サボテンの花ひらく 日本語訳

イェンス・ペーター・ヤコブセン(イェンス・ピーダ・ヤコプスン)
Jens Peter Jacobsen
鷺澤伸介:訳
(最終改訂 2011.2.6)

シェーンベルクの『グレの歌』の原作を含む、デンマークの作家ヤコブセン(ヤコプスン)(1847-1885)の『サボテンの花ひらく』(原題:En Cactus springer ud)を、デンマーク語原書から翻訳しました。

底本

サボテンの花ひら [*]
心の中で、知人たちの列を通過させてみたとしよう。すると、いつも見えてくるのは、ある特定の状況に身を置いた、近くも親密でもない人々の姿である。
少なくとも、私にとってはそうなのだ。
例えば、ある者は、常に挨拶しながら角を曲がっているし、別の誰かは、常に向かいの家に視線を向けながら私の家の窓のそばに立っている。いつも座って、たくさんの蠅が上をぶんぶん飛んでいるスープを考え込んで見つめている老人もいれば、いつもくるみ割りを持って、大きなカラーの木の葉陰で歯を見せているエレガントな若者もいる。
今、通過してゆくこうしたたくさんの肖像の中から、一つを留めおいてみることにしよう。
それは、見事な薔薇の上に身を屈めて、新しく開いた蕾にキスをしている老人である。彼は、軍事顧問官だ。軍事顧問官は、言葉にできないほどの深い愛情を、自分の花にも他人の花にも同じように注いでいる。それはつまり、人が自分の子供を愛するのに比例して、他人の子供のことも愛するようになるのと同じことである。しかし、もし誰かが、せっかく珍しい花の子供を所有しているのに、それを上手に育てるための扱い方を知らなかったりすると、彼はそれを引き取り、まるで自分のもののように世話をして、なかなか手放そうとはしないのだった。人が花に対して優しくしないと、彼は怒り出し、時には全くの別人にさえ豹変し、窓の所で育てているヘリオトロープに水をやれだの、その横に立っているミルテは切ってしまえだのといった命令を発するのだった。この軍事顧問官には一人の娘があった。彼女はユーリェという名ではなかったけれど、私は彼女をユーリェと呼んでおくことにしよう。彼女は美しいかって? もちろんさ! では、軍事顧問官がどう思っていたかを教えてやろう。私は、この軍事顧問官には、実はかなり象徴主義的な性向があるのではないかと疑っている。というのも、居間にある花には、いずれも彼の愛するものの名前が付けられていたようだったからだ。そして、小さなフラワースタンドには、濃い色の葉と明るく香ばしい花を誇るキョウチクトウが一本だけで生けられていたのだが、その白く美しい花がユーリェという名で呼ばれていたことは、全く確実だったのである。
ずっとその家に通っていたのは、我々五人の若[*]、ピア、ポウル、カール、イェスパ、それに――マスであった。我々全員が最後にそこに集まったのは十月のある晩で、それは九年間の丹精込めた世話の末、ついに一つの花を付けたサボテンに誘われてのことであった。その花は、このサボテンの習性に従って、夜の間に大きな破裂音を立てて開くことになっていた。で、その時、待っている時間を何かでつぶさなければならないということで、別に珍しいことでもないのだが、我々若い連中が自分たちを詩人であると思い込んで――カールは、我々にとっても自分にとっても、そんなことは馬鹿げていると固く信じていたのだったが――、お茶と果物が巡回してくる間の空白を我々が埋めましょうと言って、それを軍事顧問官に納得させたのであった。その場には紳士淑女の一団が招待されていたが、悪天候やその他の合法的な欠席理由のため、会合に集まったのは、耳の遠い陪席裁判官を除いては、我々五人だけだった。それでも、都合よくユーリェはそこにいた。そして、やはり本当のところ、我々が朗読を聴かせて感心してもらいたかった相手は、彼女なのであった。
さて! サボテンがテーブルの真ん中に立ち、軍事顧問官と裁判官はそれぞれのソファの端に座り、ユーリェは、死んだ母親のものであった古いきれいな糸巻きに糸を巻き付けていた。カールは、彼女の近くに座って、糸が巻いてあった厚紙を巨大な園芸バサミで切り刻んでいた。その他の者は、少し惨めな気分であたりをぶらついて、壁の絵をぼんやり見つめたり、タペストリーの縞を数えたり、名刺の束を調べてみたり、星がきれいかどうかを見るために巻き上げカーテンを上げてみたりしていたが、そんな忙しさの中にあっても、部屋で話されていることはみんな聞き取っていたわけで、裁判官が面白いことを言ったりすると、笑うこともできたのであった。
ついにユーリェは、ポウルに「どうか始めてください」と要求し、彼は朗読を開始した。
森はいちばん美しい衣装を着て
果実は葉を華麗に彩る
これ以上贅沢に飾ることも
これ以上目的に近づくこともできない
目的は達せられたのだ。
秋風は狡猾と奸計を秘めやって来て
梢に垂れた葉に口づけして回る
それは優しい春風からの挨拶を呼び起こし
短かった季節を悪賢く思い出させる
あの芽吹きの季節を。
今、あこがれに満ちておのおのの葉は思い出す
幸福な蕾の中で夢見た季節を
優しく目を覚まさせ、その緑に口づけした光に向かって
身を伸ばした解放の瞬間を
思い出す。
過ぎ去った季節にもう一度生きようと
今、風に輝いて再び身を躍らせる
でも春の色のような鮮やかさは得られない
萎れてぶら下がり、色は褪せてしまった
目的は達せられたのだ。
秋風は荒々しい足取りでやって来て
葉に嘲りの歌を唸り聞かせる
「退行するほど老いぼれたのでは
みんな枝から落ちなきゃだめだ
目的は達せられたのだ。」
今落ちていくけれど、小さな葉たちは
蕾の中に再び横たわっているかのように
梢から引き裂かれても、固まり合って
最後まで変わらず夢を見続ける
春の夢を。
「そう、そうですな!」裁判官は嘆息した。「秋はなんとも憂鬱な季節ですな。それに不健康です、いや本当に!」
イェスパは、ソファの連中を共感を込めて見渡し、ユーリェにほほ笑みかけてから、読み始めた。
気分
I.
果てしない宇宙で揺れている
海上の葉のような我らが地球。
そして私はきらめく塵。
「神」はその光源をご存じなのか?
それでも全太陽系は存在し
エーテルの浴槽に揺れている。
私の思考の海にほんの小さなさざ波を
引き起こしたのは何なのか?
II.
大いなる思考とともに私は生きてきた。
深い気分は繰り返し
真実の陽光が明るくきらめく
魂の輝く国へと私を連れ去った。
私は美の海上に揺曳し
その波の音を聞いてきた。
そして美しく澄んだ深淵の真珠を
勇敢に自分の道へと持ち帰った。
私の人生には悲しみと苦しみが多かった
だが、その苦悩の中にさえ歓びがあった
私はその戦いに敗れもし
また同じ戦場で勝ちもした。
それでも私はこの壮麗なる舞踏場から
退却することを好まなかった。
それは農夫の愚鈍さを遠ざけて
歓喜とともに精神の力を与えてくれた。
おお、それなのに、なんという安らぎなのだ
ただ眠そうなまなざしで見えるものを思い
価値なきものに価値を見
精神の言葉をあざ笑うことは。
そして最後には静かにまどろみ入るのだ
天上の安息を夢見ながら
死んだ女たちとの再会や
永遠に続く日曜日への希望を胸に。
「今の詩は、私が植物学に関わっていたころのことを思い出させるね」軍事顧問官は大きな声で言った。「多弁性の花は醜いとよく言われていたものだった。それで私は、薔薇を見ると、花びらをバラバラにむしり取らずにはいられなかった。きれいな花びらの後ろに隠れている雄蕊の惨めさを、よく見てやろうと思ってね。当時の私は、自分に古い農夫の感性があればと思っていたものだったが、今ではそれを持っている、ありがたいことに!」
ユーリェは、今度はピアに、何かで私たちを楽しませてくださいと頼んだ。ピアは座り、自分の長靴を見つめ、ひどく驚き、どうにも気の進まぬふりをしてみせた。こうした前奏曲を終えてから、彼は読み出した。
アラベス [*]
おまえは暗い森の中で迷ったことがあるか?
おまえは牧神パンを知っているか?
私は彼を感じたことがある
暗い森の中ではなく
すべてが沈黙したときに
いや、私は牧神を知らない
でも、愛の牧神なら感じたことがある
すべての会話がやんだときに。
太陽の暖かな場所で
奇妙な草が生長する
ただいちばん深い沈黙の中でだけ
幾千もの陽光の炎の下で
その花は開くのだ
一瞬の間だけ。
それは狂った者の目のように
死体の赤い頬のように見える。
私はそれを見たことがある
私自身の愛の中に。
彼女はジャスミンの甘く匂う雪のよう
ケシの血が彼女の血管に流れていた
冷たい大理石のような白い両手は
彼女の膝で休んでいた
深い湖の睡蓮のように。
彼女の言葉はふわりと落ちた
露に濡れた草の上に
林檎の花の花びらのように。
しかし、噴き上げる水の輝きのように
冷たく澄んで
のたうつときもあった。
彼女の笑いの中にはため息があり
彼女の涙の中には歓喜があった。
誰もが彼女にひれ伏さずにはいられなかった
ただ二つのものだけが彼女に挑むことができた
彼女自身の瞳である。
毒百合の
まばゆいグラスで
彼女は私に乾杯した。
死んだ者にも
今彼女の足元にひざまずいている者にも。
彼女は我ら全員とともに飲んだ
――その時の我らのまなざしは従順そのもの――
永遠の忠誠を誓う杯を上げて
毒百合の
まばゆいグラスで。
すべては過ぎ去った!
雪に覆われた平原の
褐色の森の中
孤独なサンザシが伸びている
風がその葉を占有する。
一つずつ
一つずつ
血のように赤い実が滴り落ちる。
白い雪の中に
灼熱化した実が
冷たい雪の中に。――
おまえは牧神パンを知っているか?
ピアは、賞賛を求めてユーリェの方を見た。彼女は、瞳の中に感激を込めて彼に優しくうなずいたが、少なからず困惑していた。というのは、彼女はピアが朗読していた間中、ずっとカールと囁き交わしていて、そのためほとんど一語も耳に入れていなかったからである。
裁判官は笑って、咳払いをして叫んだ。「素晴らしい、素晴らしいですよね、顧問官殿? 見事、実に見事!」
軍事顧問官は、ピアの方を向くと、少し困ったように言った。「ああ、実際、申し訳ないんだが、私には理解できなかったのだよ、情けないことに。響きはこの上なく美しいんだが」
「そのとおりですよ!」イェスパとマスとポウルは一緒に叫んで、それについて言うべきことがどっさりあることを、腕の動きでほのめかした。だが、幸い小間使いの娘がベアリンゲレ[*]の夕刊を持ち込んだため、それは中断された。新聞は、否応なく全員の注意力を奪ってしまった。しかし、その場にそぐわないものに対しては、人は結局は飽きてしまうものである。それで、イェスパが朗読を求められた。彼は非常にゆっくりと原稿を広げ、暗い顔で前を長いこと見つめ、それから取りかかった。
異邦 [*]
時々、南の国の種が、風と波によって北国の海岸まで運ばれて発芽することがある。しかし、異郷の植物にとって、その土地の空気は冷た過ぎ、強い海辺の草が生長を奪い光を遮ってしまう。すると、故郷では見せることができたはずの美しさを、その発育を阻まれた茎や垂れ下がった葉の中に発見してやれるのは、ただ研究者の目だけということになるのである。そんな植物を二つ、これから君にお目にかけよう。でも君は、その生長不良の姿の中に、真っすぐ伸びた幹や、葉の緑の豊かさや、花の色の鮮やかさを察してやれるような――打ち消された美しい生命の輝きをそこに与えてやれるような――そんな研究者になってくれるかい?
それはユランの小さな村の、大きな夏の市での出来事だった。広場の真ん中に一人の楽士が立ち、男や女が彼の周囲に輪になって、あふれ出る音の海の中に、楽しそうな、しかし成熟した大人にふさわしい顔つきをして、身を沈めていた。そこに一人、完全にあけすけに音に身を任せている者がいた。ひどく低い声で口ずさみ、頭で拍子を取り、時々ダンスのステップをし、楽しそうな、驚いたような目が、一人また一人へと向けられた。その目はまるで「あんたがたは、じっと立ったままでいられるのかい?」とでも言いたそうであった。だが、人々の静かなまなざしは、彼にこの上なくきっぱりと「いられるとも」と答えていたし、人々の微笑には、彼の理性への冷ややかな疑念さえ加わっていた。突然、彼は、真向かいで、目を半開きにして、拍子を合わせて頭を振り動かしている一人の少女に気付いた。彼はその少女の所に飛んでいって手をつかむと、すぐに草の上を踊り回った。その時響いていたのは踊りのメロディではなかったが、彼らの即興の踊りは生命力と確実さを併せ持ち、メロディにぴったり合って、その全体がまるで古くよく知られた二つの何かのようであった。
「あんなふうに踊るなんておかしいわね」と、かなり若い農夫の娘が、年長の娘に囁いた。
「まあね、ちゃんとした生まれの人たちじゃないし」
「どんな人たちなの?」
「あのね、男は貧しい家で育てられて、母親は尻軽グレーデと呼ばれたひどいろくでなしだったのよ」
「じゃ、娘の方は?」
「南の出身だって、見ればすぐわかるでしょう。父親はスペイン人で、軍曹だったのよ」
しかし、このお互いを見出し合った二人の幸福者たちは離れようとせず、一ヶ月後には結婚してしまった。彼らには家族もなく、持ち物もほんのわずかであったが、それも一人の男から丘の上の小さな荒れ地の一角を譲り受けるには十分であった。彼らはその丘に家をしつらえた。しかし、荒れ地は、初めに考えたような菜園にはならなかった。というのも、イェンスは、どちらかといえば土掘りよりもクラリネットを吹いてパンを手に入れたがったし、カーアンは、背を丸める仕事よりもむしろ糸を紡いでいたかったからである。彼らは幸せいっぱいに暮らし、再び夏の市が来た時には、イェンスはクラリネットを持って出かけていったが、カーアンの方は家に留まっていなければならなかった。丘には、世話の焼ける三人目が生まれていたからである。
年月は過ぎ、エルセと呼ばれた小さな子も、かわいらしく賢く成長して、朝から晩まで茶色いヒースの藪の間を陽気にはしゃぎ回っていた。
突然、彼女は重い病気にかかった。昼も夜も、両親はベッドに付きっきりだったが、病気は軽快しなかった。
とうとう、子供は最後の闘いの呻き声を上げた。イェンスは恐がって外に逃げたが、母親の方は「主の祈り」を捧げていた。そして、それがこの瞬間に自分がひたすら探し求めているものを呼び寄せてくれるわけではない、ということに気付いた時、彼女は祈りに自分の言葉を加えた。「神様! 私はあなたが善良なお方であることを知っています。だから、私たちが幸福過ぎて、あなたのことをほとんど考えなかったからといって、私たちにあまりに厳しい仕打ちをなさるはずがないということもわかっています。どうか、私から子供を取り上げないでください! これまでのようにはこの子を私たちに任せておけない、というのでしたら、私を病気にしてください。私たち大人は不幸が降りかかっても当然なのですから、私たちの方を不幸にしてください。でも、罪のない子供のことは苦しめないでください!」
しかし、子供は死の苦痛にもがいていた。母親は絶望して叫んだ。
「お待ちになって、神様! 助けてください! この子の病気を放置なさらないで。この握り締めた手を見てください。この子の目が、助けを求めて私を見つめるのをご覧になってください。おお、神様、なんて罪深いお方!」
子供は死んだ。
翌日、イェンスは牧師の所へ行き、子供は丘のすぐ外の荒れ地に埋められるのがよいと思う、丘はあの子がこの上なく幸福な時を過ごした場所だから、その近くに眠る方がよい、教会の墓地は全く知らないし、全然知らない人たちの間に埋めるのはどうにも気が進まない、と懇願した。牧師は、教会は人が死んだときに眠る唯一の正しい場所であり、キリスト教会の子供を異教徒のように聖別されていない土地に埋めることなどできない、と説得した。
その時は、牧師が言い分を通した。
悲しみがしばらく二人を沈鬱にしていたが、彼らは若く、生活は再び光と色を取り戻した。彼らは、そこを離れて市場の立つ町に移り、イェンスはいくつかの踊り小屋に雇われ、カーアンはたっぷり糸を紡ぐことができた。
また、二人が一緒に出演する日もあって、彼らはそれを子供のように待ちこがれた。すなわち、街で何か、どうしても華やかさが必要な祝祭があるときに、二人は音楽をやるために雇われたのである。まじめくさった連中にとって、狂ったイェンス・クラリネット氏が、まるでマンドリンの弦をかき鳴らすように指を楽器の上に動き回らせ、その間じゅう妻に優しさに満ちた賞賛のまなざしを投げているのを見物するのは、どんなに楽しいことであったことか。また、人妻であるカーアンが巨大なタンバリンを振ったり叩いたりするのを見るのは、どんなに果てしなくおかしいことであったことか。そして最後に、年を経るにつれてだんだんと思い起こされ、繰り返されたネタが、どれほどたくさんあったことか。というのも、面白いネタは決して忘れられたことがなかったし、イェンスとカーアンは、髪が白くなり始めた後も長いこと出演を続けたためである。
しかし、死は、再び彼らの家を訪れようとして、そのお膳立てをするために、召使いである病気を送り込んできた。カーアンが病気になったのである。重病だった。イェンスは、治療法を求めて外出していないときは、彼女に付きっきりだった。数マイル四方の医者や巫女や呪術師と称する者をみんな病人のベッドまで連れてきては、自分が持っているものを全部やるからと約束し、カーアンを治してくれとひざまずいて哀願するのだった。
だが、カーアンは死んだ。
穏やかで静かな晩だった。イェンスは、タンバリンを取ってきて死者の手に持たせ、それから自分のクラリネットを持ち出して、彼女がいちばん好きだったメロディを吹いた。最初に小さな歌を吹いたが、その歌詞は、彼にはひどく重く、悲しげに響いた。
「それは土曜の晩だっ[*]
私は座ってあんたを待った
必ず行くって約束したのに
結局来てくれやしなかった」
それから彼は、彼女がいつも聴きたがっていた奇妙な舞曲を吹いた。それは農民たちが決して踊ろうとしないものだった。彼らに言わせると、それはクズのような曲だから、ということだった。
ところが、隣人が、死者の家の方から響く音楽を聞きつけ、すぐにイェンスの所にやって来て、憤慨に猛り狂って叫んだ。
「なんて人なの! 座りもしないで、奥さんの遺体のそばでダンス音楽をやるなんて!」
イェンスは驚いて彼女を見た。
「出てお行き! あんたなんかを遺体のそばに置いていたりしたら、神様にも人様にも申し訳が立たない」
それでイェンスは出ていき、酔っぱらった。それは、彼のしたすべての行為中、初めて他人にも理解できることであった。それで人々は言った。狂ったイェンス・クラリネットは、馬鹿な奥方が死んで賢くなった、と。
だが、イェンスは、ずっと酒を飲み続けた。
部屋の中はひどく静まってしまった。なぜだかわからなかったので、ユーリェとカールは困惑した。カールは何か言おうとしたが何も言えずに、フルーツ椀をひっくり返してしまった。一同は笑い声を上げながら、転がるりんごや跳ねるくるみを追いかけ回した。さて次は、ポウルが進めなくてはならなくなった。彼はグラスの水を三杯飲んでから、朗唱した。
グアアの [*]
I
ヴァルデマ
青みがかった黄昏は
海と陸のあらゆる音を和らげ
空を行く雲は
地平に安らぎ横たわる。
森の風の巣には
沈黙の重みが積み重なり
湖の清らかな波は
自らを休息へとたゆたい誘う。
西では太陽が
輝く深紅の衣を投げつつ
海に自分自身を手渡して
昼の輝きを夢見ている。
葉は少しも動かず
私の感覚を呼び起こすこともなく
音は絶え果てて
踊りたい気持ちを揺さぶることもない。
ああ、すべての力は
自らの夢の川に沈んで
穏やかに静かに
私を私自身に押し戻す。
II
トーヴェ
おお、月の光線が円やかに戯れ
私の周りがみな沈黙する時
湖の波は水ではなく
暗く静かな森は木々ではない。
天球を隠すのは雲ではないし
大地の起伏は谷や丘ではない。
形は形はでなく、色は色ではない。
すべては神が夢見たものの影。
III
ヴァルデマ
馬よ、おまえは今、突っ立って夢でも見ているのだな!
いや違う、私には見えている、おまえのひづめの下で
道が急速に流れ去っていくのが。
だが、もっと強く、全速力で駆けるのだ。
おまえはまだ森の真ん中にいる
私はもうずっと
グアアの城門でおまえを待っているというのに[*]
森は離れ、私には小さなトーヴェの美しい小部屋がすっかり見える
森の木々は我らの後ろに暗い壁となって滑り去る
それでも、なおも荒々しく駆けるのだ!
おまえには、見えているか?
野や沼の上に、雲の影が長く伸びていくのが。
それがグアアの地に到達する前に
我らはトーヴェの家に立たねばならぬ。
今響いている音が
永遠に消えてしまう前に
おまえの素早いひづめの打撃が
グアアの城の小さな橋を揺らさなければならぬ。
落ちゆく葉が
小川の波に届く前に
おまえのいななきが
グアアの中庭に響きわたらねばならぬ。
影よ来い、音よ絶えよ
もう葉は波間に沈むがいい
ヴォルマにはトーヴェが見える!
IV
トーヴェ
星は歓喜に叫び、湖は輝き
岸に向かって高鳴る胸を抑える。
葉はハミングし、滴は踊り
風は陽気に私の胸に自らを投げつける。
風見鶏は歌い、塔はうなずき
若者たちは燃えるまなざしで気取り歩き
乙女たちは不思議にざわめき高まる胸に
むなしく手を当て和らげる。
薔薇は眉に手のひらをかざして見つ[*]
たいまつは暗い視界を助ける。
森は今やその覆いを開き
犬たちは村の中で吠えている。
絶え間なくうねりの近づく通路が
安息の港へと向かうあの雄々しい騎士を揺らしている。
この後の次の一登りが
あの方を私の開いた腕の中に投げ込んでくれる。
V
逢瀬
ヴァルデマ
天使も神のためにこんなに素晴らしくは踊るまい
今世界が私のために踊っているようには。
ひれ伏して神への愛を歓呼することもない
ヴァルデマの心臓がおまえに愛を叫ぶ以上には。
キリストが神の傍らに身を置いて
苦悩を笑い飛ばしていることも
ヴァルデマが悲しみと争いを忘れ
小さなトーヴェの傍らに身を置くのにはかなうまい。
天国の壁を前にして
その中で揺られることにあこがれる魂も
ウーアソン海峡の城の塔か[*]
グアアの金色に輝く尖塔を見たヴァルデマには及ぶまい。
我はその平和な地上の片隅と
そこにある秘密の真珠を交換するまい
天上の栄光と妙なる音と
すべての聖なる者の群れとさえ。
トーヴェ
今、私は初めて言います
「ヴォルマ王、愛しています」と。
今、私は初めて口づけします
あなたに腕を巻き付けて。
するとあなたは言うのです
それは前にも聞いたし、口づけはいつものことだと
それなら私も言いましょう、「王様は
つまらないことを思い出す愚かな方」と。
あなたは言います、おまえの方が愚かではないかと
私は言います、「王様は正しいですわ」と。
でもあなたは言います、おまえも愚かではないと
それで私は言います、「王様はひどい方」と。
だって私はあなたを思っている間
薔薇に口づけしてみんな散らせてしまったのですから。
ヴァルデマ
真夜中の時間
忌まわしい一族が
忘れられ、埋もれた墓から姿を現し
城の蝋燭や小屋の灯りを
あこがれに満ちて見つめる
風は彼らに向かって
あざ笑うかのごとくまき散らす
ハープの調べと杯の音と
愛の歌を。
そして彼らは消え入りながらため息をつく
「我らの時は過ぎ去った[*]」と――。
我がこうべは生命の波に揺れ
我が手は胸の鼓動を感じる
生命に満ちて私に降り注ぐ
燃える口づけの深紅の雨。
そして我が唇は歓呼する
「今こそ我が時!」と。
だが時が過ぎゆけば
私はさまよい歩くことになるだろう
真夜中に
死んだような足取りで
死に装束をぴったりとかき合わせ
冷たい風に向かって
遅い月の前を忍び足で。
そして悲しみに縛られ
黒い十字架で
おまえの愛しい名前を
土に刻み
地に沈みゆきつつ嘆くのだ
「我らの時は過ぎ去った!」と。
トーヴェ
あなたは私に愛のまなざしを送りますが
目を伏せてしまいます。
その愛のまなざしが二人の手を握らせますが
握力は消えてしまいます。
でも、愛を呼び覚ます口づけとして
あなたは私の唇に握った私の手を当てます。――
炎の口づけと同じように
まなざしが燃え出ることができるときに
あなたは死に対してため息をおつきになるなんて!
空で輝くあの星たちは
夜明けになれば消えてゆくけれど
それでも夜ごと夜ごとに
永遠の輝きに燃え立つのです。
――死など短いものですわ
夜から夜明けまでの
静かな眠りと同じくらいに。
あなたが目覚めるときにはいつも
ベッドであなたとともにある
真新しい美に包まれた
あなたの若い花嫁を
あなたはご覧になるのです。
だから、さあ黄金の杯を
飲み干しましょう
力強く飾り立てている死のために。
私たちは至福の口づけによって
息絶えるほほ笑みのように
墓に赴くのですから。
ヴァルデマ
不思議なトーヴェよ!
私は今おまえの傍らで満ち足りているので
一つの望みさえ持っていない。
我が胸はかくも軽く
我が思いはかくも澄みわたり
目覚めた平和が我が魂を支配する。
我が内はあまりに静かだ
神秘的なほどに。
唇は言葉の橋を架けようとするが
再び安らぎの中に沈んでしまう。
なぜなら、我が胸が
おまえの心臓の鼓動とともに脈打ったように
我が呼吸が
トーヴェよ、おまえの胸を膨らませたように、いられるからだ。
また我らの思いが
互いに出逢う雲のように
生まれて共に流れてゆくのが見える
そしてそれらは形を変えつつ一つになって揺れる。
それで我が魂は静まって
私はおまえの瞳を見て押し黙る。
不思議なトーヴェよ!
VI
森鳩の歌
グアアの鳩たちよ! 島を飛び回って集めた悲しみが
私に重くのしかかっています
来て! 聞いて!
トーヴェは死にました! 彼女の瞳には夜の闇が訪れました
それは、それは王の昼の光だったもの。
彼女の心臓は沈黙しているのに
王の胸は荒く波立っています
死んだように、しかも荒々しく!
大波の上の小舟の舟板が
自分自身を抱き締めようとひん曲がっているときに
舵取りの方は深淵の海藻にからまって死んで横たわっているのと同じくらい奇妙に。
誰も彼らの間に伝言を運ばず
その道は通れません。
二人の思いは並んで流れる
二筋の流れのようでした。
トーヴェの思いは今どこを流れているのでしょう?
王の思いは奇妙な入江の中をのたうちもがき
トーヴェを探し求めていますが
見つけることはできません。
私は飛び回り、悲しみを集め、たくさんそれを見たのです[*]
王が棺を肩に担ぎ
ヘニン[*]がそれを支えるのを見ました。
夜は暗く、たった一本のたいまつが
小路を照らしておりました
王妃がそれをかざしたのです、バルコニーで高々と
復讐の思いにわななきつつ。
泣きたいわけでもない涙が
彼女の瞳に光っていました。
私は飛び回り、悲しみを集め、たくさんそれを見たのです!
王が農夫の上着を着て
棺とともに行くのを見ました
王を勝利に運んだ馬が
それを引かねばなりません。
王の目は行方なくさまよい
一つのまなざしを探していました。
王の心は奇妙にも
一つの言葉に耳を澄ませていました。
ヘニングは王に話しかけましたが
それでもなお瞳と心は探していたのです。
王はトーヴェの棺を開き
哀願するような唇で見つめ、耳を澄ませますが
トーヴェは押し黙ったままです。
私は飛び回り、悲しみを集め、たくさんそれを見たのです!
修道士が綱を引き
夕べの鐘を鳴らそうとしました。
しかし彼は車を引く者たちを見て
王に悲しみのルー[*]を告げました。
太陽は大地の死を知らせる
鐘の音の方へと沈んでゆきました。
私は飛び回り、悲しみを集めました、その上死までも。
ヘルヴィ[*]の鷹が
王の庭で
グアアの鳩を打ち殺したのです。
VII
ヴァルデマ
主よ、あなたはトーヴェを私から連れ去った時
自分が何をしたのかご存じですか?
あなたは私を最後の隠れ家から
狩り出してしまったのだということをご存じですか?
主よ、あなたは恥じて赤面することもないのですね
あれは貧しい者のたった一つの子羊だったのに!
主よ、私もまた支配者です
私は王座で学んだものです
臣下たちから
最後の陽光まで奪ってはならぬと。
主よ、あなたは苛酷なやり方をなさるが
そんなふうに完全に破滅させる方法で人を支配すべきではないのです!
主よ、あなたの天使たちの群れは
賞賛であなたの耳を満たします
あなたはとがめられるべきときに
いさめてくれる友をお持ちでない。
ああ、聡明であり続ける者などおりませぬ
だから主よ、どうか私をあなたの道化にしてください[*]
VIII
荒々しい狩り
ヴァルデマ
目覚めよ、王者ヴァルデマの従者たちよ!
さび付いた腰の剣を引き抜け
獣と怪物の印で飾られた
埃だらけの楯を教会から持ち来たれ。
土中で草を食む馬どもを呼び覚まし
黄金の拍車の歯を馬腹に当てるのだ
グアアの町へ押し寄せよ
死者の夜明けは来たれり!
農夫の [*]
棺桶の蓋がコツコツいう音
夜の行列の重い足音。
芝は土からはがれ落ち
畑には黄金が鳴り響く。
教会の入り口ではガチャガチャガタガタ
古い砂利を投げつける音がする。
墓地の中では石が鳴り
鷹どもは教会の塔から羽音を立てて叫び
教会の門はバタバタ開いたり閉じたりする―[*]
ふとんをひっかぶれ、奴らがそこを駆け抜けた。
――おいらは三遍、聖なる主の十字架を切る
人と家と、牛馬のために
おいらは三遍、救い主のお名を唱える
奴らが穀物の種を傷つけねえように。
それに主が聖痕をお負いになった
手足にお名を書いておけば
妖精の一[*]やら夢魔やら
トロールの[*]やらに襲われないで済むってもんだ。
仕上げに戸口に鋼や石を置けば
家に災いは何も起こらねえ。
ヴァルデマの従者たち
ようこそ、王よ、グアアの湖へ!
我らは今この島中で狩りをする
見えない目で狙いを定め
弦の緩んだ弓から矢を放つ
鹿の影に傷を負わせ
草の露が血のごとく滴り落ちる。
ヴァルラウ[*]
黒い翼を羽ばたかせ
木の葉が馬の胸の周りであわ立つのを聞け。
かくて我らは狩る、人々が言うように
夜ごと夜ごと、裁きの日の荒々しい狩りの時まで。
ホラ、馬よ、ホラ、犬よ
狩りはしばし休憩だ
ここに昔と同じように城がある。
馬はカラスム[*]を与えられ
我らは朝食に栄光を食うことができる。
ヴァルデマ
トーヴェの声で森は囁き
トーヴェの瞳で湖は見つめ
トーヴェの微笑で星は光り
乳房のように雲は膨らむ。
彼女を捕らえようとして五感は騒ぎ
彼女を求めて思いは戦う。
だがトーヴェは向こうにいて、またトーヴェはここにいる。
トーヴェは遠く、トーヴェは近い。
トーヴェよ、おまえは魔法の力で
湖や森の輝きの中に縛られているのか?
胸は張り裂けそうに膨れあがる。
トーヴェ、トーヴェ、ヴァルデマはおまえに焦がれる!
道化のクラウ [*]
「鰻という奴ぁ奇妙な鳥[*]
水に住むのが好きなのに
時々陸で一時間
月光を浴びてもがいて[*]
これは俺がかつて人様について歌った歌だが
今は俺自身にピッタリ当てはまる。
俺は今じゃただの百姓で家だって小さい
客も呼ばず、そりゃもう静かに暮らしていたのだ
なのに、家のわずかな蓄えの半分ほども食われちまった
だから多くはおもてなしできぬ、そうしたいのはやまやまなんだが。
それでも――なぜ俺がいつも真夜中どきに
池の周りを駆け回らなきゃならないのかを
俺に説明できる奴には
俺の夜の安息を贈呈してやろう。
パレ・グロープとイーレク・ポ[*]
同じ目に遭うのは、俺にもよくわかる。
あいつらは信心というものを持たなかった
今じゃ馬の上でもギャンブルだ
地獄へ行ったときの
いちばん涼しい場所とその次の入り口を賭けて。
そして王様、天使やガチョウと一緒に飛んでいっちまってから
ずいぶん経った娘を呼んで、闇夜に狂ったように駆け回っている
あの人なら、馬を駆るのも当然ってもんだ。
なにしろあの人はえらく天然の正直者だから。
皆の衆はこの上なく慎重に
十分用心せにゃならん
月の向こう側に住んでいる奴のような
そんな力を持つ馬鹿には。
しかしこの俺、ファーロムの道化クラウスは
死者は姿を現すこともなく
魂の錨も同じように塵になると
信じていた。
そうなれば人は落ち着いて
大きな宮廷のお祭りに集中できるというものだ
ブラザー・クヌー[*]が言ったように
黄金のラッパが吹き鳴らされ
勇敢なる善人が
罪人どもを去勢雄鶏のように食らう時
ああ、俺ときたら、呪われた子馬に乗って
自分の鼻を尻尾の方に向けて
人がベッドに入っている間、よろめき歩かにゃならんのだ
まだ間に合うなら、俺は首を吊りたいのに。――
だが、最後に俺が救われる時には
おお、どれほどの甘さが味わえることか。
思うに、俺は大方の人間よりほんの少し罪深いが
ほとんど口先で切り抜けることができる。
裸の真実に服を着せ
本道行きと脇道行きの鞭を振るった奴は誰なんだ?
そうさ――もしも公平というものがあるのなら
俺も天国の広間に座れるはずだ。
ああ、そうなりゃ、そこでご主人様をけなしてやるぞ[*]
ヴァルデマ
今、天国で笑っている
汝、厳しき裁き手よ!
最後の審判の日が来る時に
これを肝に銘じておけ。
愛し合う男女の魂は一つなのだ。
汝は我らが魂を、我を地獄へ、彼女を天国へと
二つに引き裂くわけにはいかぬのだ。
なぜなら、そのときは、我は力を用い
汝の見張りの天使を蹴散らして
天の帝国に
我が荒々しき狩りをもって攻め入るであろうから。
ヴァルデマの従者たち
鶏が鳴こうとして頭を上げる
彼らは体内に昼を宿している
そして我らの剣からは
さびで赤くなった朝露が滴り落ちる。
時は終わった!
墓は口を開けて叫び
大地は光を嫌う恐怖を吸い込む。
沈む、沈む!
生命は力と光沢の中を
行為と高鳴る胸をもってやって来る
そして我らは死の所有物
悲しみと死の所有物
苦痛と死の所有物なのだ。
墓へ! 墓へ! 夢を孕んだ休息へ――
おお、我ら平穏のうちに憩わせてもらえれば!
IX
夏風の荒々しい狩 [*]
誇らしげなグッドキングヘンリ[*]もミセス・カモミー[*]も、くれぐれも気をつけて!
さあ、夏風の荒々しい狩りが始まる。
湖は風の足跡を銀のようにきらめかせ
蚊はおびえて藺草の叢から飛び上がる。
君が思うよりも、ずっとひどくなるからね。
ヒュウッ、風がブナの葉の間で笑ってる!
顎に緑を引きずって!
あそこにいるのはちらちら赤く光る[*]
雲のような濃霧が死んでいる。
なんという波と揺れ。
なんという音と歌。
穀物畑の金色の穂が
むかつく風にぶつかり合って、音を立てる。
蜘蛛は長い脚で跳ねながら
網の上で遊んでいる。
滴は茂みから音を立てて滴り
流星は天球から飛んでいき
蝶は生け垣へと騒がしく逃れ
蛙は小川へと大きく跳びはねる。
――静かに! 風の行為の意味は何だろう?
枯れた葉をみんな翻して
ああ、親族を探しているのだな。
春の青く白い花の流れや
過ぎ去った地上の夏の夢を。
それらはずっと前から土になっているのに!
けれども、今度は
木々の天辺に駆け上る
夢のように美しかった花の盛りが
もう一度よみがえると信じているから。
そして奇妙な音を立てて
葉の冠に
挨拶を返している。
――ほら、ごらん! 風が素早く駆け抜けていく
空気の道をくるくる回りながら
湖の輝く水面へと
そこで無数の波の踊りの中
青白い星の幻影に包まれて
静かに揺られ休息する。
なんて静かになったんだ!
ああ、明るくなってきた!
おおテントウムシよ、花の[*]から舞い上がれ
そしておまえの素敵な妻に美しい陽光の活力を乞うがいい!
湖の岬の周りで波が踊り
縞模様のカタツム[*]は草の上を這う。
鳥たちは森で目覚め
花は巻き毛から露を振りこぼし
太陽を探し求める。
目覚めよ、目覚めよ、すべての花よ
太陽が来る!
東の色彩の奔流の中のすべてが
我らに朝の夢の挨拶をよこす。
もうすぐ暗い水の上から
太陽がほほ笑みながら現れ
豊かな光の髪を
明るい額からまき散らす!
「批評はなしで次へ」軍事顧問官は叫んだ。
マスはかなり分厚い紙束を取り出して、大きさも色もひどくふぞろいなたくさんの紙切れを読み出した。
コーマクとスティーンゲア [*]
ここで取り上げようとしているコーマクは、大コーマクの子エイモンの息子で、物語が始まる時点では、アイスランドのミトフィヨルドに、兄のトーギルスとともに母ダラのもとで暮らしていたコーマクのことである。そのころエイモンは死んでいて、ダラが屋敷を切り回していたが、彼女もかなり年老いたので、息子たちがほとんどのことを取り仕切っていた。
兄のトーギルスは、静かで内気な性格で、仕事を好みそれに熟練もしており、その点ではコーマクに邪魔されることはなかった。コーマクはといえば、家畜よりもチェッカーを動かすことを好み、下男よりも女と会話をし、これからの収穫や獲物よりも、昔の伝説や歌について考えてばかりいるのであった。彼は、概して当時の多くの人々とは違っていた。彼について言われていたのは、彼は「平和」をただの「争いの欠乏」として、「言葉」を「歌の不作」として感じていたということである。
ある日のこと、トーギルスは彼に、逃げた何頭かの羊を追って山へ行ってくれと頼んだ。コーマクは出かけて、寝る時分にグヌプ谷に着いた。彼はとても歓迎され、火が燃えている大きな部屋に招き入れられた。彼はそこに腰をおろして、古い歌をハミングしながら炎に見入っていた。座っていると、スティーンゲアデが侍女の娘と一緒に部屋の前を通りかかった。彼女はトンゲのトーケルの娘で、トーケルにここに送られ、養育中であった。部屋の中が明るいのを見て、娘が言った。
「どんなお客が来ているのかしら? のぞいてみません?」
スティーンゲアデは、さっき男たちを見たから、と答えた。それでも、部屋の中の暗い隅に通じる、外から開けることのできる上下開きの小窓の所へ行った。彼女はのぞいたが、こちらを見られることはないと知っていながらも、心配で小窓から離れた。今度は娘がのぞき込んで言った。
「こんな所で見ても面白くないわ。でも、あなたはあの人を恐がっていないし、もしあの人と冗談でも言い合ったなら、気晴らしくらいにはなるでしょうね。きっと明日早く出発して、二度とあなたの目の前には現れないでしょうけれど」
スティーンゲアデはのぞき込んだ。「きれいな人」
娘は答えた。「私には、嫌な感じで、色黒に見えるわね」
「あなたには美しさというものがわかってないのよ」
スティーンゲアデは怒って言った。
コーマクはその話を聞きつけ、頭を上げて歌った。
「娘たちの口はよく
コーマクは美しいと話していた。
それで彼はオーディ[*]の末息子に
似ていると思い込んでいる。
今の声がそんなにきれいなのは
フレヤ譲りに違いない。
その美の女神は
美しさの判決を見事に下す。」
スティーンゲアデは言った。「あなたは髪の毛が目の中に垂れかかっているのが欠点ですわ」
コーマクは歌った。
「頭の上の黒いヒースが
思いの野辺を覆い
二匹のヤマカガシが枝にぶら下がり
親切に警告する。
彼女たちが心を
ひどく締め付けられることのないように、
そして心の中に
恋の病を燃やすことのないように。」
スティーンゲアデは言った。「あなたは大抵の人よりはきれいだし、言葉を選ぶのも早い。でも、きれいな容姿もきれいな言葉も、別にたいしたものではありません」
そこでコーマクは歌った。
「白く泡立つ波よりも
私はおまえの乳房を恐れる。
楯の圧迫よりも
娘よ、おまえの円やかな腕を恐れる。
嵐の怒号よりも
おまえの澄んだ声を恐れる。
そしておまえの光るまなざしは
魔法や罠よりも恐ろしい。」
スティーンゲアデは非難した。「あなたはずいぶん臆病なんでしょうね。見たこともなく、見ることもないものを恐がるなんて」彼女はこう言いながら、小窓から離れようとした。しかし、その時コーマクは歌った。
「私はたいまつを取るが
おまえの美しさは陽の光を獲得するだろう。
その明るい光に対しては
たいまつは光を失うだろう。
だが私には
もうこれ以上夜は来るまい。
美しい乙女を
ずっと見続けるのだから。」
「違うことを続けた方がいいわ」スティーンゲアデは言って、小窓から離れた。しかし、コーマクは火のついた薪をうまく解きほぐして歌った。
「美の習性というものは
決して光の前から逃げないことだ。
巨人やトロールだけが
暗闇の隠れ家を選ぶのだ。
けれども巨人の女が
澄んだ声で保証した。
もしも自宅に留まっていたなら
コーマクは幸せだっただろうに、と。」
それから彼は薪を取って小窓の前に行った。スティーンゲアデは彼の歌を聴いてそこに戻ってきており、コーマクが近づいた時には、彼女は小窓の前に立っていた。彼女の唇は震えていたが、胸は静かに揺れていて、頬を赤らめ、今にも涙が出そうになりながら、それでいてまなざしは鋭かった。コーマクは薪を落として言った。「今やコーマクの未来は与えられた!」
その夜、眠りは、グヌプ谷の二人の、少なくともコーマクの上にはほとんど力を振るわなかった。彼の思いが前へ前へと進んでいき、自分の運命を組み立てていたからである。しかし、未来と輝く希望をかき集めて、その不思議さをコーマクが喜ぼうとした時、思いは未来を運び去り、希望はどんどん消え去って、全くの空虚と暗黒とが残っただけだった。その夜はそんなふうに過ぎていったが、朝になるにつれて彼は落ち着いてきて、朝食の後、外へ出かけていった。
スティーンゲアデは女部屋から彼を見て、上から呼びかけた。「もうグヌプ谷からお発ちになりますの?」
「それよりあなたとチェッカーがしたいのですが」とコーマクは答えた。
「お客様には従うべきですわね」とスティーンゲアデは言った。
そこで彼らは大部屋に入り、テーブルの前に座った。二人は一時間ほど黙ってゲームをした。
「素敵な出逢いだった」コーマクは始めた。「昨日この部屋でね。でも束の間でしたね。私の失敗でしたが」
「それならなぜお発ちになるのです?」
「さあ、私にもさっぱりわかりません。でも、彼女はきっと怒っていたから」
「それはそうでした。でも、女の怒りは夏の夜の霜のようなもので、もう消えていますわ」
「しかし、夏の霜は芽を枯らすこともできますよ。美しい花や豊かな果実を生むこともできたのに」
「枯らすこともあるでしょうが、昼間が穏やかで暖かければ、きっと夜の傷も回復します」
「でも、その草はうまく育たないでしょうね」
「ときにはひどい目にあった草がいちばん立派に育ちます。柔らかいうちの傷ならね」
「でもスティーンゲアデ、もし芽がなかったら?」
「そのときは傷も受けません」
「スティーンゲアデ! 芽はあったのですか?」
「だって、夏ですから」
「ちゃんと育つでしょうか?」
「優しくされれば」
「優しくされるでしょうか?」
「それは昼間次第ですわ」
「それならコーマクも心配しません」
そう言って彼は別れを告げ、ミトフィヨルドに帰っていった。しかし、トーギルスが羊を取り戻せたかどうかは伝わっていない。
コーマクは、それからは再三グヌプ谷へ飛んでいった。このことは人々の間に知れわたり、トンゲのトーケルの耳にも届いた。彼はそれを喜ばず、スティーンゲアデを家に引き取った。
それから彼らが再会するまでには時間がかかった。とうとうコーマクは、長いこと待ったあげくに、トンゲへと馬を駆った。
彼が道を行くと、スティーンゲアデがタマネギ畑に立って、堤から摘んだ花で鶏をからかっていた。
コーマクは堤の下から忍び寄り、彼女が投げた花の大きな塊を手で受け止めた。
彼は歌った。
「美しい花の波が
堤を超えて咲きこぼれる。
こんなふうな挨拶は
向けられた相手を幸せにするに違いない。
でも堤の陰で受け取るものは
もっと素敵な報酬に違いない。
とても甘いキスの実や
いっぱいの瞳の花。」
そうして彼は堤の上に跳び上がったが、スティーンゲアデはニワトコの後ろに隠れてしまっていた。コーマクは長い間彼女を探し回った。すると、彼女は笑い出して叫んだ。「あなたったら、堤を乗り越えるまで、その場で歌っていたりするから」
彼らは長いこと語り合った。そしてスティーンゲアデは言った。「ではトーケルのもとにいらっしゃいますか?」
「彼に私が会うよりも、私に会いたがっている連中がいるのです」とコーマクは答えた。
「でもあなたは彼と話さねばなりません。私を意のままにできるのはあの人なのですから」とスティーンゲアデは言って、コーマクをじっと見つめた。
彼はそのまなざしが意味している思いを理解し、それが彼に痛みを与えた。彼は急に跳び起きるとトーケルのいる所に入っていき、習慣に従って求婚の申し込みをした。そして彼らは、結婚についてすっかり同意したのであった。
そこで彼はスティーンゲアデにこう言葉をかけた。今までは堤の向こう側から歌いかけていたが、初めて今日乗り越えた気がする、でもまだ君のことを理解できてはいない、と。そうして彼は再び家路についた。
ミトフィヨルドで、彼はトーケルと話したことを語った。それは母と兄にとっては、正しい道だとは思えなかった。ダラは、コーマクとスティーンゲアデでは合わないと言い、トーギルスは、婚約は早過ぎるという意見だった。コーマクはそれを聞いて、トーギルスに、トンゲへ行って、トーケルと彼とですべて調えてきてほしいと頼んだ。コーマクは、自ら農園の仕事をし、一日中畑で働き、ほとんど喋らず、歌も全く歌わなくなった。彼を知っている者には、彼が完全に別人になってしまったと思われた。
こうして時が経ち、結婚式まで遠くなくなった。
ある晩のこと、ひどく気温が高い日だったが、コーマクは涼しく眠れるようにと、ベッドを出て干し草の上に横になっていた。
ここで彼に起こったことときたら、ひどい夢に襲われたのか、あるいは邪悪な地下妖[*]が危害を加えたのか、容易には判断できないだろう。しかし、彼が時折、気分が重いときにトーギルスに聞かせた奇妙な歌から、だいたいのことはわかる。
これがその歌の初めの部分である。
「干し草置き場の小窓から
ぼんやりと見つめると
暖かい夜の中に
小川がきらめき
牧場からは
霧の波が湧き
遠いかなたには
グヌプ谷の鋭い山々が見える。
名状しがたい沈黙が
私の若い胸にあり
龍のような心臓が
そこに静かに座っていた。
あらゆる思いは
霧の中に縛られ横たわり
記憶の港も希望の灯台も
もはや失われてしまったのだ。
それでもまだ視線は
見慣れた小道をさまよい
滑りゆくうち
あらゆる茂みや叢の
記憶と希望が失われていた中に
印や徴候の存在を見た。
記憶の港と希望の灯台は
再び見出されたのだ。
私のグヌプ谷の歌が
再び私から響き出す。
『愛の逃避行に我らは飛び立つ
どこへともない地点へと。
フレヤの家の屋根裏で
我らは翼を休めよう。
あらゆる歓喜の楽音が
我らに向かって急ぎ来る。』
だがトンゲから
娘が私に返事をよこした。
『愛の逃避行に私たちは飛び立つ
目的とする地点へと。
フレヤの家の屋根裏を
歓喜を叫んで滑りゆく。
私たちの幸運が
向こう側から合図する。』」
詩句はこんなふうに続いていく。それを完全に覚えている者はほとんどなく、全部理解できた者は一人もいなかったが、それでもこの詩が言わんとしているのはこういうことらしい。彼は、スティーンゲアデのあらゆる美しさが見えていたと夢で見ていたか、あるいは妄想していたのだということ。それで頭に血が上って彼女の感情を損ねてしまったが、その後、彼から夢や幻影が抜け落ち、後悔が降りかかってきて、彼は、もはやどれだけ考えてもスティーンゲアデの特徴を思い出すことができないくらい、ひどく奇妙な憑かれた心境になったということ。
いずれにしろ確かなのは、彼が幾昼夜にもわたって荒野をさまよい歩き、再び家に帰った時には、ただ半分心ここにあらずといった人のように振る舞っていたということである。歌も配慮も悪い魔法にかけられたかのように消え失せ、数週間の後に、やっと彼は正気に戻ったのであった。
彼が山々を当てもなくさまよっていた間に、結婚式の日がやって来た。しかし、花婿は一日目もその後になっても来なかった。それについて、スティーンゲアデの親族は一致して、これは自分たちと彼女に降りかかった大きな恥辱であると考えたのであった。
そのころ、フルタフィヨルドに、果たし合いのベアセというやもめ男がいた。ベアセの交友関係はほとんど知られていなかった。というのは、彼はひどく短気でけんか好きで、彼に話しかけるのは争いを引き起こす無謀な行為であったためである。彼は、詩人の芸術については、ただの風刺の詩であっても苦痛に思い、法律については、人々の歓喜の道に横たわるただの不公平な慣習としか見なしていなかった。トーケルは彼にスティーンゲアデをやることを許可したが、その時ベアセは、コーマクが彼女をもらうはずだったことを知っていて、一人の男の手から離れた宝石は、別の男の手の中では目を毒する光り方をするだろうと考えた。そうして取引は終わり、結婚式が行われた。
しかし、死と結婚は地域の噂になるもので、また愛する気持ちはいつも隣人のようなものだから、彼らの結婚もコーマクを完全に素通りしてしまえるはずもなかった。彼は、その情報がもたらされた時、立って土壁の修理をしていた。彼は一時間ほど仕事を続けていたが、突然両手を壁に置き、中にずぶずぶと押し込んだ。それから農場にこの噂を持ってきた者の方に振り向くと、歌った。
「もはや引き裂かれた家を
修理しているときではない。
コーマクの美しき幸運は
完膚なきまで崩れてしまった。
歓びはわずかしかなく
壁の後ろでぬくぬくと休息している。
盗人が同じ獲物を持って
急ぎゆく間に。」
トーギルスがやって来て、今こそ剣を見つけ出すべきだと言ったが、コーマクは歌の方を見つけ出した。コーマクは歌った。
「噂はあらゆる隠れ場所で
きっと休憩してしまったのだ。
それ自身が引き出した
あらゆる悲しみに疲れ果てて。
今こそ若い駿馬に乗り
我らは急ぎ駆けねばならぬ。
浪費された時間を
馬のひづめが貯えてくれるに違いない。」
それから彼らは大人数でトンゲへと馬を駆った。しかし、ベアセは自分の館で、スティーンゲアデと一緒に穏やかに座っていた。それでコーマクは歌った。
「今やベアセは輝く乙女を
歓びのうちに抱擁するが
私の方には悲しみが
胸に重くのしかかる。
彼はベッドの上で
彼女の声を聞くが
私は遅過ぎた後悔の声に
残酷に眠りを奪われ続ける。」
こうして彼らは再び家へと馬を走らせた。
ベアセが思っていたように、スティーンゲアデは争いという大きな持参金を持ってきた。多くの諍いが、彼とコーマクと両者の親族の間で続いたのだった。そして時が経った。
ある日、スティーンゲアデは染め物用の草を採りに山へ行き、コーマクとばったり会ってしまった。そこで長い議論となった。
スティーンゲアデは言った。「結婚式の日、何かあったの?」
「君にはまず理解できないだろうし、私もそのことに言及するのは難しい。当時は高い山のようだったものが、今は緩い砂山になってしまったのだから」
「コーマク! あなたは私と結婚したくなかったの?」
「それはしたかったさ、スティーンゲアデ。だが、君がそのことに触れるのは耐えられない。その言葉は、私をひどく落ち込ませるだろう」
「詩人って本当に壊れやすいシロモノなのね!」
「ベアセは何か苦しんでいるかい?」
「あの人は詩人じゃないから」
コーマクはしばらく黙って立ってスティーンゲアデを見つめていたが、歌い出した。
「オーディンはすべての女神の
血を集めた。
そこから美しい娘が
ルーンとともに覚醒した。
彼女は最も美しい者として
神々をうっとりさせねばならぬ。
彼女はおまえの抜け殻を持ち出して
それで自分の身を包んだ。
優しいノーネたちは
私がスティーンゲアデを見出すことを望んでいた。
だがノーネたちの気が変わり
ベアセが彼女を勝ち取った。
そして私の将来は
春の日の幸せを祝って明け初めて
秋の夜で終わってしまった。
――秋霧がすべてを制圧する。
私が妨害され、弱って悲しみながら
ここに立っているときにも
力と不屈の精神は
詩人の血の中で孵化している。
他人がおまえを
自分のものとして抱くことができるとしても
私の詩は永遠に
二人の名前を結び合わせる。
価値ある歓びに感謝し
青ざめた悲しみにも感謝しよう。
おまえが私を愛したことに感謝し
おまえが私を裏切ったことにも感謝しよう。
まだ生まれていない歌の
豊かな調べに感謝しよう。
私が地上でつかむはずの
あらゆる名誉に感謝しよう。」
そうして彼は素早く遠ざかり、彼女は長いこと立って彼の後ろを見送った。その後すぐにベアセが来て、少し離れて座った。彼はコーマクを見て言った。「おまえたちの結婚について話したのか? かわいそうな奴だ! 狼が捕らえた羊のことを思ったって、喜びなどなかろうに」
「黙ってて、ベアセ!」スティーンゲアデは言った。「あの人はあなたよりも良い人だわ」
「ああ、詩を作ることか」
「そうよ、ベアセ。詩人であるということは、何かしら偉大なことよ」
「確かにな! ――おまえは自分で言うより利口だよ。それに美しい! こっちへおいで!」
「あなたは老いているわ、ベアセ!」
「なぜそんなことを言う? こっちへおいで!」
「あなたは老いているわ、ベアセ。だから私は、あなたの世話をして、いたわってあげるつもりだった」
「わしはおまえを愛してやるさ」
「いいえ、これでお別れよ、ベアセ!」
「では、おまえはまだコーマクを愛しているのか? あんなことをされた後も?」
「彼と私は、今はお互いに誤った道を歩んでいる。でも、私たちはまだお互いを呼び合うことができる」
「奴は、おまえからわしが離れるようにと言ったんだな?」
「あなたから私がね。でも、彼の所へは行かないわ」
こうして彼女はベアセのもとを離れてトンゲに帰った。それでトーケルは、ベアセとの間で、見舞金など一切の手配をしなければならなかった。
トンゲにはしばしばソンヌ谷から人がやって来た。そこには血族が多かったのだ。その谷で最も裕福だったのは、錫[*]のトーヴァルで、彼はいつもトーケルの所に入り浸っていた。トーヴァルは、広く知られた詩人であった。彼の歌は非常に評判が高かったが、それを覚えることのできた者はほとんどいなかった。彼の屋敷は極めて美しく、彼の大部屋には詩の報酬として王や貴族たちからもらったたいへん貴重な金の杯が並んでいた。彼の友人はみな老人で、彼らはその賢さや思慮深さのためにトーヴァルを高く評価したが、谷の若者たちは、彼はスカートをはいているみたいに歩くとか、彼は剣の先を握って柄の部分で戦うと思っているくらいに武器に造詣が深いとか言っていた。
トーヴァルは頻繁にスティーンゲアデに逢い、いつも長時間語り合い、また自分の歌を彼女に聞かせた。そしてある日、彼はトーケルに、彼女と結婚したいと申し入れた。トーケルは、わかった、しかし彼女への意思表示は自分でしてくれ、と言った。
スティーンゲアデは織り機に座って歌っていた。トーヴァルが入ってきたので、彼女は手を止めて言った。「トーヴァル! 詩人であるということは何かすごいことなの? 詩を作るということは男らしさより価値あることなの?」
トーヴァルはすぐに答えた。「おまえは詩を知っているのだな。
『忘却の墓の中に
あらゆる時は入らねばならぬ。
詩人の眼には
時の歩みは映らない。』」
「そうよ! ――コーマクについてあなたはどう思う?」
「それはもう勇ましい男さ」
「そうね! でも、あの人の詩の創作力についてはどの程度だと見積もっているの?」
「歌う対象と同じくらいだな」
「では、私と同じくらいってことね」
「いや! そんなことは思ってないよ」
「あなたの歌は、そこに歌われている対象と同じくらいだと思っているの?」
「そうだ、スティーンゲアデ」
「なら、あなたの技巧は彼よりずっとすぐれているのね。王様や伯爵が私よりすぐれているように」
「いいや! そんなふうには考えていない!」
「ではどう考えているの?」
「私の歌とコーマクの歌に、類似点は何もないってことさ。王は王であり、おまえはあらゆる女のうちでいちばん美しいということだ!」
「プロポーズしたいの?」
「そうだ! そのとおり!」
「それだけ?」
「まずはね」
「その次は?」
「婚礼さ、スティーンゲアデ」
「あなたは私と一緒になって、私のいないコーマクと同じくらい偉大になるの?」
「君がいようといるまいと、私の偉大さは同じだ」
「同じなの?」
「だが幸福は違う」
「ならトーケルと話して!」
「それはもう済んだ」
「あなたという人がわかったわ! ――あなたは詩人なの?」
「コーマクよりは偉大な、ね!」
というわけで、婚礼が済むと、彼らはソンヌ谷へ行った。
一方、そのころコーマクには、トーギルスとノルウェーに行きたいという気持ちが生まれていた。そのため、いろいろと処理することがあり、また親戚の者に別れを告げにあちこち歩き回って、後になってから初めてすべてを知った。彼はすぐにソンヌ谷へと馬を駆り、牧場でスティーンゲアデと出会った。そして馬が十分に静止しないうちに、馬の上から歌った。
「今や、スティーンゲアデ
私はおまえを奴隷にしてやりたい。
おまえは物のように
人手から人手へと渡るのだ。
その豊かな美しさを
おまえはひどく粗末にするから。
どんな男に対しても
それを貸し与えてやるほどに。」
スティーンゲアデは言う。「あなたがいつも私の後を追いかけるのは、たいへんな過ちよ。今こそ、私はあなたから永久に解放される時が来たと思う」
するとコーマクは歌う。
「決して、スティーンゲアデ
おまえは私から離れたりしない。
炉端で一緒にいるよりも
私とおまえは固く結ばれているのだ。
山の上に更に積み上げられた山も
波が轟音を立てるのも
妨げになどなりはしない。
まして小さな錫串の腕なぞ。」
「歌を作るなんてつまらないことだわ! もう行って!」スティーンゲアデは怒って言った。しかし、コーマクは歌う。
「ではさよならだ
錫串にキスとまなざしをくれてやれ。
おまえの美声を
奴に聞かせてやるがいい。
だがおまえの激しいあこがれと
人知れずほとばしる涙
そして勇気ある思いはみんな
ただコーマクにこそふさわしい。」
「あなたはその蔑みを心から悔いるべきね。それに、トーヴァルの方が、歌でもハートでも、あなたよりずっと上だってことを思い知るべきだわ!」スティーンゲアデは言い、こうして彼らは別れたのである。
翌朝早く、兄弟はフィヨルドを出発し、コーマクは船首に立って歌った。
「今や夜は過ぎ
平和と眠りは終わろうとしている。
太陽の灯台は島の上空に
戦いの命令を放つ。
人生と闘争へ!
日の楯は鳴る。
たとえ今は鳥の歌のように
鳴り響いているとしても。
見よ、イミルの血が
太陽の中にどんなに赤く燃えているかを。
胸の曲線の下で
煮え立ちながら
いかに荒々しく揺すられ
いかに怒って上っていくことか。
血管の中で
なおも熱く脈打ちながら!
眼をくらませるような
天上の色調と輝き。
頭の中に点灯する
太陽のような夢の群れ。
ただスヴァリンのルーンの書だけが
書き記すことのできるもの。
それらはどんな言葉でも
表すことができないのだ。
だが今大いなる輝きは
あの錫串の目を認め
夢の薔薇は
白い丘のかなたで生きている。
美しい乙女の頬に
その誇り高き蕾はあり
また彼女の口の上で
その薔薇は花開く。」
順風は幸いし、速やかにかなたへと彼らを運ぶ。やがて彼らはノルウェーに着き、歓迎された。しかし、彼らは一箇所に長く滞在することはしなかった。彼らはヴァイキングとなって広い範囲を荒らし回り、夜明けには沿岸を略奪し、晩には帆を繕った。オールを離すと、手に剣を取って、たった一夜で敵を蹂躙して鬨の声を上げ、その翌日には傷を受けて叫んだ。こんなふうにして二年の間ほっつき歩き、彼らは再びノルウェーに上陸したが、戦利品の分配相手は、彼らがそれを勝ち取った時よりも少なくなっていた。
兄弟は宮廷にしばらく居残っていたが、コーマクは言った。自分は、ノルウェーで王と火のそばに座っているよりも、アイスランドで森のお尋ね者みたいに凍えていたい、と。
そのことに対し、トーギルスは答えた。相続する遺産をがつがつと追い回す奴らの中にさえ、コーマクが不幸の後を追い回している貪欲さに匹敵する者などほとんどいない、と。
コーマクは言った。「自分はただ一つの幸福しか知らない。そしてその幸福は錫串が持っている」
「それが差し伸べられた時に、おまえはそれを捕まえるべきだったんだ」トーギルスは言った。
「今こそ差し伸べよ」コーマクは答えた。
「幸福は来るかな?」
「もちろんさ。私はそれを知ることになる」
それで彼らはアイスランドに向かい、自分たちの評判が、彼らが残してきたよりもずっと高いことに気付いた。コーマクは、すぐにソンヌ谷で、スティーンゲアデが家で一人でいるのを見つけた。
彼の最初の言葉は、彼女が自分に恋い焦がれていたかどうか、というものだった。
それに対して、彼女は答えた。コーマクが遠くに離れているときは恋しくて仕方ないのに、近くにいることを知ると何の歓びも湧いてこない、と。
それから彼らは長いこと座り込み、黙ってお互いを見つめ合っていた。するとコーマクが歌った。
「古い追憶の日を
私の歌で復活させよう。
グヌプ谷の屋根の下で
我らが逢ったあの時を。
七年間の苦しみを
スティーンゲアデよ、キスで消し去り
新しい我らの愛の
最初の曙光をともそうじゃないか。」
それに対してスティーンゲアデは答えた。「私たちの軽薄さを思い出させるようなことは、ここではふさわしくないわ。それに、トーヴァルの妻は他人の若者にキスをする習慣などないの」
「それでも私は、二人がベッドを共にする時が来ると思う」
「そうなっていればよかったわね」
「スティーンゲアデ、妻になってくれ!」
「私はトーヴァルのもの」
「奴はベアセにはあまり似てないが、一つだけ同じようにしてやればいいさ」
「お喋りが過ぎるわよ」
「おまえを失うのは悲しい」
「トーヴァルもそう思うでしょうに」
「奴がおまえを所有したことなんかない」
「また分別のないことを」
「だが、おまえはトーヴァルを愛しているのか?」
「それは彼と私の間の問題だと思えるけれど」
「おまえと私の間は?」
「私はトーヴァルの妻です」
コーマクは歌う。
「かつておまえは
その心に私を招き入れてくれた。
私の重い魂はまだ
いつもそこにあこがれている。
だが私が強く戸を叩き
また優しく乞うるその場所を
おまえは決して開けてはくれず
私を入れてはくれないのだ。」
そうして彼は行こうとしたが、スティーンゲアデは彼の手をつかんだ。コーマクは振り返ったが、彼女はすぐに手を離すと行ってしまった。そして彼もまた立ち去ったが、この会合と彼の新しいノルウェーへの航海との間に、多くの日数は存在しなかった。
その後、スティーンゲアデの思いもまたノルウェーの方へと転じ、彼女とトーヴァルは出発した。
ノルウェーで、ある日コーマクは、王の宮殿の近くの長い道でスティーンゲアデを見かけた。彼は真っすぐに彼女の所へ行くと、言った。「付いて来るのだ、娘よ! もう十分長い間、私はおまえなしで過ごしてきた」
「あなたときたら、ほかの人がまず使わない文句の大安売りね」
コーマクは彼女をつかんだ。「さあ、一緒に来なくちゃだめだ、気の多い女よ! 双方に強い愛がある、それで共同生活は美しいものになるだろう。だが、そんな幸福にも誘われまいとする女には、それを無理強いしなければならない」
そうして彼は、彼女を連れ去ろうとした。しかし、スティーンゲアデは助けを求めて叫び出したので、人が集まってきて、彼らを引き離した。
それから、トーヴァルはスティーンゲアデとともにデンマークへと急いだ。だが、ヴァイキングがトーヴァルから財産と女を奪ってしまった。コーマクとトーギルスは同じ方向に向かっていて、そのことを耳にした。彼らは両方を奪い返してやった。彼らがトーヴァルに会った時、彼はひどく感謝して言った。「さあ、スティーンゲアデを連れていってくれ、コーマクよ! 果たし合いのベアセと結婚した時も、この詩人トーヴァルの妻となってからも、彼女が信じていたのはおまえだったのだから」
「そうなのか、スティーンゲアデ?」コーマクは尋ねた。
「私にはトーヴァルで十分」彼女は答えた。
そこでコーマクは歌った。……

【注釈】
◎辞書や事典類で調べたものは、いちいち出典を明示していない。ただし、底本とした全集と、ペーパーバック「デンマーク古典作品」シリーズ中の『J. P. ヤコプスン詩と散文』(「グアアの歌」までの抄録、デンマーク語と文学協会ボーウン出版社、1993)の巻末には、わずかながら注が付いていたので、それらを使った場合のみ《全集》《詩と散文》と注記した。なお、デンマーク語固有名詞のカタカナ表記に当たっては、大阪大学世界言語研究センターのデンマーク語・スウェーデン語研究室がネット上で公開してくれている『デンマーク語固有名詞カナ表記小辞典』(新谷俊裕・大辺理恵・間瀬英夫編、2009)に、全面的に従った。
[*]ボテンの花ひらく……1867年から1870年ころに書かれた、若書きの未完作品。全編の初出は、作者の死の翌年にイズヴァド・ブランデスとヴィルヘルム・ムラによってまとめられた『詩と草稿』(1886、改訂増補版1900=初版より所収作品が五編多くなっている)。「アラベスク」のみは、生前ムラの『デンマーク民族暦1883』(1882)に単独で掲載。また、「異邦人」は、1869年に『イルストレーアス・ティーゼネ』(イラスト付き新聞)紙に投稿されたが、採用されなかった。
ヤコプスンの草稿ノートに、この作品について次のような二つのモットーが残っている。
……あまり良くはない。
が、これらは当時、別の悪党どもがやったことなのだ。
Oehlschl. (←ウーレンスレーヤのことらしいが出典不明)
私は子供のように詩人ごっこをしたが、
ほとんど無計画だった。
しかし、人間は最後には真剣になってしまうほど
長い時間遊ぶことができるものだ。
J. P. J. (←ヤコプスンのイニシャル)
また、未完作品ではあるが、草稿ノートにはこの作品の構想メモが残っており、それによると全体は八編の詩や物語が含まれる予定だったらしい。しかし、下記に見るとおり、実際に書かれた部分とそのメモの構想とは異なる部分がある(★印)。
構想メモ
『秋』ポウル……完成
『気分』イェスパ……完成
『音の中へ』ポウル★
『妻と親』ピア★
『異邦人』イェスパ……完成
『グアア』ポウル
『コーマクとスティーンゲアデ』マス
『騎士』イェスパ★
実際の作品
『秋』ポウル
『気分』イェスパ
『アラベスク』ピア★
『異邦人』イェスパ
『グアアの歌』ポウル
『コーマクとスティーンゲアデ』マス(未完成) 以上《全集》
なお、この中にいずれもカールが含まれないのは、「カールは、我々にとっても自分にとっても、そんなことは馬鹿げていると固く信じていた」ためで、彼は(おそらく最後まで)朗読よりもユーリェといちゃつくのに忙しかったのである。
●シェーンベルクが自作に使用したのは、1897年発行のドイツ語訳『J. P. ヤコブセン詩集』(ロベルト・フランツ・アーノルト訳、ゲオルク・ハインリヒ・メイヤー刊)である。これは、わずか68ページの小さな詩集で、『サボテンの花ひらく』からは「グアアの歌」「アラベスク」の全部と「気分」の前半が採られ、巻末には「グレの歌のために」という解説が載っている。訳者のアーノルトは、この二年後に出版されたドイツ語版『ヤコブセン全集』第1巻(オイゲン・ディーデリヒ出版社、全3巻、1899)でも「グアアの歌」を担当しているが、こちらは『詩集』の訳を改めた部分が多少あり、従ってシェーンベルクの歌詞とは食い違いが生じてい(*)。かつてヴィリー・ライヒは、「シェーンベルクの作曲には1899年刊行のテキストと大小の差こそあれいずれも重要な違いがいっぱいある。このことから翻訳者と作曲者のふたりが緊密な共同作業をしたことが推測される」(『シェーンベルク評伝』1968、日本語版1974、音楽之友社)と書いたが、これは1897年刊の『詩集』の存在に気付かなかったための誤りで、『詩集』とシェーンベルクの歌詞とは、ほんのわずかなつづりの変更や同義の別単語への置き換えは見られるものの、ほぼ完全に一致していると言ってよい。
『J. P. ヤコブセン詩集』(1897)アーノルト初訳→シェーンベルクが採用したもの。
『ヤコブセン全集』第1巻(1899)アーノルト改訳→初訳と異なる部分が多い=シェーンベルクの歌詞とも大きく異なる部分が生じた。
ちなみに、オイゲン・ディーデリヒ版は、全集とは言いながら、『サボテンの花ひらく』については『詩集』と同じ三編の詩だけしか採録されておらず、全3巻を通して見ても全文は載っていない。管見に入ったドイツ語版全集は、ほかにインゼル出版社版(1912)、C. H. ベック社出版書店版(1927)、ヘッセ・ベッカー出版社版(出版年不明)などがあるが、この中で本作品が全文訳出されているのはインゼル版だけであった(訳はマチルデ・マンあるいはエーリヒ・フォン・メンデルスゾーン)。従って、故・山室静さんがドイツ語版全集から重訳したという蒼樹社版ヤコブセン全集第1巻(1947)や角川文庫(1951)の本作品の底本は、インゼル版だったということになる。――蒼樹社版全集第1巻の書名は『ヤコブセン全集1ここに薔薇あらば』で、本作品は全訳が収められている。全訳としてはこれまで唯一のものであろうが、詳しい解説も注釈もなく、またドイツ語からの重訳であるためか、明らかに誤訳と思われる箇所や意味をくみ取りにくい箇所がかなりある。角川文庫の書名は『ここに薔薇あらば他八篇』で、「異邦人」までの抄録。全集版の訳そのままではなく、あちこちに改訂が加えられているものの、読みにくさという点ではあまり変わっていない。なお、この文庫には計八つの短編が収められているので、初版の書名『……他八篇』は誤り。重版からは正しく『……他七篇』と変更されている。このほか、青娥書房版1巻本『ヤコブセン全集』(山室静・訳、1977、「気分」の前半と「アラベスク」所収)、白水社版『ここならば薔薇咲かむ』(澤西健・訳、1939、「異邦人」所収)などもある。
(*)ェーンベルクは、オイゲン・ディーデリヒ版全集1903年2版改訂版も所有していた(ツェムリンスキーから贈られたもの)。この全集は、第2巻「マリーイ・グルベ夫人」と第3巻「ニルス・リューネ」は初版のまま改訂されずに版を重ねたが、第1巻「短編・書簡・詩」だけは2版からすぐに改訂版となり、そのまま1921年5版23000部まで行っている(この第1巻の総発行部数は全3巻の中ではいちばん少なく、第2巻は4版24000部、第3巻は6版36000部であった)。第1巻の初版と改訂版との違いは、緑色のハードカバーが白いソフトカバーに変更されたこと、挿絵が少なくなっていること、一部の挿絵が差し替えられていること(下のイラストもそう)などが見て取れる。本文は、少なくとも「グレの歌」の部分については、節と節の間の小さなイラストの削除と、節の小見出しの字体が変更されているという外見上の違いだけで、訳文自体は全く改訂されていない。
オイゲン・ディーデリヒ版全集初版のイラスト
[*]々五人の若者……この物語の語り手が五人のうちの誰なのかはよくわからない。
[*]ラベスク……「グアアの歌」とともに、ヤコプスンの詩の代表作。「彼」と「彼女」が交替し、途中で誰のことを描写しているのかわからなくなるが、これで原文どおりで、複数あるドイツ語訳もみなこうなっている。朗読の後、軍事顧問官も「わからなかった」と言っていることから、合理的な解釈を試みるよりも、いくぶん前衛的な象徴詩として読むのがよさそうである。
[*]アリンゲレン……ベアリングスケ・ティーゼネ(ベアリングスケ新聞)。E. H. ベアリングによって1749年に発刊された。現在も発行されている。デンマーク人は新聞が大好きだとか。
[*]邦人……ヤコプスンの草稿に、この作品についての次のような文章が残っている。題の下のラテン語は、ユヴェナリス『諷刺詩』の一節(1-79)。
苦い作品
facit indignatio versus(怒りが詩を作らせる)
ここに本がある。これは、さながらさっき栓を抜いたばかりの、炭酸の真珠が浮いては消えてゆくソーダ水のボトルのようなものである。気の抜けた水しか残っていない人、つまり、本を読んでいるうちに怒りがひとりでに緩んできて、後に空っぽの怒りの乗り物しか残っていない人、そんな人々のために書かれたものだ。――私は、この「異邦人」が、ボトルに上手に詰め込まれたソーダ水のようであることを信じる。それは、怒りを型に詰め込み、固く封じてあるが、逃してしまうこともない。
[*]れは土曜の晩だった……デンマーク人なら誰でも知っている歌らしい。
[*]アアの歌……シェーンベルクが作曲したことで有名な詩。グアアは、ヘルシングウーアとティクープの間にある村。ウーアソン海峡が近い。グアア湖があり、昔はその南側にグアア城が建っていた。中世には、そのさらに南にも沼沢が広がっていて、グアア城は湖の中島に建つような形であったという(今は城の南に水はない)。グアア城は、12世紀後半以降に何者かによって塔が建立され、14世紀半ばにヴァルデマ4世によって、大塔とそれを取り囲む二重の城壁、およびその内壁の四隅にそれぞれ塔が配されるという大増築がなされた。そのころから15世紀に入るくらいまで、王の邸宅や貨幣鋳造所として使われていたようである。その後、城は16世紀前半の内乱(伯爵戦争)のころに破壊されたらしい。19世紀半ばころから発掘作業が行われ、現在は、大塔から遠い一部の建物は復元されたが、中央部は3メートルほどの高さの城址だけが残っている。
この詩は、デンマークの民間伝承を題材としているが、史実とは食い違いが多いので注意が必要。民間伝承の題材となったのは以下の史実である。
古いフォルケヴィーセ(Valdemar og Tove)では、ヴァルデマ1世の妃ソフィーイがトーヴェを浴室に閉じ込めて火をたき、悲鳴を聞きつけたクリストファが飛び込んだが、時すでに遅く、彼は母親の遺体を庭に運び出した、となっている。ソフィーイが4世の妃であるヘルヴィーとなっているフォルケヴィーセもあるが、これは後世のものらしい。
ところが、16世紀の歴史家アーリル・ヴィトフェルトは、ヴァルデマ1世ではなく4世にトーヴェという愛人がいたと記し、17世紀のピーザ・スュウもそれを受け継いだ。これは19世紀のフォルケヴィーセ収集と研究の大家スヴェン・グロントヴィにより、1世と混同されたものとして否定されたが、上記のように、二人のヴァルデマには共にトーヴェという愛人が存在したと説明しているものもある。エベ・クルーヴェデール・ライクの『デンマークの物語――デンマークの誕生から最新世代までの90の物語』(ヴィンローセ社、合本2003)がそれで、ライクは、グロントヴィの異議にはあまり説得力がなく、二人のヴァルデマに同じようにトーヴェという名の愛人がいたことは、歴史にしばしば見られる「奇妙な繰り返しパターン」であるという。それでも、ライクは4世のトーヴェの死因を病死(当時流行した黒死病?)としており、王の妃が嫉妬のあまり蒸し殺したという筋書きが4世ではなく1世の話であるというフォルケヴィーセの内容については、彼も否定していない(曰く、「ヘルヴィーはソフィーイのような殺人者ではなかった」)。要するに、1世と4世には同じようにトーヴェという名の愛人がいたが、1世のトーヴェはフォルケヴィーセの歌詞のとおり妃に蒸し殺されたのに対し、4世のトーヴェは自然死だった、というのがライクの新説の内容である。
なお、4世のトーヴェについては「魔法の指輪」という有名な伝承もある。アナスン(アンデルセン)に影響を与えたというユスト・マティーアス・ティーレの『デンマークの民間伝説』(1823)に短く取り上げられて以来広く知られるようになった物語で、ヴァルデマがトーヴェに心を奪われたのは、トーヴェが母親からもらった魔法の指輪のせいだった、というのである。
――ヴァルデマ4世は、リューエン島出身のトーヴェという名の少女を愛していた。しかし、王の彼女への愛情はいささか常軌を逸していて、その強さときたら、トーヴェが死んだ後も夜な夜なその遺体に吸い寄せられていくほどであった。廷臣たちは死体に逢いに行く王の奇行に困り果てていたが、彼らの一人が、王の執着は指輪の魔法の作用であったことを突き止め、遺体から指輪を抜き取ることに成功する。その瞬間、王のトーヴェへの執着は消え、遺体はやっと埋葬されたが、王の愛は方向転換してその廷臣に向けられるようになり、彼は何かにつけ王の過剰なひいきを受けることになった。彼にとって、次第にそれは厄介なものになっていった。しかし、彼は王の自分への厚意の理由がわかっていたので、ある時グアアの森に馬を駆った際に、指輪をグアア湖に投げ込んで自分から引き離した。指輪はグアア湖の底深く沈んだが、それ以来、ヴァルデマは、今度はグアア湖に特別な愛着を抱いてしまい、湖畔に城を建てたり立派な橋を架けたりした。王はその場所で長時間過ごし、またグアアの森に狩りに出るときには、しばしば喜々としてこう言った。「神は自分の天国を喜んで保有なさるがよかろう。私はただグアアで狩りをすることさえできればよいのだ」と。つまり、グアアに比べたら天国など惜しくも何ともない、というのである。この発言が神を怒らせ、結果、罰として、ヴァルデマは死後も夜の闇の中グアアの森で狩りを続けなければならなくなったという。――
この物語の起源は、ブルーンという司祭による1586年の記事であるが、その中にはまだ「トーヴェ」という名は見えず、王の愛を縛り付けたのは「王妃」、魔法のアイテムは「指輪」ではなく「お守り」となっている。17世紀の間に、この話と上記のフォルケヴィーセとが混ぜ合わされ、ティーレの本のような形になったらしい。
この伝承だけを研究した本として、クリストファ・ニューロプの『トーヴェの魔法の指輪』(「昔の伝説と歌」シリーズ全6巻の第1巻、ギュレンデール書店、1907)があり、上記ライクの本もこの伝承を取り入れて物語を再構成しているが、そのライクの本では、指輪をトーヴェに与えたのは母親ではなく、ヴァルデマであったとされている。
また、ヘルヴィーの崇拝者フォルゲ・ロウマンスン(フォルクヴァー・ロウマンスン)という騎士が、内側にナイフが立てられた樽に入れられ、転がされて死んだ、というフォルケヴィーセもある(Folke Lovmandsøn og Dronning Helvig)。ヘルヴィーが彼を特にひいきしたため、ヴァルデマ4世に密通を疑われたのである。このフォルケヴィーセでは密通はなかったように書かれているが、ヘルヴィーの不貞については、上記ティーレの『デンマークの民間伝説』にも記事がある。そこでは男の名はファルク・ローマンとなっており、やはりヴァルデマ4世によって絞首刑に処せられたと書かれている。実際は、フォルゲ・ロウマンスンはフォルケ・アルゴットスンという名の13~14世紀のスウェーデンの騎士のことで、ヘルヴィーもヴァルデマ4世の妃ではなく、スウェーデン王マグヌス1世ラーデュロース(1290没)の同名の妃の方であるという。その実在のアルゴットスンは、13世紀末にデンマークの摂政官デーヴィズ・トーステンセンの婚約者イングリズを誘拐してフェロー諸島に逃れたというが、彼の死に方についての記録は伝わっていない。
後世の伝承では、上記の諸項目が混同されて、物語はだいたい次のように変形された。ヴァルデマ4世は可憐な少女トーヴェを愛するようになるが、それを嫉妬した王妃ヘルヴィーは、王の遠征中、自分の燕であるロウマンスンと協力して、トーヴェを浴室に閉じ込めて火をたき、熱で殺す(毒殺ではない)。国に戻った王は怒り悲しみ、ロウマンスンを上記の方法で残酷に処刑したが、ヘルヴィーを罰することはできなかった。王は傷心を癒やせぬまま生涯を終える。しかし、神に快く思われなかったその魂は昇天を許されず、幽霊となった王は、「荒々しい狩り」を引き連れて毎晩トーヴェの魂を探し回るようになる。その狩りは最後の審判の日まで続く。……これが19世紀デンマークの文学者たち――ウーレンスレーヤ、インゲマン、ハウク、アナスン(アンデルセン)、ヴィンダ、ヤコプスン(当作)、ドラクマン、ホルスタインなど――が典拠とした物語である。
トーヴェ
[*]アアの城門でおまえを待っているというのに……自分の心はすでにグアア城に着いて、馬の到着を(=自分の肉体の到着を)待ちわびている、ということ。
[*]に手のひらをかざして見つめ……遠くを見るときのおなじみのポーズ。
[*]ーアソン海峡の城の塔から……ヘルシングウーアにあったフリュナボー城の塔かという。《全集》《詩と散文》
[*]らの時は過ぎ去った!……《全集》に「ウーレンスレーヤの詩『ハーコン侯の死』第一節を思い出させる」とあるので、確認したところ、確かに全く同じ言い回しであった(ウーレンスレーヤ『詩集』1803年)。
[*]は飛び回り、悲しみを集め、たくさんそれを見たのです……エッダの『ヴァフズルーズニルの歌』の中で、オーディンが繰り返すセリフ「わたしは方々を旅し、いろいろのことを試み、神々をいろいろとためしてきた」(『エッダ』、谷口幸男・訳、新潮社、1973)を借用したものだという。《全集》《詩と散文》
[*]ニング……ヘニング・ポーゼブスク。ヴァルデマ4世の摂政。トーヴェと同じリューエン島の出身。王に忠実に仕え、ホルスタイン(現ドイツ)との交渉や王の死後の跡継ぎ問題の解決などに尽力した。
[*]ーン……ルーン文字。
[*]ルヴィー……ヴァルデマ4世の妃。ホルスタインの傀儡貴族スレースヴィ公爵家の娘。ドラクマンの戯曲『グアア』(1899)では、トーヴェを殺されたにもかかわらず、王は、ホルスタインとの外交上彼女を罰することができなかったとされている。
[*]うか私をあなたの道化にしてください!……中世の宮廷道化は、王に向かって皮肉、風刺、諫言など何でも自由にものを言うことを許されていた。ここでヴァルデマは、「自分は神をいさめる者になりたい」と言っているわけである。なお、ヴァルデマの道化(の幽霊)であるクラウスは、この後で登場する。
[*]夫の歌……この節の原文には方言が用いられている。
[*]会の門はバタバタ開いたり閉じたりする――……シェーンベルクは、この行の次に舞台裏からの幽霊騎士たちの叫び声「ホラー!」を挿入している。
[*]精の一撃……妖精が人間の命を奪う呪い。フォルケヴィーセにある。
[*]ロールの唾……アワフキムシの幼虫が出す泡のこと。日本でもその辺でよく見かける。デンマークの民間信仰では、それを勘違いして「トロールの唾」とか「郭公の唾」などと呼んだという。妖怪扱いをするくらいだから何か悪さをするのだろうが、どんなことをするのかは不明。《全集》《詩と散文》
[*]ァルラウン……直訳すると「戦野のワタリガラス」。鳥の姿をした魔物。死の鴉。フォルケヴィーセに登場し、ウーレンスレーヤの上記『詩集』にも同名の詩が入っている。
ヴァルラウン
[*]ラスムギ……原文は「Lokes Havre」。「Loke」は北欧神話の有名なトラブルメーカー・ロキのことで、直訳すれば「ロキの麦」となるが、別に《詩と散文》の注に書かれているような、得体の知れない「空想上の穀物」と取らなくてもよさそうである。すでにドイツ語訳『J. P. ヤコブセン詩集』18ページに、アーノルトによって、「ユランの『avena fatua(=カラスムギ)』の呼称(訳者による注釈)」という脚注が書かれていて、おそらくこれが正しい(なお、この注釈はオイゲン・ディーデリヒ版独訳全集第1巻の巻末にもある)。北ユランでは、家畜に有害であることからウマスギゴケのことをこう呼び、そこから転じて、普通に馬が食べる無害なカラスムギのことを指すようになったという。また、この語は、トゥーヤ・ラースンの詩集『日々』(1905)の中の「五月」という詩にも見えるが、そこでもカラスムギと取って問題ないようである。
[*]化のクラウス……クラウス・ナー・グルペ。ヴァルデマ4世に仕えた道化。彼については、次のような伝承が残っている。
――クラウスは王のお気に入りだった。彼は、長年の自分の奉公に対し、王が大きな恩賞を与えてくれるだろうと期待していた。ところが、ほかの者たちが次々と恩賞にありついているのに、クラウスにはなかなかその話が出ない。クラウスがふさぎ込んでいるのを見た王は、その原因を尋ねた。クラウスは正直に希望を述べ、王は恩賞を約束した。だが、王はその約束をすっかり忘れてしまった。ある日クラウスは、王のファーロム湖への狩りに同伴し、そこでかねがね王が約束していた自分への恩賞をねだってみた。王は約束を思い出してうなずき、ファーロム湖に浮かぶ小島を指さして、こう言った。「あれがおまえの領土だ。」クラウスはひどく失望した。後日、クラウスは、王の大好物である鰻スープをごちそうすると言って、王を「自分の領土」に招待した。王が出されたスープを食べてみると、鰻が入っていない。王がそのことを注意すると、クラウスは答えた。「鰻スープにゃ鰻がおらず、おいらの領土にゃ土地がない」――
クラウスの歌の冒頭に「鰻」が出てくるのはこの伝承によるらしいが、ここには「鳥」は出てこない(次項参照)。なお、ファーロム湖には現在も「クラウス・ナース・ホルム」(道化のクラウスの小島)がある。
[*]という奴ぁ奇妙な鳥よ……原文「Aalen hun er en sælsom Fugl,」(直訳:鰻、彼女は奇妙な鳥だ)。「鰻」を「彼女」で受けて(動物の代名詞は普通「den=それ」)、さらに「鳥」扱いしているのが変わっている。道化的な人を食った言い回しなのか、あるいは何か典拠があるのか、そのあたりは不明。
[*]光を浴びてもがいてる……鰻は皮膚呼吸の量が多いため、雨期などに陸に上がって長時間活動することが可能であるという。
[*]レ・グロープとイーレク・ポー……伝記・出典不明。《詩と散文》には「貴族の名前」とだけ書かれている。
[*]ラザー・クヌーズ……不詳。デンマークの歴史に「クヌーズ」という名の人物は多い。
[*]こでご主人様をけなしてやるぞ!……天国の主人である神を中傷してやろう、ということ。
[*]風の荒々しい狩り……この節は、突然伝承の登場人物に代わって現代人らしき人物が語り始めるため、読者は中世から19世紀にいきなりタイムスリップさせられたような、ひどい違和感を覚える。シェーンベルクがこの節をどうとらえていたかはともかくとして、よく言われているような「女性による救済」とか「太陽と自然による浄化」とかいった救いの暗示を、この節の中に読み取るのは無理だろう。実はヤコプスンは、この詩を書き始める前に、実際にグアア湖に行ったことがあった(詩集『ヘアヴァト・スペアリング』所収の「黄昏」という詩の最後に、「68年作。夕暮れのグアア湖にて。佳作」という書き込みがあることからもわかる)。彼の草稿ノートには、1869年7月23日の日付を持つ、「グアアの歌」の《序詩》が残されている。
真昼
旅の詩の香りが漂っている
このグアアの草地全体に。
ここで感じ取るはずのことは
有名な歌を通して隅々まで知られている。
自然のままの座席も
いくらかの人工の場所も、みんな用意はできているから
君に見せよう、忘我とはどんな習性であるのかを。
美しい森とイギリス式公(*)
1マル(*)を払って見る、装飾された城。
そう、城はきれいだ。
薔薇とクレマチスが咲いている蔓と
墓地の緑が
壁と、それから思いに巻き付いている。
君には石が見えるかい? 急いで銘を読んでみたまえ
すると何かがはっきり見えてくる。
だから城には
土台以外は何もない。
教えは深(*)
広く知られているからだ。
教えを闇から引き出して
白昼の下へと持ってきた
その上の名を
未来へと
伝えてゆけることこそが
そう、過去の大きな
意義なのだ。
(*)ギリス式公園……自然をそのまま公園としたもの。フランス式公園は人工的。
(*)マルク……今のデンマーク通貨はクローネだが、中世から1875年まではマルクが使われていた。
(*)えは深く……ここから下の9行は、アルバン・ベルクの『グレの歌ガイド』にもドイツ語訳が引用されている。
この詩は、「グアアの歌」が『サボテンの花ひらく』に組み込まれる時に省かれてしまったわけだが、草稿記述時の腹案どおり、これが最初に位置して最後の「夏風の荒々しい狩り」と枠を形成し、前後照応していれば、全体はもっとずっとわかりやすくなったはずである。
――ここで碑文を読むように勧められた「君」(=読者の分身)は、ひととき「有名な」歌に語られた中世の悲恋物語の幻を見ることになる。ヴァルデマ王、小さなトーヴェ、森鳩、農夫、道化、幽霊騎士……。だがその幻は、夏風が荒々しく吹く夜明けのころには消えている。やがて風は収まり、湖に太陽が昇ってくる。――
つまり、「グアアの歌」のヴァルデマとトーヴェの物語は、グアアの城址を訪れる旅行者が見るはずの幻影、いわば劇中劇とでも言うべきものだったのである。19世紀の旅行者が見ている夏の湖畔の情景の中に、亡霊とはいえ500年も前の人物が「ちょうど今」「目の前で」救われていくという暗示など、含まれようがないだろう。この詩の、劇中の登場人物たちの歌とはかなり隔たった、ややアイロニカルな語り口や、(訳者は読んでいないのだが)先行するウーレンスレーヤやインゲマンやハウクの詩が、ヴァルデマの密通を罪として扱っているらしいことから考えて、物語の「教え」(原文は Moralen だから、「教訓」「道義」などと訳してもよい)とは、おそらく、「忘我というものは不貞や冒涜を呼び、破滅と絶望をもたらす」といった程度のものなのであろう。となると、最後に主人公が救われてしまっては具合が悪いというものである。ヤコプスンの共感が悲恋の二人の方にあることは明白であるが、一般的な教訓のためには、崇高な太陽と愛の救済よりも、暗鬱な幽霊たちの呟きで消え入るような幕切れとなる方がふさわしい。亡霊たちの荒々しい狩りは、(アンデルセン童話に脇役で登場したりもしつつ)伝承どおり最後の審判の日まで延々と続いていくのである。
[*]ッドキングヘンリー……原文は「Henrik」。アカザ科の植物 Chenopodium Henricus L.《全集》。草丈が7~80センチくらいになることから、「誇らしげな」と形容したのだろう。ハーブとして栽培され、日本でも容易に入手できる。
[*]モミール……原文は「Gaaseurt」。カモミール(和名カミツレ:キク科)のことで、ハタザオ(アブラナ科)のことではない。
[*]……原文は「St.Hansorm」。蛍の一種で、アーノルトが訳したドイツ語の「St.Johanniswurm」も同じ。「黙示録の龍」ではない。なお、この蛍は(ほかの蛍も大抵そうだろうが)、赤色ではなく緑色に光る。
[*]の塚……原文は「Blomstertue」。数輪の花が、小さな塚のように固まって咲いているもの。テントウムシの素敵な妻とは、太陽を指すのだろう。
[*]模様のカタツムリ……殻に縞模様の色帯のあるカタツムリ。その辺によくいる。
[*]ーマクとスティーンゲアデ……『コルマクのサガ』を題材とする。未完。ヤコプスンのこの作は、原作よりも筋書きがかなり単純化されている。なお、ここでの詩(スカルド)はサガからのものではなく、ヤコプスンの自作である。
スティーンゲアデ
[*]ーディン……北欧神話に出てくる神。フレヤ・ノーネ・イミル・スヴァリンなども同じ。
[*]悪な地下妖怪……原文「Vætter」。北欧神話に登場する、地底に住む魔物。
[*]串……原文「Tinten」。「Tin-ten」と考えて「錫-串」とした。アイスランド語は手に負えないが、原典の『コルマクのサガ』では「tinteinn」となっており、森信嘉氏は「丘の上の城、低い要塞、スズ野郎、スズ打ち野郎」などと訳しておられる(『スカルド詩人のサガ』東海大学出版会、2005)。

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