは自由に処理して†
†譜例への訳注「トレモロは自由に処理して」──これはオーケストラへの指示ではなく、ベルクのピアノ版でのピアニストへの指示である。ベルクは自らのピアノ伴奏版をこのガイドの譜例の多くでそのまま使っており、そのため開離位置の和音のためのアルペジオ(上の譜例にもある)や装飾音符によるずらし弾き、また「l.H.、r.H.(左手、右手)」など、ピアニスト向けの指示がそのままになっていることがある。
で新たに加わるのは、譜例60 の主題 と、またしても譜例19から生じたファゴットの音型 である。
次は、譜例68に見られるように、譜例27 からの動機的に下降する3度の上に、先行する譜例67 (=譜例52 ) と譜例67 (=譜例60 ) から形成された新しい4小節の主題、譜例68 の、カノンのようなものが続く。
上の譜例の で形成されるオルゲルプンクト†と、それに続く若干の「非常に速く」のアラ・ブレーヴェ小節とで短く高揚した後、オーケストラの間奏曲の終結部が続くが、それはいわば第Ⅷ歌曲第2部分の正確な繰り返しである。だから、今のイ長調91 7 から93 3 までの部分は、ト長調68 9 から70 4 (譜例56と57)までに対応する。最初のときに続いていた、譜例55の新しい形である譜例58の繰り返しの代わりに、譜例56 から形成された最後の小節群が続き、次の譜例が示すように、次の歌曲、より正確には「急激に高まり、加速して」と書かれた譜例56の小節 の縮小形へと移行する。
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†訳注「 で形成されるオルゲルプンクト」──ここは、5小節にわたる8分音符によるイ・変ロの繰り返しを指して、「オルゲルプンクト」と言っているようである。
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rasch steigernd und beschleunigend. :急激に高まり、加速して/
gr. Rührtrommel :大きなテナードラム。/
marcatiss. :マルカーティッシモ。各音を極めてはっきりと。/
sehr rasch. Sehr langsam. :非常に速く。非常にゆっくりと。/
Xyl. :シロフォン。木琴。
これにホルン、トランペット、トロンボーンの新しい動機69 が入るが、それは次の歌曲にとって非常に重要なものである(次の箇所を参照:103 「王妃はそれ(松明)を復讐に燃える気持ちで持っていました」)。続くトーヴェの主題(譜例36 ) は、譜例45 を彷彿とさせる形に歪んでいるが、譜例14とそれに似た譜例47 で見たように、またこれからさらに頻繁に遭遇することになるように、ここもまた独奏楽器(ここではイングリッシュ・ホルン)のカデンツによって形成される経過句なのである。†
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†訳注「ここもまた独奏楽器(ここではイングリッシュ・ホルン)のカデンツによって形成される経過句なのである」──「ここもまた(auch wieder)」と言うが、譜例14は独奏弦楽器2挺、譜例47はファゴットと集団チェロが旋律を奏でていたので、いずれも「独奏楽器」ではなかった。譜例14と譜例47付近の訳注参照。ここは完全な無伴奏ソロなので、「Kadenz」を「カデンツァ」と訳したとしても抵抗がない。旋律が移行と終止を担い、後半に下降音型を含むところは前2例と共通しているが、ここは半音移行が多く、前の2例に比べると九の和音やその根音省略減七和音は感じ取りにくい。
────
譜例69に示すように、オーケストラの間奏曲と結びついている
森鳩の歌(Ⅹ)
は、同時に《グレの歌》第1部の掉尾を飾るものである。この曲は、基礎となっている詩の自由な形式と変化する韻律に従っており、外見的な構造も小節のリズムも、これまでの大半の歌曲よりも自由で多彩である。その点で、──もちろん、完全に外見的なものではあるが──第Ⅲ・第Ⅶ歌曲の、拡張はされているにせよ《グレの歌》の中でも維持はされている通常の歌曲形式(それについてはこれまでも触れてきた)からの逸脱を思い起こさせる。
導入部小節の譜例70 では、しばしば言及された「短七の和音」が再び書き換えられている。これはその続き(譜例70 ) でも重要である。
Etwas rasch. :やや速めて。/
Str. am Steg m. Dpf. :弱音器を付け、駒寄りを弾く弦楽器/
【歌詞】Tauben von Gurre! :グレの鳩たちよ!
‡譜例への訳注──ルネ・レボヴィッツは、その著『シェーンベルク』の中で《グレの歌》にかなりのページ数を割いているが、楽譜は上の譜例70の和声を抽出したもの一例だけしか載せていない。ここがいちばん進歩的な部分であるとの認識なのだろう。上の譜例のようにコンデンス・スコアの形にすると、確かにその半音のぶつかり合い(ほとんどクラスターである)にはあらためて驚かされるけれども、弦楽器(ヴァイオリンとヴィオラのみ)は分奏・弱音器付き・最弱音・トレモロ・スルポンで奏しているため、実際の音は「何やら怪しげに蠢く背景」程度にしか聞こえない。これは、例えば《ドン・キホーテ》のフラッタータンギングや《火の鳥》のハーモニクス・グリッサンドなどと同様、進歩的な和声よりもむしろオーケストレーションの工夫による「効果音」を狙ったものであろう。ここの和声は、弦の蠢きとは関係なく、ベルクも書いているように始終「短七の和音(減五短七の和音)」である。なお、ベルクのピアノ版、ヴェーベルンの2台ピアノ8手版とも、上のトレモロ弦パートは完全に省かれているので注意。
この譜例のオーケストレーションを一瞥すれば多くのことを語ってくれるので、この部分( ) の響きについてのどんな言葉も不要になる。
新しい主題は、次の譜例71 と である。
【歌詞】Tot ist Tove!…… :トーヴェは死にました! 彼女の目には夜の闇、それは王の昼の光でした!/
Pauken u. Haffen Kontrabässe gestrichen. :ティンパニとハープ、弓奏されるコントラバス。/
oder :または。
70 とともにすぐに現れる は、和声的に興味を引く。弦楽器の嬰ヘ短調と一緒のティンパニとハープの動機 のニ音が、さまざまな解釈を許すからである。嬰ヘ短調和音の6度音と考えれば、必然的に嬰ハ音への掛留という性格を持つことになる。一方、3度の跳躍は、特に三和音との結合が、正格終止の4度上行跳躍の代理のように、終止形としても現れるため(第1部終結部110 7 を見よ)、 が示すように、そのカデンツ{ⅡまたはⅣ6 } ─Ⅴ─Ⅰにおいて嬰ハ音を含む属和音が省略されたと見て、和声の「途中過程の省略による定型の短縮」の技法が旋律に翻案されたものと考えるか、あるいはまた、このニ音を属和音の、そこから跳躍進行させられる( ) 9度音として考える必要がある。最後に、この3度跳躍と三和音の結合は、短三和音(嬰ヘ短調)と3度低い長三和音(ニ長調)の同時和声と解釈することができるかもしれず、 と の和声的継続がそれを支持してくれそうである。
────
‡訳注──例えばチャイコフスキーの第5交響曲ホ短調第1楽章第1主題冒頭のアウフタクトと次の音は、ここでの例と同じく、「第Ⅴ音→第Ⅰ音(ロ→ホ)」ではなく「第Ⅵ音→第Ⅰ音(ハ→ホ)」となっている。しかし、あの曲では旋律が「Ⅳ→Ⅰ」の和声進行を反復する和声的背景を持つためにそうなっているだけである。《グレの歌》では、上の にしても第1部終結部にしても、短調の主和音の下でⅥ音が鳴るので、ベルクが書いているように事はもっと複雑になる。
────
【歌詞】Doch des Königs Herz schlägt wild, :王の心臓は荒々しく打っています!
譜例72Ⅰは、上記の譜例と並んで、この歌曲の最も重要な主題であり、譜例72Ⅱ、Ⅲ、75、77Ⅱにおけるように、さまざまな変奏で、またほかの主題の構成要素と一緒に現れる。
【歌詞】Seltsam gleichend einem Boot auf der Woge…… :大波の上の小舟に似て奇妙に、船板がそれを受けることに熱中してひん曲げられているとき、
ここでの は前の譜例の に対応し、 はおなじみの譜例19 である。新たに付け加わった音型もさらに利用される。99 1 での 、98 および譜例72Ⅲへの経過句でのクラリネットの音型 。
たびたび取り上げられてきた「短七の和音」の、譜例70 と譜例72ⅠまたはⅡの における同時点の出現は、譜例72Ⅲにおいて両譜例の接合を可能にする。総じて、譜例70 は、おそらくこの歌曲の主要動機であり、さまざまな接合を作る。例えば、
【歌詞】Keiner bringt ihnen Botschaft,…… :誰も彼らに伝言を届けず、その道は通れません。
これは譜例47 の多くの「短七の和音」の一つと、その和音上にある動機 との結合から成っている。それに付け加わっているコントラバスの主題は、同じ先の譜例(47)で続くコントラバスの主題( )、 あるいは同じ歌曲(Ⅶ)譜例45 が歌詞「我らの時は過ぎ去った!」で奏される箇所である。ここでの、2本のイングリッシュ・ホルンと2本のバスクラリネットの和音と、まずミュートされたホルン、次に3本のファゴットと1本のフルート†で奏される短七の和音 との、音色の交替に注目してほしい。
────
†訳注「1本のフルート」──原文「einer Flöte」。実際は自筆フルスコア、彫版フルスコアとも「4本のフルート」のユニゾンである。
────
譜例70 ──簡潔さだけのために主要動機と呼ばれる──の別の結合を、譜例74に示す。
Etwas bewegter. :やや躍動して。/
【歌詞】Wie zwei Ströme waren ihre Gedanken,…… :彼らの思いは二筋の流れのようでした、並んで滑りゆく流れです。(トーヴェの思いは)今どこを流れているのでしょう?
から、構成要素 の繰り返しとリズム変奏によって、その3回目の出現時にこの主要動機Bが生まれる。これまた前述の、すでにある動機の生まれ変わりの事例の一つだ! そのものも譜例36の主題 の変奏であるか、あるいは少なくともそのアウフタクト は譜例72Ⅰ の転回から新たに 発生したもののように見える。ところが、このアウフタクトと下降音型 は、再び101 0-3 のクラリネットの旋律のモデルになるのだが、これも すでに前に存在していたのであった(譜例56 、 、 )。 最後に、この譜例74の は、譜例33の主題 が独奏チェロでもたらされるものである。この二つの主題、トーヴェのもの(譜例36 ) とヴァルデマーのもの(譜例33 ) との結合に、我々はまだしばしば遭遇する。次の譜例75では、歌詞「Die (Gedanken) des Königs winden sich seltsam dahin(王の思いは奇妙に曲がりくねって流れ行き)」の箇所で、トーヴェの主題を伴わない歪んだ形で後者が現れるが、譜例72Ⅰとおなじみの譜例19 に伴われており、この組み合わせは《グレの歌》の第2部に再び見られるものである。
続く譜例76の主題 は、第2部と第3部でも非常によく見られ、そちらでは最重要主題である。
【歌詞】
(Die Gedanken des Königs) suchen nach denen Toves, finden sie nicht.…… :(王の思いは)トーヴェの思いを探すけれど、それらを見つけることはありません。私は広く飛び急ぎ/
Etwas Zeitmaß. :最初のテンポで。/
r. H. übernimmt :右手は(フェルマータの音を)引き継いで。/
siehe Bsp.80 1 :譜例80 1 を見よ。
は、譜例70 の新しい形で、譜例80-1が示すように、同じ譜例の が接続される。これは、この歌曲ではさらに2回正確に繰り返され、1回目103 5 は半音高く、2回目106 4 は元の形である(34ページ脚注†を見よ)。譜例71 の繰り返しの後に入ってくる4 4 拍子は、それまでの6 8 拍子と交替で現れるようになるが、今回は次の新しい主題をもたらす。
gehend :歩くように、アンダンテ。/
【歌詞】Den Sarg sah ich auf Königs Schultern, :私は王の肩の上の棺を見ました、/
Pk. :ティンパニ。/
kl. Tr. :スネアドラム。
────
†訳注「34ページ脚注」──譜例34A下の原注を指す。再掲「これは同時に、(すぐ前の歌曲でも強調された)より高いレベルでの繰り返しによる表現の向上にほかならない。それに続く元の形での繰り返しは、しかし、かなり長いこと欠けていて、ようやく戻ってきた主和音の和声的支配力がその中で印象的に働くため、効果の衰退にはならないのであり、《グレの歌》によく見られる現象なのである」
────
これもまた、歌曲のさまざまな主題と結合され、特に、すでに前(102 7 ) に入っている動機譜例69 と歌詞「Tränen, die sie (die Königin) nicht weinen wollte, funkelten im Auge(彼女=王妃が流したくはなかった涙が、目に光っておりました)」(103 2 ) の箇所で組み合わされ、それから(103 9 で譜例77Ⅰを繰り返した後で)譜例72Ⅰと組み合わされる。
しかし、この歌曲の形態の豊かさは、まだまだ尽きない。前の部分の変奏である譜例77Ⅱ から、またもや 新しい主題と、古いそれ、例えば104 9 や105 2-6 での譜例71 との関連が生じたり、あるいはさらに再度の拍子交替(6 8 拍子、106 2 ) と4 4 拍子への改めての復帰(譜例78)が生じたりして、
Ruhig. :静かに。/
【歌詞】Wollt' ein Mönch am Seile ziehn, :一人の修道士が綱を引き、
そこから生まれる新しい結合形107 6 ─108 2 が、最終的に歌詞「Sonne sank, indes der Glocke Grabgeläute tönte(日は沈みました、弔いの鐘が鳴り響くその間に)」が書き込まれた箇所、譜例79へと移行する。
これは、「mächtig anschwellend(力強さを増して)」で、今度は譜例76 からわずかに変化させた旋律を伴う(譜例80-2)。
その次の歌唱パート(譜例80-3)
【歌詞】Weit flog ich, Klage sucht' ich, fand gar viel! :私は広く飛び急ぎ、嘆きを探し、とてもたくさん見つけました!/
【歌詞】Weit flog ich, Klage sucht' ich und den Tod! :私は広く飛び急ぎ、嘆きを探しました、そして死を!/
【歌詞】Helwigs Falke War's, der grausam Gurres Taube zerriß! :ヘルヴィヒの鷹だったのです、残酷に、グレの鳩を引き裂いたのは!
は、譜例69の主題 とそこで鳴っている和声の影響下でもたらされ、この旋律はさらに 変化させられ、進行するが、109 9 では元の形 (譜例80-1)同様、この歌曲の主要動機と言える譜例70 へと移行する。この変化と同時に移調もされた主題(譜例80-3 ) もまた主要動機 の元の調 へと戻るため、それだけにいっそう強い効果がある。
残すところは、歌曲の導入部である譜例70 と、この歌曲とともに第1部を締めくくる、変ロ短調に移調した譜例71 が続くだけであるが、その71 では、今回はまず短三和音が全金管楽器で吹奏され、ディミュニエンドして段階的に音を止めた後、遅れて入ってくる木管楽器に引き継がれ、再び弱まっていき、最後に入ってくる弱音器付きの、ppまでディミュニエンドするヴァイオリンとヴィオラに道を譲る。それに合わせて鳴り響く3度跳躍は、すでに最初に使われたハープとティンパニに加えて、コントラバストロンボーン、コントラバスチューバ、チェロとコントラバスのピチカートが奏し、同じくffで始まってppで終わる。
第2部
第2部は、ヴァルデマーの歌1曲だけで構成されている。開始小節は、さまざまな、先行曲──主として森鳩の歌──からのおなじみの主題的構成要素を、浮遊する、和声的にどこにも定着しない和声の上に持ち込む。その順番は以下のとおりである。冒頭の、今回は原調(嬰ヘ短調)で現れる譜例71 (「Tot ist Tove(トーヴェは死にました)」)は、《グレの歌》第1部を締めくくったもので(そのときは変ロ短調)、この主題の短三和音は、もう一度だけ異なるオーケストレーションがなされる(クラリネット、ヴァイオリンとヴィオラのピチカート)。「steigernden(高まって)」と書かれた譜例71 の後、1 で、コントラバス、チェロ、トロンボーン、チューバ、ファゴットによってレチタティーヴォ風にもたらされる譜例76 の動機は、この第2部にとって、また第3部にとっても、最も重要なものである(譜例81、88等)。これに続いて、1 1 では譜例72Ⅰ、1 3 では拡張された譜例71 、1 5 「etwas bewegter(やや活発に)」では譜例75 で見たような譜例33 と譜例19の半音高い組み合わせ、最後に1 9 では譜例19と72Ⅰ の結合から形成される1小節のモデルを3回反復してからfffまで「高まって、また加速して(steigernd und beschleunigend)」、第1詩節の入りをもたらす譜例81へと移行する。
Breit. :幅広く。/
【歌詞】Herrgott, weißt Du, was Du tatest, …… :主よ、あなたは小さなトーヴェを私と死別させたときに、ご自分が何をなさったのかをご存じですか?
ここで初めて歌曲の調性が示唆される。ここでもまた浮遊しているように、詳しく言えば変ロ短調とハ短調の間を揺れ動いているように見える。それについては、主題 内の と の、(譜例76 のリズム的変移によって生じた)「短七の和音」の2回の出現でも裏付けられる。2回とも短調のⅡの和音であると理解され、最初の は変ロ短調を指向し、この歌曲の終結部にも完全に適合している(譜例87を見よ)。2番目の はハ短調属和音への継続(譜例81)が示すように、ハ短調を指向する。ここで期待されたハ短調に入らず、また において──同様に5 1-5 の第2詩節(譜例85 ) でも──この強いカデンツ(Ⅱの短七の和音と属和音)に別の 変化が続くにしても、ハ短調主和音は先送りされているだけである。主和音は7 1 の第3詩節で現れ、その属音であるト音の長いオルゲルプンクトが続く(譜例86)。従って、ハ短調が、このように部分的には浮遊状態で維持され、部分的には固定されているとするならば、すでに触れた終結部を除き、次の譜例82の調性 が、変ロ短調のための証左となる。この部分は、この第1詩節の中間部のように現れ、続く二つの詩節を導入する譜例84の模範となるもので、それらが同じように変ニ長調の属和音上で開始することによって、その変ニ長調に最も近い関係にある調、平行調である変ロ短調を指し示しているのである。
Im Zeitmaß. :元のテンポで。ア・テンポ。/
【歌詞】Triebst mich aus der letzten Freistatt, :最後の避難所から私を追い立てた
かくて、次の主題が三部構成の第1詩節終結部を形成する。
今度はこれに第2・第3詩節が続く。この二つの詩節は同じような構成で、すでに述べた譜例84で始まる。
Etwas belebter. :やや活気づいて。/
【歌詞】Herrgott, ich bin auch ein Herrscher, :主よ、私もまた支配者です、/
【歌詞】Herrgott, Deine Engelscharen :主よ、あなたの天使の群れは
これに続き、(両詩節ともに)小さなエピソード(4 5-8 と6 0-3 ) の後、譜例81 の主題から譜例85が形成される。
【歌詞】Falsche Wege schlägst Du ein…… :あなたは間違った道をお選びだ。それはおそらく暴君を意味します、支配者ではなく!
それの譜例81の に対応する継続は、第2詩節では──前述のように──期待されたハ短調をもたらさず、譜例84の繰り返しである第3詩節の開始部に進むのだが、この第3詩節では、譜例85主題 を何度か繰り返した後、詩の最後の言葉、半音低く移調された譜例83(6 9 ) で、ようやくハ短調の主和音に到達する。
それに続くオルゲルプンクト(ト音)上で、譜例83の構成要素 が「急激に高ま」りつつストレッタとなる。これに加えて、譜例85 の3連符から形成されるチェロの音型(譜例86 ) と、初めはオルゲルプンクトに適応させられ( )、 その後元の形に近づき( )、 最後にその元の形が逐語的に再現される( 、 ) 譜例81の動機 へと進んでゆく。
rasch steigernd(anschwellend u. beschleunigend) :急激に高まって(次第に音量を上げ、加速して)。/
Volles Orch. :全オーケストラ。/
Beck. :シンバル。
この譜例の で到達され、調性と和声は今も同じだが、今度はより速いテンポでもたらされる譜例81からの動機 の繰り返し──その縮小形3 (譜例86)や譜例85 の3連符との対位法的な組み合わせでの──が、譜例81 と同じく、直接の、強いリタルダンドによってのみ区別される継続を経験する。だが、そこで 確かに期待されながら持ち込まれなかった ロ短調は、今は次の、またも半音低く移調された譜例83(8 7 ) の調である。よって、この2回にわたって、奇妙なことに毎回半音ずつ下げられて繰り返される主題は、ここでは「sehr breite(かなり幅広く)」というテンポだけでなく、そのオーケストレーション(全金管の「ff weich(ffで柔らかく)」でこの主題の和声が吹奏される)によっても、前の出現とは異なった登場となる。また続き方も違っている。最初は変ニ短調†の形で譜例84に続き、2度目の登場(ハ短調)では譜例86に示されたオルゲルプンクトがそこから生じたのに対し、ここではロ短調移調形の後、──初めに述べたように†──変ロ短調へとプラガル終止でカデンツを形成する、譜例81 が接続しているのである。
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†訳注「変ニ短調」──スコアでは普通に嬰ハ短調で記譜されている。
†訳注「初めに述べたように」──第2部の、冒頭ではなく第2パラグラフに、「2回とも短調のⅡの和音であると理解され、最初の は変ロ短調を指向し、この歌曲の終結部にも完全に適合している(譜例87を見よ)」とあった。
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tief. Holz. :低音木管。/
Schluß des II. Teils. :第2部の終わり。
第3部
第1部では、ヴァルデマーとトーヴェの交互歌唱によって男声と女声の間で絶えず音色の変化があり、最後に歌われる森鳩の歌によって後者の音色が優勢にさえなるのに対し、第2部と、第3部のほぼすべてが、男声の音色で占められている。もちろん、それらは考え得る限りの変化を見せる。すなわち、第1部から引き継いだヴァルデマーのテノールのほか、それに比べて強いコントラストを示す道化のクラウスのテノール、農夫の歌のバスバリトン、それ自身であらゆる音色のグラデーションを通過するヴァルデマーの従者たちの12声合唱、最後にメロドラマ「夏風の荒々しい狩り」での語り手の声†。これらに続き、つまり(最終)第3部の最後で初めて、「Seht die Sonne!(太陽を見よ!)」という叫び(譜例124)において、男声の音高をいわば徐々に凌駕していく、芸術的な倹約のためであるかのように最後まで取っておかれた女声が歌い出す。
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†訳注「語り手の声」──このように、ベルクは語り手を男声グループに入れているので、シェーンベルクやベルクは「夏風の荒々しい狩り」の語り手には男声を想定していたことが分かる。1913年2月23日の初演時はもちろん男声であった(俳優のフェルディナント・グレゴリが担当)。最初に語り手役に予定されていた男優のヴィルヘルム・クリッチュとの練習が始まる前、《月に憑かれたピエロ》の委嘱者かつ初演者であった女優のアルベルティーネ・ツェーメが、《グレの歌》でも語り手を担当したいと申し出てきたが、そのことをベルクから手紙で知らされたシェーンベルクは、次のように書いている。
──もしあなたがクリッチュは良くないと思うなら、彼を起用するべきではありません。ツェーメ夫人があなたに連絡してきたことは、私にはあまり好都合とは言えないですね[訳注:実際は、ツェーメはベルクではなくエアハルト・ブッシュベックに連絡を取った] 。私は、ヴィーンでその役を彼女が語ることに必ずしも賛成ではないのですが、それは男性の方がより適切な効果が望めると思うからです。また、私は、(その後の公演において)女声よりも男声が念頭に置かれることも望んでいます。とはいえ、ツェーメは非常に音楽的に事をこなし、極めて熱心で勤勉であることは考慮に値するでしょう。その反面、彼女には別の欠点があります。でも長所もあるのです。もしクリッチュが音楽的に十分でないのなら、彼からその役を取り上げるべきだし、そしてもし音楽的な男性と出会えないのであれば、ツェーメを呼ぶ必要があります。(ベルク宛書簡1913年1月20日)
──もし公演が実現するとしても、ツェーメ夫人は緊急時、すなわちその役をやれる男性が見つからない場合にのみ呼ばれるべきです。(ベルク宛書簡1913年2月6日)
──報告されたクリッチュのキャンセルについて言えば、ツェーメ夫人は緊急事態においてのみ考慮されるべきです。初演には男性が欲しい!(上記1913年2月6日のベルク宛の手紙に同封された、エミール・ヘルツカ宛の出されなかった手紙より)
──ツェーメ夫人は語り手をしてはいけません。彼女が声量的に不十分だからというだけではありません。その役は彼女に合わないからでもあるのです。そして何よりも、それは語り手[Sprecher](男性形の)でなければならないからです。[訳注:Sprecherは男性名詞で、女性名詞ならSprecherinとなる] 緊急事態においてのみ、女性がやっても可なのです。その緊急事態が生じた場合は、私が誰かを指名するつもりです。それでも、男性が見つかることが私の願いです!! 私の利益の代理を務めるのに力を注いでください。(ベルク宛書簡1913年2月8日)
シェーンベルクのこのような、《グレの歌》の語り手に対する男性起用へのこだわりは、しかし、1914年3月初旬にライプツィヒで本作を自ら指揮したときには押し通すことができず、そのときは語り手にツェーメを起用している。ただし、このときもシェーンベルクは女性の起用を望んではいなかった。
──ツェーメ夫人をメロドラマに選ぶことは、とてもじゃないが無理だ。昨日の夜、初めて彼女と試演してみたんだが、呆然とさせられたので、今日彼女に辞任すべきであることを求め、同時にライプツィヒでの自分の参加を取り消した。自分がこんなにも見込み違いをするなんて、びっくりだ。いずれにしても:あれは男性でなければならない。女声では(高い)楽器に被さってしまうということについても、君は完全に正しい。ほかに誰も見つからなければ、グレゴリでいくしかないだろうね。ただし、彼は今度こそ拍子を学ぶべきだ!──ライプツィヒでは、ナーホットがヴァルデマーに選ばれた。ヴィーンでは、ヴィンケルマンが検討されるのもありだろう。彼のことはよく知らないのだが。ともかくも、二人目がいるのは良いことだ。──森鳩のミルデンブルク夫人については、たいへんうれしく思う。初演当時のフロイント夫人もとても良かったけれどもね。フェルステルも私としては問題ない。──君がトーンキュンストラー管弦楽団を使い、同じ援軍(!)を得られるのなら、5回のリハーサルで十分だろう。もしかすると、場合により新しい援軍と特別リハーサルを行うことが望ましいかもしれない。(シュレーカー宛書簡1913年12月4日)[訳注:ライプツィヒでのドイツ初演があったその月の下旬に行われたヴィーン再演では、ゲルトルート・フェルステルがトーヴェを歌った。世界初演で歌った歌手たちは全員が両方あるいはどちらかの公演に呼ばれており、ヴァルデマ-とクラウス役は両方で、トーヴェと森鳩役はライプツィヒで、農夫と語り手役はヴィーンで再び出演した。よって、どちらか空いた方のトーヴェ・森鳩・農夫・語り手役には新しい歌手または俳優が新たに選出された。ヴィーンでの指揮はフランツ・シュレーカーが再び担当した]
──ミルデンブルクはメロドラマをやるべきではありません。あれは男性によって語られなければならないのです。ツェーメ夫人が使いものにならないので、私はライプツィヒ公演への参加をやめたところですし、私には、あれが男性でなければならないことは今や完全に明白なのです。グレゴリでもね。(ベルク宛書簡1913年12月4日)[訳注:アンナ・バール・ミルデンブルクは、ヴィーン再演における森鳩役に立候補しており、ベルクはこのすぐ前の手紙で、彼女が兼役でメロドラマも担当してよいかどうかを尋ねていた。1913年の世界初演時もミルデンブルクが森鳩を歌ったと書いている資料もあるが、そのときはマリア・フロイントが森鳩を担当したのであって、ミルデンブルクが《グレの歌》に参加したのは1914年である。また、フェルディナント・グレゴリは、上記のようにヴィーンでの世界初演で語り手を務めたが、シェーンベルクやベルクにとっては満足のいく出来映えではなかったようだ。そんなグレゴリでも、女性を起用するよりはマシだと言っているのである]
シェーンベルクはどちらの手紙にも、ツェーメが使いものにならないから降りた、と書いているが、実際は、ツェーメが自ら役を降りない限りは自分は公演に関与するつもりはない、ということで、上記書簡と同日、彼はツェーメにはっきりとそのように伝えていた。いくら《ピエロ》の戦友であるにしても、自分が望む男性キャストではない上に、唖然とするほどへたくそなのでは話にならない、というわけである。それでも、結局シェーンベルクはツェーメ入りでのライプツィヒ公演を指揮することを承諾し、12月10日にはリハーサルが開始された。ツェーメは上記のように、世界初演前からすでにどうしてもこの役がやりたかったようで、その後シェーンベルクとともにメロドラマのパートを猛勉強し、またライプツィヒ公演は彼女の夫フェリックス・ツェーメが多額の資金を提供していたこともあって、シェーンベルクも彼女を起用したまま指揮せざるを得なくなったのであろう。……ツェーメとシェーンベルクの関係全般については、シュトゥケンシュミットの『シェーンベルク:人生、周辺、作品』(1974)の「3×7のメロドラマ」の章に詳しく書かれている。
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第3部は、
荒々しい狩り†
で始まる。その導入小節は、第1部第Ⅶ歌曲の冒頭部分(譜例45)によく似ているが、今度はそこに接続する歌唱パート46Ⅰの主題が4本のヴァーグナー・チューバだけで†演奏される。しかも、これがこの楽器の最後の使用となる。シェーンベルクは、これに続く、──私が序文で述べたような──10年後にオーケストレーションされた部分(だいたいスコア118ページ10 から)では、もはやこれらを使わなかった。そして、同じように、楽器編成の違い、すなわちオーケストラの配役変更を、せめて外見だけでも先取りする†ため、第3部では4本のトランペット†にさらに5本目と6本目が加わる。そのうえ、ここではチェレスタの多用も認められる。
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†訳注「荒々しい狩り」──このタイトルは、原作・アーノルトの独訳・ベルクのピアノ版にはあるが、意外にもフルスコアには自筆・彫版ともに書かれていない。
†訳注「4本のヴァーグナー・チューバだけで」──実際は、さらにコントラバス・チューバが加わって五重奏になっている。すべて弱音器付き。
†訳注「先取りする」──原文「vorgreifend」。ここでは直訳したが、文意が不明である。英訳は両方とも「counterbalance(埋め合わせる)」と、原文から離れた訳し方になっている。ヴァーグナー・チューバが使われなくなる代わりにトランペットが増員されて、少なくとも外見上は釣り合いを取った、ということであろうか? ヴァーグナー・チューバは第7~第10ホルン奏者の持ち替えなのだから、使われなくなったとしても奏者の数は減らないのだが。
†訳注「4本のトランペット」──トランペットは、全曲を通じて出番のあるバス・トランペットも数えれば、最初から使われている数は5本である。第5・第6トランペットは4 2 からの登場となるので、10年後に書き継いだ部分よりも前になる。チェレスタの初登場は30 から(譜例106参照)。ということは、トランペットを増やすのは以前から決まっていたが、チェレスタの参入は10年後に思いついたアイディアである可能性がある。チェレスタが管弦楽で盛んに使われるようになるのは20世紀に入ってからなので、シェーンベルクが1901年にオーケストレーション以外の作曲を終えた頃には、彼の構想の中にはまだこの楽器は入っていなかったのかもしれない。そうでなければ、第1部の第2歌曲あたりですでに使われていたような気がする。
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というわけで、第1部からの既出主題(譜例45と46Ⅰ)の回想の後、
ヴァルデマーの歌(Ⅰ)
が、リズム的にいくらか変化した、主として第2部(譜例81 ) に現れた次の譜例の主題 で始まる。
【歌詞】Erwacht, König Waldemars Mannen wert! :目覚めよ、王者ヴァルデマーの親愛なる従者たちよ!
ここで新たに追加された主題 、 、 、 は、この後の展開に大きな意味を持つ。この短い歌曲の中間部に登場する主題も同様である。
この譜例にも現れる、88 を思わせる低音部は、主題21 や25 とも共通する上昇音型の簡潔なリズムを持つ。3 6 では、──低音から新しく生まれるような──21 のリズム(譜例24を見よ)にも遭遇し、一方、25 は、歌曲の最後の言葉「Heute ist Ausfahrt der Toten(今日は死者たちの出発の日)」の箇所で、譜例88の主題 、 、 譜例89の と、次のように結合される。
この主題 の原調(今回は変ホ短調ではなく変ホ長調)での再登場と同時に、この歌曲の第3部分†がほのめかされる。今回は非常に速く、次々と入ってくるヴァルデマーの叫び(譜例88と90の ) は、旋律的に「短七の和音」を取り巻き、この和声の上にその激しい強弱法の増大も立脚している。この和声と、最後に挙げた譜例の下降2度進行 から形成され、頂点のfffまで膨らむ小節に、その谺のような反復(ppp)が続く。
ganz Blech. :全金管。/
Beckenschlag. :撥で叩くシンバル。
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†訳注「この歌曲の第3部分」──主題 の再登場は3 8 の最終拍から。歌詞はその次の小節で終わるため、第3部分(4 4 から)は器楽のみとなる。なお、変ホ短調が変ホ長調に変わったことは、旋律そのものは変ホ短調のときと同じで変ハ音を含んでいるため、和声を見ないと分からない。長調になってからの旋律の変ハ音は、よくある長調の第6音下方変位(同主短調からの借用)として扱われる。
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これにすぐに
農夫の歌(Ⅱ)
が繋がる。これの二つの詩節は別々に扱われ、そのためまとまった、主題的にも和声的にも独立した二つの部分を形成している。最初のものは、次のように形作られたオルゲルプンクト上に置かれる。
常に違う音で入ってくる、ピチカートによるコントラバス独奏群 の分解によって8分音符ごとに発生する和音は、ここでもまた「短七の和音」、あるいは農夫の歌第1部分の調であるロ短調2度上の五六の和音である。この和音の根音、3度音、5度音†は、それ以外のコントラバス群 の音型、それは譜例88 以来既知のものだが、その音型によっても形成される。それに合わせて鳴り響く、さまざまな形で登場する動機、譜例92Bは、この歌曲の展開に多大な貢献をするのだが、これはこの「短七の和音」を書き換えた、譜例88主題 の構成要素である。
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†訳注「根音、3度音、5度音」──a2はホ・嬰ト・ロ(嬰ヘは経過音)で構成されているので、ロ短調のⅡ7 だとすると「3度音、5度音、7度音」が正しく、根音である嬰ハは出てこない。ベルクはおそらく、転回形であるⅡ6 5 の場合にバスになるホを根音とし、順に嬰トを3度音、ロを5度音と表現したのだろう。
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同一譜例(88)の拡大された とともに、ロ短調の2度上の、同じ永続的なオルゲルプンクト(譜例92A)の上に、次のようなモデルが生じる。
【歌詞】Schwer kommt's her! :ここに重々しくやって来る!
その離脱の箇所†で、新しい、後の男声合唱にとって重要な主題 (譜例94)が、ロ調(短調に代わって長調)のⅠ度上に現れる。
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†訳注「その離脱の箇所」──オルゲルプンクトからの「離脱」である。譜例92Aの、コントラバス集団の細かい動きを組み合わせたオルゲルプンクトが途切れるのは8 6 の1拍目で、その次の小節から8 9 までの3小節間はホ音のロングトーンとなる。
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【歌詞】Über den Grüften klingts hell wie Gold! :墓の上では黄金のような澄んだ音がする!
これは譜例89に現れる主題 とよく似ている。一つの和声が保持される部分全体を繰り返した後(9 7 から10 3 まで、今回は平行長調のニ長調の2度上)、10 6 では以前の主題(89 ) もその場所に持ち込まれ、そして、その後に続く──その反復からの下降する短2度 、 それに88 、 89 、 92Bから成るモデルの──終結部、あるいは経過的小節が[(舞台裏の)男声合唱によって叫ばれる「Holla(ホラ)」と、農夫の叫び「Da fährt's vorbei!(そこを駆け抜けたぞ!)」の箇所†で]形成される。
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†訳注「(舞台裏の)男声合唱によって叫ばれる「Holla(ホラ)」と、農夫の叫び「Da fährt's vorbei!(そこを駆け抜けたぞ!)」の箇所」──《グレの歌》において、ここがシュプレッヒシュティンメの初登場箇所である(11 4 =譜例95の1小節目)。農夫は、この後の「Rasch die Decke übers Ohr!(急いで毛布を耳の上まで引き上げろ!)」までは歌わずに語る。ここは「語り」ではなく、ただの「叫び」であると見ることもできようが、少なくとも記譜は「夏風」の語りと同じやり方になっている(音高とリズムの指定あり)。なお、この少し前あたりから10年後のオーケストレーション部分になっているので注意。11 では、この曲初のトロンボーンのグリッサンドが登場している。
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この譜例の最後の小節で嬰ヘ短調の和音の上に現れる主題(嬰ヘはロ短調の属音)は、またもこの3和音の音に適合する譜例21 であり、ここでは、農夫の「語られる」言葉「Rasch die Decke übers Ohr(急いで毛布を耳の上まで引き上げろ)」の後の、ますます小さな形へと縮小していく、いわば消えていくような手法において、譜例45 とその続き(第1部の55 7-9 、64 0-5 と、第3部の冒頭)を彷彿とさせる。この末端に繋がる農夫の第2の歌は、次のように始まる。
【歌詞】Ich schlage drei heilige Kreuze geschwind…… :私は急いで聖なる十字を三度切る、家族と家のため、馬と牛のため。/
sehr gebunden :かなり音を繋いで。モルト・レガート。/
Btb. :バス・チューバ
歌の旋律 は、ヴァルデマーの叫び(譜例88 ) に似た形になっている。それは、続く動機 から生まれた3小節とともに5小節を数え、その繰り返しで、ここでもまた三部から成る第2の農夫の歌の第1部分を形成している。この繰り返しは、一つの同じ和音( ) が、1度目は嬰ヘ長調へ、2度目はト長調へ†と二通りの変化を許すことにより、最初の2小節は調性を保ち、次の3小節は(13 1-3 において)半音高く生じることになるが、これは我々が第1部の第Ⅳ歌曲で似たようなものを見たとおりである(譜例28Ⅰ-Ⅳ)。この譜例の新しい動機的構成要素 、 と縮小した が短い中間部13 4-6 を形成し、それにまた第1部分の最初の2小節(譜例96)が接続する。この1音高く移調された第1部分の繰り返しは、しかし、その低音にさらに中間部の動機、すなわち縮小されていた下降2度進行を、ここでは再び譜例96 の原形のまま連結しているが(13 7 と8 )、 こうした方法で最初の二つの5小節の最も重要な旋律的構成要素を2小節内に統合しているのである。前の続き部分に関係なく、今度はほのめかされた第3部分が、引き続き独自に展開する。
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†訳注「1度目は嬰ヘ長調へ、2度目はト長調へ」──臨時記号を見る限りでは、1度目はロ長調(楽譜96の3小節目参照)、2度目はハ長調のように見える。その前の の和音は、ハ音が現れているところから見て例の変ホ長調Ⅰの付加6度に見えなくもないが、どうやらオクターヴ重複のニ音の方が構成音のようなので(上の譜例では下のオクターヴが略されている)、変ホ長調のⅠ7 であろうか。バスの8分音符のへ音は経過音であろう。1度目、2度目とも、どの構成音も同音維持ないし半音移動のみで次の和音に繋げることができる。
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【歌詞】So bin ich geschützt vor der nächtlichen Mahr,…… :そうすりゃ夜の夢魔から守られる、妖精の襲撃からもトロールの危険からも。
ここでは、2小節目(譜例96 ) を2度変奏させることにより、以下の必要性が満たされる。「So bin ich geschützt vor der nächtlichen Mahr, — vor Elfenschuß — und Trollsgefahr(そうすりゃ夜の夢魔からも守られる──妖精の攻撃からも──トロールの危険からも)」という歌詞に2度ある説明的文言のための必要性、同様に、音楽的にも繰り返すべき必要性、すなわちより綿密に 表現する ため、もう一度 しかし違ったやり方で 表現するための必要性──これらが満たされることが、実際にこの変奏のより深い意味となっている。そして、そのような意味は、シェーンベルクの作品が常に持っているものなのである。あらゆる形式は、たとえそれが極めて単純で古風なものであっても、彼の芸術的必要性に由来するのであって、技術的 必要性に由来するのではない。この両者は協力し合うこと、一方が他方の要求するものを満たすことは、自明のことである。しかし、すでに述べたように、技巧は目的のための手段ではない†のであり、シェーンベルクにとっては、やろうと思えばできただろう が、あらゆる古典的な形式で作曲することは問題にはならなかった。なぜなら、彼が「芸術教育の問題」という論文の中で言っているように、「芸術は技能ではなく、必然から生まれる」からである*1。そして、形式的な点で、芸術的手段で遊ぶことに対しての、その完全な放棄と反感が示すのと同じように、また最大・最小のあらゆる形式がその作品の中で新しく 生まれ変わり、そこから生長していくのと同じように、シェーンベルクのオーケストレーションの技術もまた、技術的手腕から引き出されるいかなる俗受け効果も欠いているのである。ここには、内なる耳で聴かれなかった音もなければ、単なるオーケストレーション技法の知識から──ルーチンワークから生まれた音もない。今日では、後者で十分事足りる ばかりでなく、それどころか「最も現代的な」要求に従ってオーケストレーションするための唯一の条件 と見られているだけに、そのことはなおさら重要であろう。オーケストラの一員になったことも、指揮者や音楽監督のキャリアの経験もない人が、オーケストレーションができるということは、今日では不可能であると考えられている。ところがそのわりには、それを不可能と考えている人†のオーケストラの輝きは、近頃の熟練したオペレッタの作曲家でさえ獲得がかなり容易なのである。というのも、彼らには「楽屋の秘密」など存在しないし、「オーケストラの魔力」こそが彼らが遊ぶのに適しているからである。しかし、ことによると、《グレの歌》の演奏が、スコアを読めない人にも、オーケストレーションにあっては楽屋とは別の秘密が、またオーケストラとは別の魔力が重要であること、それゆえ、そこで鳴っているものはすべて、対位法を装った、技術的手腕から生まれた管弦楽法の装飾が貼り付けられたものとはしっかりと区別すべきであること、そしてここでは、どんな人形にも着せられるきれいでモダンな服程度のものが、シェーンベルクの作品にあっては作品の生命の中の肉と血なのだ!ということを、明らかにするかもしれない。もちろんこのことは、《グレの歌》の初めの2部のオーケストレーションにも、後の時代に作られた第3部のそれにも同じように言える。その違いは、オーケストレーションの本質 にあるのではなく、そのスタイル だけにあるのである。そして、後にオーケストレーションされた部分のオーケストラは、独奏楽器の優遇や、極めて多彩な音色群*2の色彩の並置によって、徹底的、集中的な表現法がさらに与えられ、極めて繊細な音のグラデーションの可能性がより高められており、そのためそのオーケストレーションの様式は、《グレの歌》の初めの部分よりも、自然と後に作られた作品のそれ、例えばモノドラマ《期待》のそれの方をより多く思い出させるのも、当然のことである。このことは、この論評の冒頭で、《グレの歌》成立についてのシェーンベルク自身の言葉ですでに一度証明しているが、それでも、とにかくすでに表明されたあらゆる疑問や不審──すなわち、シェーンベルクは最新作を作ることと《グレの歌》を制作することを同時にやってのけたのだが、そんなことがどうして可能だったのか──にあらかじめ対処するため、今一度強調しておきたい。
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*原注1──『音楽手帳』1911:シュテルン・ウント・シュタイナー出版社、ヴィーンⅢ/3。†
†原注1の訳注──小論「芸術教育の問題」は、『スタイルとアイディア』増補版(フェイバー・アンド・フェイバー、1975)にも英訳が収められている。
*原注2──例えば、譜例96のオーケストレーションだけに注目すると、バスチューバ、ファゴット、ホルン、オーボエに維持される和声の上に、上の音が独奏チェロに、下がクラリネットに奏でられる半音階のオクターヴが進行する。これに加えて、2挺の別の独奏チェロによってもたらされる上行性のシンコペーション旋律( )、 その中に──声楽パートの周囲を戯れるように動き回る──ヴィオラの音型。そして、このようにオーケストレーションされた2小節の後、高いファゴットとヴァイオリンの歩み出し( )、 バストランペットの中声部、バスクラリネットの低音部によって響きが変化し 、この変化が続く各 小節に存続する。
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†訳注「技巧は目的のための手段ではない」──いやいや、目的のためには技術という手段が必要でしょうよ、と突っ込みたくなる文言だが、この後の文脈から察するに、「技巧は目的ではない」か、あるいはデヴォート訳の注のように「技巧は目的のための単なる手段ではない」などと読み替えるのがよさそうである。
†訳注「それを不可能と考えている人」──オクスフォード版英訳の注釈によると、これはリヒャルト・シュトラウスを指しているという。彼は『ベルリオーズ-シュトラウス管弦楽法』(1905)の序文において、オーケストラで演奏している音楽家の方が、ピアニスト兼作曲家や、管弦楽法を教科書でしか学んでいないような者よりも管弦楽の技量には富んでいる、と書き、また、もし学生が素晴らしいオーケストレーションを身に付けたいのであれば、また指揮をしたり日常的にその魔力に触れる機会を持たないのであれば、大作曲家の総譜研究のほか、「個人的にさまざまな楽器奏者と知り合ってその正確なテクニック、その音域の音色に親しむことであり、いわばオーケストラのリハーサル室に隠された秘密を見つけ出すことをお薦めする」(小鍛治邦隆・監修、広瀬大介・訳、音楽之友社、2006、p.8)と書いている。なるほど、シュトラウスが書いたこの内容は、ここでのベルクの文脈によく合っているし、この後唐突に現れる「楽屋の秘密」という記述とも照応するので、どうやら話題の人物はシュトラウスで間違いなさそうである。……ただ、シュトラウスのあの絢爛たる「オーケストラの輝き」は、はたして「近頃の熟練したオペレッタの作曲家でさえ獲得がかなり容易」なものなのだろうか。この当時は、それほど高度なオーケストレーション技法が知識として広まっていた、ということか? あるいは、シュトラウスのオーケストレーションこそが「対位法を装った、技術的手腕から生まれた管弦楽法の装飾が貼り付けられた」実例ということだろうか?
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農夫の歌に続く経過部は、譜例96の主題 をもたらし、その構成要素 は、男声合唱の伴奏にも使われる、譜例92Bに示された最初の形を最終的に取り戻す。
は、譜例88の を2×半小節から5×半小節に延長した形である。それゆえ、この経過モデルの中では奇数リズムとなる。そこから展開するト短調へのカデンツを作る短い上昇の後、
ヴァルデマーの従者たち(Ⅲ)
による合唱が入ってくる。これは、初めのうちは4声部で、
【歌詞】Gegrüßt, o König, an Gurre-Seestrand!…… :ようこそ、おお王よ、グレの岸へ! 今我々は島中で狩りをする、ホラ!/【第Ⅰ歌曲の歌詞】Erwacht, König Waldemars Mannen wert! :目覚めよ、王者ヴァルデマーの親愛なる従者たちよ!
主題 と、異なる入り順によるその反行形 を、カノン風にもたらす。主題 は、小さな五線(譜例88 ) が示すように、ヴァルデマーの叫びの変形である。括弧は、各4声部のカノンがどこまで続くかを示している。ト短調から属和音 であるニ音上の長三和音へのカデンツ( )、 それに続く属調ニ長調主和音 への転調( )* によって生み出される上属調領域へと向かう強い傾向は、その続き(譜例100の と ) の、下属調領域をかなり強調する合唱主題において、バランス錘を提供される。
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*原注──2回とも ナポリの六を用いている。 ではト調、 ではニ調。
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Sehr lebhaft. :非常に活発に。/
【歌詞】Vom stranglosen Bogen Pfeile zu senden,…… :弦のない弓から矢を放ち、
これもまた、今回はオクターヴと10度の対位法による固定的無限カノンで、最初の4声部の合唱のみでもたらされ、ほかの二つの4声部合唱の声部は、後の譜例でも明らかなように、「ホラー」の叫びを歌う。その続きでは、譜例100の と からもたらされる第2合唱隊のカノンに、第1合唱隊の4声部を使う新しい、これまた カノンの主題が入る。
【歌詞】zu treffen des Hirsches Schattengebild, Holla! :鹿の影姿に当てるため、ホラ!
これは、すぐ前の3度主題の変奏にほかならず、(上掲の小さな五線が示すように)3連符にすることによって2声部の3度を単旋律に書き換えたものである。第3合唱隊は、「ホラー」の叫び以外では、3、4小節目†でニ長調三和音を模倣した3連符を歌っている。
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†訳注「3、4小節目」──譜例101の完全小節から数えて、である。よって、19 1-2 を指す。
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【歌詞】über Buchenkronen die Rosse traben, :馬はブナの樹冠の上を駆ける、
3度の主題(譜例100 ) は、ここでは5 4 拍子のリズムとロ短調パッセージの低音旋律の影響下で、違った旋律の継続 とリズムの移動(5 4 ) を経験する。こうして生まれた新しい主題は、当然維持される和声にも順応し、テノール全員の3部カノンの入りももたらされ、高められ、次のような合唱モデルへと導かれる。
【歌詞】So jagen wir nach gemeiner Sag'…… :こうして我らは誰もが知る伝説に従って狩りをする、最後の審判の日まで夜ごと夜ごとに。
これは、前例の豊かな多声部対位法とは異なり、もっぱら和声的な性質を持っている。ここには譜例88 の和声と主題のほか、譜例102 に由来するトランペットの音型 と弦楽器の主題 (譜例89 ) が含まれる。
から形成される高揚は、次のような経過をたどる。
その低音主題 は譜例100 の「拡大」であり、これがさらに2倍に「拡大されて」ホルンとバストランペットに同時に出現する( )。 一方、弦楽器の動機 (譜例92B)は、縮小形( ) がトランペットに取り上げられる。譜例88の主題 もまた二通りの音価で現れ、 では8分音符†、 では4分音符となっている。最後に、弦楽器が譜例21の主題 を3小節目から奏する。
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†訳注「8分音符」──譜例に見るように、正しくは「3連符の8分音符」である。
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この後、斉唱で歌われる歌詞「Nur kurze Zeit das Jagen währt ...(狩りはわずかな時間しか続かない……)」が続く。これは譜例47 、 その後を締めくくる続き * だが、引き延ばされた形である(第1部63 9 -64 3 )。 前のポリフォニックな合唱の繰り返し、特に譜例100の合唱は、大きく変化した姿で再び歌われ、それについての主たる変更と組み合わせをここに挙げておく。24 7 における譜例100または101に対する譜例88主題 の付加、25 2-3 における譜例88 と89 の譜例103に似た組み合わせ。
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*原注──この時点での譜例47 の登場は、その主題の構成要素 と譜例100の主題 との親近性を確認するよう促す。これは、この作品で示された無数の──たいていは無意識的な──主題的関連性のほんの一例にすぎない。確かに、さらに多くのこのような関連性が──この主題に対しても──立証され得る。例えば、第1部第2歌曲の歌唱旋律(譜例16 だけでも思い浮かべてみてほしい。†
†原注の訳注──ベルクは「Nur kurze Zeit das Jagen währt ...(狩りはわずかな時間しか続かない……)」の部分の譜例を挙げてくれていないので、スコアを持たない者には比較のしようがないのだが、当該箇所の低音旋律は嬰ハ→(下の)嬰ヘ→嬰ト→イという動きである。音程を比較すると、譜例100は完全に同じ、譜例16は4音目が半音高いだけである。
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その最初の小節はさらに譜例21 と譜例92B、その2小節目は譜例100の主題 も含んでいる。25 9 は譜例88 と92Bに100 とその反行形を加えた別の結合、27 7 は短調の譜例105、そして最後に27 2 は、オーケストラだけにもたらされる譜例101の繰り返しで、その動機の構成要素が次第に崩壊していき、それによって、またしてもおなじみの主題ばかりから成る短いオーケストラ間奏曲へと移行する。その順序は以下のとおりである。29 では譜例46Ⅰ、29 4 から31 までは第1部62 2 から63 2 (譜例49B、50、47 ) に完全に対応しているけれども延長された部分。これら両方の部分のオーケストレーションの違いを、スコアで見比べてみてほしい。スペース不足のため、私には、10年後にオーケストレーションされた部分の数小節を挙げ、それ以前にオーケストレーションされた第1部の譜例49Bを指摘することしかできない。
ヴァルデマーの歌(Ⅳ)
は、裏のページ†で細かく書き入れをした間奏曲に直接続く。
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†訳注「裏のページ」──底本は、この歌から新しいページ(84ページ)に移る。
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Nicht zu langsam. :遅すぎないように。/
gehende♩ :歩くような♩/
【歌詞】Mit Toves Stimme flüstert der Wald…… :トーヴェの声で森は囁き、トーヴェの目で湖は見つめ、トーヴェの微笑みで星は輝き、胸の雪のように雲は膨らむ。感覚は追い求める、/
übergreifen :腕を交差させて。/
Etwas belebend. :やや活発に。
これは、新しい構成要素のほか、 、 、 に譜例36の主題 を、 に譜例51の主題Bを含んでいる。このトーヴェ主題の3回の呈示で目立つのは、3回目( ) で初めて元の形で現れるのに対し、その前の呈示( ) では、主題の音程が合致せず、音階的なアウフタクト部分の代わりに半音階的なそれに、長7度跳躍の代わりにただの短7度になっていること、さらにそれに対し、最初の呈示 では、その非常に特徴的な7度跳躍さえ保持されず5度跳躍に置き換えられていること、である。このような、いわば切り抜け行動と本当の姿の最終的な獲得†は──すでに譜例40と41の考察で類似例を見てきたように──、表現力の増強と増加の強力な手段であり、そこに内在する変奏の思考によって誘発されるものでもある。
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†訳注「切り抜け行動と本当の姿の最終的な獲得」──原文「Durchringen und schließlichem Durchsetzen der wahren Gestalt」。要するに、「本来の姿を確立するためにもがき、最終的にそこに至る」ということ。
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譜例の最後の小節で暗示された動機から、この歌曲の二つのエピソードが展開する。 からは、──再び多様な繰り返しを引き起こす──歌詞「Tove ist hier und Tove ist da, Tove ist fern und Tove ist nah(トーヴェはここにいてトーヴェはあそこにいる、トーヴェは遠くトーヴェは近い)」の箇所、譜例60の主題 から形成された部分33 2-5 が。 からは、上の譜例の続きから33 3 までと、次のモデルの主題が。
最後に、もっぱら旋律的な展開に基づいて構築された、この自由な形の歌曲は、さらにこの主題が非常に重要である。
それから形成された楽節の、35 からの繰り返しの支脈は、35 7 で譜例50の主題に、36 1 でそれに続く譜例47 に移行し、こうしてこの歌曲は、始まったときのように第1部と同じ 構成要素で締めくくられる。譜例47 の自然な続きである 、 、 、 は、この曲の後奏的な小節36 3 にも接続し、 ではすでに次の経過部の動機 (譜例108Ⅱ)のリズムがほのめかされている。ここには重要な動機が含まれており、
などは、
道化師クラウスの歌(Ⅴ)
の主題的展開にとっても重要である。
【歌詞】Ein seltsamer Vogel ist so 'n Aal, :ウナギという奴ぁ奇妙な鳥だ、
この譜例の は、先の譜例108Ⅰ-Ⅲの であることがはっきりと認識できる。また、通常の歌曲形式にはもはや数えられず、すべてが交響的な自由さの中で構想されている道化師クラウスの歌には、さらに次の動機と主題が現れる。
【歌詞】Ich halte jetzt kein Haus :俺は今じゃ家もなく
もちろんあなたは極めて多様な変奏、展開、結合を経験するけれども、ここではスペース不足のため、私はそれらを挙げることはできない。最も重要で頻繁に繰り返される主題的事象の列挙のみに限定せざるを得ず、せいぜいエピソード、経過句、先行要素を思い出させるものに注意を促す くらいしかできないということである。私の議論は、世に行われているような主題分析の従来の量をすでにはるかに超えてしまっているので、この後もそのようにするほかはないのである。
44 8 では、トロンボーン(弱音器付き)とチェロの、エピソード的な3度並行の動きに遭遇する。その先の45 では、声楽パートに独特な、その後の動機的展開ならびにメロドラマ(79 9 ) の音楽にも重要な6度跳躍。歌詞「Sobald die Eulen klagen(フクロウが鳴くと同時に)」の箇所(45 8 ) では、譜例70の 、 それに続く46 0-4 では、ともに第1部からの譜例36主題 と譜例60 との組み合わせ、そして数小節後、歌詞「Denn er (der König) war immer höchst brutal(王はいつだってとことん残酷だったし)」の箇所46 9 では、譜例52 と第2部の譜例84からの和声進行†が聞こえ、それが新しい3小節の楽節へと導く。
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†訳注「譜例52 と第2部の譜例84からの和声進行」──出てくる順はこの逆で、譜例84(ここでは長2度高い)の方が先である。
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それに47 8 で譜例109、48 では上と次の譜例(112Ⅰ)の とリズム的な関連のある2小節の楽節が続き、その変奏の後、譜例111が繰り返される。それを材料にして生じる──全音音階の和声†から作られる──高揚は、譜例110Ⅰと111の音型 の類似性を利用して49 5 での譜例110Ⅰの繰り返しへと導き、そこでは譜例111 の変奏が対位法的に扱われる。それは50 3 での譜例110Ⅲに続き、譜例110Ⅱの音型に装飾され、それ自体もまた50 5 でト音のオルゲルプンクト上のエピソードを生じ、50 7 ではそのリズム的・旋律的変奏(譜例111 と比較せよ)である譜例112Ⅰ のリズムを準備する。
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†訳注「全音音階の和声」──原文「den Harmonien der Ganztonskala」。全音音階と言っても、8分音符ごとに移高するので、むしろ「増和音の連続」とでもした方がよいように思う。
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【歌詞】ertönen die Posaunen, :審判のラッパが鳴り響き
その続きは、主として縮小した と、同じく縮小し、豊かに和声付けした(51 7 -52 4 ) から作られている。この新しい形のリズムを譜例112Ⅱ に維持し、譜例108Ⅰ動機 の付加で生じるのが、これである。
【歌詞】Ach, daß ich im Ritte rase, :ああそれなのに、自分は馬に乗って突っ走り、/
col legno geschlagen :叩かれるコル・レーニョ
いくらか変化した譜例109の繰り返しの後、譜例110Ⅲが直に接続し(53 4-8 )、 譜例111と関連のある楽節113が続く。
Fliesßend.(Bewegte♪) :流れるように(活発な♪)/
【歌詞】Doch o wie süß soll's schmecken zuletzt…… :だが、おお、最後にはどんなに甘さが味わえることか、俺が天国に配置換えされるときには!
この主題 は、54 6-7 小節でもオーケストラ後奏でも使われている。
5度跳躍は、しばしば6度ないし7度跳躍に置き換えられ、先述の6度跳躍(45 0-5 ) との関係が作られる。
54 8 では譜例110Ⅲが繰り返され、55 2 は対位法的に変化した譜例111の最初の小節となり、55 5 ではそれが独奏ヴァイオリンとフルートの新しい音型によって豊かにされ、55 7 ではそれ自体が音型に分解される最初の動機(譜例109)が、56 では譜例110Ⅰが現れ、その構成要素 が56 4 で次の形 を取る。
【歌詞】……gibt, dann muß ich…… :(そうさ、もしまだ正義が)あるのなら、俺は(天国の恩寵に迎えられるに)違いない……
これは同時に、弦楽器の伴奏音型として16分音符で、声楽パートとして8分音符で、最後に、より多くの小節にわたる木管の大きな旋律として4分音符で現れる。さらに、譜例110Ⅰの4度動機 が──同じように異なる音価で──ホルンに聞こえ、譜例112Ⅰの が弱音器付きトランペットで奏されるのが聞こえる。それに続く、木管金管の和声と全弦楽器の32分音符のパッセージによって形成される、この歌曲の調性ト長調のカデンツ†が、ここでも第1部の大きなオーケストラ間奏曲同様、前の動機と主題の展開部 である、同じ調に固定された後奏へと導く。詳しく書くと、57 4 では、110Ⅰ から発展した木管の音型の伴奏(先の32分音符の音価はそのまま)で、(弱音器を外したトランペットとホルンの)譜例113Ⅰ が続く。57 8 では、カノン風に奏し出される譜例110Ⅲの旋律と、同じようにストレッタとなる譜例113Ⅰの動機 との組み合わせが現れ、58 では、その上にこの後(譜例118と119)のために重要なフルートの音型がフルートに現れる。やや変化した後奏曲第1部の繰り返しの後、譜例108Ⅰ と譜例113Ⅰ からの を用いて構成される木管のリズミカルな音型(59 1-4 ) が、59 5 で譜例112Ⅱから新しく形成される展開モデルへと移行され、そこではそのリズミカルな音型も参加する。
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†訳注「ト長調のカデンツ」──ここはコードで書くとG/D→C♯7-5→Gとなっている。C♯7-5はドッペルドミナントA9の根音省略であろうから、Gの直前に、あるべきD(7)が抜けている感じである。
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上記のものとともに、譜例110Ⅰ から生じた、下降しつつff からpp へと弱まっていくパッセージ(弦楽器)と、弱音器付きトランペットの3度平行の動き(ff-pp)が、このオーケストラ後奏を、次の(同時に最後の)
ヴァルデマーの歌(Ⅵ)
へと結びつける。
開始の小節(チェロとファゴットに異なる音価で現れるおなじみの動機†60 9 、61 1-2 を伴う)と歌詞の最初の厳かな旋律に加え、次の主題も新しいものである。
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†訳注「おなじみの動機」──次のパラグラフの最後に触れられているように、これは譜例83 を指している。
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それ以外はすべて、以前(特に第2部の大きなヴァルデマーの歌)の構成要素で、ここではただ新しい連続、別の組み合わせで登場するのみである。それは次のようなものである。62 での、トロンボーンとチューバの、主題76 をほのめかす二つの呈示。62 7-8 と63 4 から7 までは、譜例82の主題(2番目のケースは譜例19 と一緒になる)。62 9 と63 1 の歌詞「Ich und Tove, wir sind eins(我とトーヴェ、二人は一つなのだ)」の箇所では、ヴァルデマー主題(譜例33 ) とトーヴェ主題(譜例36 ) の数多くの並置のうちの一つで、適応能力のある主題である譜例19 を追加している。63 8 では、譜例112Ⅰの から発生した急速に「steigernde und beschleunigende(高揚し、加速する)」反復。64 2 では、この歌曲の最後の歌詞「und sprenge mit meiner wilden Jagd in's Himmelreich ein(我が荒々しき狩りとともに天国へと突入するであろうから)」に対する、倍の速さで頻繁にクレッシェンドする譜例88の主題 の呈示。最後に65 は、この高揚のfffの頂点で、譜例76 (=譜例81 ) と後続する譜例83から成るが、その構成要素 はこの歌曲の冒頭で触れた異なる音価でもたらされる動機であり、こうして、全然「歌曲形式的」に組み立てられていないヴァルデマーの歌の、少なくとも最初と最後には関連性が作られる。
続く
ヴァルデマーの従者たち(Ⅷ)
の合唱曲への導入小節 66 は、譜例21 と45 が混在する形の一つで、ファゴットの上行音型をもたらす(この部の11 7-8 と比較せよ)。合唱自身もまた新しいものである。
【歌詞】Der Hahn erhebt den Kopf zur Kraht,…… :雄鶏が時をつくろうと頭を上げる、くちばしにはすでに昼が宿る、
【歌詞】Die Zeit ist um!…… :時は過ぎ去った! 開いた口で墓が呼び、
続く合唱の伴奏内†に聞こえる主題 は、原調変ホ長調の冒頭主題(譜例1)の反行形であり、それがハ長調で現れる作品終結部にとって最も重要なものである(譜例124、129)。それに加えて、譜例2 のおなじみの音型も鳴り響く。
【歌詞】Das Leben kommt mit Macht und Glanz, mit Taten :生命が力と輝きとともにやって来る、行為と
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†訳注「合唱の伴奏内」──この合唱曲では、最初から最後まで管楽器と打楽器が伴奏を担当し、擦弦楽器はまったく使われていない。ハープとチェレスタは使われている。
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また、この4声部の箇所も新しいものである。
【歌詞】und wir sind des Todes, :そして我らは死のもの、
そして、前の和声的な合唱作法とは異なる、対位法に富んだ12声部合唱。
【歌詞】O, könnten in Frieden wir schlafen! :おお、我ら平穏に眠ることができるなら!
これは、括弧が示すように、二つの主題、3回とも常に1オクターヴ低く入ってくる と、 の4つの音から始まる の模倣から成り立っており、71 5 では、これらの主題がその構成要素 と に溶解する。メロドラマ:
夏風の荒々しい狩り
のオーケストラ前奏への移行部は、72 1 では譜例88 の反行形、それに続く72 6 では合唱115Ⅱの に似た和音進行†を形成する。
Des Sommerwindes wilde Jagd.(Melodram, später gemischter Chor.) :夏風の荒々しい狩り(メロドラマ、後に混声合唱)
‡譜例への訳注──ここのピッコロとフルートによるppの高いロ音は、その演奏効果は理解できるけれども、「やってはいけないオーケストレーション・その1」のような気がする。fならともかく、この超高音のロングトーンをppで吹くのは、けっこう難しいのでは? 特に第1・第3ピッコロ(いちばん上のロ音を交替で吹く)は、重複する楽器もなく、この高音を一人で担当しなければならないので、ごまかすわけにもいかないだろうし。DVDのヤンソンス盤は、この部分だけ別の小さな笛(《グレの歌》用の笛?)で吹かせていた。ピッコロとフルートにそのまま吹奏させて、ピッチやボリュームがぶれるのを嫌ったのだろう。
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†訳注「似た和音進行」──72 6 と合唱115Ⅱの の和音進行は、そんなに似ているだろうか? 後者はすべて長調ないし短調の三和音で、最初のCm→E♭mを除き、根音が半音または全音の移動で8分音符ごとに転調していくような進行であるが、前者(譜例なし)はオルゲルプンクトのヘ音を度外視しても、三和音の出現は少ないように見える。
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ここで主題的に重要なのは、とりわけ と であり、それぞれが同じようにストレッタで登場する。76 1 で追加され、カノン的に入ってくる弱音器付き弦楽器の音型は、「荒々しい狩り」の譜例88 、 および道化師クラウスの歌の譜例108Ⅲ と関係があり、メロドラマにも現れる(譜例119 、84 2 、86 5 、88 5 )。 前の譜例 と組み合わせると次のモデルが得られ、そこからこのオーケストラ曲のオーケストレーションのイメージを抱くこともできる。
この最も重要な構成要素は、この二つの譜例117と118に同時に与えられている。構造も明確で、この抜粋を手がかりとするのと同じように、次の
メロドラマ(Ⅷ)
からも容易に認識できる。そこで、ここで私は最も重要な主題と組み合わせを挙げるだけにとどめ、シェーンベルクの手紙†から引用するこのメロドラマの本質と、シュプレッヒシュティンメの扱い方についての発言のみを付け加えておきたい。「ここでの音高記譜は、ピエロのメロドラマ*ほど真剣に考えるべきではありません。ここではいかなる場合でも、そちらでのように歌唱的な語る旋律が生じるべきではないのです。リズムと(伴奏に応じた)音の強弱は、完全にそのまま保たれなければなりません。ほとんど旋律的に見えるいくつかの箇所では、多少は(!!) より音楽的に語られてもよいでしょう。音高は、あくまでも〈位置の違い〉として見なければなりません。つまり、当該の箇所(!!!個々の音ではなく)は、より高く、あるいはより低く語られ得るということです。しかし、音程の比率はそうではありません!」
【歌詞】Herr Gänsefuß, Frau Gänsekraut, nun duckt euch nur geschwind, :アカザ氏よ、ハタザオ夫人よ、さあもう急いで身を屈めて、
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*原注──シェーンベルクの作品21。
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†訳注「シェーンベルクの手紙」──シェーンベルクからベルクへの手紙、1913年1月14日より。シュプレッヒシュティンメについての説明が《ピエロ》同様どうも分かりにくいのだが、要するに「リズム・強弱・各音間の音程は守られるべきだが、記譜上の音高は守らなくてよい」ということだろうか? となると、「当該の箇所(!!!個々の音ではなく)」というのは、楽節または楽句のかたまり内では相対的な音高は守るように──例えば開始音がニ音で記譜されている楽節をハ音で語り始めようがヘ音で語り始めようがかまわないが、その楽節が終わるまではその基準(前者なら長2度下、後者なら短3度上)は守り、どの音も同じように移高して語り、個々の音ごとに上げたり下げたりしないように(そんなことをしたら各音間の音程が目茶苦茶になる!!!)──ということになるだろうか。……シュプレッヒシュティンメの問題については、《ピエロ》の方ではあるが、音友の「レコード芸術」誌2021年8月号から2022年7月号まで(21年11月号を除いて)連載された、長木誠司さんによる「ディスク遊歩人〈もういくつかのピエロ・リュネール〉」(全10回+番外編1回)が、非常に参考になった。
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は前述の音型である(譜例118 、 108 、 88 )。 は道化のクラウスの歌の開始部を思い出させる(譜例109)。そのほかの、軽やかなリズム、音程跳躍、動機の短さ、同じようにオーケストレーションのスタイルや、最後に大きく自由な交響的形式も、メロドラマとその歌の両方に共通している。例えば、譜例120の7度跳躍
から生じる部分79 9 と、道化師クラウスの歌で触れた同じ6 8 拍子のエピソード45 0-5 とを、また木管の音型のリズム80 4-8 と、譜例112Ⅰ から派生した動機51 7 -52 4 とを、また──先取りすれば──「viel bewegteren(非常に活発に)」の部分86 8 -88 と、譜例112Ⅰとを、比較してほしい。メロドラマに保持されたその動機 からは、88 では重複させた形が、それを使って88 2 では──「生まれ変わった」ように──譜例47のおなじみの主題 が生まれ、さらにそこから88 4 では譜例45主題 が発生する。
譜例120 と譜例117 の結合を示す。
【歌詞】Welch Wogen und Schwingen! :何という波と揺れ!/
von früher. :前からの(テンポ、付点4分音符=2分音符の速さで)。/
Umkehrung. :反行。
この組み合わせは頻繁に現れる(81 1-2 、 81 5-8 、83 4 -84 )。 次の譜例の新しい三つの主題も同様である。
【歌詞】Mit den langen Beinen fiedelt die Spinne, :蜘蛛たちは長い脚でせわしなく動くが、/
etwas rascher als früher :前よりもやや速く
しかも、82 3 では、それらの主題の反行形が別々の対位法で現れる。次の小節では、それらは新しい構成を経験し、82 7 では、 と譜例120 の部分が組み合わされるのが見られ、82 9 以下では、譜例122Ⅰの主題 と (反行形かつ縮小形)の、8分の5拍子のためにリズム的に興味深いモデルが見られる。
トーヴェの主題(譜例36 ) もこのメロドラマ(の最後)に登場する。詳しく書くと、最初は独奏弦楽器、オーボエ、クラリネットにストレッタで奏され(85 )、 86 ではまったく新しい、拡大され変奏された形を取る。さらに、ヴァルデマーの主題(譜例33 ) も独奏チェロで再び響き(85 1-4 )、 その続きのように、85 5-8 でゲシュトップ・ホルンに譜例56の主題がもたらされる。次の部分87 2 、87 8 -88 2 、88 6-9 もこの旋律の影響下にあり、ここでもそれぞれが独自の展開を持ち、まとまった形を形成している。私は、メロドラマの、すでに個々に論じられた二つの部分†、「Viel bewegter(非常に活発に)」(86 8 -88 4 ) と「Etwas langsamer(ややゆっくりと)」(88 5 -89 4 ) のことを言っているのである。それに続いて、経過部と考えられるものが接続される。
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†訳注「すでに個々に論じられた二つの部分」──一つ目は、譜例120の下の「先取りすれば」のあたり、二つ目は、さらにその上、譜例118の上の「~メロドラマにも現れる」のあたりであろう。
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【歌詞】O schwing' dich aus dem Blumenkelch, Ma…… :おお花の顎から舞い上がれ、(小さなテントウムシよ)
【歌詞】nun regt sich Waldes…… :今や森の(鳥の群れが)活動し、
これについて、譜例123Ⅰで示されてはいるものの、この後の89 8 でまた離れてしまうト音のオルゲルプンクトは、その再度の開始(譜例123Ⅱ)から後はもう離脱させられることなく、そのため和声的にハ長調が確立された
混声合唱(Ⅸ)
の入りが準備される。
【歌詞】Seht die Sonne, :見よ、太陽を、
この8声部合唱が初めて投入されるときの圧倒的な力は、最初の主和音基本位置の回避と、それの入りの(93 までの)先延ばしにより、さらに強化されている。トランペットの主題 は、すでに譜例115Ⅲで示されたように、《グレの歌》の最初の主題(譜例1)の反行形から生じたもので、 は譜例2 と の、同じく「反行形にされた」伴奏音型であり、最後までほとんど途切れることなく合唱の和声を取り囲んでいる。基本位置の主和音がようやく入ってくると、経過的な数小節を経て、属音のオルゲルプンクト上の「半分の合唱」楽節が続く。
HALBER CHOR. :半分の合唱†/
【歌詞】farbenfroh am Himmelssaum, Östlich grüßt ihr Morgentraum! :地平線に接した色鮮やかな(太陽を)、東で君たちに朝の夢の挨拶をよこす!
†譜例への訳注「半分の合唱」──ここは人数が指定してあって、第1隊はソプラノ12、第1アルト12、第2アルト12、第1テナー10。男声のみの第2隊も同時に歌っており、そちらはテナー2部、バス2部でいずれも10。また、ベルクのピアノ版には「人数配置の付随的な指示、重要:高音3声部は低音5声部よりも多く配置される」という注意書きがある。これは男声女声の総数ではなく、各パートの人数のことを言っているのだろう。
この合唱楽節の対位法技法は、先行する対位法構造のそれをさらに凌駕している。ここでの動機と主題は、男声合唱で模倣されたり(譜例116)、単一および二重の対位法でストレッタにされたり(譜例100-102)、あるいは主題展開部でエピソード、展開部分が同時に、また多様極まりない組み合わせで拡大形、縮小形、反行形等々が登場したり(私は第1部オーケストラ間奏の譜例63-67を指摘するだけにとどめる )といったようなものでは、もはやない。この技巧を凝らした合唱楽節を形成するのは、ここでは完全な旋律 、──二重カノン(b ) と(a ) の二重対位法で案出されたもののような──完全に彫琢された形を備えた旋律なのである。しかし、別の声部のことも個別 に注目してほしい──分けられた 上も下も4声部のグループによって形成される合唱──最後は8声部の集合的音響へ。そして今度は、同じ旋律が、オルゲルプンクトを離れ、新しい、「全合唱」が歌い出す楽節(94 5 -95 6 ) が形成され、そこでは二重対位法で案出された主題 が逆順で、まず第1テノールに、それから第1ソプラノにもたらされ、第1バス、第2テノール、第2アルトによる主題 の一種の反行形で対位法的に装飾され、指導的な旋律 を音高を上に超えつつ伴奏するような、pp sehr zart(pp かなり繊細に)と書かれた第2ソプラノと第1アルトによる3度の平行進行(94 7 -95 2 )、 そして、これらの声部の展開から作られる並外れた和声的高揚が、ホモフォニックな合唱楽節( ) にどのように流れ込んでいくのかに、注目してほしい。
CHORAUSZUG :合唱隊/
【歌詞】Östlich grüßt……Morgentraum! :東で(君たちに)朝の夢の挨拶をよこす!
3回目の登場ではまたしてもストレッタで、今度は2 声部(第2と第1ソプラノ、第2と第1テノール)に分かれ、半音階的に上昇するバスの上で、新しく派生した動機が対位法的に旋律(譜例125 ) に加わる──この高揚も、最後の96 9 -98 でさらにどれほど凌駕されることか! 2回の高揚の間に、この最終合唱の副主題がある。†
【歌詞】Lächelnd kommt sie aufgestiegen Aus den Fluten der Nacht, :それは夜の水から微笑みながら昇ってきて、
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†訳注──譜例125 の1回目の登場:93 6 から、2回目の登場:94 5 から、副主題:96 1 から、3回目の登場:96 9 から。「新しく派生した動機」とは、96 9 の第1テノールや97 の第1ソプラノなどに現れる楽句のことだろう。
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この(ここでも厳密に模倣されている)主題 が、98 8 で再び現れ、絶えず速くなっていくテンポによって2倍大きな音価が生じるホモフォニックな合唱楽節譜例126 へと導き、その広々とした和声的転調の後、次のようなカデンツを用いてハ長調主和音が到達される。
このカデンツでは──合唱の入りをかなり強く準備したため、その効果が使い古されている──属和音は避けられ、主和音へのナポリの六 の転回形により、もしかするとあまり強く表明されないかもしれないハ長調は、次の、主和音を婉曲に示す主題的事象によって確立される。
これは、全合唱声部( ) とオーケストラ( ) に(半分の音価で)もたらされる最初の主題(譜例1)から生じる反行形の数多くの呈示であり、それにより、フルート、ハープ、チェレスタ、最後にはトランペットにも取り上げられる譜例2(反行形)の伴奏音型( ) と協力して、各小節・各拍に6度 音を持つ長三和音( ) が新たに生まれ、その長く持続させられた6度音は、終結部での最終的な解決まで持続的に ──この主題最初の入りのピアノから最強のフォルティッシモまで──鳴り響く。これは(変ホ長調からハ長調に移調された)《グレの歌》の冒頭の和音である 。
その意味は深く†
広く知られている。
やはり過去の
大きな意義は、
未来に名前を
運べることだ
暗闇からそれを
再び引き出して、
光の中にもたらした、その名前を。
(グレの歌初版†
ヤコブセンの導入詩の
一編より)
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†訳注「その意味は深く……」──ここから下は、ヤコブセンが「グレの歌」に付けた序詩「真昼」の一節。原作では後に削除されている。詳しくは、『サボテンの花ひらく』拙訳の注釈参照。ベルクがここで引いているドイツ語訳は、オイゲン・ディーデリヒ版ヤコブセン全集第1巻第4版増補版以降の版に掲載されているものである。《グレの歌》において、最初の特徴的な和音が最後にも現れていることを、過去のものを現代に発掘することの意義を述べた詩にかこつけたもの。
†訳注「グレの歌初版」──ここの「初版」とは、どの本を指しているのであろうか? オイゲン・ディーデリヒ版全集第1巻の初版を指しているとしたら、これは誤りである。オイゲン・ディーデリヒ版全集にこの「導入詩」が入ったのは、初版ではなく第4版増補版からだからである。また、シェーンベルクが使ったアーノルト初訳の『J・P・ヤコブセン詩集』(1897)にも入っていなかったので、それを指しているとしても誤り。しかし、可能性は低いと思うが、もし『サボテンの花ひらく』が最初に収められたデンマーク語の『詩と草稿』(1886)を指しているのだとしたら、この記述は正しいことになる。「真昼」は、『サボテンの花ひらく』を収載したいちばん最初の書籍から、すでに併載されていたのである。
グレの歌ガイド小版
アルバン・ベルク
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‡訳注──小ガイドでは、上のシェーンベルクの写真の後、ドイツ語歌詞・中表紙・楽器編成表と続くが、歌詞と楽器編成表は大ガイドと同じなので、ここでは省略する。中表紙には、「小版」の脚注として、「ガイドの大版(100ページの分量)は、U. E. No.3695(価格1マルク)で出版された」という記載がある。
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1868年頃に成立した《グレの歌》は、デンマークの詩人イェンス・ペーター・ヤコブセン(1847-1885)の若書きの作品である。初出は枠物語『サボテンの花ひらく』であるが、これは未完の断片のままである。これは、──翻訳に当たったR・F・アーノルトの注釈から情報を得たところでは──「ヴァルデマー4世アッターダーク王(1340-1375)が美しい娘トーヴェ・リレ(小さなトーヴェ)をひそかに愛していた」というデンマークの伝説に基づいている。王妃ヘルヴィヒはスレースヴィヒ侯爵令嬢として生まれ、嫉妬からその娘を死なせたと言われている。──現代の民謡研究は、ヴァルデマーとトーヴェの伝説は、デンマーク人以外にも、スウェーデン人、アイスランド人、フェロー人の間で、2世紀ほど古い歴史上の出来事に遡るという結果をもたらしている。「そして、分かっているのは、ヴァルデマーの下に続くのは、デア・アッターダークではなく、この名前の最初の人物ヴァルデマー・デア・グローセ(1157-1182)であり、その正妻はゾフィーという名であるということである。──この伝説はやがて、最初は民謡の中で、次いで歴史記述家の著作で、特にユラン-シェランのゲルマン共通基語のイメージの反映、荒々しい狩人ヴァルデマーの伝説とも結びつき、おそらく同様に1世から4世のヴァルデマーへと移っている。民衆が言うように、アッターダークはグレで死に、ヴォーディングボーからグレまで毎夜狩りをしている。従って、グレ(城であり、かつては北部シェランのエスロム湖畔の町でもあった)は、二つの伝説を地域的に繋ぐ場所であったかもしれない」
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‡訳注──上のページは、大ガイドにはない。オイゲン・ディーデリヒ版ヤコブセン全集第1巻のアーノルトによる解説を要約・引用したもの。上の文章中で、ヘルヴィヒについて、「eine schleswigsche Fürstin(スレースヴィヒ侯爵令嬢)」とあるが、スレースヴィヒは公国であるから、正確には「公爵令嬢」であろう。
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‡訳注──ここで、シェーンベルクの手紙を引用した作曲の経緯のページが来る。これも大ガイドと同じなので省略する。
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主題一覧
(この主題一覧の譜例は、同じ出版社から刊行された小冊子『アーノルト・シェーンベルク、グレの歌──アルバン・ベルクによるガイド』から引用されている。譜例の前に書かれている数字もそれに結びついており、その順序は──ここにはそのガイドの譜例の一部しか挙げられていないため──連続してはいるけれども、しばしば中断される†。)
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†訳注「連続してはいるけれども、しばしば中断される」──この小ガイドの譜例は大ガイドからの抜粋なので、番号は連続しているけれども抜けている場合がある、ということ。連続しているというが、譜例51、49B、50はこの順で、51が先に掲出されている。また、譜例は大ガイドとすべて同じではなく、一部が省略されたりほぼすべてが書き直されたりしているものがあるため、それらのsvg画像は新たに作り直してある。
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第1部
オーケストラ前奏曲
の上に、すでに3小節目で演奏し始めている2A(B)。
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*原注──譜例の上に記載されている枠囲みの数字は、ピアノスコアの指示番号と一致しており、それは──それぞれの部ごとに──1から始まり、常に10小節を表している。従って、例えば3 は30小節目を意味している。その隣に記載されている数字は、1の位を示す。例えば3 5 は35小節目となる。具体的には、
7ページ 2小節目
89ページ 8小節目
98ページ 3小節目
ピアノスコアの
が3 5 である。フルスコアの小節番号は、ピアノスコアのそれと必ずしも一致しているわけではない。フルスコアの92ページ3小節目と115ページ5小節目は消す必要がある。さらに、71ページでは誤って1小節が落とされてしまっている。そこでは5小節目が繰り返されるべきで、声楽パートも1小節遅れて歌い出さねばならない(不足している小節は、ピアノスコア第1部の81 に該当する)。
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‡訳注──上の原注は、最初に「im Führer und(ガイドの中と)」がないことを除いて大ガイドに同じ。ここでの「フルスコア」は自筆スコア(ファクシミリ版、UE3697、1912)を指している。大ガイドの方の訳注も参照のこと。
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5 では、4 (ストレッタ)、1(ストレッタ)、2( ) の組み合わせ。──終結の、あるいは経過の小節 = 1、2A、B、5。
Ⅰ.ヴァルデマー
同一の構成要素:5、4 、 2 。
譜例10 = 譜例2の 。 __
短い後奏曲(2A)と次曲へ短い経過部。
Ⅱ.トーヴェ
Flag. :フラジオレット。/
【歌詞】O, wenn des Mondes Strahlen milde gleiten, :おお、月の光が静かに滑(り、安らぎと静けさがあらゆるものに広が)るとき、
fließend :滑らかに/
【歌詞】Das sind nicht Wolken,…… :空を飾るのは雲ではなく、/
Hr. :ホルン。
重要な主題(譜例18 、 から生じた):
短い後奏と、19 から形成されたバスを伴う若干の経過小節。
Ⅲ.ヴァルデマー
【歌詞】Des Waldes Schatten dehnen…… :森の影が野や湿地の上に広がるのを。
Sehr zurückhaltend. :かなりリタルダンドして。/
【歌詞】muß ich steh'n vor Toves Tor. :私はトーヴェの門の前に立たねばならぬ。
Ⅳ.トーヴェ
27 と2小節目の弦楽器の音型 = 19 。
【歌詞】Sterne jubeln, das Meer…… :星々は歓喜に叫び、湖、それは輝き、脈打つ波を岸に押しつけ、
28 = 19 。
Ⅴ.ヴァルデマー
Mäßig bewegt. :適度に活発に。/
【歌詞】So tanzen die Engel…… :天使たちは神の玉座を前にして踊らない、今、世界が私の前で踊っているようには。(彼らのハープの音は)快く響かない
Ⅵ.トーヴェ
【歌詞】Nun sag ich dir zum ersten Mal…… :今、私はあなたに初めて言います。「フォルマー王、愛しています!」と。今、私は初めてあなたに口づけして、あなたを腕に抱き締めます。
短い後奏(オルゲルプンクト上に同時に響く、36 の原形と拡大形、および33 )。
Ⅶ.ヴァルデマー
【歌詞】Es ist Mitternachtszeit…… :今は真夜中、不吉な一族が、忘れられ、崩れ落ちた墓から立ち上がり、
【歌詞】Und der Wind schüttelt spottend…… :風は嘲笑しながら、ハープの音とグラスの音と愛の歌を、彼らに向かって低く震わせる。
【歌詞】Und sie schwinden und seufzen…… :彼らは消えながら嘆息する、「我らの時は過ぎ去った」と。
中間部:
【歌詞】Mein Haupt wiegt sich auf lebenden Wogen, :私の頭は生命の波の上を揺れ動き、
【歌詞】Und weiter mich schleichen im späten Mondlicht :さらに深夜の月光の中を忍び歩き
【歌詞】Und schmerzgebunden…… :苦痛に縛られ、重い墓の十字架でおまえの愛しい名前を地面に刻んで/
ausdrucksvoll :表情豊かに。
若干の終結小節(譜例45)と経過部(譜例51)。
Ⅷ.トーヴェ
後奏:譜例56 (ストレッタで、52 、 f2とともに3小節のモデルを形成する)、譜例52 と経過部(52f2)。
Ⅸ.ヴァルデマー
Ruhige Bewegung. :静かな動きで。/
【歌詞】Du wunderliche Tove!…… :不思議なトーヴェよ! おまえのおかげで今私は豊かなので、
【歌詞】Denn mir ist's, als schlüg in meiner Brust…… :それはあたかも私には、おまえの心臓の鼓動が、私の胸の中で打っているかのようで、そして私の呼吸が、トーヴェ、おまえの胸を膨らますようであるからだ。
オーケストラの間奏曲
これは第1部の、ある種の展開部である。最も重要な主題は、多小節モデルにおいて極めて多様な組み合わせでもたらされ(例えば63)、短縮、分割等によって連続して先へと進み、「wenig bewegten(少し躍動して)」の4 4 拍子から、「nach und nach belebter, steigernd(次第に活気づき、高まって)」が「sehr raschen(非常に速く)」でスケルツォ的な3 4 拍子(譜例65)へと移行し、そこで再び対位法的なモデルが形成される(例えば66)。このようなことが続いた後、再び「nach und nach steigernd(次第に高まって)」となり、「breitet(広々と)」4 4 拍子ではこの間奏曲の第3部に到達し、再び「rasch steigernd(急激に高まって)」の経過部から、次の森鳩の歌へと生長する(譜例69)。
63 = 60 ; 63 = 19 ; 63 = 36 ; (63 = 33 )。
83 8 では、36 と52 および52 とのさらなる組み合わせ。84 5 = 52 。 __
65 = 27 、 65 = 51 、 65 = 60 、 65 = 60 、 65 = 19 。
66 = 52 、 66 = 19 、 66 = 60 、 66 = 52 、 66 = 51 。 __
89 3 では、同じ主題66 と60 および19 との新しい組み合わせ。──
90 1 では、66 (=52 ) と60 から形成された主題のカノン、それに加えて譜例27 。 ──91 7 、93 3 までは第8歌曲の一部、68 9 から70 4 (譜例56)に対応する。これに非常に重要な主題69 の入りへの、56 からの経過部が続く。
69 については、次の歌曲の103 「Die Königin hielt sie (die Fackel) rachebegierigen Sinns(王妃がそれ(松明)を持っていました、バルコニーで高々と、復讐に燃える気持ちで)」も参照。69 = 36 (45 を彷彿とさせる形に歪んでいる)。
森鳩の歌(Ⅹ)
【歌詞】Tot ist Tove!…… :トーヴェは死にました! 彼女の目には夜の闇、それは王の昼の光でした!/
Pauken u. Haffen Kontrabässe gestrichen. :ティンパニとハープ、弓奏されるコントラバス。
72Ⅰ = 98 1 で19 と結合。__
98 7 = 71Ⅰと70B ──99 5 (「unwegsam der Weg[その道は通れません]」)で譜例47 と45 。 ──99 8 (「wie zwei Ströme waren ihre Gedanken[彼らの思いは二筋の流れのようでした]」)で36 と33 の組み合わせ。100 6 (「die Gedanken des Königs winden sich seltsam dahin[王の思いは奇妙に曲がりくねって流れ行き]」) = 33 (歪められた)、72Ⅰ、19 (第2部への序奏を見よ)。
76 = 第2部と第3部にとって重要。──76 は、譜例70B の新しい形で、同じ譜例の に接続する。
102 7 = 69 。104 1 = 72Ⅰと77Ⅰ。104 9 = 71 。
108 9 (「Weit flog ich,...[私は広く飛び急ぎ……]」) = 76 。 ──109 4 (「Helwigs Falke war's...[ヘルヴィヒの鷹だったのです……]」) = (76 と)69 。 これに続いて、70B 、 70 、 71 を用いた短い後奏。
第2部
第2部は、ヴァルデマーの歌1曲だけで構成されている。開始小節は、71 (「Tot ist Tove[トーヴェは死にました]」)と、この第2部にとって、また第3部にとっても最も重要である76 をもたらす(譜例81、88等)。これに続いて、72Ⅰ、71 、1 5 「etwas bewegter(やや活発に)」では、第1部で見たような33 と19の組み合わせ、最後に1 9 では19と72Ⅰ の結合。
第1詩節開始部:
第1詩節中間部:
第1詩節終結部:
次の詩節開始部:
短いオーケストラ後奏:オルゲルプンクト上で「速く、高まり(rasch steigernd)」つつ、81 と、ストレッタで奏される83の構成要素 との結合†。それに続いて81 。 83、81 。
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†訳注「81 と、ストレッタで奏される83の構成要素 との結合」──ここでは省かれているが、大ガイドの譜例86が分かりやすい。81 はバストランペットが低音で担当している。
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第3部
荒々しい狩り
若干の導入小節(譜例45、46Ⅰ)の後、
ヴァルデマーの歌(Ⅰ)
88 = 81 (= 76 )。
短いオーケストラ後奏:
90 = 88 と 、 89 と21 の結合。
農夫の歌(Ⅱ)
第1詩節は、次のように形作られたオルゲルプンクト上に置かれる。
それに合わせて鳴り響く、さまざまな形で登場する動機、譜例92 = 88 の一部。
終結部、あるいは経過的小節[(舞台裏の)男声合唱によって叫ばれる「Holla(ホラ)」と、農夫の叫び「Da fährt's vorbei!(そこを駆け抜けたぞ!)」の箇所で]:88 、 89 、 92B(21 )。 __
第2詩節(96 が80 を思い出させる):
経過部:96 (あるいは92 ) と88 。
ヴァルデマーの従者たち(Ⅲ)
【歌詞】Gegrüßt, o König, an Gurre-Seestrand!…… :ようこそ、おお王よ、グレの岸へ! 今(我々は島中で)狩りをする、(ホラ!)/【第Ⅰ歌曲の歌詞】Erwacht, König Waldemars Mannen wert! :目覚めよ、王者ヴァルデマーの親愛なる従者たちよ!
99 = 88 、 99 = 99 の反行形。
100 = 94 。
【歌詞】zu treffen des Hirsches Schattengebild, Holla! :鹿の影姿に当てるため、ホラ!
等。
101 = 100 ; 101 = 100 )。 __
【歌詞】über Buchenkronen die Rosse traben, :馬はブナの樹冠の上を駆ける、
102 = 100 あるいは101 。
103 = 88 、 103 = 102 、 103 = 89 。 __
22 2 での100 、 88 および92Bの組み合わせは、すべて元の形と拡大形(ないし縮小形)である(さらに21 )。 ──24 7 では、88 と100 で。──25 2 では、21 、 92 )、 88 、 98 、 100 で。__
短いオーケストラ間奏曲:46Ⅰと、29 4-31 からは第1部62 2 -63 2 の部分の繰り返し(譜例49B、50、47 )。
ヴァルデマー(Ⅳ)
107 = 36 、 107 = 51 、 107 = 60 。 ──
35 7 = 50。これに続いて47 - と経過部:108Ⅰ-Ⅲ。
道化師クラウスの歌(Ⅴ)
【歌詞】Ein seltsamer Vogel ist so 'n Aal, :ウナギという奴ぁ奇妙な鳥だ、
歌詞「Sobald die Eulen klagen(フクロウが鳴くと同時に)」の箇所45 8 :70 。 それに続いて36 と60 の組み合わせ、そして歌詞「Denn er (der König) war immer höchst brutal(なぜなら(王は)いつだってとことん残酷だったし)」の箇所46 9 では譜例52 と第2部の譜例84からの和声進行。__
112 = 108Ⅰ 。
オーケストラ後奏:113Ⅰ 、 その上に110 から生まれた32分音符。57 8 では、カノン風に奏し出される譜例110Ⅲの旋律と、同じようにストレッタとなる譜例113Ⅰの動機 との組み合わせ。59 1-4 :108Ⅰ 、 、 113Ⅰ 。 それに続いて112Ⅱ(108Ⅰ を伴う)。60 2 では、再び32分音符のパッセージ(110Ⅰ )。
ヴァルデマー(Ⅵ)
開始の小節 = 83 。 ──歌詞「Du lachst meiner Schmerzen(汝は我の苦痛を笑っている)」の後:76 。 これに続く:譜例114。
それ以外はすべて、以前(特に第2部の大きなヴァルデマーの歌)の構成要素で、ここではただ新しい連続、別の組み合わせで登場するのみである。62 7-8 と63 4 から7 までは、譜例82(2番目のケースは譜例19 と一緒になる)。62 9 と63 1 の歌詞「Ich und Tove, wir sind eins(我とトーヴェ、二人は一つなのだ)」の箇所では、36 、 33 、 19 の組み合わせ。63 8 では、譜例113Ⅰの最初。最後の歌詞「und sprenge mit meiner wilden Jagd ins Himmelreich ein!(我が荒々しき狩りとともに天国へと突入するであろうから)」の箇所:88 。 これに続いて、76 (= 81 )、 83。
続く
ヴァルデマーの従者たち(Ⅷ)
の合唱曲への導入小節66 は、譜例21 と45 が混在する形で、上行音型をもたらす。
【歌詞】Der Hahn erhebt den Kopf zur Kraht,…… :雄鶏が時をつくろうと頭を上げる、くちばしにはすでに昼が宿る、
115Ⅲ = 譜例1の反行形。115Ⅲ = 2 。
【歌詞】O, könnten in Frieden wir schlafen :おお、我ら平穏に眠ることができるなら
メロドラマ:
夏風の荒々しい狩り
のオーケストラ前奏への移行部は、譜例88 の反行形、それに続いて合唱115Ⅱの に似た和音進行を形成する。
118 = 117 。 クラリネットの16分音符音型 = 88 (108Ⅲ )、 119 。
メロドラマ(Ⅷ)
119 は109 を思い出させる。
さらに、85 では、36 (ストレッタ)と33 の組み合わせ。86 8 では、譜例113Ⅰの冒頭。88 2 :47 に続いて45 が繋がる。88 5 では、118の16分音符音型(= 88 と119 )。 これに続いて次の経過部と考えられるものが接続する。
混声合唱(Ⅸ)
124 = 1の反行形(= 115Ⅲ )。 124 は、譜例2AとBの、同じく「反行形にされた」伴奏音型であり、最後までほとんど途切れることなく合唱の和声を取り囲んでいる。
HALBER CHOR. :半分の合唱/
【歌詞】farbenfroh am Himmelssaum, Östlich grüßt ihr Morgentraum! :地平線に接した色鮮やかな(太陽を)、東で君たちに朝の夢の挨拶をよこす!
【歌詞】Morgentraum! :朝の夢の(挨拶をよこす)!
【歌詞】Lächelnd kommt sie aufgestiegen Aus den Fluten der Nacht, :それは(夜の水)から微笑みながら昇ってきて、
終結部:
129 = 譜例1の反行形(= 115Ⅲ と124 )。 129 = 2 の反行形(= 124 )。 129の = 1のa。__
解説
【本文について】
底本は、大ガイドは「アーノルト・シェーンベルク協会紀要」第16号(1993)にマーク・デヴォートによる英訳との対訳形式で復刻掲載された本文を使用した。大ガイドで参照した本文は、以下のようである。
【底本】「アーノルト・シェーンベルク協会紀要」第16号(1993)掲載の初版(ウニヴェルザール社、UE3695、1913)の復刻 ……この号はベルクによるシェーンベルク作品分析の特集号で、すべて原文の復刻と英訳が掲載されているという、研究者にとってまことに重宝な内容であった。翻訳はマーク・デヴォート。《グレの歌》大ガイド、室内交響曲作品9主題分析、《ペレアスとメリザンド》主題分析オリジナル版のほか、珍しい無記名の執筆者による弦楽四重奏曲第2番作品10の主題分析も含んでいる(雑誌「地霊」第4巻7号1909/2/20掲載)。作品10の分析については、ベルクが執筆した可能性もなくはないが、おそらく違うだろうとのことである。
『アルバン・ベルク──信念、希望、愛 音楽論集』 (レクラム文庫、1981)……ベルクが書いた文章30編を収める。作品分析は《グレの歌》大ガイド、室内交響曲作品9主題分析、《ペレアスとメリザンド》主題分析オリジナル版を収載。手軽なペーパーバックで、かつ紙質があまり良くないのが幸いし、軽くてめくりやすいのが良い。ただ、《グレの歌》大ガイドの譜例については、なぜか小ガイドのものを転載してしまっている箇所があり、また本書のために新たに書かれた譜例であっても誤りは直されていないので、注意が必要である。
『アルバン・ベルク《グレの歌》ガイドと主題一覧』 (ウニヴェルザール社、UE30400、1997)……本家ウニヴェルザール社による現行版。『アルバン・ベルク全集第Ⅲ部「音楽論集と創作」第1巻「アーノルト・シェーンベルクの音楽作品分析」』(ルドルフ・シュテファン、レギーナ・ブッシュ編、ウニヴェルザール社、UE18181、1994)から転載したもの。旧版に比べると、全集らしく厳密な校訂を経た信頼できる内容に改訂されているが、歌詞全文や原注の一部が省略されており、また本文や譜例に不審な点がまったくないわけではない。1.2.と違って小ガイドも収録されているものの、それは大ガイド本文の左右に欄外注記のように同時掲載するという形で、大ガイドと共通する譜例は省略されているため、原本のレイアウトが分からなくなっている。小ガイドが入っている本は貴重であるし、そもそも「全集」なのだから、それはそれで別に掲載してほしかったところである。
【英訳】「アーノルト・シェーンベルク協会紀要」第16号(マーク・デヴォート訳、1993) ……1.と同じ本。初版の復刻を左のページに、英訳を右のページに載せた対訳形式。
【英訳】『Pro Mundo─Pro Domo アルバン・ベルク著作集』 (ブライアン・R・シムズ編、オクスフォード大学出版局、2014)……英訳ではあるが、ベルクが書いた文章を40以上も掲載した、これまた重宝な本である。作品分析は、《グレの歌》大ガイド、室内交響曲作品9主題分析、《ペレアスとメリザンド》主題分析オリジナル版&増補最終版の4編を収録。《ペレアス》分析の増補最終版は長らく未出版だったもので、1994年の上記ベルク全集が初出であった(《ペレアス》の場合は、《グレの歌》と違って短い方がオリジナルであることに注意)。訳文は、《ペレアス》増補最終版を除き、4.のデヴォート訳にわずかに手を入れたもの。注釈の量は増えている。なお、この書物のタイトルのラテン語「プロー・ムンドー─プロー・ドモー」(語尾を伸ばすのが正しいらしい)は、ベルクの小論「オペラの問題」(1928)から取ったもので、「一般的には─私的には」くらいの意味である。
小ガイドは、大ガイドよりもはるかに発行部数が多かったためか、古書が安価で入手できたので、1914年刊の初版(ウニヴェルザール社、UE5275)を底本とし、上記3.を対照した。
【成立について】
この二つのガイドの成立については、上記ウニヴェルザールの新版(とその元になった全集)に非常に詳細な経過報告が掲載されているので、主としてその記事に頼って小ガイドの成立までの過程を素描しておく。
1912年秋、ウニヴェルザール社の取締役(実質上の社長)エミール・ヘルツカは、間もなくヴィーンで行われる《グレの歌》初演のために、演奏会会場で売られるガイドブックの制作を決めた。すでにリヒャルト・シュペヒトによる『マーラー:交響曲第8番主題分析』と、ヨーゼフ・ヴェナンティウス・フォン・ヴェスによる『マーラー:《大地の歌》主題分析』で一定の成功を収めていた彼は、まずシェーンベルク本人にその執筆を打診した。しかし、シェーンベルクは「そのようなものは自分で書けるはずがない。ヴェスはともかく、シュペヒトではダメだ。だからベルク(かヴェーベルン)を推薦する」といった内容の返信をよこしてきた(ヴィーンでの自分に対する仕打ちに嫌気が差していたシェーンベルクは、1911年9月にベルリンに移っていた)。そこでヘルツカは、自社で出版予定の《グレの歌》ピアノ編曲をすでに制作していたアルバン・ベルクに白羽の矢を立てる。ベルクは一応は前向きな返事をしたものの、11月23日、シェーンベルクに次のような手紙を書いてこの依頼について相談した。
ヘルツカから提案された「グレの歌の主題分析」の仕事のことを、じっくり考える暇すらありませんでした†。親愛なるシェーンベルク先生、あなたがそれについて、また主題分析一般についてどうお考えなのか、ぜひ知りたいのです!! このような仕事には最初から抵抗があり、そうしたもの(例えばシュペヒトやヴェスのそれ)を見るたび、私はいつも軽蔑の念を抱いてきました。そのようなものを今や自分が、しかもあんなにも愛している作品でやることを促されているのです!! そのような仕事に意味があるのか、それが作品そのものの理解を深めるものなのかも、私にはさっぱり分かりません。はっきり言うと──例えば最初は作品について理解していなかったそうした分析書の読者が、分析を通じて理解し──愛するようになることが可能なのかどうか──いずれにせよ、何かがあるのかどうか![それとも意味などないのかどうか?]仮にそのような分析(例えばマーラーの第8へのそれのような)で譜例をカットした*場合、そのテキストはディーリアスの作品なども象徴し得るものでしょう。引用してみます。
†訳注「じっくり考える暇すらありませんでした」──これは、この月に実家の別荘ベルクホーフで火事があり、ベルクは急遽そちらに行く必要があったためである。そこでの焼失品を巡る保険会社との交渉や、ヴィーンでの《グレの歌》初演のためのパート譜のチェックなどで、このときのベルクは多忙を極めていた。
「73で、オーケストラは、(コントラバス、ファゴット、バスクラリネット、コントラファゴット、ティンパニ・ロールの)変ホ音のオルゲルプンクト──12小節後にニ音に下がって32小節間そこにとどまる──上で、トランペットが譜例29を高らかに吹き込む譜例40の新鮮な動きとともに、強大な終結部になだれ込む。徐々に落ち着きを見せ──ただしエネルギーに満ちたまま──、堂々たるアクセントのうちに第1部の回想に入る。9の厳しいハーモニーが木管と弦楽器に響き、10(76 5)の衰えることのない反復へと誘導する──」
‡訳注──この分析は第2部の練習番号73のあたりについてである。「73」と「76 5」は練習番号とその中での小節番号で、「9」「10」は譜例番号である。
シュペヒトの第8の分析から一節を当てずっぽうに引用してみましたが、このような分析のひどさと不十分さを示す好例が見つかったと信じます。この──パロディ──が、第8のどの部分に向けられたものなのかは知りませんし、この部分を私にとって不快なものにしないためにも知りたくなどありません。これはむしろディーリアスの作品に関係したものと見なしたいところで、そちらであってもフィットすることでしょう。こうしたディティールや小節番号、どこでトランペットが高らかに吹き込み、厳しい旋律が響くのかは──シュペヒトのスタイルを別にして──、私には考えることができません(音楽だけが生み出すことのできる和音の長い連なりを──一語で言おうとしたとき──あるいは言わなければならないとき、ほかにどんな表現ができるでしょう)。そうでなくても、その作品を知っている人(これは仮定です)が、そのような分析から何かを得ることができるとも思えません。そんなものに、学術的、音楽理論的な価値など皆無です(せいぜい「文学的」、「精神的脈絡」(!!)†などを明らかにする程度です)。もし本当に分析しようと思ったら、主題だけではなく、主題それ自体、すべての展開、変奏、形式等、それから和声的、対位法的、最後に管弦楽法的な分析──このような作品のためにも、どの交響曲のためにも、全理論に関する4冊の完全な本を仕上げ、それら(和声法、対位法、楽式、管弦楽法)なしで間に合わせるようなことがあってはならない。親愛なるシェーンベルク先生、あなたが「分析」したとき、その話を傾聴することでどんなに大きな幸福を感じたか、私はまだよく覚えています。ベートーヴェンの交響曲の最初の小節の管弦楽法についてあなたが1時間話したとき──あるいはマーラーの講義で、マーラーの6番の緩徐楽章のメロディ(10小節)だけを話したとき! そう、あれこそが分析なのであって、人はそこから何かを得る──知識を持つ者を豊かにし、持たない者を啓蒙するのです! それ以外のものはすべてナンセンスです。最初は、(《グレの歌》での)このような仕事は、そのようにしか──シュペヒト様式でなくては──できないと思い、美点に気づかせ(そこからは当然ピアノスコア全部の列挙以外には何も生じません)、所々詳細に分析する(あるときは和声的に、あるときは主題的に、形式的に、管弦楽法的に)となると、実際にはこれまた指摘とすごくたくさんの譜例(ゆえに結局は──ピアノスコア全部(!))をもたらすだけになると思っていました。しかし、そこからは、まったく不完全なもの[完璧はあり得ないので]が生まれるか、あるいは単なるエッセイかそれに似たようなもの(私にそのための文学的才能があれば)が生まれるかでしょう──どちらにしてもヘルツカの注文には添いませんし、おそらくヘルツカが主張しそうなほどには読まれる見込みもないでしょう。そういうわけで、親愛なるシェーンベルク先生、私はヘルツカからのこの依頼を受けた方がよいのか、受けられるのか──受けなければならないのか、まるで判断がつかないことがお分かりいただけるかと思います! なぜなら、もしこのようなことがうまくできるのであれば──それがなされることがどうしても必要であるならば、私はそれを試みるべき自分の責務であると見なすだろうからです。このような次第ですから、親愛なるシェーンベルク先生、このことに関してこんなにも事細かく書き送ったのです──私がこの仕事をすべきかどうか、折を見て一言言ってくだされば幸いに思います。完全なる迷いと、私にはどちらか一方に決めることが不可能な状況下では、あなたからの「はい」か「いいえ」の一言で十分です! ここではそれが──いつものように──私にとっての決め手なのです!
*それよりも問題は、聴き手が気に入らなければ、読み手も気に入らないということでしょう。そうなるとその人はそれを必要としないし、聴いて気に入った人にはやはりそんな分析は必要なく、その人は作品それ自体を手がかりに分析できるでしょう。
†訳注「「精神的脈絡」(!!)」──シュペヒトの分析の、上の引用部分のすぐ次のパラグラフが「Der geistige Zusammenhang」(精神的脈絡)という語句で始まっており、それを皮肉ったもの。
このときシェーンベルクは、《ペレアスとメリザンド》公演のためにアムステルダムとハーグに旅しており、アムステルダムからひとまず絵はがきで返信が来た(11月26日付)。
リハーサルが終わりました。オーケストラはたいへん有能ですが、やや活力がありません。実に豊かな「mf」といったところです。──ガイドについては、きっとあなたが正しい。でも、私たちはもう一度よく考えてみなければなりません。もしかすると、あなたは何か新しいものを発見するかもしれませんよ。さらに良いものかも?!
11月27日、翌年1月18日に予定されていた《グレの歌》世界初演が2月23日に延期されそうだという報告とともに、ベルクは師に次のような報告をした。
《グレの歌》ピアノスコアの第1部に、ついにミスが判明してしまいました! パート譜書きと番号振りの際、ピアノスコアの1小節の欠落がたまたま見つかったのです。この小節は簡単に付け足すことができますし、まだピアノスコアは彫られていないので、ひどいことにはなりません。ヘルツカはもちろん、ピアノスコアの出版をそうとう長い間ためらっていたことを勝ち誇っています! もし彼がそうせず、我々の願いどおりにしていたなら、ピアノスコアには欠陥があったかもしれません。これでもう欠陥はないでしょう。その欠けた小節を同封しました。この小節は、第1部のあなたの最初のピアノスコアでも欠けており、私はそれに手を入れただけで、それとスコアとの間の違いに気づかず、またミスはどちらのケースもあり得ますから、誤りが生じたのです。そしてここで、親愛なるシェーンベルク先生、あなたにずっとお願いしたかったことをお話しさせてください。というのは、あなたの手で作られた第1部のピアノスコアが手元にあるのですが、そこから何枚か保管させていただけないものか、心からお願いしたいのです。これは、私がピアノスコア作りであなたから非常に多くのことを学んだこの仕事やこの時間の美しい思い出になるだけでなく……、親愛なるシェーンベルク先生、あなたの手稿を所有するという、私にとって長年の密かな悲願の最高の形での実現にもなるのです。あえて全部は求めません──それでは話がうますぎます! しかし一部、できれば前奏曲や間奏曲を──! そのときはそれをコピーさせていただき、そのコピーを私に与えられた部分のあなたによって書かれたものの代用として第1部に添えるか挿入し、そして私に与えられた部分を差し引いた第1部の手稿をお返しいたします。
主題分析と、その仕事をすることへの自分の優柔不断についてもヘルツカと話をしました。彼もそのことを納得し、いわゆる主題一覧で十分という意見でした。それが《グレの歌》でうまくいくのかどうか、つまりあなたが気に入るかどうか、今ではますます分からなくなってしまいました。個々の主題には不本意に名前を付けなければならなそうなだけに、なおさらです。愛の動機、みたいなものを思うと、私としては身の毛がよだちます。まあ、そのことは急を要するというわけではありませんし、ことによるとあなたがご親切にも、主題分析あるいは主題一覧についての唯一の指導的かつ決定的な見解を、そのうち伝えてくださるかもしれません。その前には、私はこのような仕事に取りかかるつもりはありません。
初演が1か月延期されたにしても、それまでにあと3か月足らずしかなく、ガイドはその初演の会場で売られる予定なのだから、事は十分「急を要」しているような気もするのだが、《グレの歌》を知り尽くしているベルクとしては、いざやるとなったら短期間で仕上げる自信はあったのだろう。ベルクは12月3日にもう一度小節のミスとガイドについての見解を絵はがきで師に尋ね、シェーンベルクは4日の返信でこう答えた。
さて、グレの歌分析についてです。あなたがそれをできるのならば悪いことではないと思います。それが何に対しての利益になるのかは、自分でも分かりません。演奏会では、そんなものはほとんど非難すべきものであると私は見ています。それでも、ひょっとして事前に情報を得たい人になら。しかし、いちばん重要なのは、ヘルツカはそれを何が何でも望んでいて、もしそれをこの中の誰かほかの者がやったら、きっと残念なことになるだろうということであるように思われます。もしかすると、打開策が見つかるかもしれません。例えばこんなふうな:
個々の曲の順の、最も重要な主題のリスト。ただし、そのうえで、その主題が繰り返される主な箇所を示す。あるいは、それが取る特徴的な形をいくつか挙げる。あるいは、ある特定の特徴的な雰囲気を、簡素な、誇張のない(つまりいくらか冷静な)言葉で叙述する試み。特徴的な箇所では、あるいは構造についても話す。あるいは、常にすべてが語られるべきであるということにきつく縛られすぎず、毎回特に目立つもの、およびそれについて言うべきことが分かっているものについてだけ話す。だから、単に連続性が必要だからと言って、何もかも話してはいけない。だから、哲学的なことを言わない。そうではなくて、あるいはアフォリズム的に、無理なく、脈絡なく、構造化されていない〈?〉パラグラフで、目立つものについてだけ短く話す。すなわち:緩い、アフォリズム的な形です! それなら多少は新しいものになるでしょう。
(中略)あなたが書いてくれたミスに関して言うと、それはスコアのミスです。その箇所では1小節多い。つまりピアノスコアが正しい!! ですから、ヘルツカはとっくにそれを出版してよかったのです。──それはそうと、あなたは大元の原稿をまだ持っているはずですよね──いや、持ってないか、私がたった今見つけたところですから。
そこにはこう書いてあります。[森鳩の「und den Tod」の箇所の譜例]
──────────
《グレの歌》のピアノスコアは、あなたが保管してくれてかまいません。全部。そうでなければ意味がありません。
──────────
動機に名前なんか付けないでください。必要ありません。たいていはもともと歌詞がそばに書かれています。だというのに、一体何が必要なのか! テキストが二つ?!? それに音楽? ひょっとして、さらに絵や体温計も必要かも!
ここでシェーンベルクが出している「緩い、アフォリズム的な形」の主題分析という案は、具体例がないことには、訳者にはどうにもイメージしにくい。ベルクのガイドもどう見てもアフォリズム的とは言えないが、ここでシェーンベルクが書いている「主題が繰り返される主な箇所を示す」というやり方は、大ガイドにおいて徹底的に、ほとんど網羅的に遂行されることになった。12月6日の手紙で、ベルクは師に礼を述べた。
グレの歌分析についてのご提案にとても感謝しています。ここ最近はそれと似たようなことを想像していたのですが、勇気が出ませんでした! しかし、あなたの説明でそういうこともできると確認できたので、私はその仕事を楽しみに待ち、ある程度は役に立つようなものができればと願っています。パート譜の仕事が終わり次第、たぶん来週末までかかると思いますが、主題分析に取りかかるつもりです。
さて、親愛なる、ご親切極まりないシェーンベルク先生、《グレの歌》ピアノスコアの原稿をありがとうございました。それについては、私はこの上なく幸福で、それがなくても大丈夫になり次第、美しく製本し、いちばん大切な記念品として保管するつもりです。親愛なるシェーンベルク先生に、数え切れないほどの感謝を。
これでシェーンベルクが書いた第1部のピアノスコアは正式にベルクの所有物となったわけだが、もしシェーンベルクがベルクに贈らず自分で保管していたら、今日でも行方不明にならずに済んでいたかもしれない。……それはともかく、パート譜のうちベルクの担当分(計750ページ)の作業が一段落するのは結局21日までずれ込んでしまうことになるが、それはシェーンベルクのフルスコアの、10年後に書き継いだ部分に、彼としては珍しくかなりミスが多かったためである。10年もブランクがあっては、さすがのシェーンベルクも《グレの歌》に対する感覚を鈍らせてしまったということか。あるいは、すでに無調の《五つの管弦楽曲》や《期待》を作曲し終えていた頃では、いかに大作とはいえ若書きの調性作品に対しては気合いが入らなかったのかもしれない。ベルクは12月21日のシェーンベルクへの手紙に、パート譜作業の状況や、ヘルツカが仕事に見合った支払いをしてくれないこと、自分が合唱団や歌手の指導を通じて初演に関わっていくつもりであることなどとともに、やっと主題分析の仕事に入れるが、その仕事には時間がかかりそうだということも書いている。また、クリスマスにはヴェーベルンへの手紙に主題分析のことを書き、彼からの27日付の手紙には「君の《グレの歌》の主題分析には、それはもう興味津々です」と書かれていた。シェーンベルクからの返信は28日付のものが届いたが、そこでシェーンベルクは、今回初めて演奏者の指導をするベルクに、自分の指揮者としての経験に基づいた助言を書いている。
さて、あなたの手紙についてです。当然、あなたは音楽作りのための実践的な機会を是非とも利用すべきですし、《グレの歌》の合唱とソロのリハーサルは何が何でもやるべきです。確かにあなた、初めてそのようなことをするあなたにとっては、簡単なことではないでしょう。そこで、あなたに最も重要なことを手短にお話ししたいと思いますが、それは私の経験に即したことでもあるのです。すなわち:中断する場合(ミスを1.聴き取り、2.それをどう修正すればよいか分かっている限り、何度でも中断するべきです)は、できるだけ短く、明確に表現しなければなりません。なるべくしゃべらない。才知をひけらかさない。何よりも:ミスの種類は次のものだけなのです。
間違った音(場合によっては間違ったイントネーション)
間違ったリズム( 〃 デクラメーション、歌詞の発音)
間違った強弱(p、f)
間違ったフレージング
従って、下記以外の修正、説明はありません。
ソです(ソのシャープではなく。高すぎる、低すぎる)
正しいリズムを呈示すること!(もっと鋭く、もっと柔らかく)
pとf、もっと強く、または弱くと要求すること
息継ぎ、アクセント(p、f)、休止、歌い出しを修正すること
後者の4.は、きっとより細かい仕上げの段階でするのが適切でしょう。もし歌唱について何か知っているならば、さらに技術的なことを言うことも可能でしょう。また、歌詞の良い発音についても留意することができるでしょう。しかし、それ以外のもの全部、特に:雰囲気、理念、美しさ、特徴、あらゆる詩的なものは、害悪です! そういうのは我々のためのものであって、合唱団のためのものではない! 私を信用して、そのことをできるだけ早く肝に銘じてください。私もそれを学ばなければなりませんでした。芸術とは、pとfを正しく要求することで成り立つのであり、それによってほかのすべてのことが付いてくる。これは私ではなく、すべての指揮者が言っていることです。それでもそれは本当のことなのです!
(中略)《グレ》のスコアのミスについて:174ページ、「やや抑えて」の指示は正しい位置にあります! ただ、それはもっと大きく、ページ全体に適用されるように書かれるべきです。ここからは音はさらに重く、リタルダンドして歌われなければなりません。──もう一度見直してみたところ、あなたの言うとおりであることが分かりました。それは1小節前に置くのが正しい!──139ページ上段の6小節目は、間違ったオーボエ・パート(嬰ヘ、ホ、ニと書いてあるべき)のほか、さらに多くのミスを含んでいます。この箇所は純粋なニ長調†ですから、嬰ヘと嬰ハの♯、ロとホの♮が落ちているのです。詳しく書くと:
†訳注「ニ長調」──実質はニ長調だが、このあたりの調号は変ロ長調である。
第2ファゴットの最初の4分音符の嬰ヘの♯、2番目の4分音符のホの♮
第1ファゴットの3番目の4分音符の嬰ヘの♯
第1チェロの最初の4分音符の嬰ヘの♯、2番目の4分音符のホの♮
第2チェロの最初の4分音符はロ(♮)
そしてコントラファゴット
およびコントラバスの4番目の4分音符のホ(♮)
(すぐ隣の小節の)第1ヴィオラのホの♮、その隣の小節も同様
第2ヴィオラも同様†
†訳注「第2ヴィオラも同様」──このあたりのヴィオラは2音を同時に弾いており、下声部には臨時記号が必要な音はない。しかし、チェロと違ってディヴィジの指示がないので、全員がダブルストップで弾くということになり、上声部のミスであっても全員が対象になる。
これで良くできます! こんなにたくさんのミスをしたのは初めてだ!
ベルクは大晦日にシェーンベルクに手紙を書き、上記のアドヴァイスや上の27日の手紙に一緒に書かれていたヴェーベルンからのアドヴァイス──パートごとに始めて、ゆっくりと、しかしできるようになるまで根気よく進めること、オーケストラと違って、最初から全部を通しで歌わせることは無理であること、等──、また以前シェーンベルクのリハーサルに参加した記憶などのおかげで、合唱のリハーサルがうまくいったことを報告している。同じ手紙には、すでに《グレの歌》主題分析に取り組んでいることも短く書かれていた。
年が明け、1913年1月7日付の手紙で、シェーンベルクは、例の歴史的大スキャンダルとなった同年3月31日の「文学と音楽のためのアカデミー協会」演奏会で披露するための、メゾ・ソプラノ用の演奏容易な歌曲を作曲していないかどうかをベルクに尋ねた。その演奏会では、《グレの歌》初演で森鳩を歌う予定のマリア・フロイントが、無償で参加してくれるという。シェーンベルクは、もし曲があるなら、そのフルスコアとピアノスコアとパート譜をできるだけ早急に用意するようベルクに促した。ベルクは1月9日の手紙で、秋までに作曲を終えていた《アルテンベルク歌曲集》作品4†のうち、難しい第1曲以外から1~2曲を選ぶことを大喜びで提案した。アルテンベルクのテキストを元にした管弦楽曲を作っていること自体は、昨年3月10日の手紙で一度シェーンベルクに報告されていたが、その手紙には詳細は書かれていなかった。この時点で、フルスコアはすでに写譜屋に製本させていたけれども、ピアノスコアはこれから作らなければならなかった。これでベルクはもう一つ、こちらは《グレの歌》と違って悲惨な結果が待ち受ける仕事を抱え込むことになったわけである。この手紙では、《アルテンベルク歌曲集》のピアノスコア作成のために主題分析は中断しなければならないが、すぐ戻れるように努力する、しかし主題分析はかなり長くなりそうだということと、《グレの歌》の語り手を担当することになっているヴィルヘルム・クリッチュに不安があることなども書かれていた。
†注「《アルテンベルク歌曲集》作品4」──《アルテンベルク歌曲集》のこの後のことを先取りしておくと、ベルクが推した第5曲は選ばれず、最終的に選ばれたのは第2曲と第4曲であった。ベルクには秘密にされたが、マリア・フロイントはこの曲が気に入らず(「ich liebe sie nicht」シェーンベルク宛1月22日付書簡より)、新曲を勉強する時間もないということで、結局最後の《亡き子をしのぶ歌》のみを歌うことになったため、初演では男性歌手、《グレの歌》世界初演で道化のクラウスを歌ったテノールのアルフレート・ユリウス・ボルッタウが歌唱を担当することになった(ツェムリンスキーの《メーテルランク歌曲集》はマルガレーテ・ブムが担当)。周知のように、演奏会はこの曲のときに大騒動になり、さらにその年の6月にシェーンベルクはこの曲(と次のクラリネット小品作品5)について、かなりきつい批判を面と向かってベルクに浴びせたというから、本当に、不思議なほど誰からも愛されなかった作品であった。……訳者は、古いアバド盤LPで初めて聴いたときからけっこういい曲だとずっと思っているので、この作品の奇妙に不幸な運命には憐憫を禁じ得ない。20代で《浄夜》や《グレの歌》を書いたシェーンベルクもすごいけれども、やはり20代でこのような作品が書けるベルクもたいしたものだと思う。
1月10日のシェーンベルクからのハガキには、次のように書かれていた。
親愛なる友よ、《グレの歌》は、5月20日頃にここベルリンで演奏されることになっています。でも、ヘルツカには日付を言わないでくださいね。私は彼に言いました:「4月だ」と。これで彼は二度と私を見捨てないでしょう!──ガイドを、5月初旬に印刷できるくらい早く作れますか? たぶん3月初旬には完成しているはずでしょう。ヘルツカとそのことを話し、ベルリンで印刷させるよう説得してください。
シェーンベルクは、ヴィーンでの《グレの歌》世界初演が潰える可能性があったため、自分がいるベルリンでの初演を計画していた。ベルクのガイドは、そもそもヴィーン初演の日のために依頼されたものであったのだが、このハガキの文面を見ると、どうもシェーンベルクの認識にはずれがあるようである(ベルリンでの《グレの歌》初演は1923年まで持ち越される)。1月13日のシェーンベルク宛のベルクの手紙には、このように書かれていた。
親愛なるシェーンベルク先生、心のこもったおハガキにお返事いたしますが、ガイドについては、大至急かつ綿密に制作しています。2月23日のヴィーン公演に間に合わせなければならないからです。──実際にはもっと早く(少なくとも14日前には)完成します。ですから、ベルリン公演のずっと前には完成しているのです。件の物は非常に大きくなりつつあり、また私はこのような仕事、すなわちテキスト作りに関してはかなり鈍重であるため、親愛なるシェーンベルク先生、私が間断なくそれに取り組んでいることはご想像いただけるでしょうし、そのためここでも、あなたに手紙を書くことができるようにするためには、(写譜屋とロラー教授の所に行くときの)市街電車の乗車を利用しなければなりません。写譜屋の許で準備ができた私の歌曲(第Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ曲)のピアノスコアがありますので、明日、それぞれ2部ずつ送ります。万一最初の歌曲が考慮されるようでしたら、私は急いでオーケストラの抜粋を作ることにして、演奏者はそれに基づいて勉強することも可能になるでしょう。しかし、これは長い仕事になりそうなので、必要ならもちろん大喜びでやりますが、「ガイド」から多くの時間を奪うことはできない、というか:奪いたくないので、控えているだけなのです。それに、あなたが私のものを演奏するという本当に大きな善意をお持ちであるならば、オーケストラと女性歌手に与える比類ない大きな困難のため、よりにもよってこの最初の歌曲を選ぶことはないだろうと推測します。もし本当に必要だと思ったら、それについて一言言ってくださいますようお願いしますが、そうすればあなたは二日後にはそのピアノスコアも入手することになるでしょう。[親愛なるシェーンベルク先生、私を誤解なさってはいませんよね。それは怠惰なのではなく、より重要なガイドの仕事に対する配慮にすぎないのです]。しかし、ガイドはおそらくヴィーンで印刷されなければならないでしょう。ヘルツカは、ベルリンで印刷されてほしいという希望をあなたが言ったのは、あなたがヴィーン公演がベルリンの前であることをまだちゃんと知らなかったからだと言っていました。それは本当ですか?!!
ベルクの、忙しさのあまり市街電車の乗車中にしか手紙が書けないという状況は、1912年からたまに起こっていた。ロラー教授というのは、あのなかなかモダンな《グレの歌》世界初演のポスターを手がけることになる、画家のアルフレート・ロラーのことである。14日付の手紙で、シェーンベルクは、1.《アルテンベルク歌曲集》第1曲のピアノスコアはさしあたり不要であること、オーケストラの大きさのわりには大きすぎる五線をいっぱいに使っていて見づらいこと、美しくオーケストーレーションされているように見えるが、新しい手法を使おうとしすぎているのが気になること、2.(上の大ガイド本文中に引用されていた)シュプレッヒシュティンメの語り方のこと、3.ロラー氏にポスターを描いてもらえるのはありがたいし、それはベルリンでも使えるかもしれないこと、等を書き送った。《グレの歌》ヴィーン世界初演の正確な日付を知っていたかどうかについては答えていない。これに対し、ベルクの長い返信は少し遅れて1月17日になった。
親愛なるシェーンベルク先生、あなたの大切なお手紙にすぐにお返事しなかったことで、私は自分で自分を猛烈に責めています。しかしながら、私が朝の6時から晩までガイドの仕事をしていると申し上げるなら、遅れたことをお許しいただけるかもしれません。今、6時半にまだベッドに座っていて、自分が怠ったものをすぐに埋め合わせ、歌曲が必ずしも悪くはないというあなたの判断が私をどれほど幸福にしたかをあなたに伝えたいと思います。特に管弦楽法に関しては──その私の悲惨な初期段階を考えると、どの小節も、たとえそれが心に浮かんだものをどんなに集中的に聞いたのだとしても、馬鹿げたことをしてしまったのではないかと恐れておりました。ヴェーベルンの反対の見解(彼は2曲しか見ていません)でさえ、私を安心させることはできませんでした。何よりもまず、手紙の中のあなたの歓迎すべき言葉なのです! ここで「新しい手法」について一言だけ言わせてください。そのたくさんの使用は、後から自分でも、ああも大量に次々と積まれていくのを見たとき、(作曲しているときはかなり自然に生まれてきたものだというのに)好ましくないといつも感じてはいたのですが、それが不要だと思ったからではなくて、ややこれ見よがしの印象を危惧したからなのです(まあ「やった、手に入れた!」「金と名前のある連中みんな」みたいな感じですね)。とりわけ、写譜屋がこの上なく悪意のないコメントを差し込んだ、出しゃばった赤い格子の箇所においては。しかし、もしかすると、というか確実に、新しい手法の多用には次のような理由があります。私がオーケストラの音を本当に理解して聴き、スコアが分かるようになってから、まだあまり長い時間が経っていません。そして、それは常に最新の作品であり、最近は古典派はおろかヴァーグナーのスコアを手にしたこともほとんどありませんでした(確かに大きな間違いです!)。私には、新しい手法で生み出された新しい音にはより多くの感受性があり、もしかするとそれなしでもいけそうな箇所でも至る所でそれが聞こえるという次第で、結局のところ、私はそれ以外にはできないから使うのです! 私の表現法は、家でたくさんの外来語を聞いて、ドイツ語もまだ正しく使えないくせにいつもそれを使っている子供と同じなのかもしれません。それでも私は、少なくとも子供がその外来語を正しく使っているという期待に浸っています。あるいは:ここにウィットある言葉が当てはまるのか!? 「新しい手法は使わないように、どう響く分からないから!」ということでしょうか?
スコアの滑稽な判型については、私は無実です。私は最初から、それがやや独断的な写譜屋の選択であると書いておきました。私はごく普通のエバレ紙†に、五線が増えたり減ったりと、楽器配置に合わせて書いたのです!
†訳注「エバレ紙」──ヨーゼフ・エバレ社の楽譜専用紙。シェーンベルクは1901年5月、ここに《グレの歌》用の48段五線譜制作を注文したことがあり、一度は断られたが、その後請け負ってもらえたようである。
あなたが3月30日のその演奏会に同意するのか、3月2日(2月23日の《グレの歌》の次の日曜日)ということもあり得るのか、私たちはまだ知りません(もしかするとあなたはブッシュベックにすぐに手紙を書いたかもしれませんが、そうでない限り)。ブッシュベックは、コンツェルト・フェラインと交渉したいと思っていて、あなたに「《さすらう若人の歌》も提案した」と言っていました。頻繁に耳にする《亡き子をしのぶ歌》よりも、当然さらに耳を惹き付けることでしょう! 語り手については、よく分かりました。本当にありがとうございます。ツェーメが、ヴィーンでも語りたいと書いてきました。それはあなたの希望ですか? もしかすると、まだ始まっていないクリッチュは取り消すことができるかもしれません。その場合は、親愛なるシェーンベルク先生、あなたはすぐにシュレーカーに手紙を書かなければならないでしょう! クリッチュは素晴らしい声量を持っていますが、あまり良いとは思えません!──これのために速達で送りますから、あなたがツェーメの件で何かしたいと思っても遅すぎるということにはなりません。
明日の土曜日、フロイントの歌曲の夕べを聴きます。すごく待ち遠しい! つい先だって、シュタインホーフのアルテンベルクを訪ねました。彼の兄弟が見舞いに来てほしいと頼んできたのです。彼はとても具合が悪くなっています。医者は迫害妄想と呼んでいます。けれど、それは「地獄」です。彼は恐ろしく苦しんでいるのです! それでも、彼が回復して、また働けるようになることを願っています。
親愛なるシェーンベルク先生、《グレの歌》のオリジナル・スコアはお持ちですか? シュレーカーが、1回目のリハーサルの日、1月31日にやっと手にできると書いていましたが、それでは遅すぎます。しかも、第3部をコピーする必要もあります! でも心配しないでください、シェーンベルク先生、ヘルツカと一緒に、私がきっと問題を解決します! 結局のところ、シュレーカーはこの作品を、彫版スコアを手に自宅で勉強することもできますし、ピアノスコアを通じて学ぶこともできるのです!
ベルクのピアノ編曲版は、この月の初めにやっと印刷に回され、初版約500部のうち25部だけが1月18日に納品されることになっていた。シュレーカーはそれを見て勉強すればよい、ということだろうか。また、《グレの歌》の語り手にツェーメが立候補したことについては、シェーンベルクが《グレの歌》のメロドラマには《ピエロ》と違って男性の語り手を強く望んでいたので、彼の方からツェーメの起用を働きかけることもなく、初演で彼女が使われることはなかった。これについては、上記大ガイド第3部最初の訳注参照。ベルクはこの手紙で、確かに「der gestochenen Partitur(彫版スコア)」と書いているが、それは1920年の出版になるので、これがすでに出版された自筆スコアを指すのか、それとも指揮者用に作られた手書きスコアを指すのかはよく分からない。それにしても、この手紙が書かれた時点で《グレの歌》世界初演までは40日を切っていたわけで、あれほど大規模かつ決して演奏容易ではない作品の世界初演を控えて、このような進行状況で本当に大丈夫なのかと、すでに結果を知っている21世紀人でも心配になってくる。なお、これまでも名前が出ていたブッシュベックとは、作家・文芸部員のエアハルト・ブッシュベックのことで、彼は例のスキャンダラス演奏会を主催した「文学と音楽のためのアカデミー協会」の主要メンバーであった。
ヘルツカは、1月10日にガイドの進捗状況を問い合わせており、ベルクはだいぶ遅れて18日に、「ひたすら取り組んでいる」と返信した。20日、ヘルツカは、仕上がった部分だけでも先に入稿してほしいと催促してきたが、ベルクは次のような手紙を書いて断っている。
分析の一部を全体よりも早くお渡しすることはできません。それは分かちがたく繋がっており、前に述べた部分との恒常的な関連性を含んでいるからです。この仕事がこうも遅れているのは申し訳ないのですが、パート譜の大がかりな照合が完了したときにやっと着手できたのでして、ともかくもそれで遅れてしまったのです。しかし、そのためにこのガイドが演奏会のほんの数日前にしか完成できなかったとしても、その分量、完備性、客観性のおかげで公演の後でも読まれるでしょうし、またさすがに少なくとも次のベルリン公演などまでには完成が間に合って、使えるようになるでしょう。この遅れが私自身としても不愉快極まりないことは繰り返すまでもありませんが、間に合うように終えられないのは普段の私の流儀ではないということも申し述べておかざるを得ません。例えば、《グレの歌》ピアノスコアが証明するように。私はそれを刊行の3年前に用意し終えていたのです。──もう仕事に取りかからなければなりません、でないとさらに遅れてしまいますから。
ここでベルクは、1年前に入稿したピアノ版をなかなか出さないヘルツカに皮肉を言っているが、それを終えたのが3年前というのは少々盛りすぎではなかろうか(3年前というと1910年初頭で、そのとき彼はまだピアノリダクションに取りかかってさえいなかったはず)。ヘルツカは、ベルクのピアノ編曲版はほとんど演奏不可能なほど難しいと非難しており、シェーンベルクもそれは認めていた(訳者も、実際そのとおりだと思う)。ちなみに、ヴェーベルンの2台ピアノ最大8手版は、第1部の器楽部分だけのリダクションではあるが、負担を分担できる「手」が多いこともあって、どのパートもベルクのものほど難しくない。
1月22日、ベルクはシェーンベルクに、またしても小節の不一致が発見されたことを書き、さらに執筆中のガイドのために《グレの歌》の成立過程について尋ねた。次の書面は、上はハガキ、下は便箋に書かれた。
敬愛するシェーンベルク先生、《グレの歌》のスコアと出版されたばかりのピアノスコアに小節の不一致があるという、ぞっとするような所見をお伝えします。
スコア71ページ上段:声楽パートのアインザッツ「不思議なトーヴェよ」の前に、この歌曲の出だしの部分に対応して、1小節を挿入する必要があります。ピアノスコアでは、81の前の小節になるでしょう。
スコア115ページ上段は、[4小節目♮・複縦線・♯×2]の後に小節が繰り返されています。
ピアノスコアでは1小節欠けており、2小節目では、1小節の直後に70の前の小節、第4トロンボーンの動機が続いています。何が正しいのでしょう?? 私としては、少なくとも最初からピアノスコアが正しいと確信しています。恐れ入りますが、ピアノスコアの2小節目も、その類似の箇所、90の7小節後と同様なのではないでしょうか! ですから、万一スコアが誤っている場合は、目下パート譜の仕上げをしており、同時に欠けた小節を補填したり余計なものを削ったりすることが可能なヘルツカ*に、知らせていただきますようお願いします。(31日に最初のリハーサルがあるので)。しかし、もしスコアが正しく、ピアノスコアが誤っているとしたら!!! それは私にとっては恐怖です!
──────────
*彼は新しいミスについてまだ知りません。
ハガキの続きです。
親愛なるシェーンベルク先生、さらに次のことをお伺いさせてください:あなたが1911年になってようやくオーケストレーションをしたとき、第3部の全部だったのか、それともスコアの117ページからだけなのか、よく分からないのです。──
そのとき:完全な作曲だったのか、どれくらいオーケストレーションの指定があったのか?! そのことをガイドに記載し、それにより適切な状態に定着させることが重要であるように思います。というのも、あなたが第3部を1910/11年になるまで作曲しなかったという噂があるからです。シュペヒトもかつて似たようなことを書いていましたし、もし正確なことが一度も言われなければ、現状のような、事実とかけ離れた、極めて馬鹿げた見解が噂として広められることが予想されます。
というわけで、私がそれについて何かを言うべきなのか、それとも最初に日付を載せるだけにすべきなのか、それから、親愛なるシェーンベルク先生、何かほかに分析に入れるものの希望はありますか?
これを果たすのにまだ14日かかりそうです。ガイドは非常に長く、シュペヒトのマーラー第8交響曲のそれの、きっと3~4倍になるでしょう。また、これが良いものになることを、私は静かに願っています。
(中略)シュレーカーは、すでにクリッチュとリハーサルをし、とてもうまくいっているそうです! 彼はもう自分の役を果たせます! ツェーメは私にではなく、そのときブッシュベックに手紙を書いたのですが、もちろん全部ご破算ですね! クリッチュが語ります!
このベルクの問い合わせへの返信が、広く知られることになったシェーンベルク自身による《グレの歌》の成立過程である。これはやや変形されたものが大ガイドに入っており、それがシェーンベルクの伝記的書籍や《グレの歌》を扱った文章に必ずと言ってよいほど引用されてきたが、元の形を載せた文章はあまり見かけないので、ここでは大ガイドとの重複部分があることを厭わず、シェーンベルクの書簡(1月24日付)のとおりに訳出しておく。
親愛なる友よ、私は《グレの歌》の日付をずっと前から書きたかったのです。あなたはそのほとんどを知っているでしょう。どんな論戦も様式もなしで、純粋に「統計的」でも「歴史的」でもあなたがそれを呼びたいように、何でも載せてください。
1.それでは:1900年3月から4月にかけて、第1部と第2部、それに第3部の大部分を作曲しました。その後、オペレッタのオーケストレーションで潰された長い休止期間。3月(すなわち1901年の早い時期)に残りの部分を完成!! それから1901年8月にオーケストレーションを開始(またしてもほかの仕事による妨害、私はいつも作曲を妨げられてきたので)。1902年の半ば頃、ベルリンで続行。その後、オペレッタのオーケストレーションのための長い中断。続いて、1903年に最後の作業が行われ、ほぼ118ページまで仕上げられました。その後は放置、完全に断念されました! 1910年7月に再び着手。最終合唱以外はすべてオーケストレーションされました。1911年にツェーレンドルフで完成されました。
ですから、全体の作曲は、1901年の4月か5月には完成したと思います。最終合唱だけがスケッチの状態でしかありませんでしたが、いちばん重要な声部と全体の形はすでに完全な状態で存在していました。スコアの仕上げに当たって、私は若干の、ごくわずかな箇所しか修正しませんでした。それは例えば「道化のクラウス」の曲や最終合唱の、8~20小節のグループに関するものだけでした。*それ以外はすべて、(違う方がよかったと思える少なからぬ箇所さえ)当時のままです。私にはもうその様式を的確に捉えることはできなかったでしょうし、ある程度経験を積んだ専門家なら修正された4~5箇所を難なく見つけることができるはずです。これらの修正は、当時のオーケストレーション全体よりもはるかに私を悩ませました。
お望みなら、この報告からどの文でも引用してかまいません。
2.さて次に、不足している小節について:
どちらのケースも、遺憾ながらピアノスコアが正しいのです。71ページに不足している小節を書き留めました。それは同封してあります。──スコアの115ページは、5小節目、すなわちトロンボーンの主題の前の小節が削除されなければなりません。ヘルツカに知らせてください。彼は間違いリストを印刷させる必要があります。場合によってはガイドの中で? でもそれで十分だろうか? 指揮者のためには?
ガイドが非常に長くなるのは、好ましくありません。できるだけカットしてください。そして何よりも:詩はいけません! シュペヒト的な「装飾的形容詞」も無用です(彼は各文に少なくとも3~4個の特徴のない形容詞を書いています)。
3.次はあなたが関係することです。フロイントがあなたの歌曲を歌えるかどうか、分からないのです。彼女は書いています──それを勉強するための時間がないと。別の女性歌手または男性歌手は見つかりませんか? 場合によっては、《亡き子をしのぶ歌》を歌うのにも適した人が。なぜなら、フロイントが言い訳をして抵抗するようなら、私は彼女と縁を切るつもりだからです。しかし、私はまだ彼女を口説き落としたいと思っています。いずれにせよ、あなたはあらかじめ備えておく必要があります。
4.室内交響曲も、もちろんやりますよ。編成は知っていますよね:第1ヴァイオリン12、第2ヴァイオリン10、ヴィオラ6~8、チェロ6~8、コントラバス6~8、フルート1、オーボエ1、イングリッシュホルン1、E♭(およびD)管クラリネット1、A(B)管クラリネット1、バスクラリネット1、ファゴット1、コントラファゴット1、ホルン2──
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*オーケストレーション用の注釈は、大元の作曲においてはほとんど書き留められませんでした。音色は忘れずにいられるものですから、当時はそのようなことをメモしなかったのです。しかし、そのことは別にしても、1910年と11年にオーケストレーションされた部分は、第1部第2部とはオーケストレーション様式がまったく異なっていることに気づくはずです。私はそれを隠すつもりはありませんでした。それどころか、私が10年後に異なるオーケストレーションをするのは当然なのです。シュペヒトは嘘つきです!
このオリジナルの成立過程の、大ガイドとの違いは、「オーケストレーション全体」が「作曲全体」と変えられたこと、脚注が本文中にはめ込まれたこと、最後の「シュペヒトは嘘つきです!」という文が削除されたこと、などである。ヴィーンで活動していたシュペヒトという人は、どうもシェーンベルクたちからはあまり好意的に見られていなかったようだが、トーヴェの歌が付録に付いた上記「ムジーク」同号の巻頭記事(タイトル「若いヴィーンの作曲家」)を任されるような立場の人で、この頃までにマーラーの主題分析を8番のほか6番も書いており、作曲家についての本もすでに複数出していた。音楽ジャーナリストとしての地位は確立していたのである。ただ、その「ムジーク」の記事には、(1910年の年頭時点で)《グレの歌》は第1部だけが完成している、と書かれているが、もちろんこれは事実誤認である(実際は第3部の途中まで完成していた)。訳者などは、1910年にはシェーンベルクもまだ同じヴィーンにいたのであるから、ちょっと出かけていって本人に会って取材してから書けばいいのに、と思ってしまう。事実と違う事柄を記事などで公にしてしまうことの危険性については、権威のある人、影響力のある人であればあるほど、自ら警戒しなければならないだろう。
《アルテンベルク歌曲集》をフロイントが「好きではない」と書いていたことについては、上の手紙に見られるようにベルクには伏せられた。同じ手紙で彼女は、新曲を勉強する時間もないし、マーラーの歌い慣れた歌曲だけにしたい、と書いていたので、シェーンベルクは「あんたを当てにして新曲を調達したのに」と多少がっかりしていたかもしれない。彼女はこの後、2月10日付のシェーンベルクへの手紙で、ベルクの曲が自分には受け入れられないことをもう少し詳しく書いている。「──ついていません──私は旅行でけっこう疲れ切っていて、ハレ経由で帰ってきました! リハーサルのために20日の早朝には必ずヴィーンに行くつもりです──あなたが、私の《グレ》が十分に悲しいものになっていることに気づいてくださることを期待しています! ベルクは──怒らないでくださいね──私には歌えません──美しくないのです……。──『おまえにも、女よ、雷雨が必要だ』のような歌詞は、私にはあまりにも滑稽です──同じように、『ここには入植地はない』も──詩はどこにあるのでしょう! その点、シェーンベルクには、音楽は別にしても、私はそれがベルクに欠けているのも残念ですが──素晴らしい詩があります」。まだ20世紀の初めでは、《アルテンベルク歌曲集》のような作品は、《グレの歌》(しかも名曲「森鳩の歌」)と比較されたら、歌詞にしろ音楽にしろいかにも分が悪いだろう。フロイントは、結局シェーンベルクに縁を切られることもなく、《グレの歌》世界初演では森鳩を歌ってシェーンベルクを満足させ、スキャンダラス演奏会では幸運にも(?)最後の出演だったため聴衆の罵声を浴びずに済み、またその後は《架空庭園の書》、第2弦楽四重奏曲、自分でフランス語に逆翻訳した歌詞による《ピエロ》も手がけるなどして、シェーンベルクとは良好な関係を保つことになる。
2月1日、ベルクは、やっと始まったリハーサルについて、シェーンベルクに報告した。
親愛なるシェーンベルク先生、最初の校正リハーサルを待ってからあなたに手紙を書きたかったので、今や直ちにお伝えすることができます。非常にゆっくり進んでいます。これまでのところ、4回のリハーサルがありました:弦楽器が2回、その中で第1部と2部を全部通しで進められたので、完璧になりました。金管と打楽器のリハーサルが1回、そこでは「森鳩の歌」まで進み、木管のリハーサルが1回、それは「天使たちは神の玉座を前にして踊らない」の歌までしか進みませんでした。今度はさらにシュレーカーの木管と金管のリハーサル(2月4日と5日)があり、第2部まで含めて進むでしょう。それから彼は八日間旅行に出て、12日にヴィーンに帰ってきます。その後さらに7回のリハーサルが続くはずです。しかし、それだけでは十分ではありません。リハーサルをさらに押し込む必要があります。特に木管は、いえ金管もですが、そのミスの探索が大幅に停滞しています。もちろん、私が校正した第3部は、まったく校正されていないか不十分な校正しかされていない第1部第2部よりも、おそらくはるかに正確でしょう。最初のリハーサルの1~2日前には呆れるほどの騒動があり、いまだに収まっていません。数字がまだまったくないか、間違って記入されていたのです。パート譜は、一部使用不能です。例えば、4本のヴァーグナー・チューバは、7~10番ホルンの中に書かれるのではなく、別に書き出されています。私が最初のリハーサルのためにそれをある程度直した後で、オーケストラのホルン奏者が、このような変ホ調のテナーチューバや変ロ調のバスチューバなどはない、と主張したので、吹けないことが分かりました。そうなると、移調するしかありません†。(ブルックナーの曲と同じように)。ほかにもまだいろいろありましたが、ケーニガーやシュミットや、もう一人、私の教え子の若い実業中学生の助力ですべてがかなり捗ったおかげで、リハーサルは支障なく実施することができました。目下、木管と金管の照合に引き続き取り組んでいます。特に金管の、とりわけ弱音の箇所では、誰が間違って吹いたのか、パート譜が間違っているのかスコアもなのか、聞き分けることが不可能なので、スコアのミスを探しています。ですから:シュレーカーがあなたに、親愛なるシェーンベルク先生に、スコアとパート譜をあなたが自分で照合するべきだなどと本当に手紙に書いたのだとしたら、そんなことはありません! それは短期間での膨大な、ほとんど不要な作業でしょう。なぜなら、ミスはリハーサル中に気づくからです。私はこの作品に精通しているので、たいていの場合すぐに裁定を下してミスを速やかに直させるか(私はシュレーカーの隣に座っているので)、不明瞭な箇所なら自宅で取り組んで研究し、そこでいつもそれを発見します! つまり、間違った音なしの作品を探り当てるのは時間の問題なのです。しかし、さらに重要なもう一つのことは、シュレーカーがそれをどのように探り当てるかです。シュレーカーは正しいテンポを知らないと思います。私がそれを咎めると、彼は校正リハーサルだからそうなっているだけなのだと言います。けれども、ある特定のニュアンスにおいては、やはり私たちの見解が異なることに気づかされます。強弱に関しては完全に! リハーサルでもそうでなくても、私はシュレーカーのppを一度も聴いたことがありません。ソリストたちが加わっても、オーケストラはあまり音を弱めないでしょうし、あなたが、親愛なるシェーンベルク先生が、さらに多くのリハーサルに参加してくだされば、きっととても良くなるでしょう。彼は私の言葉を信じませんし、信じたとしても、私が正しいとは認めたがらないのです! それでも、私が自分の意見を言えば何らかの役に立つとこれまでに何度か気づきましたし、あなたが来てからでも遅くはありません。私はあと2回、混声合唱を指導しなければなりません。彼らはすでにとてもうまくいっているようですし、男声合唱もそうです。
†訳注「移調するしかありません」──ヴァーグナー・チューバは、テナーが変ロ調、バスがヘ調の移調楽器で、ホルン奏者が持ち替えることから、ブルックナーのように、これらの調で1オクターヴ以上移調してト音記号で書くのがよい(らしい)。シェーンベルクは、基本的にト音記号で書いてはいるものの、《ヴァルキューレ》と同じくテナー変ホ調、バス変ロ調で書いているため、再移調が必要となったのである。……《ジークフリート》《神々の黄昏》では、記譜はちゃんぽんになっている。前者のバスのパートには、ハ調の箇所さえ登場している。
私にはもはやその時間がないので、あなたの親愛なる手紙にまだ答えていませんでした。ガイドさえ四日間放置しなければならず、お分かりのように、簡単な文章を書くこともままならないほど疲労困憊しているのです。
しかし、今、もう一度そこに目を向けなければなりません! まだ(ガイドの)第3部の全部を書かねばならないのです──第1部よりも大幅に短くする必要があります。親愛なるシェーンベルク先生、私が熱狂的に書いていることをまずいと思わないでください!! 純粋に事実に即し、装飾的な形容詞もなく、心理学的な──シュペヒト的なものもありません! おそらく、私が一度も「美しい」という言葉を使わなくても、私が言っていることからの方が、むしろシュペヒトの形容詞からよりも、この作品がどれほど美しいか、私がそれをどれほど愛しているかが浮かび上がってくるでしょう。
まして、すでにあれだけたくさんオーケストラで聴いた今となっては、そのような形容語句でも間に合いそうにありません。素晴らしい響きその他から、私の格別な感銘を綴りたいのですが、それは多くなりすぎるし、時間もありません。時には、弦楽器の──木管の響き(特に冒頭)に、どんなに酔いしれて座っていることか。おお、あなたがその場に居合わせないなんて! 本当に、すぐに来てください、お願いします、親愛なるシェーンベルク先生!! ケーニガーとシュミットがリハーサルに参加できないのは、とても悲しいことです。シュレーカーは、(彼が必要としている)私以外の誰も楽器種別リハーサルに参加することを許さないのです。
ヴェーベルンが、私があなたに手紙を書いた翌日にあなたに会ったこと、そしてフロイントが私の歌曲を歌うかどうか疑わしいとはあなたが見なしていないことを伝えてきました。ということは、彼女は気持ちを変えさせられたということでしょうか? ヴェーベルンは、すっかり決まったように言っていました! 彼はまた、最後の歌曲(第5曲)が声楽的にいちばん易しいと言い、そのために私はそれをいちばん最初にあなたに提案したのです。ひっとすると、彼女はそれを好んで歌うかもしれません。それは長くもないし(4~5分くらい)、よりやりがいもあります! とはいえ、もしかすると彼女はすでにきっぱり断っていて、私の提案などまったく無駄なのかもしれません。それでも、少なくとも失望の苦痛に加えて、あなたが、親愛なるシェーンベルク先生が、その演奏を希望したという忘れられない喜ばしい意識があり、そのために私はあなたに常に限りなく感謝しなければなりません!!──
このベルクの手紙からは、《グレの歌》のリハーサルがいかにドタバタしていたかが十分伝わってくる。新ヴィーン楽派関連の書籍などに、《グレの歌》の初演について「幾多の困難を乗り越えて」などと書いてあることがあるが、実態は上記のような有様だったわけである。ガイドの方は、あと3週間しかないというのに、ということは入稿まであと1週間程度しかないだろうに、ベルクはこれからガイドの第3部全体を執筆するという。ヘルツカは、リハーサルやガイドがあまりにも進捗しないので、この頃にはかなり神経質になっており、一時は「演奏は無理そうだから、ガイドの執筆も中止した方がよい」とベルクに伝えていた。また、ベルクとしては、心酔している我が師シェーンベルクに一刻も早く再会したいという気持ちもあったのだろう、早く来て演奏を指導してほしいと無邪気に書いているが、実はシェーンベルクは、ヘルツカからのその誘いにはかなり腹を立てることになる。……なお、ケーニガーとは、パウル・ケーニガーのこと。シェーンベルクに学んだ後、ベルクの年上の生徒になった。シュミットとは、ヨーゼフ・シュミットのこと。この人はベルクの最初の生徒の一人である(ベルクより年下)。それと、この物語にヴェーベルンがあまり登場しないのは、ちょうどこの頃、彼はシュテティーン市立劇場の仕事で精神をやられて鬱病のような症状に陥り、ゼメリングのサナトリウムで療養中だったことが影響しているだろう(そこに向かう途中で彼はベルリンのシェーンベルクに会っている)。《グレの歌》初演には、渋る医師の許可をどうにか引き出して参加することができた。この頃、ベルクよりはるかに年長(マーラーよりも年上)の友人であったアルテンベルクも、「迫害妄想」のためシュタインホーフの病院で療養中だったと上の手紙にあった。ベルクも喘息持ちでいつも健康には不安を抱えていたが、心を病まないだけまだマシだったかもしれない(もっとも、彼も繊細というか、落ち込みやすい性質ではあったようだが)。
この頃、ヘルツカは、ベルクのガイドが想像よりもずっと長くなっていることを知ったらしく、シェーンベルクにベルクを説得してほしいと伝えた。それを受け、2月3日、シェーンベルクは、ヘルツカとベルクに手紙を書いた。まずヘルツカ宛の手紙。
親愛なる取締役様、単に譜例だけに基づいてガイドについての意見を表明することなど、私にはまったくもって不可能です。本文が来て初めて分かるような優れたアイディアが、そこにどれくらいたくさん潜んでいるか、誰に分かるでしょうか(誰が何と言おうと、私はベルクに期待しています)。ガイドとしては全体がやや長いとは思います。人はあるいは、近道をするためにガイドを手にすることもあるでしょうし。しかし、マーラー第8のシュペヒトの40ページが長すぎないのであれば、ベルクの80ページもいけそうな気がします。どちらにしても演奏会の間に読まれるためには長すぎますし、まあ私は打開策を一つしか知らないのですが、それは、その小冊子の中にかなり多くの広告を入れ、それによって音楽が鳴っている間じゅう楽しい方法で時間を潰そうとする人々が退屈から遠ざかろうとし、それによってそのような人々がガイドの中にできるだけたくさんの気晴らしや、できるだけたくさんの刺激的な材料を見つけようとする、その点で彼らを援助する、というものです。というのも、シュペヒト的な形容詞で満載の40ページを読むのは、その都度マーラーの音楽に絶えず妨害されるとしたら、あまりにも疲れると思うからです。主語と目的語の間の繋がりを見失うに違いないと思います。
しかし、真面目な話:もし40ページの長さのガイドがあるのなら、80ページがあってもいいのではないでしょうか。そうなると、いずれにしてもそれは演奏会用ではなく、家庭用になるからです。そして、それはたぶん正しいことでもあるのでしょう。人々は演奏会でガイドを購入し、そこでプログラム、楽器編成、歌詞を見つけ、それから家でもう一度取りかかり、今度は、a)ガイドの秘密と、b)作品の「それ」を見抜くべく、知力を鍛えるというわけです。
いずれにしても、ベルクはカットを試みるかもしれません。多くものが不要になると思います。
確かに多くの譜例が落とせるでしょう! そうでなくても、少なくとも縮めることは可能でしょう!
しかし、ことによるとそうでもないかもしれない。全体を見てみないことには、それを知ることはできません。ことによると、どの言葉も削るには惜しいかもしれない! とはいえ、ともかくもそれは実行可能です。いちばんいいのは、あなたが誰か、こういった問題を判断する能力のある人を雇うことでしょう。もちろんフォン・ヴェス氏なら、こういうことについては適任者でありましょう! 彼はそれを喜んでやってはくれませんか?
あらゆる場合に備えて、ベルクの仕事に十分注意を払うことをお勧めしておきます。彼はとても知的で誠実であり、余計なことはしないということについては、私は彼を信頼しています。
敬具 あなたのアーノルト・シェーンベルク
シュレーカーが《グレ》のパート譜の校正に関してしつこく私に言ってきます。どうかあなたがその手配を指示してください! そうしないと、彼は本当にリハーサルと折り合いを付けることができません。
私自身は、ベルクに、できることなら短くするよう勧めるつもりです。しかし、私は彼に圧力をかけることはできません。もしかすると、それについて私はやや非芸術的なことをするかもしれないからです!!
シェーンベルクの、40ページだろうが80ページだろうが長すぎることに変わりはないのだから、広告をうんと載せることで購入者の退屈しのぎになる材料をいろいろ提供してやればよい、という提案は、実際の大ガイドには採用されなかった。そもそもこの提案は、《グレの歌》に退屈する聴衆がいるかもしれないと認めていることになるわけで、彼がどこまで本気で言っているのかは分からない。また、シェーンベルクは、マーラー第8の主題分析を書いたシュペヒトのことは例によって良く言わないが、《大地の歌》主題分析を書いたヴェスのことはここでも評価している。ヴェスは、ウニヴェルザール社の音楽顧問を務めていた。次にベルク宛の手紙。
親愛なる友よ、あなたの、ミスの質問に対する回答を同封しました──。
ヘルツカは今日、あなたの分析について書いてきて、その長さに愕然としています。
正直に言うと:私もです!
私のことは気にしなくてよい。あなたは私がそういうものについてどう考えているかを知っていますから。しかし、ヘルツカはそうもいかない:それについて、彼はほとんど何もすることができません、出版社として。私は彼をなだめようとしました。しかし、それはほぼ何の役にも立たないでしょう。言いにくいですが、あなたはカットしなければならなくなるかもしれません。
せめて譜例だけでも!!
それは私にも多すぎるように思えます!
ひょっとして、あなたは私の助言にあまり従わなかったのではないですか。何か思いついたら、そのことだけを言うように!! たぶんあなたは、(完了形も未来形も)思いつくままに何もかもという誘惑に、あまりにも屈してしまったのでしょう。
そしてもう一つ、これは確信であるとさえ言えるのですが:あなたが多くのことを回りくどく馬鹿丁寧に言ってきたことは確かです。美しく、効果的に言いたいという欲求から!! 私はそういうことを経験済みですから、あなたにこう言うことができます:私は、これまでに書いてきたことのほぼすべてを、今なら違う形にするでしょう。何よりも:もっと短く! 私の音楽と同じくらい短く、です。あなたは、15~30ページくらい削減できないかどうか、よく考えてみてください!!
着想は消さないこと!
しかし、その着想の前駆や後産にすぎないものは、きっぱりと全部。
とはいえ、あなたの気持ちを傷つけたいわけではありません。ひょっとすると、あなたの仕事は、その点で変えるべきものが見つからないかもしれない。その場合はそのままにしましょう!! だだ、中途半端はいけません:必要だから短くする、その場合は徹底的にやるか、あるいはまったく切らないか! それでも、多くを省略できないか、よく検討してください!
ついでながら:私があなたの決定に圧力をかけるようなことは一切ありません。あなたは私から、完全に自由に裁量することができます。
シェーンベルクは、離れて暮らすベルクがヴィーンの状況を頻繁に手紙に書いてきてくれることは歓迎していたが、彼の文章表現法や字の読みにくさは苦手だったようで、1913年11月28日付の手紙(下に訳出してある)にも出てくるが、時々ズバリとそれを指摘している。訳者としては、確かにベルクの文章は分かりにくいものの、シェーンベルクの文章もどうも言葉足らずなことが多く、それほど分かりやすいとは思えない。
ヘルツカ宛の手紙の内容から見て、彼はシェーンベルクに(第2部までの)譜例しか見せていなかったようなので、シェーンベルクも本文なしでは公正な判断はできないということで、ここではやや説得しづらそうに書いている。昔書いたものを、今の自分ならもっと短く書くはず、あなたもそうなるだろうから、今からそうしてみたらどうだろうか、と言いたいようである。「何か思いついたら、そのことだけを言うように」という助言は、12月4日付の手紙で「毎回特に目立つもの、およびそれについて言うべきことが分かっているものについてだけ話す」と書いていたのを指しているか? また、「完了形・未来形」というのは、以前出てきたものを繰り返す、これから出てくるものを先取りする、ということであろうか?
二日後の2月5日、ヘルツカはベルクに半ば警告のような手紙を書いた。
《グレの歌》ガイドの問題ですが、私は大いに憂慮しております。と申しますのは、あなたが通知なさった規模になった場合、私どもがヴィーン公演のために同書を仕上げることが不可能になる可能性があるからです。当時、私どもが《グレの歌》のガイドについてお話しした際、そのために私が想定したこの種のものの例として、ヴェスとシュペヒトによって書かれた《大地の歌》と《第8交響曲》のガイドを挙げさせていただきました。第8交響曲のガイドは59の譜例と34のページを有し、《大地の歌》のガイドは45の譜例と29のページを有しています。もちろん、《グレの歌》のガイドがこれらよりももう少し厚くなり、さらに多くの譜例があったとしても、まったく問題にはならなかったでしょう。それはともかくもなお主題分析に属するものになったでしょうし、演奏会来場者のため、50~60ペニヒ程度の通常の手頃な価格で販売されることができたと思われます。しかるに、あなたは土曜日に第1部と第2部の譜例を私に送ってくださいましたが、これだけでも87の鉛版が必要となり、カルムス氏とは、あなたの想定ではガイドは少なくとも80の印刷ページを有することになるという情報を共有しています。このような状況では、このガイドはまさに1冊の本となり、その製作には同種のもののおよそ3倍ほどの経費がかかり、価格もそれに応じて高価なものにならざるを得ず、演奏会来場者の相当数が同書を購入しないおそれがあるのです。私としましては、ガイドを多少なりとも簡潔に記述していただき、あなたが絶対に必要とまでは思わない譜例の多くを削除していただけますよう、切にお願いする以外の方法を知りません。
私のこれらの苦情や説明は、実利的な必要性によってのみ課せられたものであること、またあなたが最良かつ最高度に芸術的な仕事を成し遂げようと努め、あなたにはそれが可能であると私が確信していること、そして私の所見はすべて、あなたが果たしてこられ、またこれから果たされるであろうこの価値ある仕事のため、適切な利用形態とふさわしい販売数を見いだす目的しかないということを、強調しておきたいと思います。
従いまして、十分な削除とできるだけ早い原稿の返送をお願いし、あなたのとても恭順なヘルツカをどうぞよろしくお願いいたします。
「できるだけ早い原稿の返送(eheste Retournierung des Manuskriptes)」と書いてあるので、すでに入稿されてそれが突き返されたようにも見えるが、同日のシェーンベルク宛の手紙を読むと、この日時点でガイドはまだ完成していなかったようである。土曜日(=2月1日)に第1部と第2部の譜例がヘルツカに送られたとあるので、その譜例が一時ベルクに戻ってきたのであろうか? 次に訳出するのは、その2月5日付のシェーンベルク宛の書簡(速達)である。
親愛なるシェーンベルク先生、ヘルツカの電報を受け取りましたね! 私はちょうど今、2回目の木管リハーサルから帰ってきたところですが、その結果により、シュレーカーはとにかくあなたが一刻も早くヴィーンに来ることが唯一の打開策だと考えました。今回のリハーサルでは第1部の90までしか進むことができず、だというのにリハーサルされた内容、特に少なからぬ小節(オーケストラ間奏曲)にミスがないという保証がない。シュレーカーはこれから出発しなければならない。そこで彼は、2月14日までの間に、スコアはミスをチェックされるべきで、それからそのミスがパート譜において修正されるべきである、という意見でした。そういう次第で、誰もスコアのミスを見つけられないのだから、とにかくあなたにヴィーンに来てもらうしかない、と。さて:場合によっては私がそれらを見つけることもできますが、それぞれのパート譜を別のパート譜と比較したり、ハーモニー等を比較したりしなければならないので、第1部と第2部に約1~2か月、第3部に必要とされたのと同じ時間が必要になってしまうと思います。*その場合も、それでやっと正しくなったという保証はありません!! おまけにリハーサルがもう残り少ないので、それらは分割で行われる必要があり、例えば14日のリハーサルで木管と金管をあなたが、弦をシュレーカーが(同時に)行うことができれば、そのいわゆる校正リハーサルで、少なくとも全3部を完全に通せるかもしれません。というのは、17日に合奏リハーサルが始まるからで、全部でさらに6回あります(14日のものも合わせると、その6回に先行して7回のリハーサルがあります)。
すなわち:
①木管、40まで
②金管、90まで
③
④弦、第1部と第2部
今日:⑤木管、90まで
⑥金管、見込みでは第1部(第2部)の終わりまで
2月14日……⑦
2月17日-2月22日、⑧-⑬、合奏
おそらく、シュレーカーが不在の間にあなたが1回か2回分割リハーサルを行うことを聞き入れてくだされば、たいへん良い結果になるでしょう。しかし、シュレーカーはその費用が600~1000クローネになると考えているので、ヘルツカはそれを負担しなければならないでしょう。
もちろん私はヘルツカに(電話で)、シェーンベルク先生はあなたから滞在費を支払われるべきだ、と言い、それに対してすぐに彼は、先生は自分の所に泊まればよい、と言いました。でも、そんな単純な話だとは思いません! あなたが今すぐヴィーンに来ればかなり多くの時間を失うことになり、その分は絶対に補償されなければならない! ヘルツカはそれを理解していると確信しています──彼はそうでなければならないからです! シュレーカーは彼に、あなたがすぐヴィーンに来ること、そうでなければ自分はこの作品を演奏できない、という条件を出しました。ですから、我々はあなたの決断を待っています。シュレーカーは、今日ライプツィヒへと出発し、12日頃に帰ってくるので、あなたに手紙を書くことはできないでしょう。もしこの件についての私へのお手紙がないようでしたら、私は7日金曜日にヘルツカに問い合わせます。
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ガイドは、少しばかり短縮し、場合によっては若干の譜例を落としてみようと思います。いずれにしても、もう第3部の残りの部分は短く抑えるので、それについてはあまりに多くなることはありません。親愛なるシェーンベルク先生、手短なのは申し訳ないのですが、30分後にまたリハーサル(金管)があるのです。私は昼休みを素早く手紙に使うことしかできません。
それでは、あなたの親切なお手紙に心からのご挨拶と感謝を申し上げます。
あなたのベルクより
(あなたがリハーサルに介入するのは、おそらく必要不可欠なことでしょう! シュレーカーは良くありません、作品をあまりにも分かっていないのです!──)
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*)それからガイドに休みなく取り組むわけです!
この後金管のリハーサルが続くということは、ベルクが書き出したリハーサル日程の⑤と⑥は両方ともこの日、2月5日に行われたのだろう。シュレーカーがライプツィヒに行ったのは、自作のオペラ《はるかなる響き》のその地での上演のためである。実はベルクは、このオペラのピアノスコア作成も請け負って完成させていたのだが、ベルクのリダクションはやはり《グレの歌》同様難しすぎるということで、フェルディナント・レバイがベルク版を簡略化したものが出版されていた(UE3096)。また、ベルクが、そんなに単純な話ではない、と書いているのは、シェーンベルクがベルリンを離れると、その間彼がその地で行うはずだったレッスンなどの報酬がなくなってしまうわけで、旅費だけでなくその分も補償されなければシェーンベルクが損をするだけに終わってしまう、ということを言っている。ヘルツカが宿泊場所を無料提供するだけでは不十分なのである。
さて、予定されていたこととはいえ、シュレーカーが1週間以上も不在になるということで、いよいよ「万策尽き」かけていたヘルツカは、シェーンベルクにヴィーンに来てほしいという電報を打つ。《グレの歌》世界初演は、ヘルツカが総責任者というわけでもないのだろうが、正しい楽譜が用意できないでいることがリハーサルの進行を妨げているのであるから、彼にはその責任があった。とにかく楽譜を正しいものにすることでしかこの状況は打破できない。彼はシェーンベルクに、主として楽譜校正に力を貸してほしいと依頼したようである。それに対しシェーンベルクはかなり腹を立て、ヘルツカ宛の長い手紙を書くが、それはベルクへの手紙(2月6日付)に同封された。
親愛なるベルク、同封の手紙は──あなたの速達が届く前にヘルツカに宛てたものです。それは、非常に穏健な形ではありますが、私の意見を含んでいます。にもかかわらず、私は自制して、この手紙をヘルツカに送りませんでした。今、私はそれをあなたに送り、それによって私の意見を知らせます。──私はヴィーンには行きません。シュレーカーが私の申し出(私が指揮するということ)を断ったからです。彼に天福のあらんことを! 私はたぶん、最後のリハーサルに向けてヴィーンに行きます。しかし、おそらくヘルツカは今すぐ中止にすることでしょう! あの悪党のせいでの中止は2度目です。
もし公演が実現するとしても、ツェーメ夫人は緊急時、すなわちその役をやれる男性が見つからない場合にのみ呼ばれるべきです。
敬具 あなたのアーノルト・シェーンベルク
親愛なる取締役様、
知らされたベルクの手紙はまだここに届いていません。万一それが私に別の意見を植え付けるようなことになれば、私は喜んで、ここで私が述べなければならないことを撤回するでしょう。
まず最初に:私は、あなたとフィルハーモニー合唱団の電報に、あなた宛と同じ次のような返信をしたところです。
「シュレーカーが時間を取れないのであれば、私は喜んで指揮をしに行きます。しかし、校正はしません。出来の悪い素材は私のせいではない。どうぞ遠慮なく中止にしてください」
この電報を説明すること、あなたがいかに間違っていたかをあなたに教えること、私が行かなくても容易に進められることを証明することが、私の手紙の目的です。
Ⅰ.何よりも、「シュレーカーが緊急に、あなたが大至急こちらへ来ることを要望しています(!!)」は、ややきつすぎるように思います。私が犯罪を犯していたとしても、もう少し丁重に言うことを要求します。
Ⅱ.私はおそらく150~200マルクの旅費を要求されていますが、私がなぜそのような費用を負担すべきなのか、その詳しい根拠を示すのに10クローネすら気前よく支払われていません。
電報で知らされたようなことはないということを、さらにあなたにお知らせしましょう。
Ⅲ.私がそのような費用を支払うことが期待されているというのに、私にそれが許される状況なのかどうかが尋ねられていません。
Ⅳ.もし私にそのようなことをしてほしいのならば、何よりもまず、すべての費用をそちらが負担することを私に説明しなければならないでしょう。
Ⅴ.しかし、ここで最も重要なのは:指揮者が、芸術家としての義務──私に対する義務と彼自身に対する義務──としてこの問題に従事するだけの時間がないという理由で、著者である私が彼の下働きをすることが要求されていることです!!
というのは:もしシュレーカーが、彼の義務としてスコアをまともに研究していたなら、彼がそこに欠陥があることを今初めて突然発見するなどということはあり得ないからです。(ちなみに:そこにミスがあるとしても、この事態は私のせいではありません! 素材をしかるべきタイミングで早めに修正させればよかったのだから!!)彼はずっと前にそれに気づくべきでした!
しかし、彼がスコアに通じていないことは、ベルクの素朴な報告から、私はかなり前から察知していました。曰く「金管と木管奏者のミスを発見することはかなり困難です(!!)」。これはもちろん、スコアを知らない場合に限ります!
シュレーカーに作品を勉強する時間がないことは分かります。それどころか、納得することも弁護することも可能です。しかし、私が納得も弁護もできないのは、それにもかかわらず彼が、この作品を自分で指揮することにあくまでも固執していることです。もし彼が私に指揮をするよう促してくれれば、それは彼にとって人間的により気高いというだけでなく、芸術的にもよりまともであったでしょうに!!
しかし、それにしても:なぜ私はヴィーンに行かなくてはならないのでしょうか? それが私にはまったく不可解なのです。あなたは、みんな気が動転していて、そこへ私が行って尻拭いをすべきだと思っている。ええ喜んで、でも必要な範囲だけです。特に著者が必要とされる仕事(指揮)のためであって、写譜屋の仕事のためなんかじゃありません。そんなことのために、そのような旅に出ることはしないのです!!
あなたは、スコアの「解読」と電報で言っていましたね。はて、それはどういう意味でしょう。スコアが紛らわしくて乱雑なわけではないですよね? それはミスを含んでいます。それでも、二人の音楽家が自分たちでそれを修正することくらいできるはずでしょう。あるいは、もしできなくても:郵便局はないのですか? 私に尋ねることだってできますよね? 印刷されたスコアから問題のページを切り離し、そこに赤い十字(?X)を付けて私に速達で送る。私が速達で返信する! あるいは私に、スコアを読み直し、見つけたすべてのミスをヴィーンに毎日送るよう依頼する。はたまた、私にスコアをもう3冊届け、それにより私がここベルリンにいる友人たちにそれを読ませることだってできる!! そして:ヴィーンでも優秀な音楽家数人に同じように読ませる。彼らにはそのための報酬を支払う。そうすれば、それなりの数が見つかるでしょう! つまり、これですべてが迅速に、より確実に、より安価に運ぶのです。そして、罪のない人間が費用や苦労を一人で背負い込むようなことにはならないはずなのです。私のスコアは、ほかのどのスコアよりもミスが少ないのだから、作品の規模(あらゆる次元での)が、それがたくさんあるように思わせるにすぎないのです。特に:まだ修正されていない素材には!!
この公演の、私にとっての重要度のレベルは、かなり過大に見積もられています。もしかすると、公演は私にとって非常に得になるのかもしれない。しかし、だからといって、それでもやはり私は誰からも自分をいじめさせるつもりはありません。何よりも、「さもなければ公演は中止する」などと脅される謂れはないのです。私はそこまで成功に執着しているわけではない。特に:私には、公演はそれほど重要ではなく、それが良いものであることの方が重要なのです。そして、これはどのみち良い公演にはなりようがない。うまくもないトーンキュンストラー管弦楽団でたった10回のリハーサル!! 優秀なベルリン・フィルハーモニーとやる場合でも、私は9~11回のリハーサルをするでしょう!!
ゆえに、結論として:私は思いついた助言をあなたに喜んで申し上げたいと思います。私には、経費の補償と引き換えに、自ら進んで公演を指揮する用意があります。最後のリハーサルで私の考え方に沿って演奏を作るため、2月28日頃に喜んでヴィーンに参りましょう。しかし、私を脅しによって不安にしようと考えるならば、それは私のことを見くびっていることになります。それには、どうぞかまわず中止にしてください、とお答えするだけです。
もし中止しなければならないとなると、あなたにとっては非常にお気の毒なことになるでしょう。──私はもちろん、自分で何とか進めるつもりです。
あなたはこの手紙にいささかの苛立ちを感じ取ることでしょう。でも、それは私にはどうすることもできません。ヴィーンから絶え間なく肩を叩かれるのにはうんざりしているのです。でなければ、私が何のためにヴィーンに背を向けたのか、実際自分でも分かりません。普段は、私が自分の作品を演奏しに行く所はどこであれ、それはありのままに評価され、取り扱われます。それに対し、人は私の作品を演奏できることに感謝するのです。ヴィーンでは、誰もが私を支援すると言っては、商売上の問題から私の首に縄を回そうとする(=私を陥れようとする)。しかし、私はもうそんな縄のために首を差し出すことはせず、自分がヴィーンを去るときにそこに対して取った立場に留まります。
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報告されたクリッチュのキャンセルについて言えば、ツェーメ夫人は緊急事態においてのみ考慮されるべきです。初演には男性が欲しい!
悪く思わないでください。敬具 あなたのアーノルト・シェーンベルク
この書簡のうち、「スコアを3冊ベルリンに送ってくれれば友人に頼んで間違いを探す」と言っているのは、この時点ですでに刊行されていたファクシミリ版スコアのことを言っているのだろう。それと、シェーンベルクは楽譜のことを「Material(素材)」と表現していることがあるが、文脈から見て、これはパート譜のことを指しているように思われる。また、「2月28日頃」は、シェーンベルク・センターの自筆書簡の写真で確認したが、確かに「28日」に見え、そのように翻刻もされている。世界初演は2月23日であるから、28日に行ってももう終わってしまっているはず。彼がヘルツカ宛の書簡を書いた時点では、上記のベルクのリハーサル日程を書いた手紙を受け取っていなかったと書かれているので、この時点でのシェーンベルクは、まだヴィーン公演の日程をきちんと把握していなかった可能性がある。まあ単なる書き間違い・思い違いか、「1」の最初の斜め棒が長くなり、縦棒から「8」に移るときにペンを紙から離し切れなかっただけなのかもしれないが。もう一つ、リハーサルは「10回」ではなく、ベルクの手紙によると実際には「14回」行われた(もしかするとさらに追加されたかも)。
この長いヘルツカ宛の書簡からは、最後に自分で書いているように、言葉遣いは丁寧でも、彼の隠しようのない苛立ちが伝わってくる。シェーンベルクはヴィーンを憎んでいた。《グレの歌》世界初演は、周知のようにすさまじいまでの大喝采を受けることになるのだが、舞台上に呼び出されたシェーンベルクはあまりうれしそうではなく、熱狂する聴衆に対してよそよそしい態度を取っていたという。後年、彼はこの成功について、「どっちつかずの気分だった」「やや憤りすら感じていた」と語っている(「人が孤独になるとき」1937/10/11の英語による実演付き講演、「WAVE 23号 シェーンベルクのウィーン」ペヨトル工房1989/11に細川晋さんの翻訳が入っている)。彼のヴィーンに対する積年の恨みや、若書きの作品である《グレの歌》が受けたからといって、その後の自分の作品がヴィーンで受け入れられるとは思えなかったことが、その理由である。なお、ベルク宛の方にもヘルツカ宛の方にも、最後に追伸のように語り手の交替(予定されていたクリッチュのキャンセル)について書かれているが、その情報もヘルツカの電報に入っていたのだろう。
……これは訳者の感想であるが、ヘルツカの、当時の作曲家たちに与えた恩恵の大きさを考えると、確かに今回の彼の進め方には問題があった──《グレの歌》の音符の多さと複雑さ、その膨大で複雑な細部が精妙に噛み合った繊細さを、甘く見ていたのだろう──とはいえ、シェーンベルクは5歳年長の彼に対してやや厳しすぎるような気もする。音楽教育を受けていないヘルツカは、実は専門的なレベルで音楽を理解していたわけではなく、その部分は音楽顧問のヴェスがカバーしていたようである。ベルクのピアノ編曲が難しすぎると不平を言ったのも、ベルクに言わせると、シュレーカーの意見の受け売りであるという(シェーンベルク宛書簡1912年9月5日付)。それでもヘルツカは、その後「世話をしなければならない数え切れないほどの子供がいる家族の父親」(コダーイの言葉)のような存在になってゆく。彼に感謝した作曲家は多かったのである。シェーンベルクのような難しい相手にも根気よく付き合ったのであるから、もしかすると人間的な度量の大きさでは、シェーンベルクよりもヘルツカの方が上だったかもしれない。もちろん、芸術の質と人間性には何の関係もなく、その作者がクズのような人間であっても作品の価値には何の影響も及ぼさないのであるが(芸術では「良い作品を作った者が偉い」のであり、名作の作者の人間性を攻撃してその作品まで腐すのは、負け惜しみか僻みでしかない)、シェーンベルクのような敵の多い芸術家が世に知られるためには、ヘルツカのような存在──同時代の作曲家を積極的に支援し、時には生活の面倒も見てやる楽譜出版社取締役──も必要だったはずである。
この、他人宛の出されなかった手紙を含んだ特殊な手紙に対し、ベルクは長い返信を書くことになるが、その前にシェーンベルクから重ねてハガキが来た。2月8日付のものは、すでに本文中の訳注で触れた──(クリチュがキャンセルしたにしても、)語り手にはツェーメを起用せず、男性を見つけてほしい、という内容のもの──。2月9日の短信は次のようであった。
親愛なるベルク、あなたが《G》公演の運命について何も書いてくれないことに、私は本当に驚いています。結局、それが中止になったのかどうかだけでも知らせてもらえますか。よろしく。シェーンベルク。
「本当に驚いています」という皮肉っぽい言い回しに、「私が救援に行かないことで、その後《グレの歌》がどうなったか、作曲者であり君の師である私に真っ先に知らせるのが当然だろうに、君は何で知らせてこない? 君もヘルツカたちと同類の無礼者なのか?」という不快感が垣間見える。相変わらず初演準備とガイド執筆に忙殺されていたベルクの返信は、2月10日にやっと出された。下記の文面の、「たった今帰宅して」のパラグラフより前の部分は1通目のハガキ(メロドラマの語り手にはツェーメではなく男性を見つけてほしい)を読んだ後で、それより後は2通目のハガキ(すぐ上のもの)を読んだ後で書かれた。
親愛なるシェーンベルク先生。あなたの最後のハガキ(ツェーメ)は私をわずかですが安心させ、あなたが私に腹を立てていないことを教えてくれました。最後の手紙から、ヴィーンに対する不快感のみならず、私に対するそれも読み取れたものですから。ヘルツカ宛の手紙は私の所で止まってしまい、後で彼に渡すことができなかったのですからなおさらです。それは私にはとても悲しいことで、もしこの二日間で「ガイド」を書き上げる必要がなかったら、私はすぐにでもあなたに手紙を書いて、自分をひどく苦しめていた重荷を下ろそうとしたでしょう。今、あなたの親愛なるハガキは、わずかですがそれに効能がありました。私はこの件について、より冷静に話すことができます。
さて、状況は次のとおりです。私は、あの二人の立派な紳士の「願い」をあなたに速達でお知らせしたとき、ヘルツカやシュレーカーと共謀したわけではありません。むしろ、ヘルツカに電報を打つことを思いとどまらせ、あなたにどうしたらいいのかを尋ねるつもりでした。ところが、この件でヘルツカに電話したとき、彼はすでにシュレーカーからすべてを聞いて知っており、──彼が言うには──すでに非常に長く詳細な電報を用意していて、あとはただ私もあなたにこの件で手紙を書くだろうということを付け加えたいだけだ、とのことでした。ですから、私の手紙は、一方では電報の説明でしたが(──その文言は知りませんでした)──、もう一方では、私には、もしあなたが来てくれれば、誤りを修正するためではなく、それなりに良い演奏を可能にするために非常に良いことだろうという副次的な考えがあったのです。(修正はリハーサルで自ずからなされるでしょうし、いずれにしても4分の3はもう修正されていたのです)。そして、それなりに良い演奏を可能にするには、ミスを修正することではなく、リハーサルをもっと押し込まなければならないということが判明したことでしょう。それで、私としては、あなたがこちらに来ることでそれが可能になるかもしれないと期待したわけです。私はヘルツカの許では意見を通すことができず、また1回(13日)のリハーサルを割り込ませるのもそうとう大変だったのです。私は、あなたの介入が、不完全になることが確実なその演奏を良いものにできるだろうと思いました──そんなわけで、もしあなたがすぐにここに来てくれれば、それはとても良くなるだろうということもあなたに言ったのです。私は一つしか選択できませんでした。あなたが来るのが遅すぎて、あなたが参加するわずかなリハーサルでは不十分な習得状況が改善できないか──あるいはあなたが早く来て、満足のいくまともな習得状況を可能にするか。当然、私は後者を選びました。というのも、第3の可能性:あなたが作品全部を演奏するという選択肢は、私には考えられなかったからです──それについては、私はシュレーカーを知りすぎています。彼は作品を、それが演奏されるために演奏するのではなく、自分が何かを演奏するために演奏するのです。シュレーカーがあなたの提案を電報で受け取ったと聞いたとき、私はそのU.E.の従業員の顔を見て嘲笑したものです。シュレーカーが即座にそれを──《グレの歌》を良い演奏にする唯一の可能性を拒絶するであろうことを、私はよく知っていましたし、断言することだってできたでしょう。そんなことをしたら彼は名前を挙げられることがないだろうし、彼の薄汚い野心はあまりに大きいので、──聴衆の前に進み、お辞儀をし(彼はライプツィヒでの初演では47回のカーテンコールがあったと電報で伝えてきました!)、新聞に名前を載せる、等々の機会を諦めるくらいなら、自分が作品を指揮する方を──いえ、拍子を打つ方を──知らずに間違った拍子を打つ方を、望むのです。しかし、親愛なるシェーンベルク先生、あなたはまだシュレーカーの性格をよくご存じないのですから、もう《グレの歌》の公演はシュレーカーの下でしか行われ得ないということを、たとえ腕の麻痺のために足で指揮しなければならなくなったとしても、彼が絶対に身を引くことはないということを、私が誰よりも──「君」で呼び合う彼の友人ヘルツカよりも──確信していたということを、理解できないでしょう。それゆえ、あなたが早く来て──演奏にできるだけ多くの影響を与えてくれれば良い結果になるだろう、と書いたとき、私は第2の可能性を考慮に入れるしかなく、それしかできなかったというわけです。ですから、シュレーカーの「使い走り」をするためなどではありません──。
当然、あなたに送られた電報の文面は知りませんでした。てっきり、かなり長くて詳しい電報であなたに助言を求め──あなたが今すぐ来てくれればリハーサルはとても楽になるということを、あなたに知らせたものだと思っていました。その文面を知らされたとき、私はもちろん愕然としました。私は直ちにU.E.にそれを伝え、またその場にいなかったヘルツカにも、これでは脅しのようだと、──乱雑なスコアなどと言われては、明らかに私の恥をさらすものだと──まるで私が途方に暮れているようだと、知らせてもらいました。(シュレーカーは本当に分かっていません──彼に話しても仕方がない)。そばにいたケーニガーは、これでは批判のように聞こえると、とても適切な意見を述べました──実際、そのナンセンスは、あなたが、親愛なるシェーンベルク先生が、二人の音楽家が正しい形を見いだせないことを不審がる結果にもなっている。私は常に正しい形を見いだしてきましたし、ひょっとしたら1000回もシュレーカーの注意を引き、オーケストラ奏者と彼らのパート譜に秩序をもたらし、疑わしい箇所を明確にしましたが、ただ私の聴力はそれほど鋭敏ではなく、──あなたも不審に思ったとおり──20~30の楽器がありとあらゆるパッセージ、トリル、シンコペーションを奏するffの箇所で、どの楽器が濁りを発生させているのかを聞き分けるには、おそらくあまりにも習熟不足です。シュレーカーはもちろんそれができるはずなのに──むしろ私の方が的確に捉えているのです。まして、家でその部分を検討する場合には──。
たった今帰宅して、あなたの2通目のハガキに気づきましたが、あなたはそこに、私がなぜ《G》の公演について書いてこないのかとお書きになっています。その結果、あなたが、親愛なるシェーンベルク先生が、この事態全体について私に腹を立てているという私の直感が、証明されてしまいました:それはとても恐ろしいことです! それでも、せめて私が書かなかった理由を聞いてください。私としてはもちろん、いろいろなことがどうなっているのかをすぐにでもお伝えしたかったのですが、やるべきことが途方もないほどたくさんあったために、また今もあるために、詳しく書く必要があった手紙をその都度先延ばしにしなければならなかったのです。今朝書き始めた先行のものは、書き終えていないため発送できませんでした。今それを書き上げようとしているところです。ただし、こんな悲しいやり方で:私が背負い込んでいる、しなくてはならないいろいろなこととは何なのかと、あなたはお尋ねになるでしょう、親愛なるシェーンベルク先生、そしてそれをそうたくさんは思いつかないことでしょう。私がかなりぐずぐずと仕事をしている間に、あなたは何だって素早くやってのけてしまうのですから:私は、この三日間でガイドを仕上げました。《グレの歌》のスコアの通読に取りかかり、ミスをチェックし、パート譜にミスであることを記入し、2回の合唱リハーサルを指導し、そのための自分の準備をしなければなりませんでした──今しがたリハーサルから戻ったところですが、そのために午前中にはすでに町に出て、ツェーメ~グレゴリに関してレヴィと話さなければならず、ウニヴェルザール出版社でガイドの準備とパート譜の修正にほぼ2時間を取られ、それからポスターのためにロラーの所に行ったのです(フィルハーモニー合唱団のたわごとの埋め合わせをしていました)。彼は、親愛なるシェーンベルク先生、あなたにぜひよろしく伝えてほしいと言い、あなたがベルリンでも彼のポスターを使いたいと言っていることにとても喜んでいました。それから、午後は4回のレッスンを行い──最後は7時から9時半の合唱──。これがたった1日です。その前も同じように経過したのです! どうか考えてみてください。私は世界の果て──ヒーツィングに住んでいて、電話もなく、交通機関の接続もひどいもので、挙げ句の果てには三日前に妻が不幸にも目を負傷してしまい、その最初の二日間はまったく見ることができず、コカイン注射で数時間痛みを抑えただけで──今もまだあまり良くならず、医者はそれが虹彩炎でないかどうかが分からないのですよ?──そのために私は多くの時間だけでなく──その心配のために仕事の能力も失い──同様にヘルツカ宛のものが同封されていたあなたからの最後の手紙以来、あなたが私に怒っているのではないかという不安もあり、そのせいで私の仕事能力はさらに損なわれたのです。──こういう状況であることを考えてくださるなら、親愛なるシェーンベルク先生、私が詳しい手紙を書く時間がなかったからといって、あなたは私にあまり腹を立てないでくださるかもしれません。
もちろん、《Gの歌》が中止になったのかどうか、一言くらいはあってもよかったかもしれません。しかし、それはまったく問題にはならなかったのです! ヘルツカもシュレーカーも、中止にすること、つまり延期するということは、誰も思いつきませんでした。それはあり得ないことでもあったでしょう。もしそれが可能であったなら延期になったでしょうし、あなたに「修正」のためにこちらに来るよう依頼するような気を起こさせることもなかったでしょう。ヘルツカやシュレーカーにとってはただ、それが救済のように思えたのです!!──そして私は、中止はあり得ず、問題にもならないと確信していたので、あなたがそれと違う考えを抱くとは思いませんでした──もちろんあなたは、あの愚かな電報の結果としてそう考えるに至ったに違いないのですが。(あなたが言うとおり、親愛なるシェーンベルク先生──私もまた「気が動転して」いたのです──あなたの今現在の立場について、あなたの身になって考えることがほとんどなかったのですから)。一方私は、ヘルツカがあなたにライプツィヒから電話を入れて話をつけるだろうと信じ込んでいました。彼は出発前、ヴィーンでそれを約束していましたし、私は今この時点まで、あなたはすっかり正確な情報を得ていると思っていたのです──数日前にあなたに手紙を書いたレヴィを通じても──今日私が言ったようなことを。
そういうわけで、《グレの歌》は23日に演奏されます。あらゆる新聞にかなり頻繁に掲載され、間もなくロラーの新しい大きなポスターが貼られることになり、チケットの売れ行きも極めて順調です(すでに6000クローネ以上が入金し、余すところ3000クローネほどが不足しているのみです)。グレゴリはすでに一度リハーサルを行っています。金曜日はまたオーケストラのリハーサルで、その頃までに私もスコアに目を通し終えなければなりませんから、リハーサル後にならないと、親愛なるシェーンベルク先生に手紙を書くことはできないでしょう。どうかそのことで私に腹を立てないでください。私のひどい筆跡にも。そのことにしても、私は市街電車の中でこの手紙を書き始め──今それをベッドの中で書き上げようとしており──おまけに書くことが原因で人差し指に魚の目ができて、それが痛んでいるのです。
私は明日の早朝に電報を打ちたいと思いますが、それによりあなたは、誤ってお考えだった中止についての情報を得るでしょう。(繰り返しておかねばなりませんが:中止は問題にはならないのであり──恐怖が問題だったのです──延期しなければならないのに──それができないということへの!)
親愛なるシェーンベルク先生、この手紙の文体もお許しください──でも、ほぼ20時間も起きていたことは別として──ひどく意気消沈した精神状態で──ひどい興奮状態でもあって、実際こうなるほかはないのです。──親愛なるシェーンベルク先生に、いつも変わらぬ感謝の献身と愛情を込めて、たくさんの、たくさんのご挨拶を申し上げます。
恭順なるベルク
「すぐヴィーンに来てほしい」という依頼にシェーンベルクが腹を立てていることを知り、ベルクは懸命に弁解している。ベルクはここで、楽譜のミスを見つけてもらう、すなわちシュレーカーの下働きのためではなく、リハーサルに良い影響を与えてもらうためと、リハーサルを増やすよう口添えしてもらうために来てほしいと言ったのだ、と書いている。シュレーカーは作品を分かっていないし、自分の発言はあまり聞いてもらえないが、それでもシェーンベルクが来れば事態は好転するだろう、と。シュレーカーの指揮について、一度「指揮」と書いてから「拍子を打つ」と言い直しているのが面白い。彼の指揮は指揮とは呼べず、ただ拍子を打つだけだ、と言いたいのである。ただ、この前のベルクの手紙では、自分が間違いが多い第1部と第2部のパート譜チェックをすることもできるけれど、それだと時間がかかりすぎてしまう、だからいわゆる校正リハーサルの一部をシェーンベルクに担当してほしい、というようなことを書いていたので、今回のベルクの弁解はやや苦しいような気もする。
この手紙では、13日に1回リハーサルを押し込んだとあるので、合奏前の楽器種別(楽譜校正)リハーサルは、少なくともこの時点(2月10日)では7回から8回に増え、全体では14回のリハーサルが行われる予定になったようである。ヘルツカはライプツィヒから電話をかけるとあるので、彼はシュレーカーの《はるかなる響き》上演の方に行っていたのだろう。レヴィというのは、フィルハーモニー合唱団の事務局長ロベルト・レヴィのこと。
この手紙は、《グレの歌》世界初演前にベルクによって書かれた最後のシェーンベルク宛書簡である。ここでベルクはついに「ガイドを仕上げた」と書いている。世界初演まではあと13日しかなく、あれだけ複雑な譜例(楽譜ソフトで打ち込むのが大変だった)を130近くも含み、80ページどころかジャスト100ページにも達する分量になるのだから、譜例が間違いだらけになってしまったのも仕方がなかったのかもしれない。ただ、出来上がったガイドの譜例の悲惨な有様についてはベルクも嘆いていたのではないかと思いきや、彼は小ガイドのときにもそれを修正させようとはせず、ほとんどを大ガイドのままで再掲載させている。オクスフォード版英訳の解説によると、譜例間違いの原因の多くはベルクが提出したピアノ譜の「未修正の」校正刷りにあったとのことなので、ガイド初版のちょっと信じられないほどの間違いの多さを、ウニヴェルザール社の譜刻担当セクションのせいにするわけにはいかないようである。世界初演の準備段階では間違いだらけのパート譜の修正に大活躍したというのに、自分が書いたガイドの譜例の間違いには気づかなかったというのは、訳者にはどうにも解せないのだが、もしかすると、気づいてはいたけれども自分のミスなので気づかないフリをした、という可能性もあるだろうか? いや、いくら何でもそれはないか。となると、やはり本気で間違いに気づかなかったか、あるいはガイドの譜例は間違っていてもあまり問題ではないと思っていた、とでも考えるほかはなさそうである。
さて、この後シェーンベルクにどのような働きかけがあったのかは知らないが、結局彼はこの手紙の三日後、2月13日にヴィーンに向かったようである。世界初演はシェーンベルクが来ようが来るまいが2月23日日曜日に確実に行われるとのことなので、彼もひとまず怒りを鎮め、孤軍奮闘かつ過重労働の哀れなベルクに協力してやる気になったのかもしれない。シェーンベルクという人は、最初は強気に、強権的に振る舞ったとしても、その後は妥協して周囲の要望に合わせてやる、ということが時々あったようである(翌年の《グレの歌》ライプツィヒ公演での、「女性の」語り手ツェーメの起用もそう)。今回彼は「自分で初演の指揮ができるように持っていきたかった」のではないかという気がする。「リハが進まなくて動転していようが何だろうが、旅費の支払いもなく、私が指揮することもできないのであれば、知ったことではない」という冷たい反応も、シュレーカーに指揮を諦めさせるか、あるいは彼がそうするよう周囲に説得させるための戦略だったのではなかろうか(ベルクの手紙にあるように、実際はその可能性は皆無に近かった)。シェーンベルクは、けっこう自分で指揮をしたがる人だった。ただし、指揮者としての力量はたいしたことはなかったらしいので、その点ではストラヴィンスキーに似ているかもしれない。それはともかく、シェーンベルクが初演の十日ほど前にヴィーン入りしてくれたおかげで、おそらくオケも「満足のいくまともな習得状況」のレベルにまで高めることが可能となり、その後の合奏リハーサルもどうにかうまく進んで、無事に世界初演の日を迎えることができたのであろう。シェーンベルクは、プラハにいるツェムリンスキー宛2月19日付のハガキに、かなり良くなっているはずだから土曜日のリハを聴きに来てほしい、と書いていたのである。
ベルクのガイドも、超突貫作業ではあったものの、初演の前日には印刷会社からU.E.に納品され、こちらも無事に初演の演奏会場で販売された。初版の印刷部数は2000部。ただし、やはりヘルツカが心配したとおり、初版部数の1/3程度、約700部しか売れなかったらしい(無理もない)。
《グレの歌》初演の大成功ぶりは、いろいろな文献に繰り返し書かれてきたので(お薦めはライヒの『シェーンベルク評伝』所収の記事)、ここではヴェーベルンのシェーンベルク宛書簡を訳出するだけにとどめておく。これは世界初演翌日の2月24日、彼の療養先であるゼメリングのサナトリウムで書かれた。
昨日は何と美しかったことでしょう! 自分の生涯でも何という瞬間だったことか! 忘れられません! あなたの素晴らしすぎる作品が私にもたらした途方もない感銘は、筆舌に尽くしがたいものがあります。あの言葉にできないほど美しい音楽が、私の中で絶えず鳴り続けているのです。あの轟くような、聴いたことのない響きの感覚が、私を死ぬほど興奮させます。比類ない自然の猛威のように。そして、あなたに昨日のような歓びが訪れたことが、最高の幸福で私を満たしました。節度のない奔放な同胞たちが、ことによると初めてあなたの偉大さをあのように理解した、その瞬間を体験させてもらえたことで!
ベルクは、師のシェーンベルクには渡せなかったようだが、親友ヴェーベルンにはガイドの献本を送ることができた。それに対し、ヴェーベルンは2月27日の書簡でこう書いた。
今、君のガイドを読んでいます──とてもゆっくりと。このようなものは、私は極度にゆっくりとしか読めないんです。すこぶる気に入っています。
続いて、ヴェーベルンは3月2日に次のように書いた。
さらに3月8日付。
親愛なるベルク、君のガイドは、まさに『山岳 ( ベルク ) ガイド』ですね! その眺めは絶景です。
この「ベルクガイド」のシャレについて、オクスフォード版英訳の解説には、「シェーンベルクのサークル内でさえ、ベルクのガイドへの反応は鈍かった。ヴェーベルンは、友に、これは『山岳ガイド』(Bergführer)だと冗談を言った[quipped]」と書かれている。この書き方だと、ヴェーベルンも《グレの歌》ガイドについてはあまり評価していなかったような印象を受けるが、訳者にはどうもそうは思えない。誠実なヴェーベルンなら、親友ベルクに言いにくいことを言わねばならない場合、シェーンベルクほどストレートな言い方はしないまでも、冗談でごまかしたりせずちゃんと言ってやりそうな気がするからである(そんな気がするというだけで、特に根拠はない)。
さて、ベルリンに帰ったシェーンベルクからは、その後しばらく音沙汰がなかった。そこでベルクは、自分の方から師に宛てて長い手紙を書いた(3月1日付)。
やっと書くことができます、親愛なるシェーンベルク先生。私はここ数日「お役所的業務」から抜け出すことができず、まだ終わってもいないのですが、再びまたあなたに手紙を書きたいという強い衝動にせき立てられてしまったのです! あなたがいなくなったとき、私を襲った空疎感・空虚感を、この数日間の完全なる幸福──その頂点にあの演奏があった──が、突然終わってしまったときの──精神的な虚脱感を、あなたは理解することができないでしょう! 何という日々! あれは2倍3倍の人生でした。人生はおしなべて、普段はただ植物のような無気力なものであるというのに。
《グレの歌》が3月に再演され、またスコアを少しめくってみたら、それに対する私の憧憬が計り知れないほど大きくなった室内交響曲が3月30日に鳴り響き、あの日々がもう一度戻ってくるであろうこと──そのすべてのために、あなた、親愛なるシェーンベルク先生が、ヴィーンに再び来てくださること、それらを考えることだけが、現在の日々の空虚さに耐え得ることを可能にするのです。でもその後は?──そうです、私たちが5月にベルリンに行くのです!!──もしヴィーン人であること、ヴィーンに住むほかはないことに不幸があるとしたら、そのように年のうちの数週間に人生を集中させ、その他の時間はその歓喜の思い出を心の糧とするか、あるいはそれを心待ちにすることが、唯一の打開策なのです。ああ! ここでの人生が生きるに値すると気づく方策になりそうなのに:あなたがここにいてくだされば!! しかし、あなたはたぶん二度と戻って来ないか、そうでなくてもそう簡単にはこちらに戻って来ないのでしょう。あなたがヴィーンをどれほど嫌っているか、私ははっきりと感じました!──話を戻して:明日、たぶん《グレの歌》再演の日程が決まるでしょう。3月19日と言われていますが:洗足木曜日の前の水曜日で、もちろんそれはあまり好ましくありません。おそらく、復活祭の翌日も選ばれるかもしれず、それなら悪くないでしょう。あなたも30日の演奏会のためにここに来て、両方を一緒にすることができるからです。いずれにしても、フィルハーモニー合唱団には、すでにたくさんの再演予約申込が寄せられており(シュニッツラーからもです)、それは本当に時期の問題だけなのです。再演は通常価格で行われるため、そうとう売れることは確かです。その前に、意思疎通リハーサルを押し込まなければならないでしょう!
ガイドの報酬についてヘルツカに尋ねましたが、その取り決めには満足しています。すぐに300クローネを受領し、5000部売れたらさらに300クローネ。初演のときに1000部くらい売れたので、次のシーズンに行われるであろう第4回から第6回の公演の後、さらに300クローネを受け取ることになりそうです。これにはもちろんパート譜等々その他の謝礼も含まれています。というのは、ヘルツカは、シュペヒトには120クローネと、その後の版では名誉報酬を与えたからですが、その報酬額は分かりません。さまざまな批評でご覧になったように、ガイドについても何度か言及されていました──もっとも、あまり好意的ではありませんが(バトカ! ヒルシュフェルト)。しかし、そんなのはどうでもいい! 私もバトカが正しいとは思っていません。とはいえ、とにかく校正のときにはすでに生じていたガイドの価値についての私の疑念が、それのせいで消えていないのです。あなたは、親愛なるシェーンベルク先生は、少しは紐解いていただけましたか? ヴィーンに戻られたら、何が悪いか──もし思い出せるなら、細部についても──また全体の着想についても、ぜひ教えていただきたく思います。あなただけがそれを私に言うことができるのであり、私はあなたからしか何かを学ぶことができないのです──今回も。そうすれば、もしかすると今回は意欲しか見るべきものがなかったかもしれないとしても、いつか本当に良い仕事が成し遂げられるという希望を持つこともできます。ピアノスコアにもそれを期待しているように、再びまたやる機会が得られるなら、ですが──。(以下略)
ヴィーン再演は、3月は3月でも実際は「翌年の」1914年3月まで行われなかった。《グレの歌》のような多数の演奏者を必要とする作品では、そう簡単にプログラムに組むというわけにはいかなかったのであろう。なお、「Verständigungsprobe」を「意思疎通リハーサル」と直訳してしまったが、これは音楽用語であろうか? 再演ということで、演奏方法を再確認するためのリハーサル、くらいの意味であろうと思われる。
この手紙でベルクは、ガイドは1000部売れたと書いているが、実際は上述のように、またこの下の手紙にも出てくるように、そんなに売れてはいなかったので注意。また、ガイドは、なぜか主役のシェーンベルクには演奏会場で贈呈されることも著者のベルクからベルリンに送られることもなく(関係者はみんな大成功に浮かれていたのか?)、シェーンベルクは3月5日付書簡でヘルツカに数冊送ってくれるよう催促しなければならなかった。
さて、ベルクは3月9日のシェーンベルク宛書簡で、《アルテンベルク歌曲集》について、第2~4曲のパート譜を依頼した写譜屋がそれらのスコアを預かったまま失踪するという、ちょっとあり得ないようなトラブルが発生し、その結果、演奏会に間に合わせるとなると第1曲か第5曲しかパート譜が用意できそうにない、しかし第1曲は難しいので、結局自分の最初の提案のように第5曲しか残らない、と報告している。また、パート譜は、ベルリンに送った間違いがあるかもしれない製本スコアに基づき、そちらで写譜屋に校正までやらせるよりも、ヴィーンの方でパート譜を作らせて、校正は「オリジナル・スコアに基づいて自分で」やりたかったこと(《グレの歌》で懲りたので)、フロイントの代わりにボルッタウかブムが歌う算段が付いたことも書いている。この手紙に対するシェーンベルクの返信は翌日3月10日にすぐ出されたが、そこにはガイドについての簡単な所見も書かれていた。
親愛なる友よ、何という災難でしょう!──こちらで写譜屋を探してみます。が、もし見つからなければ、あなたがヴィーンでやらせるしかないでしょう。いずれにせよ、第5曲はあなたが準備してくれるとよいのですが。場合によっては、これからスコアをあなたに送らなければなりませんね。とにかく、素材は非の打ち所がないものでなければなりません。あるいは、手稿譜も考える必要があるかも。もしかすると、エバレ社が引き受けてくれるかもしれません。ヘルツカに助言を求めてください(ヴェーベルンもそうするべきです)。おおよそ私には、もしブムが歌うのなら、ボルッタウよりも良いように思われます。彼女にはツェムリンスキーの歌曲も歌ってほしい(メーテルランク歌曲ですよ、あなたが持っている!)。だから、とにかく彼女には、それをできるだけ早く勉強してほしい!! 彼女はまず間違いなく歌ってくれるでしょう。彼女と一緒にその曲を勉強してください。彼女は、美しく大きな声を持っているのでしょうか?──あなたのオーケストラ歌曲は何が何でもやりますよ。その間に何もないことを祈るのみです。ついでながら、あなたの写譜屋は、また消息を伝えてくる気になるのでは?──私はまだベルクガイドを全部読んでいません。しかし、その中で読んだところはすべて、とても気に入りました。時々、過大評価しているものがありますね。それに、あなたはしばしば何かを新しいと主張しますが、私はそれがほとんど証明されそうにないのではないかと恐れています!! とはいえ、少なくとも非常に興味深い作品です。詳細は、また別の機会に。
楽譜浄書に詳しくない訳者にはよく分からないのだが、この手紙の「手稿譜」(Autografie)というのは、彫版に対してオフセット(手書きできれいに書いた楽譜をそのまま印刷する)という意味で言っているであろうか? それはともかく、シェーンベルクは、3月3日付のベルク宛のハガキで、ツェムリンスキーの歌曲にはメゾソプラノが必要だと書いていた(フロイントが歌わないのであれば)。上の手紙では、ベルクの歌曲も女声の方がよさそうだと言っているが、こちらはすでにテナーのボルッタウが歌うことになっていた。そのボルッタウの都合で、演奏会は当初の予定の3月30日から31日に延期されたのである。──ベルクのガイドとは関係ないのでここでは訳出しないが、同じ3月10日にシェーンベルクはブッシュベックにも手紙を書き、例のスキャンダラス演奏会のプログラムについて所見を述べている。そこでは、ヴェーベルンの曲がいちばん危険で、次がベルクとシェーンベルク、逆にツェムリンスキーとマーラーはまず確実に成功するだろうから、最初に、まだ疲れていない聴衆にいちばん苦い薬(ヴェーベルン)を飲んでもらい、最後はマーラーにしてその余韻が残るように仕向けたい旨を書いている。1910年の《グレの歌》第1部ピアノ伴奏版初演のときも、プログラムは無調の新しい作品から調性のある古い作品へ、すなわち「無調のような尖った苦い作品は前に、大衆受けしそうな口当たりの良い作品は最後に持っていく」という戦略が採られていたので、その当時からシェーンベルクが、その演奏会に対する聴衆の「後味」を考えてプログラムの順番を考えていたことが分かる。
ガイドへのシェーンベルクの感想は、見てのとおりほぼ表面的なレベルにとどまっている。「気に入った」「興味深い」と書いてはいるものの、「時々過大評価している」「証明できそうにないものを新しいと言い張るのはまずい」と苦言も呈しており、また「まだ全部読んでいない」と書いていることから、自分の作品を扱った書物で、しかもべた褒めされていることは明らかであるのに、どうやら先へ先へと読み進める気にはなれなかったようである。なお、上の書簡では、ヴェーベルンの書簡と同じくガイド名が「Bergführer」と書かれているが、ここではシャレを目論んだのかどうか不明なので、そのまま「ベルクガイド」とした。
さて、《グレの歌》世界初演、すなわち大ガイド初版の発売日と近かったため、これまでもちらほらと触れてきたスキャンダラス演奏会の経緯を、このまま続けて「書簡等の一次資料でたどる」のも実に興味深いのだが、ここでは《グレの歌》ガイドの成立過程を追っているのであるから、このあたりで小ガイドへと移りたいと思う。
次のシェーンベルク宛の長い手紙は、《グレの歌》世界初演=大ガイド発行から9か月後、1913年11月26日に書かれた。
親愛なるシェーンベルク先生、ご存じのとおり、シュレーカー指揮の《グレの歌》の再演は、やはり3月に行われます。フィルハーモニー合唱団がトーンキュンストラー管弦楽団と共にその演奏会を企画しています。私はレヴィ博士といろいろなことを協議しました。私としては特に、彼に対し──つまりシュレーカーに対し、グレゴリをもう語り手に起用しないよう説得したかったのです。しかし、それは無駄でした。もしかすると、あなたからの、親愛なるシェーンベルク先生からの一言が必要なのかもしれません。あなたがツェーメ夫人をその役に推薦したいのかどうかは知りませんが、グレゴリに反対していることはよく知っています!──今日であることが予告されていたフィルハーモニー合唱団の演奏会は、三日前に中止になってしまいました。使用できない素材のためだとか。とりわけヴァイグルのものですが、ディーリアスのものも杜撰だったそうです。ただ、その演奏会のチケットの売れ行きはほとんどゼロで、たぶんそれも中止の理由になったのでしょう。この演奏会に特別に招待されていたディーリアスを、ヘルツカの所で見ました(とても好感が持てますが、やや軟弱な風貌でした)。ヘルツカの所には、別の件で行ったのですが──それについては後で話すとして──、同じときに、私の《グレの歌》ガイドの主題一覧を作ってほしいという依頼を受けました。つまり、最も重要な主題を列挙し、全体にわたってテキストを最小限にして──電報のような短い量にして──、そうすることで(歌詞とともに)40~50ページくらいのごく普通のプログラム冊子に縮小するというものです。これはたいした仕事ではありません。やることと言えばほとんど削除だけですし、要するにほかの人でもできる作業だからです。しかし──私がやらなければほかの人がやるだろうし──私はそれを妨げることもできないので、ガイド本体よりもおそらく演奏会での実用性が高いであろうこの主題一覧は、私がやります。それにより私の作品(ガイド)の普及が莫大な損失を被ることは十分承知の上で、です。ガイドの値段が上がってしまうでしょうからね。演奏会ではもちろんみんな安い方を買うだろうし、それ以外の場所では純粋に音楽的な書物の需要などほとんどありません。それにより、そのガイドが、演奏会でほぼ全員に入手され、さらに読まれること、完全ではないにせよ、それでも部分的には聴衆、つまり多数の人々に興味を覚えさせ、刺激を与え、《グレの歌》の音楽的な、すなわち高い芸術的な価値についての概念を吹き込むことは、私の本来の目的であり、喜びだったのです。よりシンプルで廉価なものが出た後で、それでもまだ『ガイド』を買おうとする少数の人々だけでなく。
さらに言うと、私が3000部の販売後に約束された報酬の残りをだまし取られたことは明らかです。もちろん、もしそれが支払われるとしても、ひょっとすると今から10年後かもしれないのですけれどもね。そのあたりのことについては、なおヘルツカと話をしなければなりません。あるいはそれを通して、3000冊の『ガイド』の販売という条件を、4~5000冊の『主題一覧』の販売という条件に変更するような道が見つかるかもしれません!
上に書いてきたものを通読してみると、主題一覧の性質について厳密に表現していないことに気づきます。それは縮約や、削除・省略によって短縮したもの、すなわち私のガイドの劣化版ではなく、──私はそんなことのために自分を差し出すつもりはありません(──自分が言ったことが間違っていると認識したのでなければ──)、ごく単純に《グレの歌》のすべての重要な主題を登場順に列挙し、また再び登場したときに列挙するものです。例えばこんな感じで。
Ⅱ.トーヴェ
譜例 15
16
18
19 (19 = 18 )
短い後奏と経過小節(19 )
Ⅲ.ヴァルデマー
譜例 21 (21 = 19 ) etc.
(以下略)
この後まだ手紙は長く続くが、《グレの歌》とは関係ない話題なので省略した。最後の方では、自分が母に扶養されていることで兄弟との軋轢があることに触れられているが、シェーンベルクやヴェーベルンに比べれば、ベルクは経済的には恵まれていたことがその記載からも知られ、それが時としてシェーンベルクのベルクに対する不興の原因になったのではないかという見解がある(本当にそうだとしたら、金持ちの弟子に対するただのやっかみだが)。ベルク夫妻は1913年6月に1週間ほどシェーンベルクのいるベルリンに滞在したが、その間にシェーンベルクはベルクの作品4と5をたいぶ手厳しく批判したらしい。ベルクにしてみれば、その旅はスキャンダラス演奏会での傷心を癒やすためという目的もあっただろうに、かわいそうに、それを期待した相手から突き放されたわけである。もちろん、その程度のことでは、ベルクのシェーンベルクに対する心酔は揺るがなかったのであるが。
この手紙でベルクは、『ガイド』が3000部売れたら残りの報酬が支払われると書いているが、これはベルクの記憶違いで、実際は5000部売れたら、である(上の3月1日の手紙や、このすぐ次の手紙参照)。訳者としては、この書簡の内容については、ヘルツカから小ガイドの依頼があったことよりも、むしろディーリアスとベルクがヴィーンでニアミスしていたことの方が興味深い。それにしても、前者の作品を含む演奏会のチケットが全然売れなかったとか、またしてもパート譜の粗悪さが演奏会の妨げになったとか、もしヘルツカからそれが正直に話されたとしたら、ディーリアスはけっこう落胆したのではなかろうか。また、《グレの歌》のヴィーン再演が「3月」と書いてあるが、この3月とは、「やっと書くことができます~」で始まる手紙で言っていた1913年3月ではなく、その翌年、「1914年の3月」であるので注意。結局、世界初演から再演までは1年以上のインターヴァルを要したことになる。
さて、ベルクはシェーンベルクの返信を待たず、小ガイドについてさらに詳細に書いた手紙を、翌日(11月27日金曜日)に続けて出している。
親愛なるシェーンベルク先生、昨日ガイドの問題についてあなたに手紙を書きましたが、私がこの問題をあまりにも外部から孤立したものと見なしたとしたら、それは必ずしも良いことではなかったと、今になって思います。私は、そこでは作るべきものはないと思ったからそうしたわけです。しかし、今私は──この主題一覧をどのようにするか、ヘルツカに自分の提案をする前に、さらに考えてみたいと思うのです──そもそもそれをするべきなのか、あるいはひょっとしてあなたに、親愛なるシェーンベルク先生に何か異存があるのではないか、またこの袋小路の打開策に心当たりがあるのではないか、と。私としては、あなたに、親愛なるシェーンベルク先生に、これ以上この件でご迷惑をおかけしたくはありませんし、そうでなくても、すでに私がした以上に、私への手紙に対してあなたに(あなたや私にとってとても貴重な)時間を犠牲にさせたいわけでもないのです──そうではなくて!──私があなたに、親愛なるシェーンベルク先生にお伝えしたいのは、ただ、私はまだヘルツカとは何の取り決めもしていないし、私が主題一覧を作ると言ってもいないし、どのような設計にするかを考えておくとしか伝えていないということだけなのです。ですから、私は何も気にすることなく、主題一覧はやらないと言うことができるのです。
よって、もしあなたが、親愛なるシェーンベルク先生が、この件について何か言いたいのであれば──ヘルツカや私には十分に時間があります。私は月曜日の午前中にヘルツカの所に行くつもりです。そのときまでにあなたから何の発言もなかったとしても、そのときはあなたが私に決定を全面的に委ね、私は自分の判断でヘルツカと折り合いをつければよいのだと心得ております。
さらに言えば、今やそのすべてが初演・祝祭公演の性格を持つ公演で、彼が私のガイドを上手に売ることができないなどとは、それ自体70~80ヘラー、それどころか1クローネの価格であっても、ホールにいる約2000人のうち1500人がガイドを買わないなどとは、信じられないのです。ヴィーン初演でどれくらい売れたのかは知りませんし、おそらく知ることはできないでしょう。売れ行きは悪かったと聞いています。同じ都市での再演では、あのような高価なガイドが売れる可能性がぐっと低くなるのは認めます。その場合、そのような主題一覧なら、人々が一冊の冊子に約1クローネを支払う決断をするよりも、そのために50~60ヘラー(主題一覧の価格)を支払う決断をしやすくするため──そうでなくても、もしかするとすでに持っているかもしれず、借りることができるかもしれず、また難しすぎて分かりにくいと噂されている冊子よりも──、実用性が、すなわち収益性がより高くなることでしょう。私としては:2種類の分析を売るよりも、(もし客席案内所がそれについて特に心得ているならば)おそらく30ヘラーで売れるであろう歌詞付きのプログラムを販売し、その傍ら『ガイド』を1クローネくらいで販売する方がまだマシだと考えています。第1のケースでは、2000席のホールで約1800部の主題一覧(60ヘラー)と50部のガイド(1クローネ)が売れると推定され、それに対して第2のケースでは、約1000部のガイド(1クローネ)と1000部の歌詞付きプログラム(30ヘラー)が売れると推定されます。これはライプツィヒにもミュンヘンにも当てはまるでしょうし、過大な見積もりではないと確信しています。何しろ、100ページあり、きれいな装丁で、150の譜例が入っている冊子の──1クローネという──価格は、決して高いものではないのですから。(例えば、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》のリブレットは──歌詞が出版社の所有物なので60~70ヘラーもするのですが、それでも買われてきましたし、今も買われています。しかも、それは歌詞だけなのです! そこに分析が加われば、価格が1クローネに上がることは避けがたいというわけです)。
また、『ガイド』のいわゆる欠陥に対する対策も分かっているつもりです! つまり──ヤコブセンとは何者なのか(!)、《グレの歌》の伝説はどこからどのように来たものなのか、グレとはどこなのか等、主題一覧に入れるために、私がすでにそれについての情報を得ていること、(主として文学史参考書からの引用で)実際に1ページで短く言及することができそうなことが、1ページ程度で記述されるべきなのです。それを『ガイド』に付け加えることは容易でしょう。周知のように、各公演のガイドには、その前にそのときそのときの公演のプログラムが1枚(2ページ)添付されるはずで、そこでヤコブセンと彼の作品についての記述を含む別の1枚を、ごく簡単に追加することができるわけです。そうなれば、それは歌詞に直接繋がりますから、順序が無意味になることもないでしょう。その後の版では、その記述を全体にしっかりと挿入することができます。
あなたは、親愛なるシェーンベルク先生は、ひょっとしたら、私がこの問題についてこれほど詳しく書いていることに驚かれるかもしれませんし、こんなのは全部無駄なのかもしれません。しかし、この問題について、もし私があなたをすでに煩わせているとしても、あなたがこれに介入しようと思った場合のために、すべてがはっきり分かるよう、せめて私が考えていることをすべて言っておきたかったのです! 私がおそらく契約によって自分のガイドの権利をすべて失ったとしても、ヘルツカには、私が権利の条件を付けることを不可能にし、それによって彼の支払い義務の履行から逃れる権利があるとは思えないので、私はむしろ金銭上の問題について彼と折り合いをつけると思います! つまり、報酬の残り半分を私に支払うために必要不可欠な第3版の条件が、新しいガイド(または主題一覧)の刊行によってご破算になり、そのため私にお金は入ってこないだろう、ちなみにそれは契約上ガイド料だけでなく、初演のリハーサルなど私が承諾し達成された仕事すべての時間に対する報酬で、それでもすでに書いたように、たとえ彼が私を欺くとしても、私はヘルツカと必ず話をつけるつもりである、ということです。こういうのは、彼と関わらねばならないときには常に計算に入れておく必要があるのですが、例えば抜歯のときの苦痛を覚悟しておくようなものなので、たいして痛くはありません。
しかし、私にとってより重要なのは、主題一覧の発行により、本来の──言うなればガイドの道義的目的が完全に失われることです(それとともにガイド自身も)。ヘルツカは、何か、自分の商売にならないもの(ガイドの小売り推進のような)のために手を挙げることすらする人間ではないからです。結局彼は、事を簡単に運ぶために、公演時には主題一覧だけを販売させることでしょう。書籍出版業(たかがプログラム冊子にすぎない)や、演奏会(「あれは1冊の完全な本であって、演奏会では使えません!!」)では、いよいよもって販売はありません。そのため、あれは地下室で腐ってしまうかもしれません。
(ひょっとすると、各都市の初演時には『主題一覧』の発行を見合わせるよう、ヘルツカを説得することができるかもしれません。つまり、私のガイドと、場合によっては添付プログラムのみを発行するか──あるいは:今季と次のシーズン(1914/5)の間はまだ『ガイド』を単独で販売対象にしてもらい、もしそれではどうやら商売にならないと彼が見なしたなら、主題一覧の発行に「歩を進め」てもらうか)。
もう十分です。親愛なる親切なシェーンベルク先生、私がしつこく付きまとうのをお許しください!!! ですから、ただあなたがどうしても何かを言う必要があると思う場合のみ──短い手紙をお願いします。そうでなければ、月曜日にヘルツカと、今この中で長々と説明した意向を話し合います。
重ねてお許しください! そしてあなたのベルクより、たくさんの、たくさんのご挨拶を申し上げます
その後問い合わせたところでは、私の契約は、5000部が売れた後で残り半分の報酬=300クローネを受け取るという内容でした。
初版(2000部)のうちの900部がなくなっただけで、その中の約700部が金銭と引き換えだったそうです。
この書簡の最後の文の原文は、「Von der ersten Auflage (2000 Stück) sollen nur 900 abgegangen sein, davon cirka 700 käuflich.」である。訳者にはどうも分かりにくい文なのだが、これは、献本などの無料配付分と購買された分、もろもろ合わせて900部がなくなっており、そのうち購買分が700部、つまりお金になったのは700部しかなかった、ということであろうか。初版の2000部というのは、おそらく世界初演の会場(おなじみのヴィーン楽友協会大ホールである)のキャパに合わせて用意された数なのだろう。この調子だと、5000部が売れるためには、各地での初演公演が(会場がヴィーンと同じく2000席であるとして)あと6~7回必要になる。へたをすれば10年かかるかもしれない。残りの報酬額の支払いが遠い未来になりそうだという点では、ベルクがこの前の手紙で「報酬の残りをだまし取られた」と書いていたのもうなずけるのだが、出版社からすれば、「あんたが売れるようなものを書かないからだろうが! 自業自得! そんなガイドでも出してやっただけありがたく思え!」といったところであろう(訳者も大ガイドを訳してみて、たとえ内容が良いものだとしても、こんなに読みにくいのでは売れなくても仕方がない、と感じた)。なお、「150の譜例」は、正しくは「130の譜例」である。
ここでベルクは、要するに、主題一覧を作れば売れるだろうし、それ自体は良いことなのだが、その反面、ガイドは忘れられてしまうに違いない、ということを気にしているのである。翌日の11月28日、シェーンベルクは返信を書いた。
親愛なる友よ、あなたにどんな助言をすればいいのか、私には本当に分からないのです。弁護士に尋ねてみたらどうでしょう。それはほとんど必要なことであるように思われます。何と言っても、あなたはヘルツカと結婚したわけではないのですから! ひょっとすると、彼はあなたの要求を聞いてくれるかもしれません。それは単にガイドのためだけではないことを、彼に思い出させてください!! (弁護士に関わりなく)合意できれば、その方がいいのですけれどもね。例えばこんなふうです:ヘルツカが主題一覧の制作費として事情に応じた少額をあなたに支払い、5000部の契約をその主題一覧にも拡張する。ガイドと主題一覧合わせて5000部(場合によっては6000部、7000部……)が売れた時点で、残りの報酬をあなたが受け取るという、だいたいそんな方法です。ガイドが値上げされるだろうという理由と、あなたにガイドの報酬を約束したという理由から、主題一覧の方が安いにもかかわらず、彼はそれを行うことができるのです。──しかしいずれにしても、弁護士に相談してください。
そのような主題一覧をどう作ればいいのか、私にはよく分かりません。たぶん詩のタイトルが最初に来て(場合によってはさらに歌詞)、その後であなたが触れていた主題、それに加えておそらく!!!作品内の位置を示す符丁があればベストでしょうが、それは絶対に必要な場合だけです。そうすれば少なくとも、あなたはたいしてやることもなく、ただ削除が必要なだけですし、ガイドが台無しになることもないでしょう。
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グレゴリではだめでしょう。シュレーカーに電話してください。(場合によってはツェーメ)。場合によっては:ミルデンブルク! あるいは、グートハイル? あるいは、知的な歌手(でもボルッタウではなく、彼は「知的な」歌手ですが)。ツェーメがベストでしょう。彼はモイッシに賭ける可能性もある。たぶんシュトイアーマンの姉が、ヴィーンの劇場に雇用されています。彼女を聴きに行ってください!
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あなたはライプツィヒの《グレ》のポスターをツェーメに送るよう依頼しましたね。それは使わないように。ひどいものです。ロラーのをもう一度使う方がよい。あるいは完全に新しいものを。ツェーメはまたしても私を「驚かせました」──彼女はそれをただで手に入れたのです。でも、その価値すらありません。──
《グレの歌》からの単一の曲の選択について。
1)前奏と後奏はできるだけ短く!!!
2)しかし、それでも完全なフレーズで!
3)もちろん、主和音で始まる必要はありませんが、たぶんそれで曲を閉じるべきでしょう。あなたがそれを付け加える必要があります(私はその仕事を妬んだりはしません)。しかし、それでかまわないのです。もしあなたが新しい終結部を作曲することに成功しても、私は絶対に異議を唱えません。そうでなければうまくいかないこともありますから。
4)ヘルツカが新しい金属板を彫るつもりなら、場合によっては伴奏を簡略化してください。
──────────
ずっと書こうと思っていたのですが、なかなか時間が取れませんでした。私はあなたに、モノドラマと《幸福な手》のピアノスコアについて、不誠実なことをしなければなりませんでした。こんなに離れていたのでは、それはうまくいかなかったでしょう。このような仕事については、話し合えるようでなければならないのです。できるだけ頻繁にね。特にその点では、その仕事はあまりにも困難で、あなたは私の助けなしではどうにもならなかったと思います。ですから、私はそれをシュトイアーマンにやらせました。それでも、その埋め合わせとして、私は室内交響曲の4手用編曲をあなたに絶対にやってもらうと、今から言っておきます。(注:モノドラマと《幸福な手》のピアノスコアは、すぐには出版されませんし、報酬もありません。)投機として室内交響曲をやってみませんか。おそらくヘルツカは、あなたがそれを提示すれば出版するでしょう!!
もう一つ、親愛なるベルクよ。私に手紙を書くときは、主要ポイントに常に下線を引いてください。特に私が回答すべき箇所には。あなたに手紙を書くためには、あなたの手紙を3~4回読まねばならず、またそうするにもあなたの文字はあまりにも読みにくいため、手紙を書くのが大変なのです。
さらに言えば:もっと簡潔にしてください。あなたはいつも、弁解、補足的な挿話、「発展」、「拡張」、様式的表現などをあまりにもたくさん書いているため、何が言いたいのかを把握するのに時間がかかるのです。こういうことは、自分で努力すべきだと思います。手紙は電報風に抑制すべきで、電報は絶対に電報的簡潔さでなければなりません。
気を悪くしないでくださいね。私はベルリンとヴィーンの間のコミュニケーションを容易にしたいのです。簡潔に! そうすれば、あなたはもっと頻繁に私に手紙を書くことができるでしょう! そして、私はそのすべてに答えるでしょう。あなたは最近、頻繁には手紙を書いていませんね。当然、あなたの形式的書法では多くの時間がかかります。その癖を直しましょう!! あなたの奥様によろしく、私の妻からも。
主題一覧(小ガイド)についてのシェーンベルクの助言は、見てのとおり、ベルクにとっても我々にとってもそれほど参考になるものではない。報酬については、正直訳者には、売れないもの──演奏会の会場で売るにはふさわしくないもの──を書いたベルクにも責任はあるように感じられるし、ヘルツカがあくどいことをしているようにも思えないので、弁護士を担ぎ出すほどのことでもないような気がする(弁護士費用がもったいない)。
《グレの歌》再演でのメロドラマの語り手について、この段階でのシェーンベルクは「女声でもよい」という意見に変わっているのが興味深い。ここで候補に挙がっている者のうち、ツェーメ、ミルデンブルク、シュトイアーマンの姉(女優のザルカ・フィアテルのこと)は女性である。しかし、この時点ですでに話が進んでいたライプツィヒ公演のため、この五日後の12月3日、シェーンベルクはツェーメと語り手パートを練習してみたのだが、その出来はあまりにもひどいものだった。そのため、次のベルク宛書簡では、彼はこの見解を完全に撤回し、「メロドラマの語り手は男声でなければだめだ、女性を使うくらいならまだグレゴリの方がマシだ」という意見に逆戻りする(上の大ガイドの第3部最初の訳注も参照)。
ベルクの《グレの歌》ピアノスコアからの抜粋(第1部からの4曲)の出版については、少し前からそういう話が出ていた。1913年11月26日付のシェーンベルクのヘルツカ宛の手紙を見ると、どうやらシェーンベルクの方から、歌手の練習しやすさのためにも(できれば全歌曲の)分冊版があった方がよいと提案したらしい。シェーンベルクはここで、各曲の終結部はベルクが書いてしまってよいこと、新しい彫版が作られるのなら伴奏を簡単にすべきことを助言している。ベルクのピアノ編曲が難しすぎることは共通の認識であった。プロの歌手のみならず一般家庭などでも利用されるはずの歌曲ピースの伴奏が、誰も弾けないようでは困るのである。しかし、この次の手紙で触れられているように、ベルクはピアノスコアと歌曲ピースとで伴奏を変えていない。ベルクは、第1部の歌曲部分はシェーンベルク自身のピアノスコア(現在は行方不明)をほぼそのまま流用したらしいので、歌曲伴奏部分は前奏曲や間奏曲ほど難しくはなく、中級程度の技術で無理なく弾けるレベルが保たれている。
シェーンベルクの、ベルクの手紙の「くどさ」への苦言は、上(1913年2月3日付書簡)にもあった。ここではさらに、ベルクの手書き文字の読みにくさについても触れている。こういう、言いにくいことをズバリと指摘してやる点では、シェーンベルクはなかなか良い教師であったとも言えそうである。こういうのは、誰かが言ってやらないと、本人だけではなかなか気づかないからである。もっとも、苦言は、その指摘内容が適切であることが大前提だし、適切であるにしても「角を矯めて牛を殺す」結果になったとしたら、総合的には損失になってしまうため、的確に苦言を呈するというのは意外と難しいのである。訳者には、シェーンベルク・センターで見ることができるベルクの手書き文字が、本当に読みにくいのかどうかは判定できない。
なお、「モノドラマ」とは、もちろん《期待》作品17のことである。シュトイアーマンによる《期待》と《幸福な手》のピアノ編曲は、何とこの10年後の1923年にようやく出版された。
これに対するベルクの返信は、12月3日に出された。
お許しください、親愛なるシェーンベルク先生、今回は手短にするという決意と相違してしまうことを。しかるに、またしても「弁解」で手紙を始めなければならないのですが、私自身、改善の余地がない奴だと思われる危険を冒してでも、控える気にはどうしてもなれないのです。というわけで、親愛なるシェーンベルク先生、あなたの親切で詳細なお手紙にすぐにお返事しなかったことを、お詫びいたします。しかし、私はこのところ、『ガイド』、《グレの歌》の個別曲の出版、ヴィーンの《グレの歌》公演でやるべき多くのことのような、いろいろな物事の交渉があり、ゆえに特に12月1日には最もハードな時間を過ごしたのです。
第二に、あなたに、親愛なるシェーンベルク先生にお願いしたいのですが、《グレの歌》の個々の歌曲に結尾部を作るという仕事を私が引き受けないとしても、どうか許してください。実際に3~4日頑張ってそれについて考え、いろいろと試してみたのですが──私には無理だと認めざるを得ません。終止和音を書き加えることが和声的にどうにか可能な箇所でも、とにかくそれをする気にはどうしてもなれないのです。
例えば:
あるいは:
しかし、私には、どの歌曲にせよ結尾部を作曲する能力はありません。もしかすると、これは知的貧困の証明なのかもしれません。いずれにせよ、《グレの歌》のような、今ではもう自分の血肉と化しているものを、自分がなじんだものとは部分的にでも違う形を考えるための想像力が、私にはまったく欠けているのです! ひょっとしたら、この作品をよく知らない人の方がうまくできるのかもしれません! ウニヴェルザール社がこれをどのようにするのか、とても興味がありますが、不安も大いにあります──しかし同時に、良い解決策を見つけられないことと、《グレの歌》の個別ピースを支援するのにどうしても必要なこと、すなわち上手な結尾部を作成する能力が私にないことが、悲しくもあります。──
古いプレートが利用されますし、最後と最初のためだけに新しく彫られるということにはなりませんから、伴奏の軽減処理はできないでしょう。
さてここで、あなたに、私の親愛なるシェーンベルク先生に、ご親切な手紙に対してあらためて幾重にも感謝を申し上げたいと思います。特にガイドのために弁護士に相談するという有益な助言(これは絶対にするつもりです)、私のろくでもない手紙の件について愛情深く諭していただいたこと、それらを遅ればせながらも肝に銘じ、この後はすべて手短に報告させていただきます。
ライプツィヒのポスターは使用されません。
「語り手」役について、シュレーカーと話をしました。彼はツェーメに賛成していませんが、それは馬鹿馬鹿しい、純粋に表面的な理由からです。彼はオンノを獲得しようとするでしょう。ミルデンブルクは「森鳩」に自ら名乗りを上げました。彼女はしっかりと契約を結んでいます。親愛なるシェーンベルク先生、あなたはそれでかまいませんか? もし必要なら、ミルデンブルクに、森鳩を歌わせるだけでなく「語り手」を語らせることも可能でしょうか? ライプツィヒのヴァルデマーは誰が歌うのでしょうか?(シュレーカーはそれを知りたがるでしょう。)もしナーホット以外の誰かであったなら、シュレーカーはヴィーンでもその歌手を希望するでしょう。ナーホットがライプツィヒでも歌う場合のみ、シュレーカーはヴィーンでも彼に任せます! 「道化のクラウス」は、どうやらボルッタウになりそうです(彼はライプツィヒでは歌わないのかどうか?)
主題一覧が完成したら、すぐに室内交響曲のピアノスコアに取りかかります。あなたのピアノスコアを貸していただけますか? あなたのピアノスコアを濫用することなく、完全に独立した──かなり容易に演奏できる編曲(例えばツェムリンスキーのマーラー第6のピアノ編曲のような)を作ろうと努めますが、その場合もそれは助けになるでしょうし、作業も速やかに、いっそう捗ることでしょう。
モノドラマや《幸福な手》のピアノ編曲がすでにあるのは素晴らしいですね。とても良いものなのでしょう!! 当然のことながら、それを──あなたから離れて──作ることは不可能だったでしょう。四重奏曲の歌曲ではどれほど大変だったかを覚えていますよ!(あれはなぜ出版されないのでしょう?)
主題一覧は次のようになります。プログラム、歌詞、1ページ:文学史、1ページ:作品の成立。主題一覧:歌曲(または前奏曲、オーケストラの間奏曲)に属する最も重要な主題を最初の出現時に順に列挙。その後の出現時には、個々の主題(番号が振られているもののみ)への簡単な参照。
──────────
例えば:終結の、あるいは経過の小節:
1、2A、B、5。──
Ⅰ.ヴァルデマー
同一の構成要素:5、4 、 2 。
[譜例9]
[譜例10]
譜例10 = 2
etc.
シェーンベルクから「手紙はうだうだと余計なことは書かず、簡潔に書きなさい。字も読みやすく!」と指導された直後の手紙だが、文字はともかく(訳者には判断不能)、表現の回りくどさは多少はなくなったように見える。《グレの歌》歌曲ピース結尾部の試作が2例書かれているが、1例目は第1部「Ⅴ.ヴァルデマー」、2例目は「Ⅵ.トーヴェ」の最後である。これらはいずれも「終止和音を書き加えることが和声的にどうにか可能な箇所」に該当するもので、ほぼ原曲のままとなっている。[譜例9][譜例10]の箇所には、上の小ガイドの譜例9と譜例10の手書きによる簡略譜が書かれている。また、「四重奏の歌曲」とは、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番第3・4楽章のベルクによるピアノ編曲のことである。出版は、これもシュトイアーマンによる《期待》《幸福な手》のピアノ版同様、かなり遅れて1921年になった。
主題一覧(小ガイド)については、全体の構想は固まったようで、最後の「例えば」の部分は現行の小ガイドと同じである。実際の小ガイド初版の構成は、上の拙訳をご覧いただければだいたい分かると思うが、最初にシェーンベルクの写真、次に曲名と歌詞、次に中扉、その裏に楽器編成表、次に原作について、その裏に作品の成立過程、その次のページから主題一覧が始まる。
これに対するシェーンベルクの返信は、12月4日に書かれた(ハガキ)。大ガイドの訳注と重なる部分もあるが、あらためて全文を訳出しておく。
親愛なる友よ、ミルデンブルクはメロドラマをやるべきではありません。あれは男性によって語られなければならないのです。ツェーメ夫人が使いものにならないので、私はライプツィヒ公演への参加をやめたところですし、私には、あれが男性でなければならないことは今や完全に明白なのです。グレゴリでもね。ライプツィヒでは、ヴァルデマーはナーホットが歌います。ヴィーンではヴィンケルマンを推薦しました。ボルッタウはライプツィヒでも起用されました。室内交響曲のピアノスコアね。喜んで送りますよ。時々催促してください。──主題一覧はなかなかいい感じになったようですね。──《グレ》の分冊版の終結部は、できればあなたが自分でやる方がよい。ほかの人に作らせないようにするためにも。ちょっと考えればできることですし。もともとある終止感覚を使えばよいだけです。例えば、次のような形はまずまず可能性があるように思われます。
ヘルツカへの手紙の中で、私は(さりげなく)どこで始まりどこで終わるのがベストなのかを、かなり正確に指定しています。その手紙を見せてもらってください。さあ、試しにやってみましょう。きっとうまくいきますよ。何か書き留めてみてください。2曲目はもっとうまくいくでしょうし、3曲目は満足いくものになるでしょう。それから、1曲目と2曲目にもう一度取り組むのです。
それでは:心からの挨拶を
あなたのアーノルト・シェーンベルク
ロゼの50歳の誕生日を、どうして誰も教えてくれなかったのですか? 今になってやっと、偶然それを読んだのです! あなたはおめでとうを言ったのですか?
ご覧のように、シェーンベルクはここで、「《グレの歌》の語り手は男性限定にせよ」という最初の意見に戻っている。それでも、結局彼はライプツィヒ公演でツェーメを使ったのであるから、結論としては、「《グレの歌》の語り手は、作曲者の当初の意図は男性であるので、原則として男性が担当すべきであるが、女性が担当しても誤りではない」とでもなるだろうか。……訳者は、女性が担当しているクリップス盤・アバド盤・サロネン盤などは正直ミスキャストに聞こえるし、シェーンベルクがシュレーカーに宛てて書いていたように、女声では音域が高音楽器とぶつかってバランスが悪いように思う。文学的に言っても、「夏風」の語り手は詩人自身あるいは詩人の分身と見られるので、「ヤコブセンと同性の人間」が担当する方が違和感がない。
《グレの歌》歌曲ピースを作る場合に、どこからどこまでを切り取ればよいかを示した「ヘルツカへの手紙」とは、すでに触れた1913年11月26日付のものだろう。その手紙では、「Ⅵ.トーヴェ」の後奏はかなり長くて55 までとなっているが、実際の歌曲ピースでは54 の1小節手前、歌が途切れてからわずか2小節だけで終止となる。「Ⅸ.ヴァルデマー」の結尾部は手紙では82 の2小節「前」までだが、歌曲ピースでは2小節「後」まで(ⅥとⅨの最後の2小節は新たに作られたもの)。「Ⅹ.森鳩の歌」は手紙のとおり96 の3小節前から最後までとなっている。
次はベルクの12月9日付の書簡である。
親愛なるシェーンベルク先生、《グレの歌》歌曲数曲の開始部と結尾部を同封してお送りします。すなわち、当面ヘルツカが刊行を希望しているのはこの4曲ということです。考慮されているほかの曲に、引き続きすぐ取りかかりたいと思います。それは:「あなたは私に愛のまなざしを送り……」「今は真夜中……」「トーヴェの声で……」それに道化のクラウスです。
ご覧のように、開始部のあなたの指示を忠実に守っており、それは私が以前考えた開始部に適合しています。ただし、1曲、「天使たちは踊らない」を除いてです。──そこで私は歌の入り[譜例]で始めました。そうすれば最初のプレートの新しい譜刻を省くことができますし、そのページはタイトルとともにうまく収まるからです。しかし、ヘルツカはやはり新しいプレートを彫らせるべきです!
この歌曲の結尾部は、あなたが示してくださったものです。それより良いものは思いつきませんでした!
森鳩の歌はもちろん第1部の終わりのままです。
私が作曲した終結小節:「今、私はあなたに言います……」と「不思議なトーヴェよ……」を、どうかお許しください! これは冒瀆です! 言うまでもありませんが、もしこの終結部がやはり使えないと気づいたら、それを言っていただいてかまいませんし、私では仕上げられないと思ったら、この仕事は誰かほかの人に任せてください。その覚悟はしています。本当にすべての力を振り絞り、仕事中には考え得る限りのものを書き留めたつもりでいたにもかかわらず、です。しかし、私はまたしても以前の「不適切書法」状態に陥り、「頭をよぎる」ものなどを説明し始めてしまう。だから、もうこれで終わりにします。
親愛なるシェーンベルク先生、あなたのご親切なハガキに、なお幾重にも感謝を申し上げます。その内容(あなたのライプツィヒ公演のキャンセル)にはとても驚かされました。しかし今、シュタインから、12月にすでにリハーサルがあることを聞きました。すべてのことにすでに片が付いていればいいのですが!
心からの挨拶を込めて
あなたのベルク
ロゼの50歳の誕生日は秘密にされていたため、後になって初めて知ったのです:秘密にした意図は、私には、あまり親しくない知人(私のような)に祝われることが煩わしいということをほのめかしていたように思われます。もしかしたら、お祝いを言うべきだったかもしれません! もう手遅れですが!
ベルクの次の手紙は、12月15日に書かれた。その三日前の12日、ミュンヘンで予定されていた《グレの歌》公演が中止になったことが、ブルーノ・ヴァルターからシェーンベルクに伝えられていた。シュレーカーの《はるかなる響き》とかち合ったせいである。
親愛なるシェーンベルク先生、この手紙は:このところ手紙を書く時間がなかったものですから、あなたが出発する前に受け取れるよう、速達にしました。
ガイドに関して、おかげさまでヘルツカとの「商談」がまとまりました。ガイドと主題一覧を合わせて6000部(以前はガイドのみ5000部という話でした)が売れたら、残り半分の報酬=300クローネを受け取ります。主題一覧の仕事については、すぐに50クローネを受け取りました。そういうわけで、金銭的にはまずまず満足しております。
さて、4歌曲の結尾部は、ご提案していただいたとおりにやりました。もちろんそれがいちばんいいし、他人の干渉もゼロにできます。3曲の結尾部があなたのものであるとヘルツカが知ることが、あなたにとって好ましいことなのかどうかは分かりませんが、私のものであるとも言えませんので、私は一言も説明せずにそれをU.E.に渡し、そこから彫版に回っています。
親愛なるシェーンベルク先生、あなたはいずれにしてもヘルツカに会うことになりますよ。ライプツィヒの最初のリハーサルに立ち会えるなんて、彼とシュタインが何と羨ましいことでしょう。3月の公演前のリハーサルには、必ず行きます! マンハイムにも。プラハ†にも行くかもしれません!──ミュンヘンがなくなってしまったことが残念でなりません!
†訳注「マンハイム~プラハ」──マンハイムでは《期待》の公演が、プラハでは《六つの歌曲》作品8の公演が予定されていた。
《グレの歌》の残り最後のパート譜は、明日火曜日にライプツィヒに到着します。U.E.からの速達か、シュタインが持っていくかです(残りのパート譜は2/3ほどです)。その他の新しい、一様にきれいに書かれた素材はすべて、すでにライプツィヒにあります。ついでながら、ヴィーンで使われた古い素材は、多くの書き込み線と、4~5人の写譜屋の仕事のせいで、新しいものほどきれいではありませんが、ずっと前からライプツィヒにあります。──
(以下略)
弁護士を介在させた方がよいとシェーンベルクが助言していた、ガイドと主題一覧の報酬については、どうやら円満に話がまとまったようである(結局弁護士は入ったのだろうか?)。歌曲ピースの結尾部については、この手紙の文面から察するに、ベルクの試作に対し、「ここはこうして、あそこはああして」とシェーンベルクが指示し、ベルクはそのとおりにした、という感じに見える。「3曲」というのは、もともと結尾部がある「Ⅹ.森鳩の歌」以外の3曲ということであろう。このうち、「Ⅴ.ヴァルデマー」は、12月4日のハガキにシェーンベルクが書いていたものがほぼそのまま使われた。……訳者としては、「Ⅵ.トーヴェ」の歌曲ピースのエンディングだけは、正直あまりうまくいっているようには思えない(2023年春現在、IMSLPに4曲ともアップされているので参照のこと)。このようにするくらいなら、多少後奏が長くなっても、シェーンベルクがヘルツカに書いていたようにした方が収まりが良かったのではなかろうか(その場合は、最後の3小節は12月3日付書簡の2例目のようになったはず)。ただ、そうすると、その後奏部分のベルクのピアノ編曲がやや難しいので、もう少し音を削る必要性が生じたかもしれない。
主題一覧については、あとはタイトルの問題があった。大ガイドと混同されないために、また内容が分析ではなく主題を並べただけであるということのために、ベルクはこれを単に「主題一覧 Thementafel」と名付けたかった。しかし、ヘルツカは「主題分析(短縮版)thematische Analyse(gekürzte Ausgabe)」とすることを提案したようである。このあたりのやりとりは手紙が残っていないらしく、詳細は不明なのだが、1914年1月頃に書かれたヘルツカ宛の手紙の草稿が残っていて、U.E.の全集と『新版』では、その読める部分を、補足を加えながら繋ぎ合わせている。その部分を訳して引用してみよう。
「私は病気のために市街に出ることができないので、深く敬愛する取締役様に書面でお願いしたいのですが、最初に取り決めたように、同封の仮綴じ冊子の主題一覧という名前をそのままにしていただきたいのです。というのは、私としてはこれ以上のものが思いつかず、先日あなたから提案された『主題分析(短縮版)』とか、そのようなものはとうてい容認できないからです」
ベルクは、これは主題分析ではないのであり、単に「最も重要な主題を並べたもので、主題自体を分析したものでも、《グレの歌》の音楽の真の分析の産物でもない」ことを明確に強調している。続いて彼は、大ガイドの中で彼が示唆していたこと、主題分析というものについて自分がどんなものを想定したかを指摘している。
「それにもかかわらず、もし自分が新しい小冊子を主題分析と名付けてしまったら」、自分の仕事全部を「否認する」ことになり、それと同時に「初めは大口を叩いていた自分が、今度は安っぽくなったと主張する批判のきっかけと正当性を与えること」を、彼は恐れていた。その点で、最初は「意図的に通常の主題分析とは相容れない」ことをした自分であるのに、今度は「『短くすること』によって」同じことを「達成しようとしている」と思われることは、彼にとって耐えがたいものだった。とりわけ彼は強調する。
「新しい小冊子は、決してガイドの短縮版ではなく、〈...〉の同じ内容とは何の関連性もありません。同じ〈...〉の一部であり、主題とその最も重要な出現の列挙にすぎません。絵を用いて説明するなら:ガイドが果物全体を描いているとすると、短縮版というものはその果物の薄切りであり、ゆえに果物全体のすべての構成要素は〈...〉けれども、縮小サイズの中に(縮小されて)含まれてもいるのです。ところが、新しい小冊子は、この果実の皮でしかない!──新しい小冊子を買った人が、主題分析を期待しているのに主題とその列挙しか見つからなかったとしたら、それは約束の不履行となり、それは例えばリンゴの一切れを期待しているのに皮を渡されるようなものなのです。そこへいくと、『主題一覧』というタイトルならあなたも安心したままでいられると思うし、それは本物の一覧表ではなく、1ないしそれ以上のページに作品の最も重要な主題を登場順に、また再登場のときに言及した記載のことであったにもかかわらず、そのような主題の記載にとっては通例のタイトルであると思います」
従って、この新しい小冊子は、事実上「多くのページ上に切り分けられた主題一覧表」にほかならない。
下書きのためか、これまで訳してきたベルクのどの書簡よりも訳しにくかったが、要するに、新しい冊子は分析ではなく主題を並べただけなのだから、「分析」という語は使うべきではなく、本当の分析本である大ガイドの「短縮版」という語も使うべきではない、また、「一覧」と言われるといわゆる「一覧表」を思い浮かべられそうだが、小冊子は一覧表ではないものの、主題が出てくるたびに複数ページにわたってそれらを並べたものなのだから一覧表に準ずるもので、その点でも「主題一覧」というタイトルで問題はない、と言いたいらしい。ヘルツカがなぜ「主題分析(短縮版)」というタイトルにこだわるのかは知らないが、もしかするとシュペヒトやヴェスのマーラー本がいずれも「主題分析」という語句をタイトルに含んでいるので、それらと揃えたかったのかもしれない。それはともかく、この対立においては明らかにベルクの方に理があるだろう。結果はどうなったかというと、結局ベルクの意見は通らず、表紙には「Führer(Kleine Ausgabe)=ガイド(小版)」と印刷され、「Thementafel=主題一覧」という語句は一覧の開始ページにかろうじて掲載されるにとどまった。ベルクとしては不本意であっただろうが、少なくとも「分析」「大ガイド短縮版」という語句が表紙や中表紙に書かれることは阻止できたし、書名は大ガイド同様シンプルに『シェーンベルク《グレの歌》ガイド』だけ(ただしこちらは「小版」が付く)になったので、どうにか妥協できたのであろう。タイトルに「分析」と書いてしまうと詐欺になるが、単に「ガイド」なら、主題が並べてあるだけの内容でも羊頭狗肉にはなるまい。ただ、デザイン上の欠点として、表紙の「Kleine Ausgabe」の文字が小さいことがある。これでは、ちょっと見では大ガイドとの区別がつかないため、もし並べて売られた場合は間違えて買ってしまう可能性もあっただろう。……そういうわけであるから、これをお読みになっている読者の皆さんは、どうかベルクの意を汲んで、小ガイドの方を「短縮版」「縮小版」と呼ぶのはやめてあげてほしい。小ガイドは、大ガイドを「縮小」「短縮」したものではないからである。「Kleine Ausgabe」は「小(さな)版」とでも訳すほかはなく、もしどうしても大ガイドと関連付けるのなら、「主題譜例抜粋版」とでもするほかはなさそうである。
小ガイドは、1914年1月25日に印刷、2月21日に初版3034部が納品された。納品される前の2月15日には第2版の印刷注文があり、3月20日に3060部が納品された。これだけですでに大ガイドの3倍である。訳者の手元の小ガイド初版は50ペニヒ。その中の広告によると、大ガイドの初版は1マルクであり、その後わりとすぐに2マルクに値上げされたらしい。小ガイドの価格を基準に考えると、大ガイド初版の1マルクという価格は安すぎたと言えるかもしれない。大ガイドのあの内容では、格安にしておかないと売れないと思われたのだろう(実際は1マルクでも売れなかった)。しかし、もう今ではいかにも売れそうな小ガイドがあるのだから、大ガイドの方はたとえさらに売れなくなるにしても適正価格で販売する、という戦略に切り替えられたと考えられる。大ガイドのような難しい本を欲しがるのは専門家が多いだろうし、そういう客なら2マルクくらいは喜んで出すだろう、という思惑もあったかもしれない。
この後は後日譚に属することだが、1914年2月24日火曜日、ベルクはヘルツカに次のような手紙を書いている。
深く敬愛する取締役様、私はライプツィヒの《グレの歌》公演に行くつもりですが、その前にあなたに次のようなお願いをしなければならないと感じています:申し訳ないのですが、私の『ガイド』が6000部が売れた後にのみ約束された300クローネの金額を、今すぐに支払っていただくわけにはいかないでしょうか?! すぐ次の《グレの歌》公演の結果、両『ガイド』総数6000部の売り上げは間もなく、おそらく来シーズンにはすでに達成されるはずですから、残りの金額300クローネの時期尚早な支払いによるU.E.の損失は実質上生じますまい、と申し上げるならば、もしかすると私のお願いを聞き入れていただけるかもしれません。出版社が私のお願いを実現してくれることによって、《グレの歌》の出版および演奏の仕事に常に深く関わった、そして今も関わっているこの私が、当作のライプツィヒ公演とシェーンベルク自身の指揮下でのリハーサルに行くことが可能になるのです。どうして私がその旅の費用を自分の所有、すなわち手元にある資金から賄う立場にないのか、さらに詳しい理由づけが必要であるならば、ヴィーンの《グレの歌》公演以来、すなわちこの1年間、(主題一覧や歌曲分冊版の小さな仕事は別として)最大限の知識と能力が発揮される仕事を求めたU.E.により、副業を得るための多くの機会が与えられず、それがなければ(旅行などのような)臨時の出費を自分で負担することが可能になった、ということに言及させていただきたく思います。
従いまして、あなたに、親愛なる取締役様に、できるだけ早いご回答をお届けいただけますようお願い申し上げます。それは電話または書面で、場合によっては私の所に来ていただいて口頭でなされることも可能です。(いずれにせよ、私は水曜日なら午後の間じゅう電話で連絡がつきます。)
回りくどい言い回しもできるだけ直訳に近くなるように訳したが、以前ヴェーベルンの似たような手紙(U.E.に経済的援助を懇願する内容)を訳したときも「回りくどい書き方をするものだ」と感じたので、どうやら金銭の援助を申し込む場合はだいたいこんなふうにするもののようである。これに対し、ヘルツカは翌日すぐに返事を出した。
拝啓ベルク様!
電話であなたとお話しする試みは、残念ながら成果が得られませんでした。6000部のガイドの販売後に来るべき300クローネの金額を、今すぐあなたに支払うというあなたのご希望については、これも残念ながら、そのようにその形で叶えることはできません。私としましては、あなたがガイドの売れ行きに関して楽観的に過ぎるのではないかと危惧しており、シェーンベルクの肖像写真も含まれ、わずか50ペニヒの価格の新しいガイドは、以前のそれの場合よりもはるかに売りやすいにもかかわらず、6000部のガイドが売れるまでの日時はまったく予測できないのです。ドイツでの当作の流布が、ライプツィヒでの成功と批評に大きく依存しているからです。ライプツィヒでも、ヴィーンでの場合と同じような成功が収められれば、確かに直近の数年間の上演数は確保されることでしょう。しかし、もしそうならなかったらどうなさいますか?
とは言うものの、私はあなたを援助することにやぶさかではありませんので、6000部の販売後に支払うべき金額の内金として、今すぐ200クローネ(文字で示せばzweihundert Kronen†)をお支払いする準備があることを宣言し、その代わり、1年以内に少なくとも4000部のガイドが売れなかった場合には、あなたは現金でその金額を返済する義務を負うものとします。ただし、万一その不利な事態が発生した場合は、私はあなたに、果たすべき私たちの仕事のため、一部あるいは全額の返済が容易になる機会を提供するつもりです。私のこの提案から、あなたは私の善意を汲み取ってくださるものと信じます。敬白 ヘルツカ
†訳注「文字で示せばzweihundert Kronen」──金額を勝手に書き換えられないために、また算用数字の金額が正しく記載されていることを保証するために、このような文字による金額を注釈として入れることがある。手形・小切手は、書き換えられやすい算用数字だけでなく、書き換えがしにくい文字でも金額を書き入れることになっている(日本でも、手形・小切手を手書きで書く場合は「弐百」のように漢数字を使う)。
上にも書いたが、シェーンベルクやベルクはよく悪口を言っているけれど、訳者には、ヘルツカという人はやはり基本的に親切で寛大であるように感じられる。「全額は無理でも2/3は内金でお渡ししてもよいですし、もし4000部売れなければそれは返していただきますが、その場合は楽に返金できるようちゃんとアルバイトを用意してあげますよ」というのだから、至れり尽くせりであろう。結果を書けば、ここでヘルツカが言っている「不利な事態」は発生せず、1914年に印刷された6094部のうち4000部はちゃんと売れたようである。実際の売り上げまでは分からないものの、1929年までに印刷された数は次のようである。
【大ガイド】1913年2月2000部、1921年6月2000部。合計4000部。
【小ガイド】1914年2月3034部、1914年3月3060部、1920年3月4990部、1920年5月10000部、1921年5020部、1925年12月7491部、1929年4月1000部。合計34595部。
ご覧のように、小ガイドはよく売れて、約6年間で大ガイドの8倍以上もの部数が発行された。大ガイドが売れないのでは、ベルクとしてはあまり満足のいく結末ではなかっただろうが、2023年春現在では逆に中古本以外で小ガイドを目にすることはなくなっており、「ベルクの《グレの歌》ガイド」と言えば大ガイドを指すことになっているのだから、彼の霊も「それならまあいいか」と思ってくれているかもしれない。ただし、読者があまりいないであろうことは、当時も今も同じである。
ところで、シェーンベルクはベルクのガイドをどう評価していたのだろうか。上に訳出した1913年3月10日付の手紙に少しだけ書いてあったものの、「詳細は、また別の機会に」の「別の機会」は、その後訪れたのであろうか。調べてみたが、「詳細」については、どうやら文字では残っていないようである。しかし、次の3通の書簡を見ると、《グレの歌》ガイドへのシェーンベルクの評価の変遷がある程度見て取れる。まずベルクが妻ヘレーネに宛てた1918年6月5日付書簡の一部。
シェーンベルクは、私の『グレの歌ガイド』をもう一度見て、突然その中に非常に多くの興味深いものと新しいものを見つけたため、どうやら完全に考えを改めたようだ。
さらにその五日後、6月10日の、同じく妻宛の手紙の一部。
シェーンベルクは、音楽の文筆活動に私の関心を向かせようと、何度も何度もそこに立ち戻ってくる!!!! とりわけ、
独立した理論書(演奏会用ではなく!)としての《グレの歌》大ガイドの拡大と、マーラーの交響曲の分析だ。どうやらシェーンベルクは間違いを償っているらしい(彼は、《グレの歌》大ガイドに対したくさんの文句を付け、まったく褒めてくれなかったという点で、当時の私に不当な仕打ちをしていた)。彼はそれをもう一度読み、かなり感激している。最初の判断は、私が──主としてベルリンから──巻き込まれた敵意によって曇らされたのであり、そのためシェーンベルクは私をますます評価しなくなるという結果となった。この「名誉回復」は、大きな価値を持ち、非常に重要だ。私自身、この《グレの歌》ガイドにはとても誇りを持っていたし、自分のすべての作曲作品よりも誇りに思っていたくらいなのだ。音楽作品は、実際にはどうにもならないのに対し、そのような理論的な著作は、知力が直接強要されるのだから。(シェーンベルク自身、マーラーの第9交響曲の分析を計画している。)
最後の( )の手前の部分は分かりにくいが、音楽作品は──「意思をもって作る」と「自然に生まれてくる」の混交だから──それを作った者にも自由にならない部分があり、責任のすべては負えないのに対し、理論書は完全に知力の産物で、筆者の意思が100パーセント反映されている、ということであろうか。
もう1通は、1920年11月12日にシェーンベルクがベルクに宛てて書いたものの一部である。
私が言いたかったのは:次にあなたが私の作品(例えば第2弦楽四重奏曲や管弦楽小品)の、室内交響曲や《ペレアス》のような優れた分析をやるときには、スコアなしではほとんど理解できないようなデザインではなく、むしろスコアがなくても演奏時に理解できるようにしてほしいということです。その点では、《グレの歌》ガイドは優れています。たとえ、x2 ・y3 + ab. 2[3Q5 ± (f × I2 → ← ξ ↗ + × Ib+a?! ~) — 4fffsf]:26a A といった「科学的」テキストがやや多すぎるとしても。私の冗談に気を悪くしないでくださいね。しかし、これでは即応性に欠けます。ここであなたが折衷案を見つけられればよいのですが:暗記をあまり必要とせず、より素早く解読できる記号に加えて、多数の譜例、あなたがとてもうまくやっている分析用のもの、参考用のもの、本文では説明と分析を区別し、場合によっては後者は小さな文字にして、別々のパラグラフにまとめ、譜例の綴じ込みと組み合わせるけれど、それは冊子の中に6~8ページくらいごとに何枚か入れ、両面印刷で、表面は前のページに、裏面は後のページに使えるようにすれば、大きな費用をかけず、あまりにも少ない譜例に制限することもなく、さらに優れたものが達成できます。20ページのパンフレットの中に二つの表を入れ、一つを両面にするのもありです。最初のものは約8ページ後に(3~8ページと9~15ページ用のもの)、二つ目のものは最後で、残りのページ用のものです。──あなたはこれをどう思いますか?
この3通の書簡から判断するに、シェーンベルクは《グレの歌》大ガイドを、最初のうちは批判していたが、初版から5年後の1918年半ばに態度を変えて、大いに称賛するようになった、ということになる(演奏会販売用ではなく独立した理論書として、大ガイドをさらに拡大したものを書くよう促しているのは興味深い)。ただし、非の打ち所がないとまでは考えていなかったことが、最後の書簡で知られる。冗談で書かれたでたらめな数式から見て、《グレの歌》ガイドは、ほかのガイドに比べてレイアウトは優れているが、説明に関しては難しく書きすぎている、と感じていたようである。室内交響曲と《ペレアス》(オリジナル版)両ガイドは、《グレ》のように説明の合間に譜例が挟まるのではなく、譜例は大きな折り込み紙にすべてまとめられている。よって、折り込み紙を広げてそれを参照すれば、「スコアなしではほとんど理解できない」ということにはならないと思うが、とにかく本文中に譜例がないため、《グレの歌》ガイドより読みにくいというか、冊子そのものが扱いづらいのは事実である。シェーンベルクの案は、譜例を大きな折り込み紙一面にまとめるのではなく、数ページごとに「譜例用のページ」が入るような形である。《グレの歌》ガイドは、その分析方法の性質上、既出の譜例を参照し直さなければならないケースが極めて多く、それが読みにくさの要因の一つになっている。つまり、譜例がほぼすべてのページに分散掲載されているため、「え~と、譜例19はどこだっけ?」と、ページを繰って探しに行く作業が頻繁に発生するのである(これには本当にイライラさせられる)。バラバラに掲載されているので、いくつかの譜例を見比べることもままならない。それならむしろ、ある程度は譜例をまとめてくれた方が、新出の主題の譜例が説明文から離れてしまうというデメリットは生じるものの、前掲・後掲の譜例が参照しやすくなり、また複数の譜例を比較しやすくなるという点で、総合的にはメリットが大きいかもしれない。
公刊されたベルクのガイドは、周知のように《ペレアス》主題分析が最後になった。これは、1920年初頭にケルンでの同曲公演のために初稿が書かれたが、そのときは出版されず、あらためてヴィーンでの出版を目指して5月に増補がなされたものの、それは長すぎるということで、1920年6月1日に刊行された冊子は初稿(かそれに近い稿)に基づくものであった(UE6368)。その後、おそらく1933年頃に、ベルクは増補版の《ペレアス》主題分析にさらに追記を行ったが、そのわずか2年後に彼は亡くなってしまう。結果、それらすべてを含んだ「最終版」の出版は、1994年のベルク全集Ⅲ-1の刊行まで持ち越されることになった。現行のUE31412は、もちろんその「最終版」である。
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