サボテンの花ひらく 日本語訳

イェンス・ペーター・ヤコブセン(イェンス・ピーダ・ヤコプスン)
Jens Peter Jacobsen
鷺澤伸介:訳
(初稿 2006.1.5)
(最終改訂 2023.5.1)

シェーンベルクの《グレの歌》の原作を含む、デンマークの作家ヤコブセン(ヤコプスン)(1847-1885)の『サボテンの花ひらく』(原題:En Cactus springer ud)を、デンマーク語原書から翻訳しました。
★(2023年5月1日追記)アルバン・ベルクの『グレの歌ガイド』(大・小)日本語訳を公開しました。
★2022年夏、久しぶりに改訂増補しました。気づいた範囲での誤訳の修正、訳文の手直し、注釈の追加と改訂のほか、ヴァルデマとトーヴェの物語についての英語論文(1970)を翻訳し、付録としました。この伝説を扱ったデンマーク文学作品の流れや、その中ではヤコプスンの「グアアの歌」が最高傑作であることなどを論じたもので、ヴァルデマたちと「夏風の荒々しい狩り」との関係に関する一つの解釈も書かれています。やや古くて長い論文ですが、フォルケヴィーセやデンマーク文学史に興味のある方は、ぜひご一読ください。【注釈】の下にあります。
★「グアアの歌」の序詩「真昼」も見直し、不適切と思われる箇所を改訂した結果、以前とは少しイメージが変わってしまいました(あの詩は推敲されていないのか、なかなか難物なのです)。旧稿では「グアアを訪れた旅行者が、真昼に記念碑の銘を読んだところ、中世の幻想に浸ることになり、気がついたら夏風が吹く夜明け前になっていた」というストーリーを想定したのでしたが、これだと旅行者が野外にいる時間が長すぎて不自然かな、とずっと気になってはいたのです。今回の改訂では、「現代のグアアの真昼、中世の物語『グアアの歌』、現代のグアアの夜明け前後」というように、現代と中世は特にストーリーとして連携しているわけではない、という見方に落ち着きました(もちろん、「グアア」という場所や「荒々しい狩り」の共通性では繋がっています)。ほかにも、誤訳が原因で「教え」の内容を不適切に想像してしまっていましたが、今回の見直しで、初訳時よりはマシな読解ができたのではないかと思います。旧稿の拙訳に基づいてイメージを作られていた方には、お詫びして訂正いたします。

底本

サボテンの花ひら [*]

イェンス・ピーダ・ヤコプスン
心の中で、知人たちの列を通過させてみたとしよう。すると、いつも見えてくるのは、ある特定の状況に身を置いた、近くも親密でもない人々の姿である。
少なくとも、私にとってはそうなのだ。
例えば、ある者は、常に挨拶しながら角を曲がっているし、別の誰かは、常に向かいの家に視線を向けながら私の家の窓のそばに立っている。いつも座って、たくさんの蠅が上をぶんぶん飛んでいるスープを考え込んで見つめている老人もいれば、いつもくるみ割りを持って、大きなカラーの木の葉陰で歯を見せているエレガントな若者もいる。
今、通過してゆくこうしたたくさんの肖像の中から、一つを留めおいてみることにしよう。
それは、見事な薔薇の上に身を屈めて、新しく開いた蕾にキスをしている老人である。彼は、軍事顧問官だ。軍事顧問官は、言葉にできないほどの深い愛情を、自分の花にも他人の花にも同じように注いでいる。それはつまり、人が自分の子供を愛するのに比例して、他人の子供のことも愛するようになるのと同じことである。しかし、もし誰かが、せっかく珍しい花の子供を所有しているのに、それを上手に育てるための扱い方を知らなかったりすると、彼はそれを引き取り、まるで自分のもののように世話をして、なかなか手放そうとはしないのだった。人が花に対して優しくしないと、彼は怒り出し、時にはまったくの別人にさえ豹変し、窓の所で育てているヘリオトロープに水をやれだの、その横に立っているミルテは切ってしまえだのといった命令を発するのだった。この軍事顧問官には一人の娘があった。彼女はユーリェという名ではなかったけれど、私は彼女をユーリェと呼んでおくことにしよう。彼女は美しいかってもちろんさでは、軍事顧問官がどう思っていたかを教えてやろう。私は、この軍事顧問官には、実はかなり象徴主義的な性向があるのではないかと疑っている。というのも、居間にある花には、いずれも彼の愛するものの名前が付けられていたようだったからだ。そして、小さなフラワースタンドには、濃い色の葉と明るく香ばしい花を誇るキョウチクトウが一本だけで生けられていたのだが、その白く美しい花がユーリェという名で呼ばれていたことは、まったく確実だったのである。
ずっとその家に通っていたのは、我々五人の若[*]、ピア、ポウル、カール、イェスパ、それに――マスであった。我々全員が最後にそこに集まったのは十月のある晩で、それは九年間の丹精込めた世話の末、ついに一つの花を付けたサボテンに誘われてのことであった。その花は、このサボテンの習性に従って、夜の間に大きな破裂音を立てて開くことになっていた。で、その時、待っている時間を何かでつぶさなければならないということで、別に珍しいことでもないのだが、我々若い連中が自分たちを詩人であると思い込んで――カールは、我々にとっても自分にとっても、そんなことは馬鹿げていると固く信じていたのだったが――、お茶と果物が巡回してくる間の空白を我々が埋めましょうと言って、それを軍事顧問官に納得させたのであった。その場には紳士淑女の一団が招待されていたが、悪天候やその他の合法的な欠席理由のため、会合に集まったのは、耳の遠い陪席裁判官を除いては、我々五人だけだった。それでも、都合よくユーリェはそこにいた。そして、やはり本当のところ、我々が朗読を聴かせて感心してもらいたかった相手は、彼女なのであった。
さてサボテンがテーブルの真ん中に立ち、軍事顧問官と裁判官はそれぞれのソファの端に座り、ユーリェは、死んだ母親のものであった古いきれいな糸巻きに糸を巻き付けていた。カールは、彼女の近くに座って、糸が巻いてあった厚紙を巨大な園芸バサミで切り刻んでいた。その他の者は、少し惨めな気分であたりをぶらついて、壁の絵をぼんやり見つめたり、タペストリーの縞を数えたり、名刺の束を調べてみたり、星がきれいかどうかを見るために巻き上げカーテンを上げてみたりしていたが、そんな忙しさの中にあっても、部屋で話されていることはみんな聞き取っていたわけで、裁判官が面白いことを言ったりすると、笑うこともできたのであった。
ついにユーリェは、ポウルに「どうか始めてください」と要求し、彼は朗読を開始した。
森はいちばん美しい衣装を着て
果実は葉を華麗に彩る
これ以上贅沢に飾ることも
これ以上目的に近づくこともできない
目的は達せられたのだ。
秋風は狡猾と奸計を秘めやって来て
梢に垂れた葉に口づけして回る
それは優しい春風からの挨拶を呼び起こし
短かった季節を悪賢く思い出させる
あの芽吹きの季節を。
今、あこがれに満ちておのおのの葉は思い出す
幸福な蕾の中で夢見た季節を
優しく目を覚まさせ、その緑に口づけした光に向かって
身を伸ばした解放の瞬間を
思い出す。
過ぎ去った季節にもう一度生きようと
今、風に輝いて再び身を躍らせる
でも春の色のような鮮やかさは得られない
萎れてぶら下がり、色は褪せてしまった
目的は達せられたのだ。
秋風は荒々しい足取りでやって来て
葉に嘲りの歌を唸り聞かせる
「退行するほど老いぼれたのでは
みんな枝から落ちなきゃだめだ
目的は達せられたのだ。」
今落ちていくけれど、小さな葉たちは
蕾の中に再び横たわっているかのように
梢から引き裂かれても、固まり合って
最後まで変わらず夢を見続ける
春の夢を。
「そう、そうですな!」裁判官は嘆息した。「秋はなんとも憂鬱な季節ですな。それに不健康です、いや本当に!」
イェスパは、ソファの連中を共感を込めて見渡し、ユーリェにほほ笑みかけてから、読み始めた。
気分
I.
果てしない宇宙で揺れている
海上の葉のような我らが地球。
そして私はきらめく塵。
「神」はその光源をご存じなのか?
それでも全太陽系は存在し
エーテルの浴槽に揺れている。
私の思考の海にほんの小さなさざ波を
引き起こしたのは何なのか?
II.
大いなる思考とともに私は生きてきた。
深い気分は繰り返し
真実の陽光が明るくきらめく
魂の輝く国へと私を連れ去った。
私は美の海上に揺曳し
その波の音を聞いてきた。
そして美しく澄んだ深淵の真珠を
勇敢に自分の道へと持ち帰った。
私の人生には悲しみと苦しみが多かった
だが、その苦悩の中にさえ歓びがあった
私はその戦いに敗れもし
また同じ戦場で勝ちもした。
それでも私はこの壮麗なる舞踏場から
退却することを好まなかった。
それは農夫の愚鈍さを遠ざけて
歓喜とともに精神の力を与えてくれた。
おお、それなのに、なんという安らぎなのだ
ただ眠そうなまなざしで見えるものを思い
価値なきものに価値を見
精神の言葉をあざ笑うことは。
そして最後には静かにまどろみ入るのだ
天上の安息を夢見ながら
死んだ女たちとの再会や
永遠に続く日曜日への希望を胸に。
「今の詩は、私が植物学に関わっていたころのことを思い出させるね」軍事顧問官は大きな声で言った。「多弁性の花は醜いとよく言われていたものだった。それで私は、薔薇を見ると、花びらをバラバラにむしり取らずにはいられなかった。きれいな花びらの後ろに隠れている雄蕊の惨めさを、よく見てやろうと思ってね。当時の私は、自分に古い農夫の感性があればと思っていたものだったが、今ではそれを持っている、ありがたいことに!」
ユーリェは、今度はピアに、何かで私たちを楽しませてくださいと頼んだ。ピアは座り、自分の長靴を見つめ、ひどく驚き、どうにも気の進まぬふりをしてみせた。こうした前奏曲を終えてから、彼は読み出した。
アラベス [*]
おまえは暗い森の中で迷ったことがあるか?
おまえは牧神パンを知っているか?
私は彼を感じたことがある
暗い森の中ではなく
すべてが沈黙したときに
いや、私は牧神を知らない
でも、愛の牧神なら感じたことがある
すべての会話がやんだときに。
太陽の暖かな場所で
奇妙な草が生長する
ただいちばん深い沈黙の中でだけ
幾千もの陽光の炎の下で
その花は開くのだ
一瞬の間だけ。
それは狂った者の目のように
死体の赤い頬のように見える。
私はそれを見たことがある
私自身の愛の中に。
彼女はジャスミンの甘く匂う雪のよう
ケシの血が彼女の血管に流れていた
冷たい大理石のような白い両手は
彼女の膝で休んでいた
深い湖の睡蓮のように。
彼女の言葉はふわりと落ちた
露に濡れた草の上に
林檎の花の花びらのように。
しかし、噴き上げる水の輝きのように
冷たく澄んで
のたうつときもあった。
彼女の笑いの中にはため息があり
彼女の涙の中には歓喜があった。
誰もが彼女にひれ伏さずにはいられなかった
ただ二つのものだけが彼女に挑むことができた
彼女自身の瞳である。
毒百合の
まばゆいグラスで
彼女は私に乾杯した。
死んだ者にも
今彼女の足元にひざまずいている者にも。
彼女は我ら全員とともに飲んだ
――そのときの我らのまなざしは従順そのもの――
永遠の忠誠を誓う杯を上げて
毒百合の
まばゆいグラスで。
すべては過ぎ去った!
雪に覆われた平原の
褐色の森の中
孤独なサンザシが伸びている
風がその葉を占有する。
一つずつ
一つずつ
血のように赤い実が滴り落ちる。
白い雪の中に
灼熱化した実が
冷たい雪の中に。――
おまえは牧神パンを知っているか?
ピアは、賞賛を求めてユーリェの方を見た。彼女は、瞳の中に感激を込めて彼に優しくうなずいたが、少なからず困惑していた。というのは、彼女はピアが朗読していた間中、ずっとカールと囁き交わしていて、そのためほとんど一語も耳に入れていなかったからである。
裁判官は笑って、咳払いをして叫んだ。「素晴らしい、素晴らしいですよね、顧問官殿見事、実に見事!」
軍事顧問官は、ピアの方を向くと、少し困ったように言った。「ああ、実際、申し訳ないんだが、私には理解できなかったのだよ、情けないことに。響きはこの上なく美しいんだが」
「そのとおりですよ!」イェスパとマスとポウルは一緒に叫んで、それについて言うべきことがどっさりあることを、腕の動きでほのめかした。だが、幸い小間使いの娘がベアリンゲレ[*]の夕刊を持ち込んだため、それは中断された。新聞は、否応なく全員の注意力を奪ってしまった。しかし、その場にそぐわないものに対しては、人は結局は飽きてしまうものである。それで、イェスパが朗読を求められた。彼は非常にゆっくりと原稿を広げ、暗い顔で前を長いこと見つめ、それから取りかかった。
異邦 [*]
時々、南の国の種が、風と波によって北国の海岸まで運ばれて発芽することがある。しかし、異郷の植物にとって、その土地の空気は冷た過ぎ、強い海辺の草が生長を奪い光を遮ってしまう。すると、故郷では見せることができたはずの美しさを、その発育を阻まれた茎や垂れ下がった葉の中に発見してやれるのは、ただ研究者の目だけということになるのである。そんな植物を二つ、これから君にお目にかけよう。でも君は、その生長不良の姿の中に、真っすぐ伸びた幹や、葉の緑の豊かさや、花の色の鮮やかさを察してやれるような――打ち消された美しい生命の輝きをそこに与えてやれるような――そんな研究者になってくれるかい?
それはユランの小さな村の、大きな夏の市での出来事だった。広場の真ん中に一人の楽士が立ち、男や女が彼の周囲に輪になって、あふれ出る音の海の中に、楽しそうな、しかし成熟した大人にふさわしい顔つきをして、身を沈めていた。そこに一人、完全にあけすけに音に身を任せている者がいた。ひどく低い声で口ずさみ、頭で拍子を取り、時々ダンスのステップをし、楽しそうな、驚いたような目が、一人また一人へと向けられた。その目はまるで「あんたがたは、じっと立ったままでいられるのかい?」とでも言いたそうであった。だが、人々の静かなまなざしは、彼にこの上なくきっぱりと「いられるとも」と答えていたし、人々の微笑には、彼の理性への冷ややかな疑念さえ加わっていた。突然、彼は、真向かいで、目を半開きにして、拍子を合わせて頭を振り動かしている一人の少女に気付いた。彼はその少女の所に飛んでいって手をつかむと、すぐに草の上を踊り回った。そのとき響いていたのは踊りのメロディではなかったが、彼らの即興の踊りは生命力と確実さを併せ持ち、メロディにぴったり合って、その全体がまるで古くよく知られた二つの何かのようであった。
「あんなふうに踊るなんておかしいわね」と、かなり若い農夫の娘が、年長の娘に囁いた。
「まあね、ちゃんとした生まれの人たちじゃないし」
「どんな人たちなの?」
「あのね、男は貧しい家で育てられて、母親は尻軽グレーデと呼ばれたひどいろくでなしだったのよ」
「じゃ、娘の方は?」
「南の出身だって、見ればすぐわかるでしょう。父親はスペイン人で、軍曹だったのよ」
しかし、このお互いを見出し合った二人の幸福者たちは離れようとせず、一ヶ月後には結婚してしまった。彼らには家族もなく、持ち物もほんのわずかであったが、それも一人の男から丘の上の小さな荒れ地の一角を譲り受けるには十分であった。彼らはその丘に家をしつらえた。しかし、荒れ地は、初めに考えたような菜園にはならなかった。というのも、イェンスは、どちらかといえば土掘りよりもクラリネットを吹いてパンを手に入れたがったし、カーアンは、背を丸める仕事よりもむしろ糸を紡いでいたかったからである。彼らは幸せいっぱいに暮らし、再び夏の市が来たときには、イェンスはクラリネットを持って出かけていったが、カーアンの方は家に留まっていなければならなかった。丘には、世話の焼ける三人目が生まれていたからである。
年月は過ぎ、エルセと呼ばれた小さな子も、かわいらしく賢く成長して、朝から晩まで茶色いヒースの藪の間を陽気にはしゃぎ回っていた。
突然、彼女は重い病気にかかった。昼も夜も、両親はベッドに付きっきりだったが、病気は軽快しなかった。
とうとう、子供は最後の闘いの呻き声を上げた。イェンスは恐がって外に逃げたが、母親の方は「主の祈り」を捧げていた。そして、それがこの瞬間に自分がひたすら探し求めているものを呼び寄せてくれるわけではない、ということに気付いた時、彼女は祈りに自分の言葉を加えた。「神様私はあなたが善良なお方であることを知っています。だから、私たちが幸福過ぎて、あなたのことをほとんど考えなかったからといって、私たちにあまりに厳しい仕打ちをなさるはずがないということもわかっています。どうか、私から子供を取り上げないでくださいこれまでのようにはこの子を私たちに任せておけない、というのでしたら、私を病気にしてください。私たち大人は不幸が降りかかっても当然なのですから、私たちの方を不幸にしてください。でも、罪のない子供のことは苦しめないでください!」
しかし、子供は死の苦痛にもがいていた。母親は絶望して叫んだ。
「お待ちになって、神様助けてくださいこの子の病気を放置なさらないで。この握り締めた手を見てください。この子の目が、助けを求めて私を見つめるのをご覧になってください。おお、神様、なんて罪深いお方!」
子供は死んだ。
翌日、イェンスは牧師の所へ行き、子供は丘のすぐ外の荒れ地に埋められるのがよいと思う、丘はあの子がこの上なく幸福な時を過ごした場所だから、その近くに眠る方がよい、教会の墓地はまったく知らないし、全然知らない人たちの間に埋めるのはどうにも気が進まない、と懇願した。牧師は、教会は人が死んだときに眠る唯一の正しい場所であり、キリスト教会の子供を異教徒のように聖別されていない土地に埋めることなどできない、と説得した。
そのときは、牧師が言い分を通した。
悲しみがしばらく二人を沈鬱にしていたが、彼らは若く、生活は再び光と色を取り戻した。彼らは、そこを離れて市場の立つ町に移り、イェンスはいくつかの踊り小屋に雇われ、カーアンはたっぷり糸を紡ぐことができた。
また、二人が一緒に出演する日もあって、彼らはそれを子供のように待ちこがれた。すなわち、街で何か、どうしても華やかさが必要な祝祭があるときに、二人は音楽をやるために雇われたのである。まじめくさった連中にとって、狂ったイェンス・クラリネット氏が、まるでマンドリンの弦をかき鳴らすように指を楽器の上に動き回らせ、その間じゅう妻に優しさに満ちた賞賛のまなざしを投げているのを見物するのは、どんなに楽しいことであったことか。また、人妻であるカーアンが巨大なタンバリンを振ったり叩いたりするのを見るのは、どんなに果てしなくおかしいことであったことか。そして最後に、年を経るにつれてだんだんと思い起こされ、繰り返されたネタが、どれほどたくさんあったことか。というのも、面白いネタは決して忘れられたことがなかったし、イェンスとカーアンは、髪が白くなり始めた後も長いこと出演を続けたためである。
しかし、死は、再び彼らの家を訪れようとして、そのお膳立てをするために、召使いである病気を送り込んできた。カーアンが病気になったのである。重病だった。イェンスは、治療法を求めて外出していないときは、彼女に付きっきりだった。数マイル四方の医者や巫女や呪術師と称する者をみんな病人のベッドまで連れてきては、自分が持っているものを全部やるからと約束し、カーアンを治してくれとひざまずいて哀願するのだった。
だが、カーアンは死んだ。
穏やかで静かな晩だった。イェンスは、タンバリンを取ってきて死者の手に持たせ、それから自分のクラリネットを持ち出して、彼女がいちばん好きだったメロディを吹いた。最初に小さな歌を吹いたが、その歌詞は、彼にはひどく重く、悲しげに響いた。
「土曜の晩のことだっ[*]
私は座ってあなたを待った
必ず行くって約束したのに
結局来てくれはしなかった」
それから彼は、彼女がいつも聴きたがっていた奇妙な舞曲を吹いた。それは農民たちが決して踊ろうとしないものだった。彼らに言わせると、それはクズのような曲だから、ということだった。
ところが、隣人が、死者の家の方から響く音楽を聞きつけ、すぐにイェンスの所にやって来て、憤慨に猛り狂って叫んだ。
「なんて人なの座りもしないで、奥さんの遺体のそばでダンス音楽をやるなんて!」
イェンスは驚いて彼女を見た。
「出てお行きあんたなんかを遺体のそばに置いていたりしたら、神様にも人様にも申し訳が立たない」
それでイェンスは出ていき、酔っぱらった。それは、彼のしたすべての行為中、初めて他人にも理解できることであった。それで人々は言った。狂ったイェンス・クラリネットは、馬鹿な奥方が死んで賢くなった、と。
だが、イェンスは、ずっと酒を飲み続けた。
部屋の中はひどく静まってしまった。なぜだかわからなかったので、ユーリェとカールは困惑した。カールは何か言おうとしたが何も言えずに、フルーツ椀をひっくり返してしまった。一同は笑い声を上げながら、転がるりんごや跳ねるくるみを追いかけ回した。さて次は、ポウルが進めなくてはならなくなった。彼はグラスの水を三杯飲んでから、朗唱した。
グアアの [*]
I
ヴァルデマ
青みがかった黄昏は
海と陸のあらゆる音を和らげ
空を行く雲は
地平に安らぎ横たわる。
森の風の巣には
沈黙の重みが積み重なり
海の清らかな波は
自らを休息へとたゆたい誘う。
西では太陽が
輝く深紅の衣を投げつつ
海に自分自身を手渡して
昼の輝きを夢見ている。
葉はまったく動かず
私の感覚を呼び起こすこともなく、
音は絶え果てて
私の心を踊りへと揺り動かすこともない。
ああ、すべての力は
自らの夢の川に沈んで
穏やかに静かに
私を私自身に押し戻す。
II
トーヴェ
おお、月の光線が円やかに戯れ
私の周りがみな沈黙するとき
湖の波は水ではなく
暗く静かな森は木々ではない。
天球を隠すのは雲ではないし
大地の起伏は谷や丘ではない。
形は形はでなく、色は色ではない。
すべては神が夢見たものの表れ。
III
ヴァルデマ
馬よ、おまえは今、突っ立って夢でも見ているのだな!
いや違う、私には見えている、おまえのひづめの下で
道が急速に流れ去っていくのが。
だが、もっと強く、全速力で駆けるのだ。
おまえはまだ森の真ん中にいる
私はもうずっと
グアアの城門でおまえを待っているというのに[*]
森は離れ、私には小さなトーヴェの美しい小部屋がすっかり見える
森の木々は我らの後ろに暗い壁となって滑り去る
それでも、なおも荒々しく駆けるのだ!
おまえには、見えているか?
野や沼の上に、雲の影が長く伸びていくのが。
それがグアアの地に到達する前に
我らはトーヴェの家に立たねばならぬ。
今響いている音が
永遠に消えてしまう前に
おまえの素早いひづめの打撃が
グアアの城の小さな橋を揺らさなければならぬ。
落ちゆく葉が
小川の波に届く前に
おまえのいななきが
グアアの中庭に響きわたらねばならぬ。
影よ来い、音よ絶えよ
もう葉は波間に沈むがいい
ヴォルマにはトーヴェが見える!
IV
トーヴェ
星は歓喜に叫び、湖は輝き
岸に向かって高鳴る胸を抑える。
葉はハミングし、滴は踊り
風は陽気に私の胸に自らを投げつける。
風見鶏は歌い、塔はうなずき
若者たちは燃えるまなざしで気取り歩き
乙女たちは不思議にざわめき高まる胸に
むなしく手を当て和らげる。
薔薇は眉に手のひらをかざして見つ[*]
たいまつは暗い視界を助ける。
森は今やその覆いを開き
犬たちは村の中で吠えている。
絶え間なくうねりの近づく通路が
安息の港へと向かうあの雄々しい騎士を揺らしている。
この後の次の一登りが
あの方を私の開いた腕の中に投げ込んでくれる。
V
逢瀬
ヴァルデマ
天使も神のためにこんなに素晴らしくは踊るまい
今世界が私のために踊っているようには。
ひれ伏して神への愛を歓呼することもない
ヴァルデマの心臓がおまえに愛を叫ぶ以上には。
キリストが神の傍らに身を置いて
苦悩を笑い飛ばしていることも
ヴァルデマが悲しみと争いを忘れ
小さなトーヴェの傍らに身を置くのにはかなうまい。
天国の壁を前にして
その中で揺られることにあこがれる魂も
ウーアソン海峡の城の塔か[*]
グアアの金色に輝く尖塔を見たヴァルデマには及ぶまい。
我はその平和な地上の片隅と
そこにある秘密の真珠を交換するまい
天上の栄光と妙なる音と
すべての聖なる者の群れとさえ。
トーヴェ
今、私は初めて言います
「ヴォルマ王、愛しています」と。
今、私は初めて口づけします
あなたに腕を巻き付けて。
するとあなたは言うのです
それは前にも聞いたし、口づけはいつものことだと
それなら私も言いましょう、「王様は
つまらないことを思い出す愚かな方」と。
あなたは言います、私自身がそのような愚か者だと
私は言います、「王様が正しいですわ」と。
でもあなたは言います、私はそうではないと
それで私は言います、「王様はひどい方」と。
だって私はあなたを思っている間
薔薇に口づけしてみんな散らせてしまったのですから。
ヴァルデマ
真夜中の時間
忌まわしい一族が
忘れられ、埋もれた墓から姿を現し
城の蝋燭や小屋の灯りを
あこがれに満ちて見つめる
風は彼らに向かって
あざ笑うかのごとくまき散らす
ハープの調べと杯の音と
愛の歌を。
そして彼らは消え入りながらため息をつく
「我らの時は過ぎ去った[*]」と――。
我がこうべは生命の波に揺れ
我が手は胸の鼓動を感じる
生命に満ちて私に降り注ぐ
燃える口づけの深紅の雨。
そして我が唇は歓呼する
「今こそ我が時!」と。
だが時が過ぎゆけば
私はさまよい歩くことになるだろう
真夜中に
死んだような足取りで
死に装束をぴったりとかき合わせ
冷たい風に向かって
深夜の月の前を忍び足で。
そして悲しみに縛られ
黒い十字架で
おまえの愛しい名前を
土に刻み
地に沈みゆきつつ嘆くのだ
「我らの時は過ぎ去った!」と。
トーヴェ
あなたは私に愛のまなざしを送りますが
目を伏せてしまいます。
その愛のまなざしが二人の手を握らせますが
握力は消えてしまいます。
でも、愛を呼び覚ます口づけとして
あなたは私の唇に握った私の手を当てます。――
そしてあなたは死に対してため息をおつきになるのです、
炎の口づけと同じように
まなざしが燃え出ることができるときに!
空で輝くあの星たちは
夜明けになれば消えてゆくけれど
それでも夜ごと夜ごとに
永遠の輝きに燃え立つのです。
――死など短いものですわ
夜から夜明けまでの
静かな眠りと同じくらいに。
そしてあなたが目覚めるときは
ベッドであなたとともにある
真新しい美に包まれた
あなたの若い花嫁を
あなたはご覧になるのです。
だから、さあ黄金の杯を
飲み干しましょう
力強く飾り立てている死のために。
私たちは至福の口づけによって
息絶えるほほ笑みのように
墓に赴くのですから。
ヴァルデマ
不思議なトーヴェよ!
私は今おまえの傍らで満ち足りているので
一つの望みさえ持っていない。
我が胸はかくも軽く
我が思いはかくも澄みわたり
目覚めた平和が我が魂を支配する。
我が内はあまりに静かだ
神秘的なほどに。
唇は言葉の橋を架けようとするが
再び安らぎの中に沈んでしまう。
なぜなら、我が胸が
おまえの心臓の鼓動とともに脈打ったように
我が呼吸が
トーヴェよ、おまえの胸を膨らませたように、いられるからだ。
また我らの思いが
互いに出逢う雲のように
生まれて共に流れてゆくのが見える
そしてそれらは形を変えつつ一つになって揺れる。
それで我が魂は静まって
私はおまえの瞳を見て押し黙る。
不思議なトーヴェよ!
VI
森鳩の歌
グアアの鳩たちよ島の上を飛んで集めた悲しみが
私に重くのしかかっています
来て聞いて!
トーヴェは死にました彼女の瞳には夜の闇が訪れました
それは、それは王の昼の光だったもの。
彼女の心臓は沈黙しているのに
王の胸は荒く波立っています
死んだように、しかも荒々しく!
大波の上の小舟の舟板が
自分自身を抱き締めようとひん曲がっているときに
舵取りの方は深海の海藻にからまって死んで横たわっているのと同じくらい奇妙に。
誰も彼らの間に伝言を運ばず
その道は通れません。
二人の思いは並んで流れる
二筋の流れのようでした。
トーヴェの思いは今どこを流れているのでしょう?
王の思いは奇妙な入江の中をのたうちもがき
トーヴェの思いを捜し求めていますが
見つけることはできません。
私は広く飛び急ぎ、悲しみを拾い集め、たくさんそれを見たのです[*]
王が棺を肩に担ぎ
ヘニン[*]がそれを支えるのを見ました。
夜は暗く、たった一本のたいまつが
小路を照らしておりました
王妃がそれをかざしたのです、バルコニーで高々と
復讐の思いにわななきつつ。
泣きたいわけでもない涙が
彼女の瞳に光っていました。
私は広く飛び急ぎ、悲しみを拾い集め、たくさんそれを見たのです!
王が農夫の上着を着て
棺とともに行くのを見ました
王を勝利に運んだ馬が
それを引かねばなりません。
王の目は行方なくさまよい
一つのまなざしを捜していました。
王の心は奇妙にも
一つの言葉に耳を澄ませていました。
ヘニングは王に話しかけましたが
それでもなお瞳と心は捜していたのです。
王はトーヴェの棺を開き
哀願するような唇で見つめ、耳を澄ませます、
トーヴェは押し黙ったままです。
私は広く飛び急ぎ、悲しみを拾い集め、たくさんそれを見たのです!
修道士が綱を引き
夕べの鐘を鳴らそうとしました。
でも彼が車を操る者たちを見ると、
悲しみのルー[*]が彼に語りかけたのです。
太陽は大地の死を知らせる
鐘の音の方へと沈んでゆきました。
私は広く飛び急ぎ、悲しみを拾い集めました、その上死までも。
ヘルヴィ[*]の鷹が
王の庭で
グアアの鳩を打ち殺したのです。
VII
ヴァルデマ
主よ、あなたはトーヴェを私から連れ去ったとき
自分が何をしたのかご存じですか?
あなたは私を最後の隠れ家から
狩り出してしまったのだということをご存じですか?
主よ、あなたは恥じて赤面することもないのですね
あれは貧しい者のたった一つの子羊だったのに!
主よ、私もまた支配者です
私は王座で学んだものです
臣下たちから
最後の陽光まで奪ってはならぬと。
主よ、あなたは苛酷なやり方をなさるが
そんなふうに完全に破滅させる方法で人を支配すべきではないのです!
主よ、あなたの天使たちの群れは
賞賛であなたの耳を満たします
あなたはとがめられるべきときに
いさめてくれる友をお持ちでない。
ああ、聡明であり続ける者などおりませぬ
だから主よ、どうか私をあなたの道化にしてください[*]
VIII
荒々しい狩り
ヴァルデマ
目覚めよ、王者ヴァルデマの従者たちよ!
さび付いた腰の剣を引き抜け
獣と怪物の印で飾られた
埃だらけの楯を教会から持ち来たれ。
土中で草を食む馬どもを呼び覚まし
黄金の拍車の歯を馬腹に当てるのだ
グアアの町へ押し寄せよ
死者の夜明けは来たれり!
農夫の [*]
棺桶の蓋がコツコツいう音
夜の行列の重い足音。
芝は土からはがれ落ち
畑には黄金が鳴り響く。
教会の入り口ではガチャガチャガタガタ
古い瓦礫を投げつける音がする。
墓地の中では石が鳴り
鷹どもは教会の塔から羽音を立てて叫び
教会の門はバタバタ開いたり閉じたりする―[*]
ふとんをひっかぶれ、奴らがそこを駆け抜けた。
――おいらは三遍、聖なる主の十字架を切る
人と家と、牛馬のために
おいらは三遍、救い主のお名を唱える
奴らが穀物の種を傷つけねえように。
それに主が聖痕をお負いになった
手足にお名を書いておけば
妖精の一[*]やら夢魔やら
トロールの[*]やらに襲われないで済むってもんだ。
仕上げに戸口に鋼や石を置けば
家に災いは何も起こらねえ。
ヴァルデマの従者たち
ようこそ、王よ、グアアの湖へ!
我らは今この島中で狩りをする
見えない目で狙いを定め
弦の緩んだ弓から矢を放つ
鹿の影に傷を負わせ
草の露が血のごとく滴り落ちる。
ヴァルラウ[*]
黒い翼を羽ばたかせ
木の葉が馬の胸の周りであわ立つのを聞け。
かくて我らは狩る、人々が言うように
夜ごと夜ごと、裁きの日の荒々しい狩りの時まで。
ホラ、馬よ、ホラ、犬よ
狩りはしばし休憩だ
ここに昔と同じように城がある。
馬は光る[*]を与えられ
我らは朝食に栄光を食うことができる。
ヴァルデマ
トーヴェの声で森は囁き
トーヴェの瞳で湖は見つめ
トーヴェの微笑で星は光り
乳房のように雲は膨らむ。
彼女を捕らえようとして五感は騒ぎ
彼女を求めて思いは戦う。
だがトーヴェは向こうにいて、またトーヴェはここにいる。
トーヴェは遠く、トーヴェは近い。
トーヴェよ、おまえは魔法の力で
湖や森の輝きの中に縛られているのか?
胸は張り裂けそうに膨れあがる。
トーヴェ、トーヴェ、ヴァルデマはおまえに焦がれる!
道化のクラウ [*]
「鰻という奴ぁ奇妙な鳥[*]
水に住むのが好きなのに
時々陸で一時間
月光を浴びてもがいて[*]
これは俺がかつて人様について歌った歌だが
今は俺自身にピッタリ当てはまる。
俺は今じゃただの百姓で家だって小さい
客も呼ばず、そりゃもう静かに暮らしていたのだ
なのに、家のわずかな蓄えの半分ほども食われちまった
だから多くはおもてなしできぬ、そうしたいのはやまやまなんだが。
それでも――なぜ俺がいつも真夜中どきに
池の周りを駆け回らなきゃならないのかを
俺に説明できる奴には
俺の夜の安息を贈呈してやろう。
パレ・グロープとイーレク・ポ[*]
同じ目に遭うのは、俺にもよくわかる。
あいつらは信心というものを持たなかった
今じゃ馬の上でもギャンブルだ
地獄へ行ったときの
いちばん涼しい場所と入り口のそばを賭けて。
そして王様、天使やガチョウと一緒に飛んでいっちまってから
ずいぶん経った娘を呼んで、闇夜に狂ったように駆け回っている
あの人なら、馬を駆るのも当然ってもんだ。
なにしろあの人はえらく天然の正直者だったから。
皆の衆はこの上なく慎重に
十分用心せにゃならん
もしも相手が月の向こうに住んでいるお方のような
そんな支配者の所の道化である場合は[*]
しかしこの俺、ファーロムの道化クラウスは
死者は姿を現すこともなく
魂の錨も同じように塵になると
信じていた。
そうなれば人は落ち着いて
大きな宮廷のお祭りに集中できるというものだ
ブラザー・クヌー[*]が言ったように
黄金のラッパが吹き鳴らされ
勇敢なる善人が
罪人どもを去勢雄鶏のように食らう時
ああ、俺ときたら、呪われた子馬に乗って
自分の鼻を尻尾の方に向けて
人がベッドに入っている間、よろめき歩かにゃならんのだ
まだ間に合うなら、俺は首を吊りたいのに。――
だが、最後に俺が救われるときには
おお、どれほどの甘さが味わえることか。
思うに、俺は大方の人間よりほんの少し罪深いが
ほとんど口先で切り抜けることができる。
裸の真実に服を着せ
本道行きと脇道行きの鞭を振るった奴は誰なんだ?
そうさ――もしも公平というものがあるのなら
俺も天国の広間に座れるはずだ。
ああ、そうなりゃ、そこでご主人様をけなしてやるぞ[*]
ヴァルデマ
今、天国で笑っている
汝、厳しき裁き手よ!
最後の審判の日が来る時に
これを肝に銘じておけ。
愛し合う男女の魂は一つなのだ。
汝は我らが魂を、我を地獄へ、彼女を天国へと
二つに引き裂くわけにはいかぬのだ。
なぜなら、そのときは、我は力を用い
汝の見張りの天使を蹴散らして
天の帝国に
我が荒々しき狩りをもって攻め入るであろうから。
ヴァルデマの従者たち
鶏が鳴こうとして頭を上げる
彼らは体内に昼を宿している
そして我らの剣からは
さびで赤くなった朝露が滴り落ちる。
時は終わった!
墓は口を開けて叫び
大地は光を嫌う恐怖を吸い込む。
沈む、沈む!
生命は力と光沢の中を
行為と高鳴る胸をもってやって来る
そして我らは死の所有物
悲しみと死の所有物
苦痛と死の所有物なのだ。
墓へ墓へ夢を孕んだ休息へ――
おお、我ら平穏のうちに憩わせてもらえれば!
IX
夏風の荒々しい狩 [*]
グッドキングヘンリ[*]もミセス・カモミー[*]も、くれぐれも気をつけて!
さあ、夏風の荒々しい狩りが始まる。
湖は風の足跡を銀のようにきらめかせ
蚊はおびえて藺草の叢から飛び上がる。
君が思うよりも、ずっとひどくなるからね。
ヒュウッ、風がブナの葉の間で笑ってる!
[*]の周りに緑を引きずって!
あそこにいるのはちらちら赤く光る[*]
濃い霧は死んだ雲。
なんという波と揺れ。
なんという音と歌。
穀物畑の金色の穂が
むかつく風にぶつかり合って、音を立てる。
蜘蛛は長い脚で跳ねながら
網の上で遊んでいる。
滴は茂みから音を立てて滴り
流星は天球から飛んでいき
蝶は野生の生け垣へと騒がしく逃れ
蛙は小川へと大きく跳びはねる。
――静かに風の行為の意味は何だろう[*]
枯れた葉を翻すごとに
ああ、親族を捜しているのだな。
春の青く白い花の流れや
過ぎ去った地上の夏の夢を。
それらはずっと前から土になっているのに!
けれども、今度は
木々の天辺に駆け上る
夢のように美しかった花の盛りが
もう一度よみがえると信じているから。
そして奇妙な音を立てて
葉の冠に
挨拶を返している。
――ほら、ごらん風が素早く駆け抜けていく
空気の道をくるくる回りながら
湖の輝く水面へと
そこで無数の波の踊りの中
青白い星の幻影に包まれて
静かに揺られ休息する。
なんて静かになったんだ!
ああ、明るくなってきた!
おおテントウム[*]よ、花の[*]から舞い上がれ
そしておまえの美しい聖母に素晴らしい陽光の活力を乞うがいい!
湖の岬の周りで波が踊り
縞模様のカタツム[*]は草の上を這う。
鳥たちは森で目覚め
花は巻き毛から露を振りこぼし
太陽を捜し求める。
目覚めよ、目覚めよ、すべての花よ
太陽が来る!
東の色彩の奔流の中のすべてが
我らに朝の夢の挨拶をよこす。
もうすぐ暗い水の上から
太陽がほほ笑みながら現れ
豊かな光の髪を
明るい額からまき散らす!
「批評はなしで次へ」軍事顧問官は叫んだ。
マスはかなり分厚い紙束を取り出して、大きさも色もひどく不揃いなたくさんの紙切れを読み出した。
コーマクとスティーンゲア [*]
ここで取り上げようとしているコーマクは、大コーマクの子エイモンの息子で、物語が始まる時点では、アイスランドのミトフィヨルドに、兄のトーギルスとともに母ダラのもとで暮らしていたコーマクのことである。そのころエイモンは死んでいて、ダラが屋敷を切り回していたが、彼女もかなり年老いたので、息子たちがほとんどのことを取り仕切っていた。
兄のトーギルスは、静かで内気な性格で、仕事を好みそれに熟練もしており、その点ではコーマクに邪魔されることはなかった。コーマクはといえば、家畜よりもチェッカーを動かすことを好み、下男よりも女と会話をし、これからの収穫や獲物よりも、昔の伝説や歌について考えてばかりいるのであった。彼は、概して当時の多くの人々とは違っていた。彼について言われていたのは、彼は「平和」をただの「争いの欠乏」として、「言葉」を「歌の不作」として感じていたということである。
ある日のこと、トーギルスは彼に、逃げた何頭かの羊を追って山へ行ってくれと頼んだ。コーマクは出かけて、寝る時分にグヌプ谷に着いた。彼はとても歓迎され、火が燃えている大きな部屋に招き入れられた。彼はそこに腰をおろして、古い歌をハミングしながら炎に見入っていた。座っていると、スティーンゲアデが侍女の娘と一緒に部屋の前を通りかかった。彼女はトンゲのトーケルの娘で、トーケルにここに送られ、養育中であった。部屋の中が明るいのを見て、娘が言った。
「どんなお客が来ているのかしらのぞいてみません?」
スティーンゲアデは、さっき男たちを見たから、と答えた。それでも、部屋の中の暗い隅に通じる、外から開けることのできる上下開きの小窓の所へ行った。彼女はのぞいたが、こちらを見られることはないと知っていながらも、心配で小窓から離れた。今度は娘がのぞき込んで言った。
「こんな所で見ても面白くないわ。でも、あなたはあの人を恐がっていないし、もしあの人と冗談でも言い合ったなら、気晴らしくらいにはなるでしょうね。きっと明日早く出発して、二度とあなたの目の前には現れないでしょうけれど」
スティーンゲアデはのぞき込んだ。「きれいな人」
娘は答えた。「私には、嫌な感じで、色黒に見えるわね」
「あなたには美しさというものがわかってないのよ」
スティーンゲアデは怒って言った。
コーマクはその話を聞きつけ、頭を上げて歌った。
「娘たちの口はよく
コーマクは美しいと話していた。
それで彼はオーディ[*]の末息子に
似ていると思い込んでいる。
今の声がそんなにきれいなのは
フレヤ譲りに違いない。
その美の女神は
美しさの判決を見事に下す。」
スティーンゲアデは言った。「あなたは髪の毛が目の中に垂れかかっているのが欠点ですわ」
コーマクは歌った。
「頭の上の黒いヒースが
思いの野辺を覆い
二匹のヤマカガシが枝にぶら下がり
親切に警告する。
彼女たちが心を
ひどく締め付けられることのないように、
そして心の中に
恋の病を燃やすことのないように。」
スティーンゲアデは言った。「あなたはたいていの人よりはきれいだし、言葉を選ぶのも早い。でも、きれいな容姿もきれいな言葉も、別にたいしたものではありません」
そこでコーマクは歌った。
「白く泡立つ波よりも
私はおまえの乳房を恐れる。
楯の圧迫よりも
娘よ、おまえの円やかな腕を恐れる。
嵐の怒号よりも
おまえの澄んだ声を恐れる。
そしておまえの光るまなざしは
魔法や罠よりも恐ろしい。」
スティーンゲアデは非難した。「あなたはずいぶん臆病なんでしょうね。見たこともなく、見ることもないものを恐がるなんて」彼女はこう言いながら、小窓から離れようとした。しかし、そのときコーマクは歌った。
「私はたいまつを取るが
おまえの美しさは陽の光を獲得するだろう。
その明るい光に対しては
たいまつは光を失うだろう。
だが私には
もうこれ以上夜は来るまい。
美しい乙女を
ずっと見続けるのだから。」
「違うことを続けた方がいいわ」スティーンゲアデは言って、小窓から離れた。しかし、コーマクは火のついた薪をうまく解きほぐして歌った。
「美の習性というものは
決して光の前から逃げないことだ。
巨人やトロールだけが
暗闇の隠れ家を選ぶのだ。
けれども巨人の女が
澄んだ声で保証した。
もしも自宅に留まっていたなら
コーマクは幸せだっただろうに、と。」
それから彼は薪を取って小窓の前に行った。スティーンゲアデは彼の歌を聴いてそこに戻ってきており、コーマクが近づいたときには、彼女は小窓の前に立っていた。彼女の唇は震えていたが、胸は静かに揺れていて、頬を赤らめ、今にも涙が出そうになりながら、それでいてまなざしは鋭かった。コーマクは薪を落として言った。「今やコーマクの未来は与えられた!」
その夜、眠りは、グヌプ谷の二人の、少なくともコーマクの上にはほとんど力を振るわなかった。彼の思いが前へ前へと進んでいき、自分の運命を組み立てていたからである。しかし、未来と輝く希望をかき集めて、その不思議さをコーマクが喜ぼうとしたとき、思いは未来を運び去り、希望はどんどん消え去って、まったくの空虚と暗黒とが残っただけだった。その夜はそんなふうに過ぎていったが、朝になるにつれて彼は落ち着いてきて、朝食の後、外へ出かけていった。
スティーンゲアデは女部屋から彼を見て、上から呼びかけた。「もうグヌプ谷からお発ちになりますの?」
「それよりあなたとチェッカーがしたいのですが」とコーマクは答えた。
「お客様には従うべきですわね」とスティーンゲアデは言った。
そこで彼らは大部屋に入り、テーブルの前に座った。二人は一時間ほど黙ってゲームをした。
「素敵な出逢いだった」コーマクは始めた。「昨日この部屋でね。でも束の間でしたね。私の失敗でしたが」
「それならなぜお発ちになるのです?」
「さあ、私にもさっぱりわかりません。でも、彼女はきっと怒っていたから」
「それはそうでした。でも、女の怒りは夏の夜の霜のようなもので、もう消えていますわ」
「しかし、夏の霜は芽を枯らすこともできますよ。美しい花や豊かな果実を生むこともできたのに」
「枯らすこともあるでしょうが、昼間が穏やかで暖かければ、きっと夜の傷も回復します」
「でも、その草はうまく育たないでしょうね」
「ときにはひどい目にあった草がいちばん立派に育ちます。柔らかいうちの傷ならね」
「でもスティーンゲアデ、もし芽がなかったら?」
「そのときは傷も受けません」
「スティーンゲアデ芽はあったのですか?」
「だって、夏ですから」
「ちゃんと育つでしょうか?」
「優しくされれば」
「優しくされるでしょうか?」
「それは昼間次第ですわ」
「それならコーマクも心配しません」
そう言って彼は別れを告げ、ミトフィヨルドに帰っていった。しかし、トーギルスが羊を取り戻せたかどうかは伝わっていない。
コーマクは、それからは再三グヌプ谷へ飛んでいった。このことは人々の間に知れわたり、トンゲのトーケルの耳にも届いた。彼はそれを喜ばず、スティーンゲアデを家に引き取った。
それから彼らが再会するまでには時間がかかった。とうとうコーマクは、長いこと待ったあげくに、トンゲへと馬を駆った。
彼が道を行くと、スティーンゲアデがタマネギ畑に立って、堤から摘んだ花で鶏をからかっていた。
コーマクは堤の下から忍び寄り、彼女が投げた花の大きな塊を手で受け止めた。
彼は歌った。
「美しい花の波が
堤を超えて咲きこぼれる。
こんなふうな挨拶は
向けられた相手を幸せにするに違いない。
でも堤の陰で受け取るものは
もっと素敵な報酬に違いない。
とても甘いキスの実や
いっぱいの瞳の花。」
そうして彼は堤の上に跳び上がったが、スティーンゲアデはニワトコの後ろに隠れてしまっていた。コーマクは長い間彼女を捜し回った。すると、彼女は笑い出して叫んだ。「あなたったら、堤を乗り越えるまで、その場で歌っていたりするから」
彼らは長いこと語り合った。そしてスティーンゲアデは言った。「ではトーケルのもとにいらっしゃいますか?」
「彼に私が会うよりも、私に会いたがっている連中がいるのです」とコーマクは答えた。
「でもあなたは彼と話さねばなりません。私を意のままにできるのはあの人なのですから」とスティーンゲアデは言って、コーマクをじっと見つめた。
彼はそのまなざしが意味している思いを理解し、それが彼に痛みを与えた。彼は急に跳び起きるとトーケルのいる所に入っていき、習慣に従って求婚の申し込みをした。そして彼らは、結婚についてすっかり同意したのであった。
そこで彼はスティーンゲアデにこう言葉をかけた。今までは堤の向こう側から歌いかけていたが、初めて今日乗り越えた気がする、でもまだ君のことを理解できてはいない、と。そうして彼は再び家路についた。
ミトフィヨルドで、彼はトーケルと話したことを語った。それは母と兄にとっては、正しい道だとは思えなかった。ダラは、コーマクとスティーンゲアデでは合わないと言い、トーギルスは、婚約は早過ぎるという意見だった。コーマクはそれを聞いて、トーギルスに、トンゲへ行って、トーケルと彼とですべて調えてきてほしいと頼んだ。コーマクは、自ら農園の仕事をし、一日中畑で働き、ほとんど喋らず、歌もまったく歌わなくなった。彼を知っている者には、彼が完全に別人になってしまったと思われた。
こうして時が経ち、結婚式まで遠くなくなった。
ある晩のこと、ひどく気温が高い日だったが、コーマクは涼しく眠れるようにと、ベッドを出て干し草の上に横になっていた。
ここで彼に起こったことときたら、ひどい夢に襲われたのか、あるいは妖[*]が危害を加えたのか、容易には判断できないだろう。しかし、彼が時折、気分が重いときにトーギルスに聞かせた奇妙な歌から、だいたいのことはわかる。
これがその歌の初めの部分である。
「干し草置き場の小窓から
ぼんやりと見つめると
暖かい夜の中に
小川がきらめき
牧場からは
霧の波が湧き
遠いかなたには
グヌプ谷の鋭い山々が見える。
名状しがたい沈黙が
私の若い胸にあり
龍のような心臓が
そこに静かに座っていた。
あらゆる思いは
霧の中に縛られ横たわり
記憶の港も希望の灯台も
もはや失われてしまったのだ。
それでもまだ視線は
見慣れた小道をさまよい
滑りゆくうち
あらゆる茂みや叢の
記憶と希望が失われていた中に
印や徴候の存在を見た。
記憶の港と希望の灯台は
再び見出されたのだ。
私のグヌプ谷の歌が
再び私から響き出す。
『愛の逃避行に我らは飛び立つ
どこへともない地点へと。
フレヤの家の屋根裏で
我らは翼を休めよう。
あらゆる歓喜の楽音が
我らに向かって急ぎ来る。』
だがトンゲから
娘が私に返事をよこした。
『愛の逃避行に私たちは飛び立つ
目的とする地点へと。
フレヤの家の屋根裏を
歓喜を叫んで滑りゆく。
私たちの幸運が
向こう側から合図する。』」
詩句はこんなふうに続いていく。それを完全に覚えている者はほとんどなく、全部理解できた者は一人もいなかったが、それでもこの詩が言わんとしているのはこういうことらしい。彼は、スティーンゲアデのあらゆる美しさが見えていたと夢で見ていたか、あるいは妄想していたのだということ。それで頭に血が上って彼女の感情を損ねてしまったが、その後、彼から夢や幻影が抜け落ち、後悔が降りかかってきて、彼は、もはやどれだけ考えてもスティーンゲアデの特徴を思い出すことができないくらい、ひどく奇妙な憑かれた心境になったということ。
いずれにしろ確かなのは、彼が幾昼夜にもわたって荒野をさまよい歩き、再び家に帰ったときには、ただ半分心ここにあらずといった人のように振る舞っていたということである。歌も配慮も悪い魔法にかけられたかのように消え失せ、数週間の後に、やっと彼は正気に戻ったのであった。
彼が山々を当てもなくさまよっていた間に、結婚式の日がやって来た。しかし、花婿は一日目もその後になっても来なかった。それについて、スティーンゲアデの親族は一致して、これは自分たちと彼女に降りかかった大きな恥辱であると考えたのであった。
そのころ、フルタフィヨルドに、果たし合いのベアセというやもめ男がいた。ベアセの交友関係はほとんど知られていなかった。というのは、彼はひどく短気でけんか好きで、彼に話しかけるのは争いを引き起こす無謀な行為であったためである。彼は、詩人の芸術については、ただの風刺の詩であっても苦痛に思い、法律については、人々の歓喜の道に横たわるただの不公平な慣習としか見なしていなかった。トーケルは彼にスティーンゲアデをやることを許可したが、そのときベアセは、コーマクが彼女をもらうはずだったことを知っていて、一人の男の手から離れた宝石は、別の男の手の中では目を毒する光り方をするだろうと考えた。そうして取引は終わり、結婚式が行われた。
しかし、死と結婚は地域の噂になるもので、また愛する気持ちはいつも隣人のようなものだから、彼らの結婚もコーマクを完全に素通りしてしまえるはずもなかった。彼は、その情報がもたらされたとき、立って土壁の修理をしていた。彼は一時間ほど仕事を続けていたが、突然両手を壁に置き、中にずぶずぶと押し込んだ。それから農場にこの噂を持ってきた者の方に振り向くと、歌った。
「もはや引き裂かれた家を
修理しているときではない。
コーマクの美しき幸運は
完膚なきまで崩れてしまった。
歓びはわずかしかなく
壁の後ろでぬくぬくと休息している。
盗人が同じ獲物を持って
急ぎゆく間に。」
トーギルスがやって来て、今こそ剣を見つけ出すべきだと言ったが、コーマクは歌の方を見つけ出した。コーマクは歌った。
「噂はあらゆる隠れ場所で
きっと休憩してしまったのだ。
それ自身が引き出した
あらゆる悲しみに疲れ果てて。
今こそ若い駿馬に乗り
我らは急ぎ駆けねばならぬ。
浪費された時間を
馬のひづめが貯えてくれるに違いない。」
それから彼らは大人数でトンゲへと馬を駆った。しかし、ベアセは自分の館で、スティーンゲアデと一緒に穏やかに座っていた。それでコーマクは歌った。
「今やベアセは輝く乙女を
歓びのうちに抱擁するが
私の方には悲しみが
胸に重くのしかかる。
彼はベッドの上で
彼女の声を聞くが
私は遅過ぎた後悔の声に
残酷に眠りを奪われ続ける。」
こうして彼らは再び家へと馬を走らせた。
ベアセが思っていたように、スティーンゲアデは争いという大きな持参金を持ってきた。多くの諍いが、彼とコーマクと両者の親族の間で続いたのだった。そして時が経った。
ある日、スティーンゲアデは染め物用の草を採りに山へ行き、コーマクとばったり会ってしまった。そこで長い議論となった。
スティーンゲアデは言った。「結婚式の日、何かあったの?」
「君にはまず理解できないだろうし、私もそのことに言及するのは難しい。当時は高い山のようだったものが、今は緩い砂山になってしまったのだから」
「コーマクあなたは私と結婚したくなかったの?」
「それはしたかったさ、スティーンゲアデ。だが、君がそのことに触れるのは耐えられない。その言葉は、私をひどく落ち込ませるだろう」
「詩人って本当に壊れやすいシロモノなのね!」
「ベアセは何か苦しんでいるかい?」
「あの人は詩人じゃないから」
コーマクはしばらく黙って立ってスティーンゲアデを見つめていたが、歌い出した。
「オーディンはすべての女神の
血を集めた。
そこから美しい娘が
ルーンとともに覚醒した。
彼女は最も美しい者として
神々をうっとりさせねばならぬ。
彼女はおまえの抜け殻を持ち出して
それで自分の身を包んだ。
優しいノーネたちは
私がスティーンゲアデを見出すことを望んでいた。
だがノーネたちの気が変わり
ベアセが彼女を勝ち取った。
そして私の将来は
春の日の幸せを祝って明け初めて
秋の夜で終わってしまった。
――秋霧がすべてを制圧する。
私が妨害され、弱って悲しみながら
ここに立っているときにも
力と不屈の精神は
詩人の血の中で孵化している。
他人がおまえを
自分のものとして抱くことができるとしても
私の詩は永遠に
二人の名前を結び合わせる。
価値ある歓びに感謝し
青ざめた悲しみにも感謝しよう。
おまえが私を愛したことに感謝し
おまえが私を裏切ったことにも感謝しよう。
まだ生まれていない歌の
豊かな調べに感謝しよう。
私が地上でつかむはずの
あらゆる名誉に感謝しよう。」
そうして彼は素早く遠ざかり、彼女は長いこと立って彼の後ろを見送った。その後すぐにベアセが来て、少し離れて座った。彼はコーマクを見て言った。「おまえたちの結婚について話したのかかわいそうな奴だ狼が捕らえた羊のことを思ったって、喜びなどなかろうに」
「黙ってて、ベアセ!」スティーンゲアデは言った。「あの人はあなたよりも良い人だわ」
「ああ、詩を作ることか」
「そうよ、ベアセ。詩人であるということは、何かしら偉大なことよ」
「確かにな!――おまえは自分で言うより利口だよ。それに美しいこっちへおいで!」
「あなたは老いているわ、ベアセ!」
「なぜそんなことを言うこっちへおいで!」
「あなたは老いているわ、ベアセ。だから私は、あなたの世話をして、いたわってあげるつもりだった」
「わしはおまえを愛してやるさ」
「いいえ、これでお別れよ、ベアセ!」
「では、おまえはまだコーマクを愛しているのかあんなことをされた後も?」
「彼と私は、今はお互いに誤った道を歩んでいる。でも、私たちはまだお互いを呼び合うことができる」
「では、奴はわしからおまえを、くどいて巻き上げたんだな?」
「あなたから、はそうね。でも、彼の所へ行くわけじゃないわ」
こうして彼女はベアセのもとを離れてトンゲに帰った。それでトーケルは、ベアセとの間で、見舞金など一切の手配をしなければならなかった。
トンゲにはしばしばソンヌ谷から人がやって来た。そこには血族が多かったのだ。その谷で最も裕福だったのは、錫[*]のトーヴァルで、彼はいつもトーケルの所に入り浸っていた。トーヴァルは、広く知られた詩人であった。彼の歌は非常に評判が高かったが、それを覚えることのできた者はほとんどいなかった。彼の屋敷は極めて美しく、彼の大部屋には詩の報酬として王や貴族たちからもらったたいへん貴重な金の杯が並んでいた。彼の友人はみな老人で、彼らはその賢さや思慮深さのためにトーヴァルを高く評価したが、谷の若者たちは、彼はスカートをはいているみたいに歩くとか、彼は剣の先を握って柄の部分で戦うと思っているくらいに武器に造詣が深いとか言っていた。
トーヴァルは頻繁にスティーンゲアデに逢い、いつも長時間語り合い、また自分の歌を彼女に聞かせた。そしてある日、彼はトーケルに、彼女と結婚したいと申し入れた。トーケルは、わかった、しかし彼女への意思表示は自分でしてくれ、と言った。
スティーンゲアデは織り機に座って歌っていた。トーヴァルが入ってきたので、彼女は手を止めて言った。「トーヴァル詩人であるということは何かすごいことなの詩を作るということは男らしさより価値あることなの?」
トーヴァルはすぐに答えた。「おまえは詩を知っているのだな。
『忘却の墓の中に
あらゆる時は入らねばならぬ。
詩人の眼には
時の歩みは映らない。』」
「そうよ!――コーマクについてあなたはどう思う?」
「それはもう勇ましい男さ」
「そうねでも、あの人の詩の創作力についてはどの程度だと見積もっているの?」
「歌う対象と同じくらいだな」
「では、私と同じくらいってことね」
「いやそんなことは思ってないよ」
「あなたの歌は、そこに歌われている対象と同じくらいだと思っているの?」
「そうだ、スティーンゲアデ」
「なら、あなたの技巧は彼よりずっとすぐれているのね。王様や伯爵が私よりすぐれているように」
「いいやそんなふうには考えていない!」
「ではどう考えているの?」
「私の歌とコーマクの歌に、類似点は何もないってことさ。王は王であり、おまえはあらゆる女のうちでいちばん美しいということだ!」
「プロポーズしたいの?」
「そうだそのとおり!」
「それだけ?」
「まずはね」
「その次は?」
「婚礼さ、スティーンゲアデ」
「あなたは私と一緒になって、私のいないコーマクと同じくらい偉大になるの?」
「君がいようといるまいと、私の偉大さは同じだ」
「同じなの?」
「だが幸福は違う」
「ならトーケルと話して!」
「それはもう済んだ」
「あなたという人がわかったわ!――あなたは詩人なの?」
「コーマクよりは偉大な、ね!」
というわけで、婚礼が済むと、彼らはソンヌ谷へ行った。
一方、そのころコーマクには、トーギルスとノルウェーに行きたいという気持ちが生まれていた。そのため、いろいろと処理することがあり、また親戚の者に別れを告げにあちこち歩き回って、後になってから初めてすべてを知った。彼はすぐにソンヌ谷へと馬を駆り、牧場でスティーンゲアデと出会った。そして馬が十分に静止しないうちに、馬の上から歌った。
「今や、スティーンゲアデ
私はおまえを奴隷にしてやりたい。
おまえは物のように
人手から人手へと渡るのだ。
その豊かな美しさを
おまえはひどく粗末にするから。
どんな男に対しても
それを貸し与えてやるほどに。」
スティーンゲアデは言う。「あなたがいつも私の後を追いかけるのは、たいへんな過ちよ。今こそ、私はあなたから永久に解放されるときが来たと思う」
するとコーマクは歌う。
「決して、スティーンゲアデ
おまえは私から離れたりしない。
炉端で一緒にいるよりも
私とおまえは固く結ばれているのだ。
山の上に更に積み上げられた山も
波が轟音を立てるのも
妨げになどなりはしない。
まして小さな錫串の腕なぞ。」
「歌を作るなんてつまらないことだわもう行って!」スティーンゲアデは怒って言った。しかし、コーマクは歌う。
「ではさよならだ
錫串にキスとまなざしをくれてやれ。
おまえの美声を
奴に聞かせてやるがいい。
だがおまえの激しいあこがれと
人知れずほとばしる涙
そして勇気ある思いはみんな
ただコーマクにこそふさわしい。」
「あなたはその蔑みを心から悔いるべきね。それに、トーヴァルの方が、歌でもハートでも、あなたよりずっと上だってことを思い知るべきだわ!」スティーンゲアデは言い、こうして彼らは別れたのである。
翌朝早く、兄弟はフィヨルドを出発し、コーマクは船首に立って歌った。
「今や夜は過ぎ
平和と眠りは終わろうとしている。
太陽の灯台は島の上空に
戦いの命令を放つ。
人生と闘争へ!
日の楯は鳴る。
たとえ今は鳥の歌のように
鳴り響いているとしても。
見よ、イミルの血が
太陽の中にどんなに赤く燃えているかを。
胸の曲線の下で
煮え立ちながら
いかに荒々しく揺すられ
いかに怒って上っていくことか。
血管の中で
なおも熱く脈打ちながら!
眼をくらませるような
天上の色調と輝き。
頭の中に点灯する
太陽のような夢の群れ。
ただスヴァリンのルーンの書だけが
書き記すことのできるもの。
それらはどんな言葉でも
表すことができないのだ。
だが今大いなる輝きは
あの錫串の目を認め
夢の薔薇は
白い丘のかなたで生きている。
美しい乙女の頬に
その誇り高き蕾はあり
また彼女の口の上で
その薔薇は花開く。」
順風は幸いし、速やかにかなたへと彼らを運ぶ。やがて彼らはノルウェーに着き、歓迎された。しかし、彼らは一箇所に長く滞在することはしなかった。彼らはヴァイキングとなって広い範囲を荒らし回り、夜明けには沿岸を略奪し、晩には帆を繕った。オールを離すと、手に剣を取って、たった一夜で敵を蹂躙して鬨の声を上げ、その翌日には傷を受けて叫んだ。こんなふうにして二年の間ほっつき歩き、彼らは再びノルウェーに上陸したが、戦利品の分配相手は、彼らがそれを勝ち取った時よりも少なくなっていた。
兄弟は宮廷にしばらく居残っていたが、コーマクは言った。自分は、ノルウェーで王と火のそばに座っているよりも、アイスランドで森のお尋ね者みたいに凍えていたい、と。
そのことに対し、トーギルスは答えた。相続する遺産をがつがつと追い回す奴らの中にさえ、コーマクが不幸の後を追い回している貪欲さに匹敵する者などほとんどいない、と。
コーマクは言った。「自分はただ一つの幸福しか知らない。そしてその幸福は錫串が持っている」
「それが差し伸べられた時に、おまえはそれを捕まえるべきだったんだ」トーギルスは言った。
「今こそ差し伸べよ」コーマクは答えた。
「幸福は来るかな?」
「もちろんさ。私はそれを知ることになる」
それで彼らはアイスランドに向かい、自分たちの評判が、彼らが残してきたよりもずっと高いことに気付いた。コーマクは、すぐにソンヌ谷で、スティーンゲアデが家で一人でいるのを見つけた。
彼の最初の言葉は、彼女が自分に恋い焦がれていたかどうか、というものだった。
それに対して、彼女は答えた。コーマクが遠くに離れているときは恋しくて仕方ないのに、近くにいることを知ると何の歓びも湧いてこない、と。
それから彼らは長いこと座り込み、黙ってお互いを見つめ合っていた。するとコーマクが歌った。
「古い追憶の日を
私の歌で復活させよう。
グヌプ谷の屋根の下で
我らが逢ったあの時を。
七年間の苦しみを
スティーンゲアデよ、キスで消し去り
新しい我らの愛の
最初の曙光をともそうじゃないか。」
それに対してスティーンゲアデは答えた。「私たちの軽薄さを思い出させるようなことは、ここではふさわしくないわ。それに、トーヴァルの妻は他人の若者にキスをする習慣などないの」
「それでも私は、二人がベッドを共にする時が来ると思う」
「そうなっていればよかったわね」
「スティーンゲアデ、妻になってくれ!」
「私はトーヴァルのもの」
「奴はベアセにはあまり似てないが、一つだけ同じようにしてやればいいさ」
「お喋りが過ぎるわよ」
「おまえを失うのは悲しい」
「トーヴァルもそう思うでしょうに」
「奴がおまえを所有したことなんかない」
「また分別のないことを」
「だが、おまえはトーヴァルを愛しているのか?」
「それは彼と私の間の問題だと思えるけれど」
「おまえと私の間は?」
「私はトーヴァルの妻です」
コーマクは歌う。
「かつておまえは
その心に私を招き入れてくれた。
私の重い魂はまだ
いつもそこにあこがれている。
だが私が強く戸を叩き
また優しく乞うるその場所を
おまえは決して開けてはくれず
私を入れてはくれないのだ。」
そうして彼は行こうとしたが、スティーンゲアデは彼の手をつかんだ。コーマクは振り返ったが、彼女はすぐに手を離すと行ってしまった。そして彼もまた立ち去ったが、この会合と彼の新しいノルウェーへの航海との間に、多くの日数は存在しなかった。
その後、スティーンゲアデの思いもまたノルウェーの方へと転じ、彼女とトーヴァルは出発した。
ノルウェーで、ある日コーマクは、王の宮殿の近くの長い道でスティーンゲアデを見かけた。彼は真っすぐに彼女の所へ行くと、言った。「付いて来るのだ、娘よもう十分長い間、私はおまえなしで過ごしてきた」
「あなたときたら、ほかの人がまず使わない文句の大安売りね」
コーマクは彼女をつかんだ。「さあ、一緒に来なくちゃだめだ、気の多い女よ双方に強い愛がある、それで共同生活は美しいものになるだろう。だが、そんな幸福にも誘われまいとする女には、それを無理強いしなければならない」
そうして彼は、彼女を連れ去ろうとした。しかし、スティーンゲアデは助けを求めて叫び出したので、人が集まってきて、彼らを引き離した。
それから、トーヴァルはスティーンゲアデとともにデンマークへと急いだ。だが、ヴァイキングがトーヴァルから財産と女を奪ってしまった。コーマクとトーギルスは同じ方向に向かっていて、そのことを耳にした。彼らは両方を奪い返してやった。彼らがトーヴァルに会った時、彼はひどく感謝して言った。「さあ、スティーンゲアデを連れていってくれ、コーマクよ果たし合いのベアセと結婚した時も、この詩人トーヴァルの妻となってからも、彼女が信じていたのはおまえだったのだから」
「そうなのか、スティーンゲアデ?」コーマクは尋ねた。
「私にはトーヴァルで十分」彼女は答えた。
そこでコーマクは歌った。……

【注釈】
◎辞書や事典類で調べたものは、いちいち出典を明示していない。ただし、底本とした全集と、ペーパーバック「デンマーク古典作品」シリーズ中の『J. P. ヤコプスン詩と散文』(「グアアの歌」までの抄録、デンマーク語と文学協会ボーウン出版社、1993)の巻末には、わずかながら注が付いていたので、それらを使った場合のみ《全集》《詩と散文》と注記した。なお、デンマーク語固有名詞のカタカナ表記に当たっては、大阪大学世界言語研究センターのデンマーク語・スウェーデン語研究室がネット上で公開してくれている『デンマーク語固有名詞カナ表記小辞典』(新谷俊裕・大辺理恵・間瀬英夫編、2009)に、全面的に従った。
[*]ボテンの花ひらく……1867年から1870年ころに書かれた、若書きの未完作品。全編の初出は、作者の死の翌年にイズヴァド・ブランデスとヴィルヘルム・ムラによってまとめられた『詩と草稿』(1886、改訂増補版1900=初版より所収作品が五編多くなっている)。「アラベスク」のみは、生前ムラの『デンマーク民族暦1883』(1882)に単独で掲載。また、「異邦人」は、1869年に『イルストレーアス・ティーゼネ』(イラスト付き新聞)紙に投稿されたが、採用されなかった。
ヤコプスンの草稿ノートに、この作品について次のような二つのモットーが残っている。
……あまり良くはない。
が、これらは当時、別の悪党どもがやったことなのだ。
Oehlschl. (←ウーレンスレーヤのことらしいが出典不明)
私は子供のように詩人ごっこをしたが、
ほとんど無計画だった。
しかし、人間は最後には真剣になってしまうほど
長い時間遊ぶことができるものだ。
J. P. J. (←ヤコプスンのイニシャル)
また、未完作品ではあるが、草稿ノートにはこの作品の構想メモが残っており、それによると全体は八編の詩や物語が含まれる予定だったらしい。しかし、下記に見るとおり、実際に書かれた部分とそのメモの構想とは異なる部分がある(★印)。
構想メモ
『秋』ポウル……完成
『気分』イェスパ……完成
『音の中に』ポウル★
『妻と愛人』ピア★
『異邦人』イェスパ……完成
『グアア』ポウル
『コーマクとスティーンゲアデ』マス
『騎士』イェスパ★
実際の作品
『秋』ポウル
『気分』イェスパ
『アラベスク』ピア★
『異邦人』イェスパ
『グアアの歌』ポウル
『コーマクとスティーンゲアデ』マス(未完成) 以上《全集》
なお、この中にいずれもカールが含まれないのは、「カールは、我々にとっても自分にとっても、そんなことは馬鹿げていると固く信じていた」ためで、彼は(おそらく最後まで)朗読よりもユーリェといちゃつくのに忙しかったのである。
●シェーンベルクが自作に使用したのは、1897年発行のドイツ語訳『J. P. ヤコブセン詩集』(ロベルト・フランツ・アーノルト訳、ゲオルク・ハインリヒ・マイヤー刊)である。これは、わずか68ページの小さな詩集で、『サボテンの花ひらく』からは「グアアの歌」「アラベスク」の全部と「気分」の前半が採られ、巻末には「グレの歌のために」という解説が載っている。訳者のアーノルトは、この二年後に出版されたドイツ語版『ヤコブセン全集』第1巻(オイゲン・ディーデリヒ出版社、全3巻、1899)でも「グアアの歌」を担当しているが、こちらは『詩集』の訳を改めた部分があり、従ってシェーンベルクの歌詞とは食い違いが生じてい(*)。かつてヴィリー・ライヒは、「シェーンベルクの作曲には1899年刊行のテキストと大小の差こそあれいずれも重要な違いがいっぱいある。このことから翻訳者と作曲者のふたりが緊密な共同作業をしたことが推測される」(『シェーンベルク評伝』1968、日本語版1974、音楽之友社)と書いたが、これは1897年刊の『詩集』の存在に気付かなかったための誤りで、『詩集』とシェーンベルクの歌詞とは、ほんのわずかなつづりの変更や同義の別単語への置き換えは見られるものの、ほぼ完全に一致していると言ってよい。
『J. P. ヤコブセン詩集』(1897)アーノルト初訳→シェーンベルクが採用したもの。
『ヤコブセン全集』第1巻(1899)アーノルト改訳→初訳と異なる部分が多い=シェーンベルクの歌詞とも大きく異なる部分が生じた。
ちなみに、オイゲン・ディーデリヒ版は、全集とは言いながら、『サボテンの花ひらく』については『詩集』と同じ三編の詩だけしか採録されておらず、全3巻を通して見ても全文は載っていない。管見に入ったドイツ語版全集は、ほかにインゼル出版社版(1912)、C. H. ベック社出版書店版(1927)、ヘッセ・ベッカー出版社版(出版年不明)などがあるが、この中で本作品が全文訳出されているのはインゼル版だけであった(訳はマチルデ・マンあるいはエーリヒ・フォン・メンデルスゾーン)。従って、故・山室静さんがドイツ語版全集から重訳したという蒼樹社版ヤコブセン全集第1巻(1947)や角川文庫(1951)の本作品の底本は、インゼル版だったということになる。――蒼樹社版全集第1巻の書名は『ヤコブセン全集1ここに薔薇あらば』で、本作品は全訳が収められている。角川文庫の書名は『ここに薔薇あらば他八篇』で、「異邦人」までの抄録(よって「グレの歌」と「コルマクとステンゲルデ」は載っていないので注意)。文庫版の訳は全集版の訳そのままではなく、あちこちに改訂が加えられている。なお、この文庫には計八つの短編が収められているので、初版の書名『……他八篇』は誤り。重版からは正しく『……他七篇』と変更されている。このほか、青娥書房版1巻本『ヤコブセン全集』(山室静・訳、1977、「気分」の前半と「アラベスク」所収)、白水社版『ここならば薔薇咲かむ』(澤西健・訳、1939、「異邦人」所収)などもある。
(*)ェーンベルクは、オイゲン・ディーデリヒ版全集1903年2版も所有していた(ツェムリンスキーから贈られたもの、アーノルト・シェーンベルク・センターの目録による)。この全集は、第2巻「マリーイ・グルベ夫人」と第3巻「ニルス・リューネ」は初版のままのページ数で版を重ねたようだが、第1巻「短編・書簡・詩」だけは1908年の4版から増補版となって、分量が40ページほど増えている。4版の「詩と詩の断片」のページでは、アーノルトのほかにオットー・ハウザーが新たに訳者に名を連ねている。「グアアの歌」の訳は、上記のように『詩集』(1897)と全集初版では違いがあるが、全集4版ではさらに変えている箇所がある。……なお、この下で触れている「グアアの歌」の序詩「真昼」のドイツ語訳は、オイゲン・ディーデリヒ版全集第1巻では4版から収録されている。「真昼」はインゼル版には最初から入っていたが、そちらは初版が1912年なので、オイゲン・ディーデリヒ版の方が先である。
オイゲン・ディーデリヒ版全集初版のイラスト
[*]々五人の若者……この物語の語り手が五人のうちの誰なのかはよくわからない。
[*]ラベスク……「グアアの歌」とともに、ヤコプスンの詩の代表作。「彼」と「彼女」が交替し、途中で誰のことを描写しているのかわからなくなるが、これで原文どおりで、複数あるドイツ語訳もみなこうなっている。朗読の後、軍事顧問官も「わからなかった」と言っていることから、合理的な解釈を試みるよりも、いくぶん前衛的な象徴詩として読むのがよさそうである。
[*]アリンゲレン……ベアリングスケ・ティーゼネ(ベアリングスケ新聞)。E. H. ベアリングによって1749年に発刊された。現在(2022年)も発行されている。
[*]邦人……ヤコプスンの草稿に、この作品についての次のような文章が残っている。題の下のラテン語は、ユヴェナリス『諷刺詩』の一節(1-79)。
苦い作品
facit indignatio versus(怒りが詩を作らせる)
ここに本がある。これは、さながらさっき栓を抜いたばかりの、炭酸の真珠が浮いては消えてゆくソーダ水のボトルのようなものである。気の抜けた水しか残っていない人、つまり、本を読んでいるうちに怒りがひとりでに緩んできて、後に空っぽの怒りの乗り物しか残っていない人、そんな人々のために書かれたものだ。――私は、この「異邦人」が、ボトルに上手に詰め込まれたソーダ水のようであることを信じる。それは、怒りを型に詰め込み、固く封じてあるが、逃してしまうこともない。
[*]曜の晩のことだった……デンマーク民謡《Det var en lørdag aften[土曜の晩のことだった]》の第1節。素朴で明るいメロディーを持つが、失恋の歌である。
[*]アアの歌……シェーンベルクが作曲したことで有名な詩。グアアは、ヘルシングウーアとティクープの間にある村。ウーアソン海峡が近い。グアア湖があり、昔はその南側にグアア城が建っていた。中世には、そのさらに南にも沼沢が広がっていて、グアア城は湖の中島に建つような形であったという(今は城の南に水はない)。グアア城は、12世紀後半以降に何者かによって塔が建立され、14世紀半ばにヴァルデマ4世によって、大塔とそれを取り囲む二重の城壁、およびその内壁の四隅にそれぞれ塔が配されるという大増築がなされた。そのころから15世紀に入るくらいまで、王の邸宅や貨幣鋳造所として使われていたようである。その後、城は16世紀前半の内乱(伯爵戦争)のころに破壊されたらしい。19世紀半ばころから発掘作業が行われ、現在は、大塔から遠い一部の建物は復元されたが、中央部は3メートルほどの高さの城址だけが残っている。
この詩は、デンマークの民間伝承を題材としているが、史実とは食い違いが多いので注意が必要。民間伝承の題材となったのは以下の史実である。
フォルケヴィーセ(Valdemar og Tove)では、ヴァルデマ1世の妃ソフィーイがトーヴェをサウナ風浴室に閉じ込めて火をたき、悲鳴を聞きつけたクリストファが飛び込んだが、時すでに遅く、彼は母親の遺体を庭に運び出した、となっている。このフォルケヴィーセにはいくつかのヴァージョンがあり、それぞれかなり大きな違いもあるものの、トーヴェが王妃に殺されるという点は共通である。
ところが、16世紀の歴史家アーリル・ヴィトフェルトは、ヴァルデマ1世ではなく4世にトーヴェという愛人がいたと記し、17世紀のピーザ・スュウもそれを受け継いだ。これは19世紀になってから、まずドイツの歴史学者アントン・クリスティアン・ヴェーデキントによって、その後本国デンマークでも、主としてフォルケヴィーセ収集と研究の大家スヴェン・グロントヴィによって、1世と混同されたものとして否定された。しかし、ヴィトフェルトが本気で間違えたのか故意に改変したのかはともかくとして、デンマークでは17世紀以降、実際には1世の愛人であったらしいトーヴェを、ヴィトフェルトの記載どおり4世の愛人とした伝承や文学作品が数多く生み出された(ヤコプスンの「グアアの歌」もその一つ)。それらは、19世紀後半にグロントヴィがフォルケヴィーセ《ヴァルデマとトーヴェ》についての長い解説を書き、伝説は1世のものであると注意を促した後までも作られ続けた。現在では、ヴェーデキントやグロントヴィの言うとおり「トーヴェは1世の愛人である」ということが通説となっている。
【補遺】
●上記のように、二人のヴァルデマには共にトーヴェという愛人が存在したと説明しているものもある。エベ・クルーヴェデール・ライクの『デンマークの物語――デンマークの誕生から最新世代までの90の物語』(ヴィンローセ社、合本2003)がそれで、ライクは、グロントヴィの異議にはあまり説得力がなく、二人のヴァルデマに同じようにトーヴェという名の愛人がいたことは、歴史にしばしば見られる「奇妙な繰り返しパターン」であるという。それでも、ライクは4世のトーヴェの死因を病死(当時流行した黒死病?)としており、王の妃が嫉妬のあまり焼き殺したというフォルケヴィーセの筋書きまでもが両者で共通するとは言っていない(曰く、「ヘルヴィーはソフィーイのような殺人者ではなかった」)。要するに、1世と4世には同じようにトーヴェという名の愛人がいたが、1世のトーヴェはフォルケヴィーセの歌詞のとおり妃に焼き殺されたのに対し、4世のトーヴェは自然死だった、というのがライクの新説の内容である。
4世のトーヴェについては、「魔法の指輪」という有名な伝承がある。アナスン(アンデルセン)に影響を与えたというユスト・マティーアス・ティーレの『デンマークの民間伝説』(1823)に短く取り上げられて以来広く知られるようになった物語で、ヴァルデマがトーヴェに心を奪われたのは、トーヴェが母親からもらった魔法の指輪のせいだった、というのである。
――ヴァルデマ4世は、リューエン島出身のトーヴェという名の少女を愛していた。しかし、王の彼女への愛情はいささか常軌を逸していて、その強さときたら、トーヴェが死んだ後もどこへ行くにもその遺体を運ばせて、自分から離れないようにするほどであった。臣下たちにとって、それは次第に厄介なことになっていった。しかし、彼らの一人が、王の執着は指輪の魔法の作用であったことを突き止め、遺体から指輪を抜き取ることに成功する。その瞬間、王のトーヴェへの執着は消え、遺体はやっと埋葬されたが、王の愛は方向転換してその臣下に向けられるようになり、彼は何かにつけ王の過剰なひいきを受けることになった。多くのことが彼の手で行われなければならず、やがてそれは困難になった。しかし、彼は王の自分への厚意の理由がわかっていたので、ある時グアアの森に馬を駆った際に、指輪をグアア湖に投げ込んで自分から引き離した。指輪はグアア湖の底深く沈んだが、それ以来、ヴァルデマは、今度はグアア湖に特別な愛着を抱いてしまい、湖畔に城を建てたり立派な橋を架けたりした。王はその場所で長時間過ごし、またグアアの森に狩りに出るときには、しばしば喜々としてこう言った。「神はご自分の天国を喜んで保持なさってよい。私がグアアで狩りさえできるなら」。この発言が神を怒らせ、結果、罰として、ヴァルデマは死後も夜の闇の中、グアアの森で狩りを続けなければならなくなったという。――
これに類似した物語の最古の現存文献は、クレスチェアン・ニルスン・ブルーン(1541-1592)という司祭による1586年の記事で、彼の創作ではなく、古い伝承を書き留めたものである。その中には「トーヴェ」という名は見えず、王の愛を縛り付けたのは「王妃」、魔法のアイテムは「指輪」ではなく「首にかけたもの」となっている。ただし、この文献が公にされたのは19世紀後半になってからなので、ティーレの本の素材の一部になったわけではない。
この伝承だけを研究した本として、クリストファ・ニューロプの『トーヴェの魔法の指輪』(「昔の伝説と歌」シリーズ全6巻の第1巻、ギュレンデール書店、1907)があり、上記ライクの本もこの伝承を取り入れて物語を再構成しているが、そのライクの本では、指輪をトーヴェに与えたのは母親ではなく、ヴァルデマであったとされている。
また、ヘルヴィーの崇拝者フォルゲ・ロウマンスン(フォルクヴァー・ロウマンスン)という騎士が、内側にナイフ(版によっては大釘)が立てられた樽に入れられ、転がされて死んだ、というフォルケヴィーセもある(Folke Lovmandsøn og Dronning Helvig)。ヘルヴィーが彼を特にひいきしたため、ヴァルデマ4世に密通を疑われたのである。ロウマンスンが死んだ後、王の尋問に対しヘルヴィーは、「私はあなたに忠誠を誓うすべての騎士の恋人です」と答え、その後、おそらく自死により彼女も死んでしまう。このフォルケヴィーセでは密通はなかったように書かれているが、ヘルヴィーの不貞については、上記ティーレの『デンマークの民間伝説』にも記事がある。そこでは男の名はファルク・ローマンとなっており、やはりヴァルデマ4世によって絞首刑に処せられたと書かれている。実際は、フォルゲ・ロウマンスンはフォルケ・アルゴットスンという名の13~14世紀のスウェーデンの騎士のことで、ヘルヴィーもヴァルデマ4世の妃ではなく、スウェーデン王マグヌス1世ラーデュロース(1290没)の同名の妃の方であるという。その実在のアルゴットスンは、13世紀末にデンマークの摂政官デーヴィズ・トーステンセンの婚約者イングリズを誘拐してフェロー諸島に逃れたというが、彼の死に方についての記録は伝わっていない。
時代を経るにつれ、上記の諸項目が混ぜ合わされて、物語はだいたい次のように変形されていった。ヴァルデマ4世は可憐な少女トーヴェを(魔法の指輪の作用で)愛するようになるが、それを嫉妬した王妃ヘルヴィーは、王の遠征中、自分の燕であるロウマンスンと協力して、トーヴェをサウナ的な浴室に閉じ込めて火をたき、焼き殺す。国に戻った王は怒り悲しみ、ロウマンスンを上記の方法で残酷に処刑したが、ヘルヴィーを罰することはできなかった。王は傷心を癒やせぬまま生涯を終える。しかし、トーヴェへの執着が捨てられなかったその魂は地上に留まり、幽霊となった王は、「荒々しい狩り」を引き連れて毎晩トーヴェの魂を捜し回るようになる。……作品ごとにさまざまに変形されているとはいえ、ほぼこれが19世紀デンマークの文学者たち――ウーレンスレーヤ、インゲマン、ハイベア、アナスン(アンデルセン)、ヴィンダ、ハウク、ヤコプスン(当作)、ホルスタイン、ドラクマンなど――の作品の基盤となるプロットである。
トーヴェ
[*]アアの城門でおまえを待っているというのに……自分の心はすでにグアア城に着いて、馬の到着を(=自分の肉体の到着を)待ちわびている、ということ。
[*]に手のひらをかざして見つめ……遠くを見るときのおなじみのポーズ。
[*]ーアソン海峡の城の塔から……ヘルシングウーアにあったフリュナボー城の塔かという。《全集》《詩と散文》
[*]らの時は過ぎ去った!……《全集》に「ウーレンスレーヤの詩『ハーコン侯の死』第一節を思い出させる」とあるので、確認したところ、確かにまったく同じ言い回しであった(ウーレンスレーヤ『詩集』1803年)。
[*]は広く飛び急ぎ、悲しみを拾い集め、たくさんそれを見たのです……エッダの『ヴァフズルーズニルの歌』の中で、オーディンが繰り返すセリフ「わたしは方々を旅し、いろいろのことを試み、神々をいろいろとためしてきた」(『エッダ』、谷口幸男・訳、新潮社、1973)を借用したものだという。《全集》《詩と散文》
[*]ニング……ヘニング・ポーゼブスク。ヴァルデマ4世のドロスト(最高官吏、国王代理)。リューエン島出身。王に忠実に仕え、ホルシュタイン(現ドイツ)との交渉や王の死後の跡継ぎ問題の解決などに尽力した。トーヴェの故郷もリューエン島とされ、そのためこの人とトーヴェを兄妹にしている作品もあるが、その設定は架空のものである。
[*]ーン……原文は「Rune」。ルーン文字であるが、悲しみを表すルーン文字が葬列の車あるいは旗にでも描かれていたものか。《詩と散文》は「ここではサイン、シンボル」と注を付けており、必ずしもルーン文字と取らなくてもよいとしている。その悲しみのしるしが修道士に葬列であることを知らせたため、彼は夕べの鐘を鎮魂の鐘のように鳴らした、ということ。
[*]ルヴィー……ヴァルデマ4世の妃。ホルシュタインの傀儡貴族スレースヴィ公爵家の娘。ティーレの本では、トーヴェ殺害の後はヴァルデマによってグアア城に閉じ込められていたが、娘マグレーデのおかげで許されたという。またドラクマンの戯曲『グアア』(1899)では、トーヴェを殺されたにもかかわらず、王は、ホルシュタインとの外交上彼女を罰することができなかったとされている。実在の彼女の性格や結婚生活の実態についてはわかっていない。ライクは、いかにも政略結婚の夫婦という感じの淡々とした夫婦仲を描いている。史実として、彼女はヴァルデマとの間に6人の子供をもうけており、とりわけマグレーデを産んだということで、デンマークにとってはプラスとなる存在だったと言える。
[*]うか私をあなたの道化にしてください!……中世の宮廷道化は、王に向かって皮肉、風刺、諫言など何でも自由にものを言うことを許されていた。ここでヴァルデマは、「自分は神をいさめる者になりたい」と言っているわけである。なお、ヴァルデマに仕えた道化(の幽霊)であるクラウスは、この後で登場する。
[*]夫の歌……この節の原文には方言が用いられている。「VIII 荒々しい狩り」に登場する語り手の中で、この農夫だけは亡霊ではないので注意。
[*]会の門はバタバタ開いたり閉じたりする――……シェーンベルクは、この行の次に舞台裏からの幽霊騎士たちの叫び声「ホラー!」を挿入している。
[*]精の一撃……妖精が人間の命を奪う呪い。フォルケヴィーセにある。
[*]ロールの唾……アワフキムシの幼虫が出す泡のこと。日本でもその辺でよく見かける。デンマークの民間信仰では、それを勘違いして「トロールの唾」とか「郭公の唾」などと呼んだという。妖怪扱いをするくらいだから何か悪さをするのだろうが、どんなことをするのかは不明。植物の汁を吸うことから、農作物に被害をもたらすのだろうか?《全集》《詩と散文》
[*]ァルラウン……直訳すると「戦野のワタリガラス」。鳥の姿をした魔物。死の鴉。フォルケヴィーセに登場し、ウーレンスレーヤの上記『詩集』にも同名の詩が入っている。
ヴァルラウン
[*]る麦……原文は「Lokes Havre」。この連語には「カラスムギ」「ウマスギゴケ」の意があり、また「Lokes」は空中でちらちら光るものの形容として使われることもあるとのことである。アーノルトがドイツ語訳『J. P. ヤコブセン詩集』やオイゲン・ディーデリヒ版全集に「ユランの『avena fatua(=カラスムギ)』の呼称(訳者による注釈)」という注を書いていて、それに従って「カラスムギ」と訳しても特に問題はないと思われるものの、ヴァルデマの幽霊従者たちが「栄光を食う」と言っているので、その馬たちが食べるものも同じようにつかみどころのないものの方が適切かもしれない。よって、ここではその線で訳すことにした。《詩と散文》「空中に明滅する(ゆらめく)ものとしてしか存在しない非現実的なものの固定句」
[*]化のクラウス……クラウス・ナー・グルペ。ヴァルデマ4世に仕えた道化。彼については、次のような伝承が残っている。
――クラウスは王のお気に入りだった。彼は、長年の自分の奉公に対し、王が大きな恩賞を与えてくれるだろうと期待していた。ところが、ほかの者たちが次々と恩賞にありついているのに、クラウスにはなかなかその話が出ない。クラウスがふさぎ込んでいるのを見た王は、その原因を尋ねた。クラウスは正直に希望を述べ、王は恩賞を約束した。だが、王はその約束をすっかり忘れてしまった。ある日クラウスは、王のファーロム湖への狩りに同伴し、そこでかねがね王が約束していた自分への恩賞をねだってみた。王は約束を思い出してうなずき、ファーロム湖に浮かぶ小島を指さして、こう言った。「あれがおまえの領土だ」クラウスはひどく失望した。後日、クラウスは、王の大好物である鰻スープをごちそうすると言って、王を「自分の領土」に招待した。王が出されたスープを食べてみると、鰻が入っていない。王がそのことを注意すると、クラウスは答えた。「鰻スープにゃ鰻がおらず、おいらの領土にゃ土地がない」――
クラウスの歌の冒頭に「鰻」が出てくるのはこの伝承によるらしいが、ここには「鳥」は出てこない(次項参照)。この伝承の結末にはいろいろなヴァージョンがあるが、クラウスが「自分の領土」に王を招待して鰻スープを振る舞うところまでは一緒である。なお、ファーロム湖には現在も「クラウス・ナース・ホルム」(道化のクラウスの小島)がある。
[*]という奴ぁ奇妙な鳥よ……原文「Aalen hun er en sælsom Fugl,」(直訳:鰻、彼女は奇妙な鳥だ)。「鰻」を「彼女」で受けて(動物の代名詞は普通「den=それ」)、さらに「鳥」扱いしているのが変わっている。道化的な人を食った言い回しなのか、あるいは何か典拠があるのか、そのあたりは不明。
[*]光を浴びてもがいてる……鰻は皮膚呼吸の量が多いため、雨期などに陸に上がって長時間活動することが可能であるという。
[*]レ・グロープとイーレク・ポー……伝記・出典不明。《詩と散文》には「貴族の名前」とだけ書かれている。デンマークの歴史や人名辞典を調べてみると、似たような名前の人物がいないわけではないのだが、時代が合わなかったり生前特に不真面目というわけでもなかったりして、特定に至っていない。架空の人物の可能性もある。一説によると、原文の Paa(På)は「孔雀」を意味しているとのこと。これが正しいとするならば、イーレク・ポーの方はスウェーデンの騎士、エリク・ポーフォーゲル Erik Påfågel(1329-1374)であろうか(Påfågelはスウェーデン語で「孔雀」の意)。ただし、童話や民話の類いは調べられていないので、それらに登場しているのかもしれない(もしご存じの方がいらっしゃいましたらご教授を)。
[*]んな支配者の所の道化である場合は。……原文「Magt」(力)を、力ある者=「支配者」とした。ヴァルデマは死後の今、月よりも向こうに住んでいる支配者=「神」の道化になっている、ということ。このクラウスの揶揄表現によるならば、ヴァルデマが生前言っていた「だから主よ、どうか私をあなたの道化にしてください!」(VII)という願いは、形はどうあれ実現したことになる。そういう道化には気をつけろ、とクラウスが言っているのは、神の道化なら力もそれなりにあるだろうから、うっかりその者のそばにいたりすると自分のようにその愚行蛮行に強制的に付き合わされる羽目に陥りかねない、ということへの警告である。ほかの幽霊従者たちと違って、クラウスは王の狩りに従うことにうんざりしているのである。
[*]ラザー・クヌーズ……不詳。デンマークの歴史に「クヌーズ」という名の人物は多い。
[*]こでご主人様をけなしてやるぞ!……道化らしく、天国の主人である神を批判してやろう、ということ。
[*]風の荒々しい狩り……この詩は、突然伝承の登場人物に代わって現代人らしき人物が語り始めるため、読者は中世から19世紀にいきなりタイムスリップさせられたような、ひどい違和感を覚える。実はヤコプスンは、この詩を書き始める前に、実際にグアア湖に行ったことがあった(詩集『ヘアヴァト・スペアリング』所収の「黄昏」という詩の最後に、「68年作。夕暮れのグアア湖にて。佳作」という書き込みがあることからもわかる)。彼の草稿ノートには、1869年7月23日の日付を持つ、「グアアの歌」の「序詩」が残されている。
真昼
観光の詩の香りが漂っている
このグアアの草地全体に。
ここで感じ取るはずのことは
有名な(*)を通じて隅々まで知られている。
自然のままの座席も
いくらかの人工の場所も、みんな用意はできているし、
君に見せよう、これがいかに心躍らせる質のものであるかを。
美しい森とイギリス式公(*)
1マル(*)を払って見る、装飾された城。
そう、城はきれいだ。
薔薇とクレマチスが咲いている蔓と
墓地の緑が
壁と、それから思いに巻き付いている。
君には石が見えるかい急いで読んでみるといい
碑文が、ほら、もうはっきりと見えている。
この城はつまり
土台であって、それ以外には何もない。
深いのはその教え(*)
それは広く知られている。
それを闇から引き出して
白昼の下へと持ってきた
その上の名(*)
未来へと
伝えてゆけることこそが
そう、過去の大きな
意義なのだ。
(*)名な歌……これがすなわち「グアアの〈歌〉」であろう。本作の、これから語られる中世の物語である。「有名な」というのはもちろん作中設定である。
(*)ギリス式公園……自然をそのまま公園としたもの。フランス式公園は人工的。
(*)マルク……今のデンマーク通貨はクローネだが、中世から1875年まではマルクが使われていた。
(*)いのはその教え……ここから下の9行は、アルバン・ベルクの『グレの歌大ガイド』にもドイツ語訳が引用されている。ベルクが引用した本文は、オイゲン・ディーデリヒ版ドイツ語訳ヤコブセン全集第1巻4版(増補版)と同じ。
(*)の上の名を……碑の上に刻まれた名前を、の意。当地には実際に、グアア城の発掘に功績のあったソーフス・マウヌス・ビャアンスン(1790-1857)の名を刻んだ記念碑があるが、それを指したものか。この碑は彼の死後間もなく建てられたもので、ヤコプスンがグアアを訪れた時にはすでにあった。字下げになっている「この城はつまり」から下が碑文の内容というわけではなさそうである。
この詩は、「グアアの歌」が『サボテンの花ひらく』に組み込まれる時に省かれてしまったわけだが、草稿記述時の腹案どおり、これが最初に位置して最後の「夏風の荒々しい狩り」と枠を形成し、前後照応していれば、全体はもっとずっとわかりやすくなったはずである。
――詩は、ここで「過去」に遡り、この地、この城跡にまつわる「有名な」中世の物語「グアアの歌」を語り始める。ヴァルデマ王、小さなトーヴェ、森鳩、農夫、道化、幽霊騎士……。物語が進み、亡霊たちが眠りに就く夜明け前の場面が終わると、視点は再び現代(19世紀)に戻ってくる。こちらは真昼から深夜になっており、中世の荒々しい狩りを彷彿とさせる激しい夏風が吹き荒れるが、やがてそれも夜明け前にはおさまり、湖に太陽が昇ってくる。――
つまり、「グアアの歌」のヴァルデマとトーヴェの物語は、旅行者が訪れたグアアの城址の過去の物語、いわば劇中劇とでも言うべきものだったのである。「真昼」「夏風の荒々しい狩り」には語り手の記名がないこと、またこの二編とその間の詩とでは物語が繋がっていないこと、さらに「真昼」のいくらか観光PRを思わせる語り口や、「夏風」のややアイロニカルで軽妙な語り口が、中世の登場人物(と登場鳥類)のそれとはかなり隔たった肌触りを持つことなどから、この二編は同じ範疇に属し、また「真昼」の内容によって、これらの語り手が現代の人間であることが伝わる。作者によって省かれてしまった以上、「真昼」を手がかりにして何かを判断するのはできるだけ控える方がよいのだが、現行のままでは「夏風」の詩が唐突すぎてたいていの読者を戸惑わせるだろうし、もし『サボテン』が完成形まで手を入れられていたとしたら、「真昼」あるいはその改作が序詩として復活した可能性も完全にゼロではないので、作品理解の手がかりとして「真昼」を視野に入れ、少なくとも作者がそれを書いた時点ではどのような心づもりであったのかは、推測しても許されると思う。『サボテン』が初めて紹介された『詩と草稿』にも、ドイツ語訳全集のオイゲン・ディーデリヒ版(増補版)やインゼル版にも、カットされた「真昼」が参考資料として作品の後に例外的に掲載されているところから見て、当時の人々にとっても「真昼」は作品理解のために必要だと思われたのだろう。
「夏風の荒々しい狩り」が「真昼」同様19世紀の話者によって語られているとすると、中世パートは亡霊たちが嘆きながら墓に戻るシーンで終了ということになり、その後のヴァルデマはどうなったのか、彼は何らかの形でトーヴェと再会できたのかは描かれないままとなる。これについて少し考えてみたい。
伝説のヴァルデマは、「神は天国を保持なさってよい、私がグアアで狩りさえできるなら」と言ったと言われている。この彼の有名な言葉は、資料や作品によって多少違いがあり、また助動詞を含むことが多いためにニュアンスの受け取り方にもやや幅が出るものの、だいたいこのようなものであると思っておいてよい。湖底に沈んだ魔法の指輪の作用でハイになったあまりにこのようなことを口走ったらしいが、ティーレの本では一度だけではなく「ofte(頻繁に)」言ったと書かれている。この僭越な(formastelige)発言を聞いた神が、「では、私が天国を〈永遠に〉保てるようにするためには、そなたがグアアで〈永遠に〉狩り〈だけ〉ができるようにしてやればよいのだな?」と言ったかどうかは知らないが、とにかく彼の願いが天国の寿命と同じだけ続くよう叶えてやった(実は罰)。こうして伝説のヴァルデマは、神が天国を保持し続ける限り延々と狩りを続けることになったのである。
「グアアの歌」では、ヴァルデマが執着するものはグアア湖ではなくトーヴェとなっている。つまり伝説の最初の執着対象のままということだが、本作では伝説にある「魔法の指輪」が一切出てこないのだから、ヴァルデマの執着対象も指輪の所属者に合わせてコロコロ変わるということはないのである。ただし、ヴァルデマの従者たちが「かくて我らは狩る、人々が言うように、夜ごと夜ごと、裁きの日の荒々しい狩りの時まで」と発言し、ヴァルデマも「最後の審判の日が来る時に/これを肝に銘じておけ」と発言しているので、この荒々しい狩りが最後の審判の日まで、すなわちほぼ永遠に続くという点においては、本作は伝説を踏襲していることになる。となると、永遠に幽霊のまま地上に縛られているヴァルデマと、クラウスの言葉を借りれば「天使やガチョウと一緒に飛んでいっちまっ」たトーヴェは、このままではまず再会は望めそうにない。同じように絶頂で摘み取られた恋でありながら、トーヴェの方にはヴァルデマのような執着心は生まれなかったようだが、その要因として、そもそも二人の間には死生観に大きな隔たりがあったことが挙げられよう。「V 逢瀬」で語られていたように、トーヴェは死後の新生を信じていたのに対し、ヴァルデマは死は悲嘆と執着しかもたらさないと思っていたのである。そのときトーヴェは、死後の離別と執着への予測を憂鬱に語るヴァルデマを、優しくたしなめていた。彼女は、死など短いものですわ、と言い、それどころか、死のために乾杯しましょう、とまで言っていたのである。「今はこんなに幸福ですのに、それに死んだってすぐ生まれ変わりますのに、王様はなぜ今、死をそんなにお嘆きになるのです?」。そんなことを言うトーヴェを、ヴァルデマは「Vidunderlige(不思議な)」と形容せずにはいられなかった。結局二人は、生前の己の予測どおりの運命をたどり、トーヴェはおそらく新生して再生を繰り返す何か別の存在になり、ヴァルデマは幽霊となって昔のトーヴェの魂を空しく追い求める存在になった。公平に見れば、ヴァルデマは、トーヴェへの執着のために神に反抗し、自然の理に反した行動を取り続けているのであるから、傲慢で無茶で愚かである。もしかすると、序詩「真昼」の「Moralen(教訓)」は、ヴァルデマのようになってはいけない、ということを諭した内容なのかもしれない。
【補遺】
●トーヴェが死んだ後どうなったかについては、「飛んでいっちまっ」たというクラウスの言葉以外は明記されていないので(それとてどこまで信じていいのかわからないが)、本文中からヒントになりそうな材料を集めて推測するしかない。生前のヴァルデマが「忌まわしい(usalige=呪われた、神の刑罰を受けた)一族」の話をし、彼が死後そのとおりになったことを考えると、トーヴェの場合もその詩の直後に彼女が言っていた内容が参考になりそうである。しかし、そこで語られている「真新しい美に包まれた/あなたの若い花嫁」はおそらく比喩であろうから、そこから「再生を繰り返すような存在になるらしい」ということは伝わっても、この詩だけでは死後の彼女の具体的な姿を推測するのは難しい。そこで、ほかにヒントはないかと探してみると、幽霊になったヴァルデマが、「トーヴェの声で森は囁き/トーヴェの瞳で湖は見つめ/トーヴェの微笑で星は光り/乳房のように雲は膨らむ」「トーヴェは向こうにいて、またトーヴェはここにいる」「トーヴェよ、おまえは魔法の力で/湖や森の輝きの中に縛られているのか?」などと叫んでおり、もしこれが彼の焦燥感から来る錯覚でないとしたら、トーヴェは一度天に「飛んでいっちまっ」た後(死)、地上に再臨して自然と一体化している(新生)、という可能性もありそうである。自然そのものになってしまえば常に再生されるので、永遠に「真新しい美に包まれ」直すことも可能になる。その状態のトーヴェのイメージとしては、《千の風になって》の歌詞のようなものを思い浮かべればよいだろうか(いや、「風」はむしろヴァルデマを連想させてしまうか?)
続いて「夏風の荒々しい狩り」について。この詩は、19世紀の旅行者が見ている夏のグアア湖畔の情景である。そこに夏風が荒々しく吹き荒れるわけだが、この夏風の描写を中世の物語とどのように関連づけるかは、読者が好きに考えてよいのだろう。中世と現代との繋がりを示す手がかりが「グアア」と「荒々しい狩り」の共通性にしかないのだから、解釈の幅はかなり広くなるわけで、よほど強引な読み方さえしなければ、読者それぞれが理解したそのままで鑑賞すれば問題はないと思われる。その「強引な読み方」をしないために押さえておくべきは、次のような点であろう。
1.
ヴァルデマと夏風は、似た存在である。
──夜中に、すでに失われてしまったものを捜して騒々しく駆け回るが、得られない。この行動がともに「荒々しい狩り」と呼ばれていることから、両者は同じような存在であると理解できる。とすると、片方に当てはまることはもう片方にも当てはまると考えてよいと思われる。
2.
ヴァルデマと夏風は、朝が来て太陽が昇っても救われるわけではない。
──これは、ヴァルデマの従者たちが「(朝とともに)生命は力と光沢の中を/行為と高鳴る胸をもってやって来る/そして我らは死の所有物/悲しみと死の所有物/苦痛と死の所有物なのだ。/墓へ墓へ夢を孕んだ休息へ――」と言っていることから明らかである。彼らは「死」の所有物なのであって、朝になるとやって来る「生命」の所有物ではない。これに対し、現代の夏風の方は、「そこ(湖面)で無数の波の踊りの中/青白い星の幻影に包まれて/静かに揺られ休息する」とあって、幽霊騎士たちに比べるとよほど平和で幻想的な情景ではあるが、朝が来る前に休息に入ってしまう点は同じである。……幻想的とは言っても、「幻影」の原文は「Gjenfærdsglands」という辞書に出て来ない単語となっていて、直訳すると「Gjenfærds・glands=幽霊の・光」である。星の光ももう青白い余光なのだ。
これらからわかるのは、死と新生を受け入れている「トーヴェ(春の花・夏の夢)」側と、昔のままのそれらに執着し続ける「ヴァルデマ(夏風)」側は、光の世界と闇の世界に分けられてしまった、ということである(夜の星の光は前者に属するようなので、「昼の世界と夜の世界」では不適切か)。詩の最後の部分に描かれる溢れるような光彩は、太陽の輝きとそれに沸き立つ生命の描写であると同時に、おそらくトーヴェ側が享受する再生の歓びを象徴的に表現したのであって、そこには昔のものに執着し、自然の摂理を超えた願望を抱くヴァルデマ側は含まれない。もしヴァルデマ側が朝になっても休息せずそのまま荒々しい狩りを続けたとしても、トーヴェ側は新生してしまっているのだから、彼らが望む昔のままのそれらを手に入れることができるわけではない。ヴァルデマがトーヴェと再会するためには、執着を捨てて死と新生を受け入れ、彼女と同じ次元の存在になるしか方法はないのだが、作者が伝説に依拠したままでそれを描いてくれない以上、この物語は悲劇として受け入れるほかはない。
このことさえ押さえておけば、あとは読者が自由に想像をめぐらせてよいと思われる。「ヴァルデマは、長い年月の間に夏風に姿を変えて、今も夜中に駆け回っている」「作者は最後に、夏風という激しい自然現象が、荒々しい狩りという魔物伝説の元になったことを暗示した」「ヴァルデマと夏風は、それぞれ中世および現代の、共通の『Moralen(教訓)』の対象として登場する──皆さんは、王様や夏風さんのように何かに執着しすぎてはだめですよ!」「作者は、ヴァルデマの荒々しい狩りを現代の夏風に投影し、ユーモラスで明るい語り口で描き直すことで、伝説の後味の悪さを残さないようにした」等々……。
【補遺】
●本文をよく見てみると、実はヴァルデマが幽霊になった理由も書かれていないことに気づく。よって、「神を呪った罰として」なのか、それとも「トーヴェへの執着が強すぎたために地縛霊的に、あるいは自ら進んで」なのか、断言はできないように見える。ただし、これについては、「usalige Slægter=忌まわしい一族」の「usalige」に「神の刑罰を受けた」という意もあるようなので、このヴァルデマの生前の発言が死後にそのまま適用されたと考えれば、彼はやはり神に罰せられたのだろうと見当はつけられる。それに、「裁きの日」だの「最後の審判の日」だのと、自分たちの「刑期」(世界の終焉の日までだが)について幽霊たちが明言していることにも、いかにも「宣告された」感が漂う。
●ヴァルデマが執着を捨てられたとしても、神に対して脅迫までしていたのでは、神には「何を今さら」と不快がられて救ってもらえないかもしれない。
●ヴァルデマがトーヴェを取り戻すのは、このままだといつまで経っても無理だが、夏風は来年の春が来るまで待てば、「夢のように美しかった花の盛り」がまた手に入るのではなかろうかしかし、「Længst er de Jord![それらはずっと前から土になっている!]」というやや矛盾するかのような詩句を重く見るならば、夏風は「ずっと前のある時点」に出会った「特定の」春の花や夏の夢に執着し続けており、毎年新しくなるそれらは眼中にない、と見ることもできそうである。いずれにせよ、夏風の狩りは中世の狩りの投影版のようなものだから、「失ってしまった美しいものを追いかけている」という擬人化された風の意思と行動に注目しておけば、たぶんそれで十分なのだろう。
●ヴァルデマが救えるように読むためには、もともと作者の手で削られていることだし、序詩を外して読むという方法が考えられる。それなら「夏風」とほかの詩との間の断層を自由な想像で埋めることができるので、うまくいくかもしれない。ただ、そうすると「夏風」の語り手は誰かというところから考えなければならないので、かえって大変になるような気もする。グリン・ジョーンズはおそらく序詩をまったく考慮に入れていないが、もしそれで納得のいく読み方ができるのであれば、むしろそのアプローチの方が正統であると言える。
●実は、「グアアの歌」の序詩の草稿はもう一つあって、そちらは現在見る「グアアの歌」とはおそらく関係のない内容になっている。これは「トーヴェ」という題で、修道女である彼女が修道院の個室で王を偲ぶ様子が描かれている。通説ではヴァルデマ「1世」の愛人であったトーヴェという女性は、素性がはっきりせず、そのため後世の文学者たちはそれぞれの想像力に基づいて彼女にいろいろな立場を与えており、これもその一例である。現在見る「グアアの歌」のトーヴェは、王の愛人という以外は素性がまったくわからない。
●シェーンベルクの《グレの歌》の「夏風の荒々しい狩り」は、その全体が後年のオーケストレーションになる。あの部分は1910年ころのシェーンベルクのスタイルを反映したものになっているわけだが、その新規な響き──「語り」の登場が新規さを増幅する──のおかげで、「時代が中世から現代へと移ったこと」も表現されたように思う。ただし、彼自身はベルクへの手紙の中で、「10年も経てば変わって当たり前だし、昔のスタイルを継続する方が難しい」というようなことを書いており、スタイルの混在にそれ以外の理由がなかったのであれば、響きで時代の違いが鮮明になった効果は、ただの偶然の産物ということになる。
●その手紙が紹介されているベルクの『グレの歌大ガイド』は、とにかく徹頭徹尾音楽面の解説に終始しており、テキストの内容に関する文学的なコメントはただの一言もない。ヤコプスンとその原作についての解説は、『小ガイド』の方に1ページだけ載ってはいるものの、それもアーノルトが全集に書いた紹介文を要約したものにすぎない。ベルクとしては、それまでにウニヴェルザールが出していたリヒャルト・シュペヒトによる『マーラー第8交響曲主題分析』とヨーゼフ・ヴェスによる『マーラー大地の歌主題分析』がどちらも気に入らず、それらよりももっと音楽面を客観的かつ分析的に解説した内容にしたかったらしい。結果的に『大ガイド』は確かに力作にはなったものの、おそらく一般の音楽愛好家が読むにはしんどい内容になってしまった。『小ガイド(主題一覧)』は、その補償のようなものとして出されたのである。
●これは想像でしかないのだが、1908年には「真昼」のドイツ語訳が大衆に読まれていたことを考えると(独墺圏ではヤコプスンは人気があった)、シェーンベルクも、最初に作曲した当時の意図はともかく、1913年の初演のころには、フィナーレを「救済として聴かせる」つもりはなかったのではなかろうか(彼が「真昼」を知らなかったのなら何とも言えないが、少なくともベルクは知っていた)。「真昼」のために「夏風」の時代が特定されてしまうと、ヴァルデマたちと夏風の間には中世と19世紀の間の時間の壁が立ちはだかることになり、その壁は500年を経ての「救い」を導くには厚すぎるのである。
[*]ッドキングヘンリー……原文は「Stolt Henrik」(直訳「誇らしいヘンレク」)。「Stolt Henrik」で、アカザ科の植物 Chenopodium (bonus) Henricus L.《全集》を指す。ハーブとして栽培され、日本でも容易に入手できる。
[*]モミール……原文は「Gaaseurt」。カモミール(和名カミツレ:キク科)のことで、ハタザオ(アブラナ科)のことではない。
[*]……原文「Hagen」。「顎(あご)」であるが、ここでは「湖に顎のように突き出た部分」のことだろう。この後に Næs(岬)という語も見える。
[*]……原文は「St.Hansorm」。蛍の一種で、アーノルトが訳したドイツ語の「St.Johanniswurm」も同じ。「黙示録の龍」ではない。なお、この蛍は(ほかの蛍もたいていそうだろうが)、赤色ではなく緑色に光る。
[*]――静かに風の行為の意味は何だろう?……これはテキストの注ではなく、シェーンベルクの《グレの歌》についての指摘なので、参考までに。
シェーンベルクは、ここから下の6行「――静かに風の行為の意味は何だろう?/枯れた葉を翻すごとに/ああ、親族を捜しているのだな。/春の青く白い花の流れや/過ぎ去った地上の夏の夢を。/それらはずっと前から土になっているのに!」の部分の付曲に際し、トーヴェの主題とヴァルデマの主題を回想している(第3部849小節から後)。それぞれの歌詞の対応関係は次のようになる(以下はアーノルト独訳の拙訳による)。
・語り「静かに! ~ 塵になっている!」=上記の歌詞の間ずっと
トーヴェ「今、私はあなたに初めて言います」
……ベルクが言うところの「トーヴェの主題」の最初の部分。不完全なものや変奏も合わせると13回も出現する。
・語り「風はいったい何が欲しいのだろう?」
ヴァルデマ「天使たちは神の玉座を前にして踊らない」
……歌詞に「風」があるので、ベルクが言うところの「ヴァルデマの主題」の最初の部分を当てたのだろう。
・語り「枯れた葉を翻すたび、捜しているのだ、あまりに早く終わってしまったものを」
トーヴェ「だから金の杯を飲み干しましょう」
……彼女が「死に乾杯しましょう」と言っていた箇所で、「あまりに早く終わってしまったもの」に対応する。
この対応関係から見て、ここでシェーンベルクは、「春の花や夏の夢」と「トーヴェ」が、「風」と「ヴァルデマ」が、それぞれ対応関係にあることを、聴き手に示唆してくれていることがわかる。音楽ならではの〈注釈〉である。また、当該箇所でのトーヴェの主題の回想は、弦と木管にストレッタで次々と重なりつつ何度も現れるが、ヴァルデマの主題のそれは、独奏チェロが単独で奏するのみである。これは、夏風が追慕するものがヴァルデマと違って「花」「夢」など複数あり、それらが走馬灯のように次々と夏風の脳裏に去来すること、対して夏風自身は単体であることの表現にもなっている。テキストにぴったり寄り添った処理と言うべきで、実に芸が細かい。
【補遺】
●ただ、ここはやや「詰め込みすぎ」のようにも感じられ、語りを聴きながら、同時にその背後にある上記の主題回想を全部聴き取るのは、少なくとも訳者には至難の業である(しかもトーヴェの主題は始終ストレッタだし、ヴァルデマの主題はよく聞こえない演奏が多い)。語りがなければだいぶ違ってくるとは思うのだが。
[*]の塚……原文は「Blomstertue」。花が咲き集まって盛り上がっている所。
[*]ントウムシ……テントウムシは西洋では幸福の虫として愛され、聖母マリアと結びついている。よって、「din fagre Frue(おまえの美しい女性)」は聖母マリアのことだろう。「飛んでけ、飛んでけテントウムシ、神様の所まで、明日の朝はいい天気になるよう頼んでおくれ」(E・T・クリステンセン『デンマークの童謡・数え歌・遊び』1896)
[*]模様のカタツムリ……殻に縞模様の色帯のあるカタツムリ。その辺によくいる。
[*]ーマクとスティーンゲアデ……『コルマクのサガ』を題材とする。未完。ヤコプスンのこの作は、原作よりも筋書きがかなり単純化されている。なお、ここでの詩(スカルド)はサガからのものではなく、ヤコプスンの自作である。
スティーンゲアデ
[*]ーディン……北欧神話に出てくる神。フレヤ・ノーネ・イミル・スヴァリンなども同じ。
[*]怪……原文「Vætter」。地下、自然界、あるいは人間居住地近くに棲息する超自然的存在。ゴブリンやドワーフなど。良いものも悪いものもある。
[*]串……原文「Tinten」。「Tin-ten」と考えて「錫-串」とした。アイスランド語は手に負えないが、原典の『コルマクのサガ』では「tinteinn」となっており、森信嘉氏は「丘の上の城、低い要塞、スズ野郎、スズ打ち野郎」などと訳しておられる(『スカルド詩人のサガ』東海大学出版会、2005)。

付録
ヴァルデマとトーヴェ
──デンマークのバラッドからシェーンベルクのグレの歌へ
ウォルトン・グリン・ジョーンズ
トーヴェあるいはトーヴェリレは、デンマークのヴァルデマ家のうちの一人の愛人の名前であり、その運命と性格は、何世紀にもわたってさまざまな作家によりいろいろな方法で解釈されてきた。
1326年から1330年までの名ばかりの王であった少年王ヴァルデマ3世を無視すれば、デンマークにはヴァルデマという名の支配者が三人いたことになる。1154年から1182年まで君臨した、大王として知られるヴァルデマ1世、勝利王ヴァルデマ2世(1202-1241)、それにヴァルデマ4世(1340-75)である。この最後の王は、デンマークではヴァルデマ・アダデーイ──ヴァルデマー・アナザー=デイ(他日王)──として知られているが、これは状況が自分にとってさらに有利になるかもしれない他日まで危険な決断を先延ばしにするという彼の傾向から、伝統的に生じたニックネームである。彼らの時代の間、最初の二人のヴァルデマは、デンマークを、内乱によって荒廃し、ウェンド人──バルト海南岸に住んでいたスラヴ人──や北ドイツの伯爵たちによって脅かされていた小国から、バルト海を支配し、約4年間という短い期間ではあったものの、東のエストニアに向かう北ヨーロッパの海岸全体を事実上支配下に置く強国へと築き上げた。臣下の一人の裏切りによって、ヴァルデマ2世は──現代の歴史家の目には、いずれにしても無理をして失敗したように映ることもあるが──捕虜となり、身代金としてバルト海沿岸のほとんどの領土を放棄しなければならなかった。彼の死後1世紀の間、デンマークは再び内乱と外的脅威に苦しめられることになった。国土の大部分はホルシュタインに質入れされ、一時はデンマークが統一国家として存在できなくなるという確実な見込みがあった。しかしながら、情勢は、ヴァルデマ4世をして祖国の統一と強さの回復に着手することを可能ならしめ、その治世の末期には、南スウェーデン諸州を含む統一王国が再び見られ、1397年の北欧連合の基礎が提供されたのである。ノルウェーのホーコン4世と結婚、それによりその2王国を統合し、ついにはスウェーデン王位まで捧げられたのは、ヴァルデマの娘マグレーデであった。
ヴァルデマ家の時代がデンマークの一般大衆にとって栄光の時代であったかどうかはともかく、それはサクソからアーリル・ヴィトフェルトやホルベアを経て19世紀に至るまで、あらゆる時代の歴史家たちに刺激を与えた時代である。それはデンマークが、偉大な時期にあっては誇りをもって振り返り、逆境の時期にあっては刺激を求めて目を向けてきた、国家的尊厳の時代であった。ヴァルデマ家はほとんど伝説となり、そのような君主たちに起こりがちなように、真偽の怪しい物語がその周辺で生長する傾向があった。またこれも起こりがちなことだが、そのような物語は、王の経歴の歴史的・政治的に重要でない側面に関係し、その後の文筆家、特に古い歴史家たちほど伝説が語ることに惑わされてそれを詳述したり正当化したりする傾向があり、それによって問題を混乱させてきたのである。その後、ロマン主義に伴い中世的なものへの関心が復活すると、すでに知られていたもの──あるいは信じられてきたもの──に対し、新たな、そして部分的に意図的な変化形が案出されることになった。その結果は、近縁関係にあるテーマを持った一連の詩、小説、戯曲であった。ところが、歴史的資料さえかなり曖昧なものであったために、19世紀の作家たちは、その基本的なテーマを、多様で、矛盾することさえある着想のための媒体として、完全に自由に利用してよいと感じていたのである。ヴァルデマとその愛人トーヴェを中心とする文学は、デンマークではトーヴェ詩として知られ、初期ロマン派の時代から象徴派の詩まで、デンマーク文学の中での居場所を勝ち取ってきた。やっと今世紀になって、ティト・イェンスンが小説『ヴァルデマ・アダデーイ』において、それまで文学的慣例になっていたものに反抗し、歴史上のヴァルデマ、伝統と誤解が彼に与えていた愛人トーヴェなる人物なしのヴァルデマという人間の人物像を描こうとする本を書いた。
伝説と中世のバラッドによれば、ヴァルデマ家の一人にトーヴェあるいはトーヴェリレという愛人がいたという。その王は直接特定されていないものの、バラッドでの王妃は通常ソフィーイと呼ばれており、仮に彼女がその名前であったとしたら、指し示された人物は、その王妃が実際にソフィーイという名前であったヴァルデマ1世のようである(1)。その王妃は、王がトーヴェに惜しみなく注ぐ愛情に嫉妬し、彼の不在中に「badstue バッストゥー」の中で彼女を焼き殺した。これはサウナの原始的な形態で、加熱された石に外から水を注ぐことによって内部に蒸気が生成される。このケースでは、トーヴェは「バッストゥー」に誘い込まれ、水なしで閉じ込められて、バラッドの歌詞によるとクリスマスのガチョウのように見えるまで焼かれたという。
1. ピーザ・スュウの1695年版†では王妃をヘルヴィーと呼んでいるが、スュウが当時の歴史的事実と考えられていたことと一致するよう名前を変えたと考えてよいだろう。
†訳注「ピーザ・スュウの1695年版」──『王、戦士その他についての200の歌』。アナス・サアアンスン・ヴィーゼルの『デンマークの歌100選』(1591)にさらに100の歌を追加した本で、日本では『デンマーク・バラッド百選補遺』という書名で紹介されている場合もある。この下で紹介されているグロントヴィの本のデンマーク語Dヴァージョンを含む。
歴史的には、ヴァルデマ1世には実際に愛人がいて、彼女との間にはクリストファという息子がいたことが知られている。彼とヴァルデマ4世はともにヴォーディングボーと密接な関係を持っていたことも知られており、その地にヴァルデマ1世が城を建て、後のヴァルデマがそれを拡張した。ヴァルデマ4世は、現在のフレズレクスボー城からそう遠くない北シェランのグアアにある別の城にも関係しており、湖と森の地域の美しさは、その王が、自分(ヴァルデマ)がグアアの保持さえ許されるなら、神はご自分の天国を保持できるのだが、と叫んだと言われるほどである。立証されてはいないが、この城はヴァルデマ1世がヴォーディングボー城と同じように始めたのではないか†と言われている。いずれにせよ、ヴォーディングボーとグアアは、伝説の二つの地理学的極点となった。
†訳注「この城はヴァルデマ1世が……」──近年は、グアア城を建てたのはヴァルデマ1世ではなさそうだということになっているようである。建立が開始されたのは、彼の時代よりももう少し後になるという。
ヴァルデマ家の王妃はどちらもほとんど知られていないが、両者とも伝説に関係している。ヴァルデマは1157年に王妃ソフィーイと結婚し、彼女はまだ若い女性で、絶世の美女との評判だった。この結婚は二人の息子と六人の娘をもたらした。ヴァルデマの死後、ソフィーイはバイエルン†のルートヴィヒ方伯と結婚したが、その結婚はうまくいかなかったようで、方伯はソフィーイを追放した。彼女はデンマークに戻り、1198年に死去した。伝統的には、彼女は残酷で嫉妬深いとされているが、それを裏付ける歴史的証拠はほとんどないようだ。夫の愛人に対し彼女がどのような態度を取ったのかは不明だが、当時の北欧の王にとって、妻のほかに多かれ少なかれ公認の妾を持つことは決して珍しいことではなかったことは念頭に置いておくべきである。ヴァルデマ4世の妻ヘルヴィーについては、なおさら言うことができない。彼女の性格については何も知られていないものの、本稿の目的のためには、彼女がスレースヴィ公ヴァルデマ5世、いわゆるデンマークの先王ヴァルデマ3世の妹であり、従ってデンマークでは疑惑の目を注がれる運命にあった女性であることを知っておけば十分である。ヴァルデマ1世の愛人トーヴェの名はデンマークの資料にはないが、その噂は『クニトリンガサガ』の中に見いだされ、そこからは彼女の息子クリストファがヴァルデマとソフィーイの結婚前に生まれたことも浮上するようで、その点はこの主題に関するバラッドと19世紀のそれの扱いとを比較する上で興味深い。
†訳注「バイエルン」──テューリンゲンか。
ヴァルデマ1世からヴァルデマ4世へ、そして初代の王妃ソフィーイから王妃ヘルヴィーへの物語の移し替えは、歴史家アーリル・ヴィトフェルトに起因するらしく、彼は自著『デンマーク王国年代記』(1595-1604)の中で、起こったことすべてに対する責任をヴァルデマ4世に決然と押しつけている。彼がそうしなければならなかった理由の説明として、当時のデンマーク王妃もソフィーイという名であったこと、そしてその王妃とバラッドの不快なソフィーイとの間の混同を避けようとする正当な戦術的理由があったのではないかということが指摘されてきた。一方、ヘルヴィーはその当時とは縁のない名前であった。ヴィトフェルトは、トーヴェがリューエン島出身であるとも述べているが、仮説的なバラッド本文を仮説的に誤読する以外には、これを言うもっともらしい理由は存在しないようである(2)。しかし、一旦この考えが定着してしまえば、後の作家たちが、トーヴェは、ヴァルデマ4世のセニシャル†で実際にリューエン島出身であった歴史上の人物、ヘニング・ポーゼブスクの妹に違いないという結論に飛びつくのは困難なことではなかった。同じように、ヴァルデマ4世のヘルヴィーを、スウェーデンのマグヌス王と結婚したヘルヴィーと混同するのも簡単で、バラッドによれば──ほかの資料にはないのだが──、彼女は、フォルケ・アルゴットスン、デンマークの伝承ではフォルゲあるいはフォルクヴァー・ロウマンスンという者と不倫関係にあったとのことで、その者は王の報復をまともに受けている。さらに混乱させられることには、この物語の最終的な起源は、似たような出来事が語られているイングランドのヘンリー2世であるということが示唆されてきたのである。
2. スヴェン・グロントヴィが『デンマークの古いフォルケヴィーサ』†第III巻p.37で提案した解釈。
†訳注「セニシャル」──seneschal は中世王族・貴族の執事。ヘニング・ポーゼブスクは、デンマーク最後の「drost」であった。ドロストは中世北欧王国の最高官。王の不在時にはその代理を務める極めて重い役職で、いわば王の片腕である。ドロストには、語源的には「執事」の意味もあるようだ。
†訳注「『デンマークの古いフォルケヴィーサ』」──以下、この叢書は慣例に従ってDGFと略される。「フォルケヴィーサ」は「フォルケヴィーセ(デンマークの民間歌謡)」の複数形。最近では、この名称よりもより一般的な「バラッド」を用いるべきだという意見もある。本稿では、グロントヴィの叢書名以外はすべて「バラッド」が用いられている。
トーヴェ殺害の話とは無関係に、彼女とヴァルデマの周りには別の伝承が生長し、そのうちの二つは19世紀にとって重要である。まず第一に指輪の伝説がある。トーヴェがそれを使って、ヴァルデマを自分の魅力に縛り付けたと言われている。これは、バラッドの一つのヴァージョンに後に付け加えられたと考えられているものの中に見られる。ヴァルデマはトーヴェの棺を手放そうとしないが、それは彼の従者の一人が棺を開いてトーヴェの腕の下からある物を取り除くまでのことであった。それからはその従者が王の愛情の対象となり、彼がグアア湖にその物を投げ込むまで続くが、その結果、王のグアア湖への愛が沸き起こる。このテーマはハイベアによって引き継がれ、実際、指輪は、19世紀のほとんどのヴァージョンで少なくとも小さな役割を演じている。第二の伝説は荒々しい狩りのそれで、イングランドとドイツいずれのバラッドや伝説からも知られているテーマであり、おそらくさまよえるオランダ人のような物語ともまったく無関係ではないだろう。これによると、信仰心の不足と、天国よりもトーヴェを手に入れたいと切望することへの罰として、ヴァルデマは最後の審判の日までシェランの森々で狩りをするよう強いられる。スヴェン・グロントヴィは、ハッケルベレントという名の粗野な狩人についての伝承を、これに直接結びつけている。その狩人の言葉「Unserm Herrn Gott möge der Himmel bleiben, wenn ihm nur seine Jagd bliebe[自分の狩りさえそのままになるのなら、我が主たる神は天国をそのままにするがよい]†」は、ヴァルデマのそれを彷彿とさせる(DGF、III、44)。
†訳注「[自分の狩りさえ~]」──英語以外の部分については、このように原文を引き、その直後の[ ]の中に訳を入れた。ただし、筆者が英訳を添えてくれている場合は、原文は訳さず、その英訳を訳すだけにとどめた。その場合は[ ]を使わず、区別できるようにしてある。
それはともかく、バラッドはそのような問題には無頓着で、それよりも物語を語ることに集中している。デンマーク語には4種のヴァージョンがあり(3)、それとともにアイスランド語には2種、フェロー語には1種の断片がある。スウェーデン語にも2種の比較的後の時代のヴァージョンが存在する。相違は多く、さまざまな問題を引き起こすけれども、本稿の文脈ではそれは問題とされない。実際のところ、それらはスヴェン・グロントヴィのこのバラッドへの序説によって十分に扱われていた(DGF、III、20-46)。ここでの我々の関心事は、物語がどのように扱われ、さまざまな登場人物たちがどのように描写されているかを見ることである。一つの重要な特徴は、デンマーク語の4種のヴァージョンすべてに、ヴァルデマがトーヴェと王妃の両方を愛していたことを非常に明確に述べるリフレインがあることであるが──Med rade[熟慮の末に気を配り]──Kong Waldemor hand loffuer dem boe[ヴァルデマ王は二人とも愛していた]──、DGFのヴァージョンCとDのプロットには、ヴァルデマが王妃の死を願っているとトーヴェに告げるシーン、後にインゲマンの『デンマークのオットー王子』の中に入り込んだシーンがあって、それと矛盾しているように見える。しかし、ヴァージョンAとBにおいては、ヴァルデマは明らかに自分の女性の両方を愛している曖昧な人物にしか見えない。トーヴェの死後、彼が王妃に個人的な復讐をしたことに疑いの余地はないが、Dとアイスランド語ヴァージョンの一つでは、彼はベッドを共にすることを拒むことで彼女を罰している。この疎遠の状態もまたロマン派によって引き継がれる。彼らにとってあまり面白いと思えない物語の一側面は、ほとんどのバラッドのヴァージョンにおいて、トーヴェがヴァルデマの二人の息子を産み、彼らがおそらく軍事能力においてよく王を助力したという示唆である。ここで言外に語られているのは、トーヴェがもはや必ずしも若くないということに違いなく、実際アイスランドの両ヴァージョンにおいては、トーヴェは、これから王妃になる人物にどんな態度を取るのかと王に尋ねられたとき、それは二人の息子への自分の態度と同じでしょうと答えている。これは愛人というより母親の言葉であり、この状況は、老いた王が若い王妃と結婚することになり、自分と同じような年齢の愛人にはどんな影響があるのだろうかと考えているそれのように見える。これは、ロマン派が選んだ若きトーヴェへの若き王の愛というコンセプトに反している。19世紀末、ドラクマンは、老齢の王がかなり年下の女性と恋に落ちるところさえ描いている。ロマン派にとっては、20年ほども続いた愛を描くのは困難であり、またアイスランド語ヴァージョンが述べているように──そしてそのほかにもほのめかすものがあるように──、王とトーヴェとの関係が、ヴァルデマが王妃と結婚するずっと前からあったとすると、王妃がトーヴェに感じた嫉妬心は駆り立てるのがより困難になる。この場合、トーヴェの方が嫉妬する人間となる可能性が高くなるだろうが、これが当てはまらないのだ。トーヴェは、アイスランド語ヴァージョンで特に強調されているように、嫉妬しては「いない」のである。
3. DGFのAヴァージョンの英訳は、『デンマークのバラッドと民謡』(ヘンリー・マイヤー訳、エリック・ダル編、コペンハーゲン&ニューヨーク、1967)p.57-60に見いだせる。
一方、王妃の嫉妬は、彼女がトーヴェを殺害させる方法の残虐さと結びついている。ただし、これは敵を排除するための方法としてまったく知られていないというわけではなかったことは認めなければならない。おそらく、19世紀や20世紀では残酷と感じられるものも、そのような行為をよりたやすく受け入れていた時代には、それほどでもないと思われていたのだろう。王妃の怒りも嫉妬も、完全に正当化されるわけではない。乙女のロマンティックな理想を探し求める19世紀の何人かの作家が作ったような純潔無垢なトーヴェは、バラッドには皆無であるからだ。トーヴェは、年を取ったかどうかに関わりなく、また成長した息子たちがいたかどうかに関わりなく、王妃に対して高飛車で傲慢であり、彼女自身が王妃のような雰囲気をまとい、自分にはヴァルデマがいつか妻に与えるであろうものよりも良いものを与えてくれたと主張する。その後、ヴァージョンCとDにおいては、ヴァルデマが妻の死を願っていることを話しているヴァルデマとトーヴェの会話を耳にする、という王妃の嫉妬の理由が追加されている。Cのトーヴェは、そんなことをおっしゃるものではありません、と王に言うが、彼女は王妃が彼の言うことを立ち聞きしていたことを知っているからそうするにすぎない。Dのヴァルデマは、続けてトーヴェに黄金の宝石箱を与え、そのとき初めて彼女は彼の意志を受け入れる。トーヴェは確かに無辜というわけではないのだ。彼女はヴァージョンAとBにおいてもそうで、Aでは裕福で高慢なことが示されており、またどちらも王が騎士に彼女を呼びに行かせるときに王の所に行くことを拒否し、王自身が来るべきだと主張している。実際のところは、アイスランド語ヴァージョンだけが彼女の性質の穏やかな側面を示している。これはすべて19世紀のヴァージョンとは大きく異なり、特にルズヴィ・ホルスタインのヴァージョンとは違っていて、そこでのトーヴェは、自分に求愛しているのが王であることすら知らないのである。バラッドは、ほとんどのヴァージョンにおいて、本質的にロマンティックではない。それは現実的で、ヴァルデマがどちらの女性も愛していたという立証されていない記述とともに、傲慢さと残忍さと嫉妬を現実的に描写するのである。19世紀は、かなり違った見方でそれを見ることになった。
ヴァルデマとトーヴェの伝説は、18世紀のクレスチャン・フレズレク・ヴァスケーアの詩の中にかなり意外な短い出現があったものの、真に再発見され、利用されたのは19世紀になってからであった。初めはその世紀前半のロマン派の作家たちによるものである。このテーマは、さまざまな作家の多くの目的に適うように見えた──ハンス・クレスチャン・アナスン[=アンデルセン]†やクレスチャン・ヴィンダ†のように、トーヴェの美しさや、ヴァルデマの彼女への愛や、グアアの自然の美しさに触れつつ、短く叙情的な詩を書きたかっただけであろうと、あるいは伝説のいくつかの側面を取り上げて、より大規模な作品の主要あるいは二次的テーマとしてそれを扱ったのであろうと。初期ロマン派にとっては、ドイツ・イエナ派との密接な関係性のため、その物語は、ロマンティックな憧れやロマンティックな愛を表現するために扱うのに適していた。後期ロマン派、特にアーノルト・シェーンベルクが《グレの歌》で元にした「グアアの歌」の作者イェンス・ピーダ・ヤコプスンにとっては、結局のところは派生作品ではあるとはいえ、数十年前の諸作品とはまったく異なる詩、その詩のすべてに行き渡っている官能的な愛を表現する可能性が、そこにはあったのである。
†訳注「アナスン[=アンデルセン]」……「グアア」(1842)。
†訳注「ヴィンダ」……「旅するヴァルデマ王」(1851)。
この物語を最も早い時期に全編的に扱った、ベアンハート・スィヴェリーン・インゲマン†の『デンマークのオットー王子』(1835)では、デンマークがヴァルデマ家の狭間の期間の崩壊後にどのように再統合されたのか──部分的には、ユランの実質的支配者ホルシュタインのギアト伯を殺害した武闘派ニルス・エベスンの英雄的行為の結果として、また部分的には、ヴァルデマ4世ことヴァルデマ・アダデーイの狡猾さに起因して──という主要な記述に対し、ヴァルデマとトーヴェのテーマは二次的なものとなっている。この物語は二次的であるのみならず、時には作者の明らかな困惑の種であるように見える。インゲマンは、ヴァルデマとトーヴェの関係をよしとせず、またこのテーマが実際はヴァルデマ1世に帰せられることももちろん完璧に熟知しており、自分はヴァルデマ4世には、彼の偉大な先祖に比べて共感できないということを示したいがために、それを物語の文脈に維持したにすぎないと推測できる。
†訳注「インゲマン」……彼のこの題材の作品としては、ニルス・ゲーゼが歌曲や交響曲にしたことでも知られている詩「ヴァルデマ王の狩り──シェランの民話」(1816)の方が有名である。音楽の方での題は、抜粋であるためか、詩の1行目を取った「シュロンの美しい平原で」となっている(「シュロン」は「シェラン」に同じ)。
インゲマンのほかの歴史小説同様、『デンマークのオットー王子』は、デンマーク人を鼓舞し、衰退期にある彼らにかつての偉大さを思い出させることを目的とした、愛国的な作品である。それらは明らかにスコットの歴史小説の派生物であったが、インゲマンのものはより直接的に民族主義的要素を持ち、直接的な愛国心を鼓舞することを目的としていた。後にヴァルデマ・アダデーイによって非合法化された英雄、ニルス・エベスンの物語は、読者を強い愛国心で満たすことが期待できるものだったが、この物語におけるヴァルデマの立場は明らかに難しいものであったに違いない。事実は、ニルス・エベスンが武力に訴え、大昔からの騎士の理想像と合致する偉大で高貴な愛国者として描くことができるのに対し、ヴァルデマは隠密と狡猾さによって自分の目的を達成し、とりわけ兄オットーを遠ざけている間にデンマークの王位を我が物にしたという罪を犯していた、ということである。インゲマンのような気質の人間、気高さと美徳、寛容と勇敢さを評価し絶賛したような人間にとって、ヴァルデマは最も魅力的な人物ではなかったが、彼が王国の再統一に成功したという歴史的事実は受け入れざるを得なかった。
この理由から、この小説は、インゲマンのそのほかの小説ほど主要な歴史的人物に重点を置かず、歴史的な出来事の周辺部に位置する人物たちを中心に据えていると言えるだろう。オットー自身(その役割は主人公と言うよりはむしろ象徴のそれである)、デンマーク精神の代表者ニルス・エベスン、それに加えて、その人となりについて史料からはほとんど知られていない人物で、それゆえにインゲマンが思いのままに即興で描くことができたスヴェン・トレスト。一方ヴァルデマは、狡猾で、時に臆病であり、スヴェン・トレストは戦場から逃げ出す彼を二度見たことを思い出すことができる。彼は放蕩者であり、自由思想家であり、外国の宮廷で時を過ごしたためにデンマーク人らしくない行動や服装の習慣を身に付けてしまった人間なのだ。しかも、妻のヘルヴィーに対しては不誠実ときている。
もしインゲマンが、ヴァルデマを歴史的観点から書くときに困難を感じるとしたら、妻や愛人トーヴェと王との関係を考えるとき、彼はさらに大きな問題に直面するのである。バラッドと、その物語への初期の歴史的言及の大半は、中世スカンジナヴィアの王たちには愛人がいたという歴史的状況を受け入れ、そのような関係の倫理の問題については真剣に考慮することはなかった。トーヴェは、その傲慢さにもかかわらず、嫉妬深く決然とした王妃によって死へと誘い込まれる美しい女性として、疑いの余地なく存在している。インゲマンは、そういう観点でそれを見ることができなかった。19世紀の道徳的態度が彼に深く染み込んでおり、それがこの物語の中に教訓を見ることを強要し、そのせいで彼はトーヴェに対する中世の同情を再び繰り返すことができなかったのだ。確かに彼は、──ヴァルデマとヘルヴィーの結婚式のブライズメイドとして──彼女が初めて見られるときにその美しさが与えた印象を確認しているが、その美しさは、インゲマンが不倫の関係として見ているものを正当化するにはそれ自体では不十分であり、また彼は彼女のことを繰り返し娼婦と呼んでいる。同様に、彼は、彼女がヴァルデマに「魔法をかけた」という事実を強調するが、おそらく彼女がオカルト的な力を使うという確信からというよりも、作者がごまかしたくてもごまかせなかった王の部分的な正当性としてそうしたのであろう。
インゲマンは、ヘルヴィーの方に完全に同情することもできない。結局のところ、彼女はスレースヴィ家の人間であり、ホルシュタインの同盟者であるスレースヴィ公ヴァルデマの妹であり、ヴァルデマとの結婚は政略的行為であったからである。それゆえ彼は、あるレヴェルで見れば好きになれない女性に対し、別のレヴェルで見ると同情しなければならないという奇妙な状況に陥っている自分に気づく。彼は、バラッドにあるように誇り高く厳格な彼女を描いているが、トーヴェにどんなに厳しく責められても、彼女に殺人を犯させることには尻込みしている。中世のどの資料も、ヘルヴィー†がトーヴェを故意に風呂に誘い込み、閉じ込めて焼き殺したという事実を隠さない。インゲマンにとってはこれはやりすぎであり、彼のヘルヴィーはトーヴェを怖がらせる意図しかないのだが、フォルクヴァー・ロウマンスンの到着によって彼女の注意はそらされてしまう。そのときでさえトーヴェは完全に殺されるわけではなく、ただ傷を負わされるだけなのだ。従って、ヘルヴィーは、この場面においても、あるいは彼女に恋し、彼女もまた本当に恋をしているフォルクヴァーとの関係においても、深刻な罪を負うことはないのである。相思相愛とはいえ、彼女たちは一線を越えてふさわしからざる関係には陥らず、それゆえにヴァルデマとトーヴェが属する範疇には入らないのである。
†訳注「ヘルヴィー」──トーヴェを焼き殺したのは、中世の資料では「ソフィーイ」であって、それが「ヘルヴィー」に故意に変えられたのは、近世のヴィトフェルト以降であったと上にあった。ここは、インゲマンの時代には「殺したのはヘルヴィーである」ということが「中世の資料として」紹介されていた、ということであろう。「ヘルヴィー」は「王妃」と読み替えた方が混乱がない。
インゲマンの小説におけるヴァルデマ-トーヴェのテーマは、補助的なモティーフ以外の何かが意図されたものではなかったが、インゲマンが、情熱と悲劇、残忍さと皮肉さを備えた中世の物語を、19世紀の日曜学校の物語のようなものへとトーン・ダウンしてしまったことは明らかである。そこに内在する二つのラヴ・ストーリーは、いずれもセックスを欠いており、悲劇は打算というより手違いによるものなのである。この点で、インゲマンの小説は、19世紀デンマークでビーダーマイアー文学として認識されつつあるものの、優れた実例なのである。ウーレンスレーヤとともに、インゲマンはこの倫理に基づく文学の傑出した主唱者であり(4)、彼らは、19世紀の人間観の理想主義の中にそれらがほとんど失われるまで、数々の古代神話や中世のロマンスにおいてその緊張感を緩めたのであった。
4. ウーレンスレーヤのビーダーマイアー文学作品の例としては、スヴェン=オーウ・ヤアアンスン「エーダム・ウーレンスレーヤの『南海の島』とJ・G・シュナーベルの『不思議な運命』──啓蒙主義か、ロマン主義か──あるいはビーダーマイアーか?」(「ネルトゥス」II号、p.131-150)参照。
それにもかかわらず、ヴァルデマとトーヴェのテーマを扱うほかの19世紀初頭のヴァージョンには、広く行き渡った傾向をあまり示さないものがある。ヨハン・ルズヴィ・ハイベアによる1840年の戯曲『Syvsoverne(七人の眠り人)』†は、伝説のある側面をかなりロマンティックに描いたヴァージョンだが、道徳的態度を取ることは避け、たとえ非常に厳しい抑制下にあったとしても、少なくとも愛のテーマの現実にはしっかりと向き合っている。その王はドン・ファンとして描かれるが、この物語の初期ヴァージョンのいくつかでは潜在し、その後、当世紀には再び顕在することになった悪魔的でエロティックな衝動は、ここにはない。ハイベアが、ヴァルデマの性質のこの側面を扱うのにいちばん近いところまで来るのは、ヴァルデマが、神は自分の天国を保有することができるという伝統的な発言をするときだ。
†訳注「『Syvsoverne(七人の眠り人)』」──原文「Syvsoverne (The Seven Sleepers)」。洞窟の中で数百年眠り続けた聖人伝説の名称だが、この作品のタイトルは『Syvsoverdag[七人の眠り人の日]』ではなかろうか。その記念日は6月27日である。
For mig kan Gud beholde Paradiis,
Blot han vil lade mig beholde Gurre.
[私にとって神は天国を保有なさることができ、
神だけが私にグアアを保有させてくださるのだ。†]
おそらく、王の荒々しい狩りへの絶え間ない言及も、これと同じ観点で見られるべきである。
†訳注「私にとって……」──この作品でのヴァルデマの伝統的な発言は、上のように変形されているため、特に神への不敬は感じられない。「悪魔的でエロティックな衝動」にほんのわずかに近づいているとさえ言えないだろう。つまり、そのような激しく暗い情動は、この作品ではまったく見られないということである。本作は「ロマンティック・コメディ」なのである。
この戯曲を書くに当たってのハイベアの目的は、『オットー王子』でのインゲマンのそれとは大きく異なっていた。1840年のクレスチャン8世王の戴冠式を祝う祝祭劇として上演されることが意図されていた、という点では愛国的な面があったけれども、こちらはインゲマンの小説と同じようなやり方での国家的歴史ショーが目論まれていたわけではなかった。その代わり、ロマンティックで牧歌的なファンタジーの中に、作者の芸術の二つの異なる側面を組み合わせていた。この演劇は二つの次元で演じられ、その一つはハイベア自身と同時代で、狭い中流階級市民グループの物語を伝え、さらに言えば彼らのうちの二人の里子たち、アナとバルタサに焦点を当てる。アナは彼女の里親にまったく受け入れられない詩人と恋に落ち、彼らの態度に絶望して、彼女とその弟はグアア城近くの森に恋人を探しに行く。ファンタジーの様相は、今度は場面を変え、オリジナルのグアア城を廃墟から浮かび上がらせる。我々はヴァルデマの宮廷にいて、アナとバルタサは、それぞれが王妃ヘルヴィーを待つ女性、およびポーゼブスクの使用人として再登場する。トーヴェはすでに死んでおり、王はヘルヴィーと疎遠になっていた。ここでの物語は、詩人トースタインが死んだトーヴェの指から取った魔法の指輪に重点が置かれ、その結果として彼は王のお気に入りとなる。彼は二人の婚約のしるしとしてアナにそれを与えるが、それは王がアナを誘惑しようとするという結果を招く。指輪は、まずありそうにない遭遇を繰り返しつつ受け継がれていくが、トースタインがその作用が何であるかに気づくと、ポーゼブスクがそれを湖に投げ込んで呪縛を破る。ヴァルデマとヘルヴィーは、突然、思いもかけず互いに和解する。その後、場面はハイベアの時代に戻り、アナと彼女の詩人との婚約に至るのだが、彼はもちろん、この段階で夢と呼ばれる合間の場面でのトースタインと同一人物である。
この物語には、ハイベアのヘーゲル哲学への執着と、自分が書いたものすべてにヘーゲル的な三分法を構築したいという衝動の明らかな痕跡がある。従って、彼はここで、真の精神生活を達成するために、過去の生活と現在の生活を結びつけようと努めている(5)。同じ登場人物がほとんど同じ服装でそれぞれの世界に登場するというやり方。また第1幕の「現実の」世界でのヴァルデマ王の荒々しい狩りへの言及と、彼が登場する「夢の」場面で繰り返される、狩りをすることの喜びへのさりげない言及。このどちらにも、二つの世界を融合させようとする本物の努力がある。実際、二つの世界は互いに非常に密接に関連しているため、第1幕でのアナの恋人の詩人による、トーヴェを失ったヴァルデマの悲しみに関する詩は、第2幕ではアナによって歌われるのだ。ようやく三人の主要登場人物たちが目覚めるとき、何が現実で何が夢かについてが明瞭でないのは、グリルパルツァーの『Der Traum ein Leben[夢は人生]』におけるルスタンの不明瞭さを思い起こさせる。この両戯曲はかなり近い時期に書かれたものだが、互いに完全に独立しており、カルデロンの『La vida es sueño[人生は夢]』に明らかに共通のインスピレーションを得ている。ハイベアとグリルパルツァーは、関連したやり方で、カルデロンが表現しながらも例示はしていない着想を発展させようとした。カルデロンのジギスムンドが、現実の一形態を実際に経験しているのにそれを夢だと感じているのに対し、グリルパルツァーのルスタンは、夢を見ながらもその現実との境界が不明瞭だと感じており、また一方のハイベアは、昔の時代を再現し、彼の演劇の出来事が夢なのかどうかという疑問を未解決のままにしている。彼の境界は完全に流動的であり、二つの世界の相互作用はリアルである。
5. ヴィルヘルム・アナスン『イラスト付きデンマーク文学史』3巻p.425。
ヴァルデマ-トーヴェのテーマを国家的な機会のために書かれた戯曲で使用するに当たり、ハイベアは、理由は異なるにせよ、インゲマンが経験したのと同じような種類の困難に直面することになった。彼自身は当時のプチブル的な理想の多くに反対していたが、いくつかの慣習は尊重せざるを得ず、実際、王の愛人を扱う戯曲を書いている当時、一つには迷いのため、1829年からは戯曲を書くことを先延ばしにしていた(6)。ようやく作品が完成したとき、態度は変わり、この問題はそれほど切迫したものではなくなっていた。いずれにせよ、ハイベアは、トーヴェは死なせるが、その精神をアナという人物に投影することによって、この問題をうまく回避したのである。詩人トースタインは王のためにトーヴェの詩を書くが、アナには彼女自身が霊感の元であることを告げる。指輪を短期間所有したことにより、彼女はヴァルデマがかつてトーヴェに対して示した感情の一部を自分に惹き付けている。こうして彼女は、部分的かつ間接的にトーヴェを連想させる戯曲の中心的女性像となる。ハイベアは、王のトーヴェへの心酔は隠さないけれども、それとは別に彼女に対してはあまり共感を示していない。指輪の陰謀が進むにつれて、それまで彼女に対してどっちつかずな態度であったものが、彼女がヴァルデマを虜にするために指輪を使ったのだと主張することに伴い、むしろ批判的になる。かくて、中世が何も言わずに受け入れていた魔法の魅惑のモティーフは、19世紀にはここでまた、むしろトーヴェの個人的特質を損なう手段となったのである。この観点から見ると、インゲマンの態度の方がはるかに一貫しており、一方のハイベアは、トーヴェをロマンティックな憧れの対象として描くことと、魔力で人を意のままにする人間として描くこととの間で揺れ動いており、彼は、ヴァルデマの愛人としてのロマンティックな側面を最終的にアナに代入することよって、初めてこの本質的な矛盾を克服しているのである。
6. カール・S・ピーダスン、ヨハン・ルズヴィ・ハイベアの『詩の本』(クベンハウン[=コペンハーゲン]、1931)、2巻、p.xiii。
一方のヘルヴィーは、インゲマンの作品で彼女を特徴づけていた二面性なしで描かれる。ヴァルデマは、確かに彼女を謀略家、彼が政治的理由から結婚を強いられたデンマークの主敵のうちの一人の娘と呼んでいるのだが、そのテーマはそれ以上は追求されない。ハイベアは彼女を直接謀略家としては描かず、ほとんど独占的に夫を熱望する女性として、アナが一人の女性であるのと同じような女性として描いている。ヴァルデマとの最終的な和解をもたらすことの困難さは、トーヴェの魔力が解けた時点で王が彼女を貞節な妻として認めることにより、克服される──実際のところは、これはそもそも克服と言えるのかどうか。和解がもたらされるとはいえ、それまでヴァルデマ自身の内にはこの点での葛藤の兆候はなかったのであるから、これはありそうにない展開であり、戯曲の大きな弱点の一つ†となっている。
†訳注「戯曲の大きな弱点の一つ」──要するに、ヴァルデマはヘルヴィーと疎遠になっており、特にそのことで葛藤もなかったのに、指輪の呪縛が破られて憑き物が落ちたというだけで、彼女に対して急に「やはり私にはそなたしかいなかった」という感情を持つようになることには無理がある、という点。
ロマン派の環境にあって、インゲマンとハイベアの作品は、本質的に、ヴァルデマとトーヴェの伝説の考え得る表現法において、両極端である。どちらかというと陰鬱で、倫理観に基づいた一方の描写は、もう一方のエレガントな魅力と鋭く対照をなしているが、後者は、その哲学的な倍音にもかかわらず、本質的に皮相なものになっている。それでも、第三の、非常に異なった扱い方が、カーステン・ハウクによってそのテーマに与えられた。彼はインゲマンの世代のロマン派詩人で、1861年にその伝説に目を向け、二人の先達のいずれよりも個人的で深みのある方法でそれを扱った。「ヴァルデマ・アダデーイ」と題されたハウクの連作詩は、彼の重要な業績の一つで、ロマン派がこのテーマで制作した作品の中でも最も興味深いものの一つとして存在している。
倫理的な問題に深い関心を持ちながらも、ハウクは、インゲマンのビーダーマイアー的な態度を背負い込むことはなかった。そのため、彼はヴァルデマ-トーヴェの伝説を取り上げ、責任と罪悪感の観点からそれを扱い、死後のヴァルデマとヘルヴィー間の最終的な和解へと導くことができた。自分の人生と仕事が俗なものと超俗的なものとの間で葛藤を見せた人物でもあるハウクは、ヴァルデマの無宗教性──彼はそれを一時はギリシャ・ローマ的人生観になぞらえている──を、ほかの者がこのテーマで制作した以上に作り出すことができ、一方ではそれとヘルヴィーの熱狂とを、そしてまったく新しい特徴であるトーヴェの単純な純粋さとを、対比することができるのである。
ハウクは、インゲマンとハイベアの抑制からは完全に自由である。彼は、その二人それぞれがそれぞれの状況で直面した道徳・倫理の問題を、無視あるいは克服することができる。よって、インゲマンのトーヴェが娼婦と大差なく、ハイベアがトーヴェの登場を許さないことによってこの問題を完全に回避するのに対し、ハウクは彼女を真にロマンティックな乙女、美しく貞淑な、長い期間を経て初めてヴァルデマの誘惑に身を任せる乙女として描写する。彼は、道徳的な態度を取ることは完全に控えている。また、彼はその関係のためにヴァルデマを裁くこともない。彼は、王のトーヴェへの情熱的な愛の力を躊躇なく描くことができる。彼女は、彼という存在の絶対的な中心となる。ハウクには、ヴァルデマを同情的に描くことにおいて、インゲマンにあった困難さがない。この男は、確かに言語能力──何度も強調される能力だ──の持ち主であることも示されるが、ヴァルデマのダンス好きを非難し、デンマークには廷臣よりも戦士が必要だと主張する荒っぽいユラン人、ピーザ・ヴァネルボーとの馬上槍試合競技会のくだりで書かれているように、武器を使う能力を備えていることも示される。ヴァルデマは、その両方の持ち主であることを自ら証明する。その時、剣の力は偉大ではあるが、時にはそれ以上のことが言葉で達成される、という発言がなされているのだ。自身熱烈な愛国者であることにかけては人後に落ちないハウクは、デンマーク再統一におけるヴァルデマの功績に目を向けることも可能だし、インゲマンが陰険なやり方として王を非難していることを無視することも可能なのである。
またハウクは、バラッドに描かれた経過をたどる物語を許可することも恐れず、そのためヘルヴィーにトーヴェを殺させている。実際、彼は、ある点ではバラッドの描写よりも進んでいる。デンマーク語のCヴァージョンを除き、それらは、王妃がトーヴェに王のために風呂の用意をするよう頼み、それから彼女に対してドアを閉めるか、そうでなければ、彼女に風呂に同行するよう頼み、まずトーヴェを中に入らせるために後ろに下がり、それから彼女を押し入れるか、このどちらかを描写する。トーヴェが、手遅れになるまで何が起こっているのかに気づかないという兆候は十分にある。「ここには水がありません、ここには石鹸がありません、お願いですから、出してください」。インゲマンはトーヴェを風呂に入れるためにこのテクニックを使うが、そこで彼は怖じ気づく。一方ハウクは、何が起ころうとしているのかをトーヴェにあらかじめ知らせるのであり、その際にDGFのCヴァージョンに従うように見える。その一節「Dii setae hinde paa den badstoffue-stinn」──「彼らは彼女を浴室の石の上に載せた」──により、このヴァージョンは、トーヴェが力ずくで浴室に連れて行かれたという解釈を許しているようである。ハウクは、ヴァルデマの不在中にヘルヴィーが彼女を王宮に誘い込み、捕虜にすることを許している。それから彼女は、自分が相手を殺すつもりであることを完全に明らかにし、トーヴェはヘルヴィーの裁縫メイドたちによって熱すぎる「バッストゥー」へと連れて行かれ、その後押し込まれる。バラッドより残酷さは劣るとはいえ、おそらく心理的許容度はこちらの方が低く、また罠にかけることなどまったく眼中にないが、結果として劇的な緊張と情念は高まるのである。
インゲマンは、彼の登場人物の誰かにそのような罪を負わせることを嫌ったため、これを行うことができなかった。ハイベアは、むしろヴァルデマとの和解を切望する後年のヘルヴィーに焦点を当てることで、この問題を避けた。ハウクのヘルヴィーは罪を負う、しかも残酷かつほとんどサディスティックなやり方でそれを背負い込むが、彼女の行動は、彼女がいかにしてそのような罪を犯すところまで連れて行かれるのかを見せる周到な準備によって、ある程度は軽減される。ハウクはここでも、王妃ヘルヴィーが愛人トーヴェに嫉妬する様子を描く上でバラッドにかなり忠実に従っており、彼女が展開を注意深く見てその思いを抱くことを何度か述べている。物語の過程で、彼女はヴァルデマの敵と関わりを持つようになり、その者たちがトーヴェを誘拐してデンマークから追い出すことだけを望んでいると信じ、彼らの陰謀に加担する。本当は、彼らはヴァルデマの殺害が目的なのである。その陰謀は発覚する。彼女の腹心の友の一人で彼女に恋しているフォルクヴァーが処刑され、そのせいでついに彼女は嫉妬と復讐への欲望を沸騰させる。彼女はフォルクヴァーが、処刑された罪状については無実であることを知り、自らトーヴェに復讐することを決意する。彼女はもはやトーヴェが誘拐されるのを見ても満足せず、またこの時までに、指にはめた者へのヴァルデマの愛を保証する魔法の指輪をトーヴェが持っていることも知る。ハウクはここで、ヴァルデマの愛情を取り戻すためにヘルヴィー自身に指輪を作らせるという巧妙な仕掛けによって、情念を増大させる。ところが、ヴァルデマは彼女がそれを身に着ける前に取り上げ、結局トーヴェに渡してしまうのだ。ここには、実際のところ、もしヘルヴィーがヴァルデマの愛を取り戻すことにそこまで熱心であったのならば、フォルクヴァーとのエピソードが彼女にそのような影響を与える可能性は低いという明らかな矛盾があるし、一方、主としてトーヴェに対する自分自身の忠誠を確実にするという目的でヴァルデマがトーヴェに指輪を与えることには、アイロニーがある!それにもかかわらず、指輪の情念とフォルクヴァーの殺害は、ヘルヴィーにトーヴェ殺害への十二分な動機を与え、彼女からその行為に対する罪の意識をある程度まで免れさせているのである。
†訳注「アイロニーがある!」──うまく訳せないのでそのままにしたが、ここは、相手を振り向かせるために指輪を使うのではなく、自分がいっそう相手に惹かれるためにその相手に指輪を渡す、という発想が特殊なことを、「アイロニー」と評したようである。
悲劇は、トーヴェが被る運命に本来彼女はふさわしくないという事実によって、増強される。しかし、ヘルヴィーの嫉妬、政治的陰謀の駒としてのトーヴェ自身の役割、そして国を離れてリューエンに戻るべきだという、告解のときに彼女に与えられた助言を無視するよう兄のヘニングに説得されたことなどが相俟って、彼女の最期は不可避となる。実際、トーヴェ自身の悲劇的な葛藤を語るのは、ある程度正当な理由で可能である。ハウクは、インゲマンの売春婦的トーヴェの描写からは遠く離れている。彼のトーヴェは、彼のほかの作品でも描かれているような、美化された、貞淑で、純朴な乙女である。彼女は美と徳の特異でロマンティックな組み合わせではあるけれど、色のないつまらないヒロインというわけではない。彼女はヴァルデマーを愛している。彼女はもともと自分の劣情に従うことを制約されており、詩「Skriftemaalet[告解]」に至ると、彼女の欲望と良心の葛藤はピークに達する。その結果は熱情の奔出であるが、それはヴァルデマが彼女に話しかけたときの彼自身の感情の迸りとしか一致するものはない。現代の基準では大胆とは言えないにしても、官能的な憧れに満ちた言葉で、彼女はヴァルデマへの愛を告げる†。彼女は言う。「ひそかに燃える炎、それは聖水が消すこともできず、祈禱が押さえ込むこともできません……尽きることない憧れ、歓喜と苦痛との駆け引き、春や鳥の声よりもはるかに心を惹き付ける夢」。詩の冒頭では美と徳の乙女であった彼女は、ここで本当に生きた存在となり、花開く。ヴァルデマがせずにはいられない求愛をするとき、彼女は彼を拒否し、私があなたの花嫁になるまでは抱き締めてはいけません†、と告げる。もしこのときの彼女が異常なほど冷たく見えたとしても、彼女の告解が物事を自然な状態にして、彼女が感じていた情熱的な愛が明らかになるのである。伝説のこの側面は、バラッドでは暗黙的なものであり、以前の作家たちには無視されていたが、ここで再び浮上して、イェンス・ピーダ・ヤコプスンの連作詩「グアアの歌」において、その全編を支配するテーマとなるのである。
†訳注「ヴァルデマへの愛を告げる」──告解の中で、である。よって、ヴァルデマに告白したのではなく神に告白したのである。
†訳注「私があなたの花嫁になるまでは抱き締めてはいけません」──このくだりは、「告解」の二つ前、「Valdemar beiler til Tovelille[ヴァルデマがトーヴェリレに求愛する]」の中にある。前後関係に注意。
さらには、ヴァルデマとトーヴェの伝説は、インゲマンとハイベアにとっては極めて特異な人生観の伝達手段であったが、ハウクになると、彼自身の哲学を表現するためにも使われる。彼の全作品は、一方では彼の個人的な道徳理念によって、また一方では若い頃の彼自身の苦しみ†によって彩られている。彼の作品の多くに諦観があり、人間の幸福のはかない性質と、それに続く長期間の苦しみの感情がある。「ヴァルデマ・アダデーイ」の基本的なテーマは、「私は幸福だと思われていたが、私の幸福は束の間のものだった」というものである。トーヴェへのヴァルデマの短い愛は、何年にもわたる絶望が続き、さらに死後にまで彼は荒々しい狩りを運命づけられるのだ。幸福の短さを描くとともに、ハウクの探求心は和解を求める。その探求心は、インゲマンの場合のように、おそらく人間の卑しさを受け入れることから彼を妨げるようなことはなかったのだろうが、それでも物語の結末をトーン・ダウンさせ、ヴァルデマを死後ヘルヴィーと和解させ、その結果救われることは、彼に認めさせたのだろう。この結末は、現世の話にひたすら集中するバラッドには、もちろん欠けている。
†訳注「若い頃の彼自身の苦しみ」──ハウクは若い頃に、文学上の蹉跌や片足の切断などさまざまな試練に見舞われた。
J・P・ヤコプスンの詩に存在するような和解は、まったく別の種類のものである。ヴァルデマは王妃とも神とも和解せず、徐々にグアアの自然に溶け込んでいく。ヤコプスンのこのテーマの扱い方は、伝説の発展と言うよりはむしろ伝説の抽象化で、これまでのところ最も独創的な処置であり、また最も明白に情緒に満ちたものである。道徳的・倫理的な問題は完全に脇に置かれ、その伝説は、若者の情熱的で官能的な憧れを反映した、純粋に個人的な解釈を与えられている。従って、ヴァルデマ-トーヴェ伝説が、さまざまな要求や視点にいかに容易に適応され得るかの、もう一つの実例となっている。
ハウクの連作詩は1861年に書かれ、J・P・ヤコプスンが彼の詩を書くまでに経過した年月はわずか7年にすぎなかったが、これは詩人の死後、1886年まで出版されなかった。しかし、ハウクの「ヴァルデマ・アダデーイ」とヤコプスンの「グアアの歌」の間のギャップは、デンマーク文学に到来し、1870年代にその足跡を残すことになった革命の兆候である。作詩法におけるわずかな類似性──ヤコプスンの作品は、ハウク作品同様連作詩の形式で、物語を協同して語る、あるいはこの場合は暗示する──を除けば、ハウクの詩の比較的率直な情熱の表現を考慮してさえ、この二作にはほとんど共通点がない。実際、作詩法をよく調べてみると、ハウクの相関的なバラッドは、ヴァルデマとトーヴェ、それに続く道化師クラウス、グアアの鳩、夏風によって語られる†一連のモノローグに置き換えられているため、ここでも大きな差異が明らかになる。そして、ハウクの作品のかなりの長さは、かつてデンマーク語で書かれた中でも最も濃縮された詩作品の一作から成る、わずか14ページに取って代わられる。ヴァルデマとトーヴェは別々に目に入り、互いに思い焦がれ、その後互いへの愛が最高潮に達する逢瀬ではこうなる。「私は、まるで自分の胸がおまえの心臓の鼓動で打たれているように、自分の呼吸がおまえの胸を満たすように感じるのだ、トーヴェよ……不思議なトーヴェよ」。そして、森鳩の歌において、我々はトーヴェの死と王の悲しみを告げられる。王妃は背景に見え、彼女でさえ涙を流しかけており、それと同時にトーヴェの棺とともにその周囲を進む王に同行しているヘニング・ポーゼブスクへの短い言及がある。ヴァルデマは短い詩の中で神を非難し、その後恐れおののく農夫が見られる荒々しい狩りが来て、ヴァルデマは自分の狩人たちとともに天国へ侵攻すると脅す。最後は夏風の荒々しい狩りとなり、ヴァルデマとトーヴェが自然の中に吸収されていることが暗示される。ヴァルデマとトーヴェの自然との一体化は、この作品の最も重要な要素である。トーヴェは死後の新たな生のことを語っていたのであり、夏風の踊りの中には、「今、夏の鳥の群れが目を覚ます。花はその巻き毛から滴を振り落とし、太陽を捜している。太陽が来る。その朝の夢は、すでに東の色彩の流れの中で我々を歓迎している」という再生の暗示がある。ところが、ヴァルデマの方は別の種類の再生を求めていたのであり、「一つの言葉」を捜すことで、彼はトーヴェの生への復帰を期待しているという暗示がある。しかし、夏風の中の復帰以外には復帰はない。
†訳注「夏風によって語られる」──「夏風」を語り手の一人に列しているが、これを文字どおりに受け取っていいのかどうか、訳者には判断しかねる。「夏風の荒々しい狩り」はすべて夏風が語った詩で、そこで夏風は自分のことを自分で「夏風」「風」と呼んでいる、と理解してよいのだろうか?
トーヴェの人格は詩の中に見えず、彼女に付属する唯一の形容辞は、ヴァルデマの感情的な「不思議な」である。詩人は、彼女の人格よりも、彼女に対するヴァルデマの感情の方により関心を寄せる。同様に、ヴァルデマへの彼女の感情は、彼女自身の言葉「あなたのことを思っているとき、私は枯れるまで薔薇に口づけをしたのですから」という恋慕にある。ヴァルデマは、トーヴェの恋人として知られるのみである。伝統的に彼は不信心者だが、彼の神への反抗的態度の激しさは、トーヴェへの愛を背景としてのみ理解され得る。「覚えておけ」と彼は言う、「最後の審判の日が来る時に、愛し合う男女は一つの魂なのだ。我々の魂を引き裂き、我を地獄へ、彼女の天国へと引きずり込んではならぬのだ」
ヴァルデマとトーヴェの結合は、この作品からのこれら双方の引用に示されており、「グアアの歌」の中心的なテーマである。グアアで最愛の者に手を伸ばそうとするヴァルデマの必死の衝動から神への挑戦まで、一つになることへの衝動は、間違いなくこの作品の支配的なモティーフである。確かに肉体的な結合ではあるのだが、それには思いや心の結合も加わる。ヴァルデマの思いとトーヴェの思いは、鳩によって、並んで流れる二つの流れとして表現され、一方でヴァルデマは「雲が出逢うように一緒に生まれて滑ってゆく」それらが見えると語る。彼らの間の同一性は、逢瀬の前の二人の思いを要約する最初の四つの詩の中にさえ示されており、ここでも、互いに離れているにも関わらず、二人の思いとそれらを自己表現する心象描写は互いに密接に関連しているが、彼らの憧れの強烈さは、ヴァルデマの疾走する馬への言葉の中に初めて見える。「馬よ、おまえはまだ突っ立って夢を見ているのか!」。そしてそれは、ヴァルデマが近づくときのトーヴェの、最後の感情の迸りにこう見える。「森は開き、犬たちは町で吠え、波が徐々にうねって近づくように、道は港に向かう勇敢な騎手を揺らす、そして次に達する頂上からあの人を私の開いた抱擁へと投げ込む」。イメージも形容語句も情熱も、1867年のデンマークではまったく新しいものだった。
このすべてが、デンマーク叙情詩の天才の最高傑作に数えられるに違いない詩の中に提示されているのだ。素晴らしい豊かさと華麗さを備えた音楽的な詩、ロマン派で主流の規則的なリズムや詩の形式との大胆な決別を示す自由なモノローグ。そして、詩行がアラベスクのような模様に絡み合わされているので(ヤコプスンは別の二つの詩をアラベスクと命名した)、思いは、ヴァルデマ-トーヴェ文学の卓越した成果、ユニークであるがゆえに卓越したその成果を生み出す本作の始めから終わりまで、その模様の内外を縫うように進んでゆくのである。
ヤコプスンの詩から同じ主題の別作品に移るとなると、必然的に尻すぼみへの道をたどらなければならない。それにもかかわらず、1898年、象徴派の影響下にある詩人グループの若手の一人、ルズヴィ・ホルスタインは、煩雑で、時に非ドラマティックではあるものの、非常に美しい瞬間を持つ『トーヴェ』という戯曲を制作した。しかも、本作は物語をかなり独創的に扱っている。メーテルランク風のスタイルが濃厚で、歴史的解釈を生み出そうとするのではなく、むしろ伝説を幻影的、抽象的な水準で扱うことを目指している。一連の出来事は「歴史ではなく、詩に属する時代の」シェラン島で発生し、歴史的人物の名前や役柄さえ変更されている。王の執事であるヘニング・ポーゼブスクは、王妃の気取り屋な侍従ヘニング・フィンゲとなり、一方フォルクヴァート†は、王の激情を冷ましたいと願う腹心の友のような、王の年老いた従者として登場する。ヴァルデマ自身は、彼の通称ヴォルマという名で呼ばれている。同じように、ヴォルマは若い王であり、──おそらく政治的な理由から──髪に象徴的に白い線が見えるずっと年上の王妃と結婚したという、役柄の変更がある。ヴォルマは常にそれを政略結婚と見なしており、王妃が自分を愛していることも知らず、そのため彼女に対しては徹底的に不誠実で、トーヴェに逢うとき彼女への自分の盲目的な情愛に従うことにまったく良心の呵責を感じない。王妃については、その愛が憎しみに変わり、王の愛する女性を殺すことで、最も効果的に彼を傷つけようとする女性となっている。
†訳注「フォルクヴァート」──ここでは Folkvard と、最後に d が付いている。
ついに彼を傷つけるとき、彼女は彼が達成したと信じる幸福を破壊する。トーヴェは幸福を約束するものとして存在するが、このドラマで触れられている問題の一つは、幸福の短命な性質、歓びのはかなさなのである。ヴォルマが「夜明け前に幸福を捕まえるために」トーヴェに逢いに馬で行くとき、フォルクヴァートは彼に警告する。「我々が抱擁の中に幸福を捕らえるときには、陛下、時にそれを認識できないということが起こります。五月の夜に馬に乗り、森を通ってそれを探すとき、我々はエルフの霧を抱き締めるのです」
ヴォルマに束の間の幸福をもたらすトーヴェは、数々の花の象徴、特に始終彼女に関係するサクラの花に囲まれる。戯曲の最初の部分は五月、ヒバリの時期、リンゴの花の時期、生命が急成長する時期、解放の時期に起こり、二人はそれら生命の象徴に囲まれて出逢う。しかし、そのときでさえ、トーヴェはそのすべてを夢として見ている。彼女とヴァルデマの愛については非現実的な雰囲気があり、彼らが見せかけの国である「eventyrlandet[妖精の国]」に一緒に入っていくことがほのめかされる箇所においては、特にそうである。
彼らの愛のエクスタシーさえ、抽象的に伝えられる。ヴォルマがトーヴェを、夜と暗闇からやって来る夏の朝に喩えるといった例だけでなく、彼が、自分の想いが「夜明けにおまえの顔の上に浮かび、私が知る由もない美しいものの夢を見たときの、眠るおまえの唇の息吹を聴く」ことを語るときもそうである。これに対しトーヴェは、同じトーンで答えることができる。「はい、私はそれを感じました。それらは枕元に座って、耳元で不思議なことを歌いました。クロウタドリの歌のように、薔薇の香りのように、空の青さのように甘く」。二人が朝、修道院の鐘が鳴るのを聞きながら墳墓の上で逢う場面にも、同じく幽玄な美しさがある。「鐘が鳴る、鳴る、鳴っている。鳴っている鐘は私たちの上にも下にもある、私はそう思う。ああ、おはようございます、陛下。世界中で、何て美しく鐘が鳴っているのでしょう」。トーヴェは、鐘が互いの愛の強さを反響しているようだと、感嘆の声を上げる。しかし、観客あるいは読者は、王妃とその陰謀に象徴される厳しい現実の世界を、始終意識しているのである。
殺人の後、トーヴェのメイド、エルセは、「王妃が幸福を殺したことを、会う人全員に伝えて」と叫ぶ。トーヴェは幸福を授ける者で、また幸福そのものであるが、その彼女は除去される。絶望の中でヴォルマは、彼女が今どこにいるのかと尋ね、「永遠のうちに」という返答を受け取ると、その伝統的な信仰心の欠如(これはホルスタインのものでもあった)をこう表現する。「聴けトーヴェよ、私は絶望の中で永遠に向かって叫ぶ。だが、それは聞くことも話すこともできず、返事は何もない。ただ荒野の静けさだけがその答えなのだ」。自分に遭遇した現実さえもが彼にとっては疑いの種となり、彼はそれもまた夢なのではないのかと疑う。「そなたは、我々が天上で神が夢見ているものではないと確信できるか?……このすべてを夢見た者のことを考えると、私にはそれは、今、日の光の中に乗り出そうとしているヴォルマ王の影ように思える。さあ、陽気な影たちよ、我々自身から乗り出してみようではないか」。ここには、ヤコプスンの「グアアの歌」からの模倣があるようだ。その中でも夢の問題は生じており、そこではトーヴェが、あらゆるものを「神が夢見たものの表れ」であると語っている。
達成不可能な、あるいははかない幸福というテーマは、ホルスタインの詩において不変のものであり、それはヴァルデマ-トーヴェのテーマのほかのヴァージョンに潜在していた死と永遠の問題と結びついている。同時代デンマークのほかの人間たちと同様に、ホルスタインは生命に対してほとんど宗教的な畏怖の念を持っており、それは憎しみと偽りの敬虔さで満たされた王妃によって破壊されるトーヴェへのヴァルデマの愛の中に、その象徴的表現を見いだす。
達成不可能な幸福への憧れがホルスタインの戯曲の特徴の一つであったとすれば、わずか1年後に同じテーマのもとに出版されたホルガー・ドラクマンのものもまた同じであった。彼の『グアア』(1899)は、このテーマのより弱いヴァージョンの一つであるが、本稿の文脈では、物語のさらに別の個人的解釈であることにはやや限定的な興味しか引かれない。41歳の時、ドラクマンはあるバラエティ・ショーの歌手と出会い、恋に落ち、彼女のために妻と家族を捨てた。10年後の1897年、彼は彼女との関係を絶ち、その後それを後悔し、残りの人生を彼女に憧れて過ごした──再婚したという事実にもかかわらず。彼がイーディトと呼んだその女性は、その愛の絶頂で連れ去られた彼のトーヴェであり、彼はそれを、完全な間違いではあったが、社会的地位のあるブルジョアジーのせいにした。ゆえに『グアア』は、トーヴェへのヴァルデマの愛と、とりわけそれ以上に、ブルジョアジー代表の一人であるヘルヴィーがトーヴェを殺した後の、彼のトーヴェへの憧れに焦点を当てたドラマなのである。
インゲマンの小説の根幹をなしていた政治的テーマ──王国を再統一しようとするヴァルデマの試み──は、ここでは、この題材によるほかの作品におけるのよりも大きな役割を担っている。デンマークの敵たちとの関係により、ヘルヴィーは再統一の鍵を握っている。そのおかげで、彼女は処罰されることなくトーヴェを殺すことができる。結局、ヴァルデマが王国の完全な崩壊を避けることができる唯一の方法は、敵と折り合いをつけることによってであり、ヘルヴィーの復帰はその不可欠な要素だからである。しかし、それは見かけ上の和解にすぎず、実際、ヴォルマはトーヴェを悼み、彼女に思い焦がれながら自分に残された日々を過ごす。最後に彼は、彼女と初めて会ったグアアの自然の中での死をもって、彼女と再会する。決して深遠な戯曲ではないものの、本作は、ドラクマンの叙情的な才能と、彼が表現を与えた正真正銘本物の個人的感情によって、高いところに位置している。ヴォルマとトーヴェの愛の叙情的な表現には、ホルスタインの戯曲に見られたものをわずかに思い出させる箇所があり、ある意味、この二つの戯曲は、恍惚の愛の表出という点でヤコプスンの「グアアの歌」と同じグループにまとめることができるのだが、ヤコプスンの詩の方がはるかに濃縮され、彼の視野の方がさらに大きいことは疑いない。
ここで議論された中では、ヤコプスンだけが国際的な名声を獲得した作家であった。彼は特にドイツで知られ、「グアアの歌」も彼の小説と同様に翻訳された。結果として、アーノルト・シェーンベルクが《グレの歌》の歌詞としてそれを用い、主として1899年から1901年の間に曲を書いて、1911年に最終合唱とオーケストレーションを追加した。デンマークの伝説は、ポスト・ヴァグネリアンの壮大さとそれなりにフィットするように思われ、中世のテーマに含まれる激しさと情熱は、ヴァーグナーの英雄的な過去の時代の扱い方を継続するのにふさわしいものであった。《グレの歌》は、その源となったデンマーク作品の素晴らしさを十分に発揮した作品であり、その作品にあっては、音楽は最初から、憧れと情熱を表現するのみならず、詩がほとんど用いることができない方法で、これから起こる陰鬱な出来事を暗示するためにも使われるのである。ヤコプスンの連作は叙情的であると同時に劇的であり、その両方の要素はシェーンベルクの音楽によって強調され、高められている。「グアアの歌」と《グレの歌》の間には、どちらもそれぞれの芸術における新しい発展──ヤコプスンにあっては、詩の技法はもとより、情熱を扱った際の率直さ、シェーンベルクにあっては、フィナーレに導入した新しい和声†と、夏風の歌におけるシュプレッヒゲザンクの使用──の源となった人物の手になる初期作品であるという点で、興味深い類似点もある。こうして、19世紀から20世紀への移行とともに、ヴァルデマとトーヴェの伝説は、デンマークからドイツ†へと国境を越え、そこで以後国際的に知られるようになる形を受け取ったのである。
†訳注「フィナーレに導入した新しい和声」──どの部分を指しているのか不明。ベルクのガイドに当たってみたが、最終合唱の箇所では、対位法の見事さの指摘はあっても、和声的な特色は特に指摘されていない。例の付加6度和音のことだろうかそれだとしても、冒頭からすでに鳴っている和音である。
†訳注「ドイツ」──正確にはオーストリアである。
さしあたり、伝説は残された。おそらくそれは良いことであり、おそらくそれは19世紀の思考に対して意義を見いだされていたほどには、20世紀の思考には即さないだろう──そこに含まれる情熱と残酷さの成り行き、またサディズムさえもが、あるいは奇妙にふさわしいものに感じられるかもしれないが。それはともかく、伝説が何人かのデンマークの主要な作家たちを魅惑していた70年ほどの間に、それは個人的嗜好にも国家的態度の急場にも、奇妙に適合性があることが証明されていた。それは初め、中世が夢想だにしなかった道徳的問題を提起するように思われ、またその愛と喪失の扱いにおいて個人的経験の多くを表現するための媒体であるように思われ、また一方では、ヴァルデマが永遠に狩りをするよう宣告されることに潜在する現世・来世間の緊張の中に、形而上学に背を向けることに専心する時代──19世紀後半のデンマークのような──のはけ口もあった。伝説は、多くの視点を持ち、多面的でも意味深長でもあることが判明しており、デンマーク文学もヨーロッパ音楽も、それなしではもっと貧困なものになっていたことだろう。
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
『モザイク』第4巻第2号──北欧文学:現実と幻想(1970年冬号)、マニトバ大学
●補注──W・グリン・ジョーンズ(1928-2014)は北欧研究学者、翻訳家。英語圏や北欧で教鞭を執りつつ、『ヨハネス・ヤアアンスン』『トーベ・ヤンソン』『デンマーク現代史』などの書籍を著した。
■……上記以外にこの題材を扱ったものとしては、ウーレンスレーヤの詩「ヴァルデマ・アダデーイの墓」(1835)がある。この詩では指輪に魔力はないようで、すでにトーヴェを亡くしたヴァルデマの手によって、死後に二人が逢うための誓いのしるしのようなものとして沼(Mose)に沈められる。このあたりだけを見れば二人の美しくも悲しい愛の物語である。ただし、トーヴェが死んだ後、王はしばらくの間彼女の死体にキスをする毎日を送っていたが、あるときそれは死臭を発し始め、顔も緑色に膨らんでいた、という、ティーレの本にはなかった、まるで『今昔物語集』を思わせるおぞましい描写もある(巻19第2「参河守大江定基出家語」)。
■……上の訳注では一点だけ指摘しておいたように、訳者はこの人の「夏風」の読み方には全面的に賛成はできないのだが、この論文を付録として付けたのは、ヴァルデマとトーヴェの伝説を扱った文学作品についての知識の共有を趣旨としたつもりなので、記述内容へのこれ以上の批評は差し控えたいと思う。何となくだが、グリン・ジョーンズの「夏風」についての解釈は、ハウクの「ヴァルデマ・アダデーイ」の「荒々しい狩り」において、幽霊となった「ヴァルデマとトーヴェ」が荒々しい狩りを引き連れて、鹿に姿を変えたヘルヴィーを「一緒になって」追い回す、というストーリーに影響を受けているようにも感じられる。しかし、結合とそれを求める衝動が「グアアの歌」の中心的なテーマである、ということについては異論はない。訳者は、ヤコプスンの主たる関心がそこにあったからこそ、彼にとっては物語が悲劇で終わるかどうかは二の次だった、と考えているのである。
■……本論で紹介されたヴァルデマとトーヴェの伝説を扱った文学作品のうち、日本語で読めるものは、見落としもあるかもしれないが、これまでのところ「グアアの歌」のみのようである(2022年夏現在)。それだけに、このような論文は本当にありがたい。

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